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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
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88 檻の中

 ヒワたちは、ひっそりと町の外へ連れ出された。ずっと白いローブに囲まれていたせいで、道をまるで把握できなかった。


 ひらけた場所に出る。そこに停まっていた箱型の馬車に押し込まれた。一言の声がけもなく、古ぼけた扉が閉められ、小さな窓に布が下りる。


「出発か?」

「ああ。このままキーファの祭祀場に向かえと」

「簡単に言うよ。ここからキーファまで、どれだけかかると思ってるんだか」


 共通語の会話が、くぐもって響いた。ヒワはそれを他人事のように聞いていた。


 しばしの空隙(くうげき)。その後、車が揺れる。車輪の音に、蹄の音が混じる。


 馬車の中に椅子などはなく、箱や袋が積まれている。それらに埋もれた少女と精霊人は、どう見ても異質だ。だが、ここに人目は届かない。闇と静寂だけが『積み荷』の上に覆いかぶさっている。


 ヒワは長いこと、エルメルアリアを抱えてうずくまっていた。しかしあるとき、顔を上げた。視界の端で動いた物に気を引かれたのだ。触れてみると、馴染みのある感触。それはヒワのバックパックだった。


 白いローブの人々は、ふたりを連れ出す前に荷物を検めていた。しかし、そのまま取り上げることはしなかったのである。何も考えていないのか、荷物があったところで何もできないと侮っているのか。


 ヒワはバックパックに手をかけた。なるべく音を立てないように開いて、中を探る。棒状の物を見つけると、黄緑色の瞳を輝かせた。


「……取られてなかった」


 引っ張り出したのは、杖。相棒お手製の袋に入れていたおかげで、精霊指揮士コンダクターの杖だと気づかれなかったのだろう。


 ヒワは安堵の息を吐く。すがるように杖を握った。指揮術で車に穴を開けようか。そんな考えが閃いたが、実行には移せなかった。馬車を壊して脱出したとて、一人では逃げきれない。そう思うと、手も口も重くなった。


 また、しばらく時が流れる。次に少女の意識を揺り動かしたのは、魔力の熱と、異質な音だった。


 ぽーん。聞き逃しそうな、高い音。


 ヒワが視線を上げたとき――目の前に、黄金色の光が灯った。光で形作られた龍が、その身をくねらせる。


「え――」

『おい! 素人てめえ――』


 疑問の声をさえぎって、怒声が響き渡る。ヒワはぎょっとした。片手でエルメルアリアを支え、もう片方の手で伝霊(でんれい)を包み込む。


「しーっ、しーっ! み、見つかったら大変なことに……!」

『あぁ?』


 伝霊から、濁った怒声が流れ出る。いつものヒワなら縮みあがるところだが、今はそんな余裕すらない。慌てて周囲を見渡し、耳を澄ます。変化はない。馬車の音が声を隠してくれたのだ。


 ほっと息を吐く。ヒワは改めて黄金色の龍を見つめた。


「あの……どうして伝霊がここに?」


 疑問に答えたのは、ノクスではなかった。


『精霊たちが運んでくれたのだ! このわしもびっくりの騒ぎっぷりでな!』


 ゼンドラングだ。こんなときでも陽気さを失わない声を聞くと、ヒワの体から少し力が抜けた。だが、ひと息つく間もなく、ささやきの波が襲ってくる。


『救援が間に合わず、すまなんだ。――無事か? 相棒とは一緒か?』

『つーか、今どこにいやがる?』


 ヒワは潜めた声で、それぞれの質問に答えた。


「わ、わたしは無事です。場所は……荷馬車の中?」

『はあ?』


 ノクスの声が裏返る。そのとき、別の声が響いた。


『ヒワ様……ご無事ですか……! ああ面目ない、案内人失格です……!』


 泣きそうな男性の声を聞き、ヒワは目を丸くした。沈黙ににじむ戸惑いを察したのか、ゼンドラングが割って入る。


『この通り、コーエンは精神的に瀕死だ。案内人のくせに客の安全を確保できなかった、ということらしい』

『これが鬱陶しいんだよ。さっさと説明しろ』

「すみません、すみません……!」


 ヒワは、頭を抱えて丸くなる。消えてなくなりたい気持ちを抑え、仲間たちに事情を話した。上手に説明できた自信はない。それでも、おおよそ状況は伝わったらしく、伝霊の向こうからうめき声が漏れた。


『契約相手がついててこれかよ……まじあり得ねえ……!』

『その契約相手は、傷病の治りが早い己より、人間のヒワを守ることを優先したのだろう。己の“弱点”をわかった上でな』

『意味わかんねえ。自分が死んだらどうすんだ』

『ごもっともだ! だが……わしは責められんよ』


 ゼンドラングの声が、わずかに沈んだ。ノクスは何か言いたそうだったが、すぐに話を元へ戻す。


『とにかく。てめえは今、〈精霊の輪の会〉に捕まってるってことでいいんだな』

「はい……」

『杖は? どこにある?』


 唐突な問いに、しかしヒワは即答する。


「ここに――手もとに」


 ひととき、無音の時間があった。その後、鼻を鳴らすような音とともに、ノクスの声が響く。


『ならいい。俺らが追いつくまで、そのまま捕まってろ』

「えっと……下手に動くなってことですか」

『そうだよ。あと、その間、共通語は使うな』

「……へ?」


 ヒワは思わず聞き返した。ノクスは繰り返す代わりに、ふてくされたように付け足す。


『あの夫婦が相手だったんなら、ずっとアルクス語で話してたんだろ』

『なるほど。敵に“この子は共通語がわからない”と思わせて、油断させる作戦ですね』


 陽気な声が飛び込んできた。コーエンだ。少しずついつもの調子が戻ってきているらしい。


 彼の言葉で、ヒワもノクスの意図を理解した。気合を入れて、大きくうなずく。


「わかりました。がんばります」


 言ってすぐ、あることを思い出した。あっ、と声を上げると、ノクスが反応した。


『なんだよ』

「あの、そういえば――馬車が出る前に、共通語で話しているのが聞こえたんです。キーファに向かうとか、なんとか」


 伝霊の向こうから、空気の鳴る音がする。それから響いたのは――かすかな青年の笑い声だった。


『ちったぁ使えるじゃねえか』


 ヒワが目をぱちくりさせている間に、向こう側が盛り上がる。


『よし、ゼン。キーファに行くぞ』

『相分かった!』

『私もお手伝いします』

『いいか素人、大人しくしてろよ。切るぞ』


 ノクスの一方的な宣言を最後に、向こうからの音が消える。伝霊も戻っていった。


 忘我から立ち直ったヒワは、うつむいた。暗闇が戻ってくると、不安もまた打ち寄せる。唇を噛んだとき、冷たい手が頬に触れた。


 瞼を持ち上げる。腕の中の精霊人が、じっとヒワを見ていた。ヒワは叫びそうになったのを耐えて、彼に顔を近づける。


「エラ、起きたの? 大丈夫?」

「伝霊の気配で、目が覚めた。けど、さっきまでぼんやりしてて……」


 エルメルアリアは、契約者にすがりつくようにして体を起こす。


「なんで、逃げなかった?」


 問いの形を取ってはいたが、懇願のようでもある。ヒワは思わず「え?」と聞き返した。


「オレのことを置いて、指揮術ぶちかまして逃げる――そうしてくれて、よかったんだぞ。()()()()()精霊人(スピリヤ)ならすぐ治るんだから」


 ヒワは宿で見たものを思い出した。茫洋と輝く彼。精霊たちが魔力を渡しているところ。けれど、それを受け入れるより早く、頭が()()と熱くなった。


「なんで、はこっちの台詞だよ」


 声が大きくならないように必死で抑える。それでもわずかに高まって、語尾が震えた。


「なんでそんなこと言うの。置いてくなんて、できるわけないでしょ」

「でも……逃げるなら、逃がすならあんたが優先だ。精霊人は人間より――」

「関係ない!」


 いけないとわかっていても、語気が強くなる。目を丸くしたエルメルアリアを抱き寄せて――慌てて腕の力を緩めた。頭を強く打った人をあまり動かしてはいけない。


 ヒワはか細く呼吸して、呆然としている精霊人を見下ろす。


「そりゃ、精霊人の方が人間より長生きで、色々強いってことくらいはわかるよ。でも、そんなの関係ない。あの状況でエラを置いてくなんて、わたしには無理」


 相棒を抱く五指に力がこもる。結局、こらえきれない。


「こわかったんだよ。エラがあんなふうに殴られて、動かなくて、起きなくて。このまま目が覚めなかったらどうしようって、こわかった……」


 ぎゅっと目を閉じる。その拍子に涙がこぼれた。ヒワは、情けないと思いながらもすすり泣く。昔に戻ったかのようだ。


 エルメルアリアの小さな手が、ためらいがちに肩に触れた。


「……ごめん」


 かすれて揺らぐ謝罪の声は、迷子のようだ。


 ややあって、エルメルアリアはもう一度、ごめん、と言う。戸惑いが薄れた代わりに、悲しみが色濃くにじみ出ていた。


 少し落ち着いたヒワは、強くかぶりを振る。


「わたしの方こそ。ごめん。ごめんなさい」


 エルメルアリアに当たってどうする。元はと言えば、自分の不注意が招いた事態だ。もっとフックス夫妻を警戒していれば。彼らの誘いに乗る前に、ノクスやコーエンに相談していれば。ふたりとも、こんな思いをせずに済んだのに。後悔の念がヒワのうちで渦を巻く。それを悟られないために、震える唇をこじ開けた。


「……エラ。おかしいところ、ない? 頭痛とか、吐き気とか、手足がしびれるとか」

「ない。精霊どもが、だいぶ助けてくれたしな」


 エルメルアリアはささやいて、ヒワを見上げた。悲しみの色を残したまま、しかし紅玉の瞳がきらりと光る。


「なあ、ヒワ。外の奴らを油断させるんだろ? だったら徹底的にやろうぜ」

「徹底的に? まだ何かするの?」


 ヒワがささやき返すと、エルメルアリアは手を持ち上げた。人差し指で杖を示す。すると、それはひとりでに浮き上がって――消えた。


「あ、あれ? 杖は……」

「隠した。フラムリーヴェの剣と同じ原理だ。すぐ出せるから安心しろ」


 愕然としたヒワだったが、相棒の言葉を聞いて安堵する。まだ少しこわばっている背中を、後ろに預けた。自らが、積み荷の一部になるかのように。


「せっかくだから、キーファまで連れていってもらおう」


 ちょっとおどけてそう言うと、エルメルアリアも「おう」と答える。やはり冷たい指が、ヒワの服を握りしめた。


「着くまで、こうしてていいか?」


 小さな精霊人は頭を下げる。尋ねる声が震えていることに気づいて、ヒワは息をのんだ。すぐに動揺を押し隠して、笑みをつくる。


「うん。……こういう所、怖いよね。本当にごめん」

「気にすんな。『あいつら』が来ないってわかるぶん、まだましだ」


 ヒワは、無言で膝を寄せる。やけに速い鼓動を感じた。相棒のものだと、すぐにわかった。小さな右肩に手を添える。そのまま、闇と震動に身を委ねた。

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