表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第一章 春と風のプロローグ
1/67

1 世界と彼らの分岐点

 たいへん、たいへん。こわいよ。たすけて。



 そんな声が、草葉の音色と朝露の輝きに乗って聞こえてくる。


 ポルメ林檎のお茶を淹れていたエルメルアリアは、その声を聞いて顔を上げた。しばらく耳を澄ませた彼は、腰に手を当てて、わざとらしくため息をこぼす。それから、地面を蹴って軽やかに飛び出した。


 天を()くほどの大樹の内部。それが、エルメルアリアの家だった。その樹は、人が暮らせるほど大きな空洞を持ちながらも、何百年とこの場所にそびえたっている。戸口としているうろから外へ出た彼は、声の方を目指して、文字通り飛んでいく。


 周囲には、奇妙にうねった木々がたくさん生えている。その下では草花や光るキノコも背を伸ばしていて、一見するとただの森林のようだ。しかし、ここは立派な『人里』だった。


 里の中心部には、木々をそのまま利用した家もあれば、人間たちの家屋と同じ形の家もある。家から出てきた人々は、近くの木から果物を採ったり、水汲みに出かけたりと、朝から動き回っていた。


 その中に混ざって動いていた一人が、ふと上を見る。見られたことに気づいたエルメルアリアは、大きく手を振った。


「よう。おはよう」

「ああ、なんだ、エルメルアリアか。おはようさん」


 深緑の髪を刈りこんだ男性が、明るく笑って叫び返す。背負っている編み籠を担ぎ直しながら、さらに話を続けた。


「今日はおでかけか?」

「あーまあ。ちょっと〈青嵐(せいらん)山脈〉の方まで」


 男性は首をかしげていたが、エルメルアリアの視線の動きで行先を察したらしい。大げさにのけぞった。


「散歩にしちゃ遠いな。今日は巡回の予定はないはずだろ?」

「そうなんだけどさ。なんか精霊たちが騒いでるっぽいから。様子見てくる」

「はあー。気づかんかったわ。さすがだな」

「ま、オレは天才ですからなー」


 ふふん、とエルメルアリアは胸を張る。男性は「違いない」と豪快に笑った。


 男性と別れたエルメルアリアは、里の出口に向かう。その瞬間、背後からため息が聞こえた。


 今日はずいぶんあからさまだ。彼は、気づかなかったふりをして飛び出した。



     ※



 〈青嵐山脈〉は、里の北に伸びる雄大な山脈だ。その手前には、広くて深い森がある。エルメルアリアは、その森に飛び込んだ。


 木々の狭間を通り抜け、道らしきところに出た瞬間、確信した。


 たいへん、たすけて――その声は間違いなく、ここから響いている。


 あたりを見回していたところ、鹿や猿、穴倉ネズミなど、森の動物たちが顔を出した。彼らはエルメルアリアを見ると、一斉に同じ方向へ駆けだす。逃げ出したというよりは、彼についてきてほしいようだった。


「おお? どうしたってんだ。あんたら、普段そんなに団結しないってのに」


 エルメルアリアは目を丸くする。それでも、動物たちは黙って彼の方を見ていた。つぶらな瞳に負けたエルメルアリアは、大人しく動物たちについていくことにする。彼らの目線に合わせようと、地面に足をつけた。


 ――その瞬間、天地が揺れた。


「おわっ!?」


 突き上げるような衝撃の後、細かな縦揺れが数秒続く。


 エルメルアリアは、とっさに頭を抱えてうずくまった。動物たちの錯乱したような鳴き声や足音が、あたりを包む。ちらりと顔を上げたエルメルアリアは、細長く息を吸った。


「『静まれ』!」


 彼が発した一声は、奇妙に反響して響く。それを聞いた動物たちが、揃って小さな少年を振り返った。表情が徐々に落ち着いて、威嚇行動も収まっていく。その様子を見たエルメルアリアは、立ち上がって衣の裾をはたいた。


「……もう揺れなさそうだな」


 地面をにらんで呟いた彼は、動物たちに向かって軽く手を振る。


「ほれ。オレをどっかに連れていきたいんだろ。案内してくれ」


 ひとときの沈黙の後、動物たちは静かに駆け出した。


 彼らに連れられてやってきたのは、森の半ばにある、少し開けた空間だった。


 木々をかきわけ、辿り着いた瞬間、エルメルアリアは柄にもなく立ちすくんだ。


「なんだこりゃ……?」


 目の前に、巨大な穴が開いている。


 しかも、土を掘ってできた穴ではない。


 穴の中では何かが渦巻いている。最初は水かと思ったが、どうも違うらしい。どちらかというと、光だ。光の流れが、穴の中を行き来している。赤、青、紫、緑――ひとときごとに色を変える光が複雑に混ざり合っていた。


 その流れを見ていると、寒気がしてきた。あるいは、何匹もの蟲が背中を這い回るような感覚に襲われた。


 動物たちも穴を警戒しているようだ。あるものは毛を逆立て、あるものは低い声で吠える。


 そして――エルメルアリアが追ってきた精霊の声の大元も、ここだ。


 大半の精霊は目に見えない。だが、声の大きさや明瞭さでおおよその居場所がわかる。


 精霊たちの声は、今までにないほどはっきりと、エルメルアリアの耳に届いていた。



 たいへん、たすけて、こわい、こわいよ。

 あながあいた。

 さかいめに、あながあいた。



「境目に、穴――?」


『穴』にのまれた草葉の悲鳴と一緒に聞こえてきた、精霊の声。それを繰り返したエルメルアリアは、息をのんだ。


 軽く地を蹴って飛び上がる。おそるおそる、穴の上まで飛んで――慎重に下降した。


 近づくと、禍々しさがよくわかる。質の悪い魔力がぴりぴりと肌を焼いた。


 呼吸を整えて、穴をのぞきこむ。のみこまれないよう注意しながら、光の流れを追う。


 絶えず瞬き、目を刺す光。


 その狭間に見えたのは――青い空だ。


 それは、彼が今いる世界の下に広がる、()()()()()()()()の空。


「……まさか」


 はっとして、エルメルアリアは顔を上げる。一息で穴から離れると、木立をにらんだ。


 この森には様々な動物がすんでいる。中には、強大な力を持ち、衝動に任せてあらゆる生き物を食らう『魔物まもの』もいる。万が一、彼らがこの穴に飛びこんだら――


「まずいぞ、これ」


 乾いた呟きが、暗い木立に吸い込まれていく。


 しばししかめっ面で滞空していたエルメルアリアは、あるとき、弾かれたように振り返った。


 しゃらしゃらしゃら。自然にない音が響く。銀色に輝く鳥が、空を旋回し、木々を突っ切って、エルメルアリアのもとに飛んできた。


「……使い(どり)か」


 顔をしかめたエルメルアリアの眼前に、鳥が下りてくる。その場で忙しなく羽ばたいた使い鳥は、やはり銀色のくちばしを開いた。


『選ばれし精霊人スピリヤ諸氏に告ぐ。大至急、〈銀星ぎんせいの塔〉に参られたし。大至急、〈銀星の塔〉に参られたし』


 甲高く、平坦な声を聞きながら、エルメルアリアは眼下の穴を見下ろした。


 エルメルアリアは、〈銀星の塔〉からの呼び出しが大嫌いだ。が、今回ばかりは行くしかあるまい。ため息をついて、使い鳥のひたいを指で弾いた。


「わかった、わかった。特別に全速力で行ってやるから、感謝しろよ」


 意識して尊大に告げると、使い鳥はエルメルアリアのまわりをぐるりと飛ぶ。それから、来た道を戻っていった。


 エルメルアリアも高度を上げる。すると、森の動物たちが不安そうな声を上げた。つぶらな瞳を向けてくる者たちを見下ろし、エルメルアリアはにっと笑った。


「悪いな、オレはこれからお仕事だ。――大丈夫。きっと()()に関することだぜ」


 あれ、と言いながら奇怪な穴を指さす。その意味がわかったのか、動物たちはぴたりと黙った。エルメルアリアは彼らに手を振り、銀色を追って飛び出す。


 小さな体を包む風は、やけに生ぬるく、熟れた果実のような匂いがした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
読書配信へのお申し込みありがとうございます! 樹の中に家があったり、ポルメ林檎のお茶とか、銀星の塔というネーミング、使い鳥などなど第一話から素敵ファンタジーの香りがすごいです(*'ω'*)こういう世…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ