ぷすー
◆2024年2月13日
「ねえちょっと聞いてくれる?」
どしたのしゅんとして。
「義妹さんがね、
『猫用ブラシ買ってブラッシングしたから、
今日は額のバーコードがふっさふさ!』ていうの」
バーコード……
「それってさ、ジャパニーズ◯ゲの表現じゃない?」
違うよ
「ほんと?目を見て言えるですにゃ?」
言えるよ、令和の時代にバーコード=ハゲだなんて
あっ
ぷすー。
「にゃあはハゲだったんですにゃ。
つらい。もう寝るですにゃ」
ハゲてないよー!!ふっさふさだってばー!!
額の模様、夫はヘルメットって言ってるし義妹さんにはバーコードって言われているけど、にゃあさんのチャームポイントですよ♥
実際、短毛種だと思うけどもっふもふで毛の生え変わり時期はすごい。
そういえば子どもが「学校行きたくない」を早速はじめたですという話を前回書きながら、そもそも私も子どもの頃それでな……としみじみして夫にぼそっと言ったんですけど「うちは私の親もだから、もう家系」って。
母はとてもきょうだいが多く、子どもの頃は親(私の祖父母)にまったく構われなかったとのこと。
母方の祖父母といえば「手に負えない男」というエッセイ風小説にも書いたことあるんですけど、祖父が職業ひもで。
特技が連帯保証人っていう。
大正生まれで身長175cmと当時はずば抜けた高身長、いつも帽子にマフラーにロングコートがおしゃれですらっとした見た目に顔良し(年取っても体型全然変わらないタイプ)、おばあちゃんも「見た目だけで選んだ!!」と言っていたんですけどま~~じで大変だったと思います。
趣味人でサイフォンで珈琲いれながら新聞も本もばりばり読んで(◯◯全集だらけの家だった)、女性関係のトラブルは一応ないんだけど、酒は鬼強で、同性の前でいいところ見せたいタイプでどうしても連帯保証人のハンコ押しちゃうっていういらないブロマンス。
祖父が働かないので祖母が会社を切り盛りしていた上に、きょうだいも多かったので、別に裕福な家でもないけど(なにせお金はすべて連帯保証の方面に消える)、子どものお世話は「ねえやさん」という雇われの若い女性がしていたそうです。
で、幼い頃の母はねえやさんに連れられて一週間ばかり幼稚園に行ったけど「もう行かない」と言ったら、その場で幼稚園やめさせられて、家でずーっとひとりで遊んでいることになったと。
その記憶がしっかり残っているそうで、私が「幼稚園行かない」をやり始めたとき「きたー!私の子だー!これはやばいー!」と思ったらしく、毎朝毎朝、幼稚園までの道のりを変えて、花を摘んだり川を見たり鳥を追いかけたり猫のいる家の前を通ったりしながらどうにか登園させていたそうです。
「覚えてる?」
「まったく!!私はなんの問題もなく幼稚園行ってたとばかり思ってた!!」
「登園だけで毎日ものすごく大変だったけど、自分のときみたいに、子どもが相手なのに『本人がやめたいって言うからやめさせた』をやっちゃうと、その後本当に大変だろうなって思ったから……。長い目でみたり、大人がサポートするの大事だよー。いきなりなんでもかんでも本人の責任、じゃなくて」
自分はそのおかげで、そこで苦労してないから、母の努力というか労力を一切覚えてなかったんですよね。
ただ、いざ自分の子どもにその傾向があっても「きたー!!家系だー!!」って思っちゃった。
溢れ出る「これ◯◯ゼミでやったやつ!!」感。
これは私の母が私にしてくれたように、毎朝手を繋いで違うルートで小学校につれていかないとだめかな……と覚悟したんですが、
小学生になまじ別ルート教えてしまうと、帰ってくるときに誰も把握していない道でひとりで帰ってくることになって危険な気がする……通学路以外は歩道もろくにないしひとは歩いてないし車も飛ばしているし……
と、思って別ルート作戦はやめておこうと思いつつ「不登校は家系」という知見があるだけ、覚悟はついているよなって思ってしまったのでした。
しかしながら、母(手に職の考えに行き着き、学生時代にバイトしながら華道に通い、免許取得して先生してた)も私も引きこもり体質ではなく、特に仕事ならできるしやっちゃうっていう変な真面目さはあるので結果だけみるとどうにかなってたりする。
(私は中学のときは体力づくりにグラウンド走るような強豪校の吹奏楽部部長だったし、就職してからもずっと女性の多い職場でひとの距離も近かったけど別にいやとかだめとかもなかったような。社員寮に暮らしていても、通勤や退勤がひとと一緒になるのはNGくらいかな。オフさえ確保できていれば、職場では必要の範囲で団体行動も集団生活もできる……)
たぶん父の生い立ちと母の経験等から「自立した人間になるように」という教育方針だったのは間違いないけど、過度に子どもの自主性を盲信してもいなかったのが良かったな、と。子どもの自主性尊重って、響きは良いんだけど、人生経験ある側の大人が、判断も責任も全部ぶん投げて取り返しつかないことまで「あなたが自分で選んだんでしょ?」をするってこと?って思うと、私なんかはやべー怖ぇ~自分の親それじゃなくて良かったなって思っちゃう。
子どもは思い込むし、意地を張るし、わかってないこともすごく多い。「それ」を選択したときの結果がどうなるかなんて、そのときはわからない。「あなたが自分で選んだんでしょ?」をする親は、私が実は自分がものすごく手がかかる子だったことを忘れていたみたいに「大人の助けがなくても自分は子どもの頃からいまの自分だった」「だから子どもには判断力がある」と思ってそう。
紆余曲折していろんな挫折と衝突を繰り返していまの自分になった、それを踏まえた上で「紆余曲折」「挫折」「衝突」を子どもの人生から取り除こう、世界の方がそう変わるべきなんて方向にいっちゃうのを見てると、気持ちがひいちゃう。そっちに行くのか……という感じ。
私は、ぶつかるのは仕方ないと思ってて、そこは子どもが自分で考えて生きていけるようになるまで大人は大人として……頑張らないと……がんばろう……( ;∀;)
そんなわけで、子どもの頃からあんまり親にほめられた記憶ないな……ってのはあるんですけど、手はかけてもらってたんだろうなって思います。私はいまの自分の人生、べつに悪くないな~と思ってる。
あと最近は、親にアンソロジー等の本を送ると「うちの娘はちょっとすごいのではないか」と喜んでいるので、自分は仕事として電子も紙もこだわりないけど、物質の方が親に送りやすいなぁと思ったりします。
紙のお仕事もくるようにがんばろ~(電子はありがたいことにこのあと色々予定ありますよ。書き下ろし中心なので配信時期にいきなり情報出るやつ)。
さてさてなぜか思い出話を続けてしまったけどそろそろ猫写真だけは猫写真だけに戻さないと。
(๑•̀ㅂ•́)و✧




