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17歳編

 見渡す限りの平らな大地。植物は一本も無い。地面には白と黒の正方形が交互にそして延々と並んでいる。遠くにはうっすらと切り立った山が見えるがその麓は霞んで見えない。その山の上の空は灰色をしているが雲は一つもない。地平線のあたりで地面との境が分からなくなっている。

 男がいた。灰色の背広を着た男の足元にはその腰ほどの高さの白いチェスの駒があった。駒の頭の部分が灰色の空と男の影を映している。

 男はその球を覗き込んだ。


『川本姉妹の場合』


Ⅰ  十七歳‐1


 渋田駅を出ると巨大なイケメンに微笑みかけられた。正面のビルのモニターに双子の姉の「カナ」が好きだといっていた「竹下ナントカ」という俳優が映し出されている。確かにイケメンだと思う。姉があれを見たら大喜びだろう。などと考えていたらモニターはすぐに別のコマーシャルを映し始めた。


 渋田に来た目的を思い出し、周囲を見回す。見上げたビルにはカラフルに光る看板とすぐに切り替わる宣伝を繰り返すモニター。スクランブル交差点を埋め尽くす人間。スーツを着ている人も見えるから遊びに来た人ばかりではないのだろう。足早に歩く人とキャッキャと話しながら歩く人。後者の方が多いようだ。


 左の方から一段と楽しげな声が聞こえた。もしかしたらと思い、目をやるとやはり姉だった。妹が言うのもなんだが姉には人を惹きつける魅力がある。ほかの人より輝いて見える気がする。いつも混雑している渋田の駅前でも十分で姉を見つける自信があった。双子だからというのも多分あると思うが。


 姉は両側に二人の友人を連れて笑顔で話しながらこちらにやって来た。純な男子高校生がみたら気絶するのではないかというほどまぶしい笑顔だ。制服のスカートを短めに上げ、すらりとした脚を披露している。ネイルにはカラフルな飾りがゴマンとついている。耳にもかなりの数の大きめのイヤリング。鞄にもナナマンと飾りがついている。おじさんたちにはギャルと呼ばれる人種だ。

 姉と外で話すときにはここからの態度が大切。わりと遠くから、今気づいたようなリアクションをして近づく。

「あ、お姉ちゃん」

小走りに駆け寄る。姉は驚いたような、やっぱりというような顔をした。両脇の女子の顔には「誰?」と書かれている。

「あ、こんにちは。私、カナの双子の妹のキサです。いつも姉がお世話になってます」

ペコリと頭を下げ、にっこりと笑顔で顔を上げる。完璧だ。

「なあに~? カナちゃんの妹なの~?」

右側のボサボサなのかファッションなのか長髪の友人がゆっくりなテンポで話す。姉は「うん。まあね」と気のない返事。すると左側の金髪と茶髪がマーブルになっている方が口をはさむ。

「カナ、双子なの? 知らなかった。教えてよ。冷たいねー」

姉は二度目の「うん。まあね」

「あれ? 妹君、海涼高の制服じゃん。頭良いんだ。海涼ってイケメンいる? まあいいや。私、クミ。で、あっちがモモ。バカみたいな話し方だろ?」

「はい」

とはさすがに答えられない。「そんなことないです」とか言いながら姉の様子をうかがう。友人二人が勝手に妹トークで盛り上がるのをめんどくさそうに聞いていたが、

「で、何?」

急に低いトーンで聞いてきた。こんな目で睨まれたら進学校でお坊ちゃまだらけのうちの高校の男子はすぐに逃げてしまうだろう。でも私は妹なので平気。

「今日、誕生日でしょ。帰らないの?」

「帰んない」

「お父さんとお母さん、待ってるよ」

両脇の友人の表情が少し硬くなった。

「バカだね。誕生日だから友達と一緒にいるんじゃん。今日はマリブルのグリチャに行くんだから」

「マリッジブルーの緑茶?」

ギャハハハとクミが笑う。本当にこういう笑い方をする人がいるんだ。

「あのね~マリン=ブルドッグって店があるの~」

「だから、今日はまだまだ遊ぶの。ね?」

と、姉は二人の友人の顔を見る。友人がうなづく間もなく二人と腕を組んで連れて行ってしまった。ああなったら深追いしても意味が無いことを十六年付き合ってきた私は知っている。でも最後に「いいのね?」と声をかけると右手でバイバイしながら「あとよろしく」と言い残し、人ごみに消えていった。グリチャは何だったのだろう。


 家へ帰る地下鉄の車内はLEDライトが床ばかりを明るく照らしている。窓の外の闇には時々ライトが光線銃の軌跡を描く。私はドア近くの席に座り世界史の参考書を取り出した。歴史上の人物の羅列をみて過ごす。誕生日ということを除けば、いつもの事だ。

「城前駅」で降り、数分歩くと街灯はほとんど無くなる。家の近くまでくるとかなり暗い。両隣の家もいつも帰りが遅く、明かりが無い。そのため我が家では玄関の外の明かりをいつも点けていて私たちはそれをたよりに歩いている。まるでこのあたりの灯台のようだった。

「ただいまー」

玄関で靴を脱いでいると、母の、

「おかえりー」

と、とぼけた声が台所からした。カナとちがってずいぶんのんびりな性格だ。私とも違う。母が小走りにやってきて二階に上がろうとする私を呼び止める。

「カナちゃんは?」

私は首を横にふる。

「そう」

母はやっぱりねといったリアクションだった。

「渋田で見かけたけど友達と一緒だったから、声はかけなかった」

何となく姉をかばわないといけないと思い、嘘をついた。

 部屋着に着替えリビングダイニングに戻ると、いつもより少し豪華な食事がテーブルにならんでいた。

「ああ、そうか。今日は誕生日か」

おおげさな合点首をふり、冗談めかして言うと、母は

「そうよー本当に。二人の誕生日なのに。困ったものね」

と、本当には困っていない風に言った。

「まあ、友達を大事にしたい年頃だろう。なあ、キサ」

と、すでに座っていた父が私に話を振るが、私は今、家に居る。

「うん、まあね」

と、答えておいた。

 それなりに家族の会話を楽しみ食事を終えると、父がニコニコしながらプレゼントを持ってきた。


◇◇◇


「うわっ、マジで?」

姉は私からプレゼントの箱をふんだくった。中身は私のものと同じ、最新のスマートフォンだ。

「何で言ってくれないの?」

「あなたが渋田で遊んでいたからだ」とは言えない。箱を開けピンクのスマホを見ると表情を急に硬くした。

「あれ、貼ってないじゃん。フィルム」

姉はそういう面倒臭い作業が嫌いだ。

「フィルムは買ってあるよ。お父さんも前のことを覚えてたみたい」

今使っているスマホを買ったときにはフィルムがないと姉は荒れに荒れ、私と父で急遽ケータイショップに走るはめになった。今回は父もちゃんと機種を調べて買っておいたらしい。フィルムをヒラヒラと姉に見せたが、表情はそれほど変わらない。

「じゃあ、明日には持っていけるね。あとヨロシク」

姉はスマホを私に押しつけると一階の風呂へ向かった。フィルムとデータの引継ぎというお仕事を頂いたのだった。

 姉がお風呂に入っているあいだに旧スマホの中のアプリをチェック。できる限り速く新スマホにインストール。姉が風呂から出るまでに仕上げたい。最新機種だけあってどんどんインストールは進む。予想より早く姉が使える状態にすることができた。

ほっと一息入れたところで説明書にあった機能を思い出した。子どもに持たせたときのためにGPSで居場所を教えてくれるアプリ。姉に何かあったときに渋田に探しに行くのはいつも私の役目だった。渋田に行けばすぐに会えると思うが、このアプリがあればもっと速く見つけられる。しかし、これが姉にバレたら何を言われるか分からない。そう思いつつも手は止まらなかった。ダウンロードが終わったところで下の風呂の扉が開く音がした。インストールのパーセンテージはなかなか進まない。姉が階段を上がってきた。何度も画面を見る。あと二パーセント。ドアが開いた。頭を拭きながら姉が入ってくる。

「どんな感じ?」

「うん。ちょうどできたところ」

画面にはインストール完了の文字。スマホを渡しながらホームボタンを押し、待ち受け画面にもどった。

「あんがとー」

姉は受け取ると軽く手を振って自室へ行った。

はぁっと、一息ついていると、ガチャっとまたドアが開いた。

姉の顔がひょっこり現れた。

「充電器」

すぐに今まで自分が使っていたものを渡すとバタンとドアがしまった。

 改めてほっと胸をなでおろし、勉強に向かった。あまりうかれてもいられない。試験が近いのだ。二時を過ぎたころ、姉はもう眠ったようだ。スマホで姉の位置を調べると、自宅の地図が画面に表示された。私を示す青い光と重なるようにピンクの光が点滅していた。

 

  十七歳‐2


 渋田はマジ楽しい。楽しいとこいっぱいあるし。かわいいものもいっぱい。雑誌とかでみた欲しいものもなんでもそろってる。

 渋田駅の改札を出ると大好きで大きな「竹下リョーマ」がほほえみかけてくれた。超ラッキー。あのモニターつけたビルの人サイコー。何?変なオッサンに変わったんだけど。待ち合わせの時間だけど、もう一回「竹下」でるまで待つしかないっしょ。待ってるとなかなか出てこないんだよねー。ナニ?まさかのオッサン俳優の2回目の登場。あ、電話。

「もしもしー」

「カナ~?今どこ~?」

「もうついてるよー」

「え~。どこ~?」

電話の向こうでは探している気配がする。

「あっ、きたきた」

モニターにやっと「竹下」が現れた。

「今から行くね」

スッキリした気分で通話ボタンを押し、歩き出した。

「おまたせー」

「呼び出してるほうが遅れるとかイミ分かんないんだけど。何してたの? さっきの電話も急に切れるし」

「ごめーん。竹下がかっこよすぎてさー」

「??」

「あ~あの駅前のビルの~?」

「そう。やっぱ竹下イケメンだわー」

「うん。イケメンだわ~」

「だからしょうがないよね。クミ」

「まあいつものことっちゃ、いつものことだからねー。でもあとでなにか奢ってよね」

「ウィース」

「あれ? カナちゃん、スマホ替えたの~?」

「今頃? 二週間も前に替えたし。誕生日プレゼントって話もしたし」

「そうだっけ~?」

「まったく、モモはバカだなー」

「え~。そんなことないよ~。クミちゃんもカナちゃんもテストの順位はかわらないよね~?」

人混みの間を抜け交差点を渡った。

「あー。イケメン欲しい!!」

「彼氏じゃなくて?」

「そう!イケメン」

「え~カナちゃん彼氏いるじゃん」

「いつの話だよ」

「一カ月前には別れたよって話もしたでしょ」

「え~、そうだっけ~。でもあの彼もイケメンだったよね~」

「そうだよ。かなりイケメンって最初喜んでたじゃん。そういやなんで別れたか、詳しく聞いてなかったけど?」

「あきた」

「飽きたって、つまんない人だったの?」

「んーん。顔に飽きた」

「うわー。信じらんない。え?それで、どうやって別れたの?」

「正直に言ったよ。『飽きた』って」

「うわー、やっぱり」

「カナちゃんはそう言うよね~」

「え? 彼は? おこるでしょ?」

「そりゃ、最初はね。でも、わりと早くあきらめたかな」

「チョーかわいそうなんだけど。それで、もう次が欲しいの?」

「いいじゃん。本当の気持ちは言わないと。まあ今日もカラオケ行こ・・?」

「どした?」

「何か見られてるっていうか」

「カナちゃんはカワイイからね~。」

「そんなんじゃなくて」

「そんなのわかるもの?」

「私結構分かるのよ。って、うわっ!」

「なに? なに?」

「あそこ。アキラだ」

「さっきの? 飽きた元カレ?」

「そう」

「あ~。本当だ~。お~い! アキラく~ん」

「ばか、手を振るんじゃない。恨まれてるかもだろ」

「え~。でもこっちに気づいてる?」

「確かに。向こう行っちゃったけど」

「いや。たぶんあいつだね。顔みりゃ分かる」

「じゃあ、そんなひどい別れ方すんなよ」

「見つめてるのは、あっちのおじさんじゃないの~? ほら~。アレ」

「うわ、マジでこっち見てる。完全にこっち見てる。カナ。どうする?」

「え? どこ?」

「ほら。アレ。灰色の服」

「うわっ。マジだ。なんかヤバい。逃げよ」

「さんせーい」

「りょうかい」


「どう? 灰色のオッサンまだいる?」

「ん~? もういないみたいよ~」

「喉も渇いたしカラオケ行く?」

「さんせ~」


「三十分でいいよね。こんな時間だし」

「うん。ちょっと待って・・あぁ」

「誰?」

「妹。『今、どこ?』って。ちょっと受付お願い。・・・OK。」

「返信終わった~? 部屋二十五番だって~」

「妹? 大丈夫?」

「うん。大丈夫大丈夫。よし。ゼロコーラ飲もう」


   十七歳ー3


『変なオッサンと元カレ発見。ストーカー?www』

姉からのメールに背筋に冷たいものが走った。

『大丈夫なの?』とメール送信。すぐに『だいじょーぶ』と帰ってきた。嫌な予感しかしない。スマホで姉の居場所を確認、やはり渋田のカラオケだ。すぐに着替えると家を飛び出した。午後四時五十分。日もかたむき、城前駅から電車に乗る。席は空いていたが座る気にはならなかった。スマホの中の渋田で点滅しているピンクの光と窓の外のトンネルの闇を何度も交互に見つめていた。

 渋田に着いた時には最初のメールから四十五分はすぎていた。駅を出てスマホを見るとピンクのポイントが消えていた。

「え? 何? うそっ」

あわててもう一度アプリを開きなおす。なかなか立ち上がらない。でも

「たぶん、こっち!」

何となくの方向に歩き始める。数十メートル進んだところでようやく画面に地図とピンクのポイントが現れた。

「どこよ? ここ!」

ビルの間を姉の印が動いている。ビルの名前が表示されているが「田中ビル」とか「島ビル」とか言われても名前なんか知らない。地図を縮小して自分の位置を探す。

「あの辺か!」方向は間違っていなかった。歩きから駆け足になっている。五歩ほど進むたびにスマホを見ている。が、距離が縮まらない。

「なんで!?」

姉も走っているのだ。まずい。姉が走ることなどめったにない。

 あの元カレだ。アキラという名だった。姉好みのイケメン(私はあまり好みではない。)は何度か家に遊びにきたことがあった。姉の前ではニコニコとして穏やかな表情を見せていたが、姉がトイレに立ち、いなくなると驚くほど無表情になった。同じ部屋に私がいるのにだ。「大丈夫ですか?」と私に声をかけられ元にもどったが、あの人はやはり異常だったのだ。そして今、姉を追いかけているに違いない。

 仕方なくタクシーをとめた。乗りこむなり

「すぐに出してください。えーと・・吉田ビルへ」

「ビルの名前を言われてもねー」

「じゃあ、とにかく出して!」

助手席の背もたれに手をかけながらスマホを見る。どんどん近づいていると思ったら追い越してしまった。

「ストップ。ここでいいです。おつりいらないです」投げるように千円札を渡すとタクシーを降り駆け出した。細い路地に走って入っていく男がいた。すぐに後を追う。

 路地は左に曲がった先で行き止まりになっていた。驚いたことに私が追っていた男の前にもう一人男がいた。姉は一番奥のビルの壁に背を預け肩で息をしている、顔に恐怖がはりついていた。姉の前には二人の男。

「お姉ちゃん!」

一番前にいた男が姉に近づいたその時、私が追っていた男が後ろから先頭の男の腕を取り、ひねりあげた。足をかけ押し倒すと体重をかけて動きを封じた。倒された男はやはり元カレ「アキラ」だった。

「一一〇番に電話して!」

アキラを押さえつけている男が急に話しかけてきて我に帰った。右手にはどこで手に入れたのか、空のビール瓶を持っている。すぐに瓶を脇に置き警察を呼んだ。


 数分後やってきた警察官にアキラを渡すと男は私の横で震えている姉の所へやってきた。

「大丈夫?」

と、きいてきた青年は二十歳くらいだろうか。それはそれはイケメンだった。

「は、はい」

顔をあげて青年を一目見た姉の目がハートになったのを私は見逃さなかった。

「ありがとうございます。本当に助かりました」

「いえいえ。たまたまですよ。無事で何よりです」

ニコッと笑う口元に白い歯が光る。姉のハートの目がどんどん大きくなっている。警察官の一人が青年に声をかけ事情を聞き始めた。そのスキに姉が私の脇を肘でつく。

「何?」

と顔を向けると姉の方から顔を近づけてきた。

「あの人、誰?」

「知らないよ」

「ふーん。名前は?」

「だから知らないってば」

さっきまでものすごく心配していたのがバカみたいだ。

「そうじゃない。連絡先を何とか聞き出さないと・・・」

こそこそ話をしているうちに警察の話は終わったようだ。警察官が近寄ってきた。

「大丈夫ですか?」

「はい」

姉は、はっきりと答えるが、目は青年の方を見ている。

「ケガはありませんか」

「はい」

「お住まいは?」

「はい」

会話にならないので私が住所を教える。そして、

「あの、あちらの方にお礼を言いたいのですが」

「ああ、そうですね。ちょっと待ってください」

姉にほとんど無視されたかわいそうな若い警官は青年を呼びにもどった。一言二言話すと、青年は頭を軽く掻きながらやってきて、

「本当にお怪我はありませんか」

照れくさそうにたずねてきた。

「・・・はい」

上目遣いでかよわい返事。

「なら良かった」

ほっとした様子で微笑む顔もイケメンだった。

「・・あの、お名前を教えてもらっても?」

姉のターン。

「ああ、黒田 淳と言います」

私のターン。

「あの、また改めて父と母ともお礼をしたいので連絡先を教えていただいても良いですか?」

「ええ、もちろん」

川本姉妹の勝ち。

 こうして連絡先を聞き出せた所で父が現場に到着した。黒田氏に深々と頭を下げて何度もお礼をいっているうちに、もうあたりは暗くなっていた。黒田氏もうちの車で一緒にと父と姉がしつこく誘ったが、この後の予定とかで固辞され帰ってしまった。

 姉がしぶしぶ乗った父の運転する車はトンネルを抜け、我が家の近くまでやってきた。相変わらず周囲は暗かったが、慣れた道を時速四十kmで進む。

 普段なら人などいないこの道に人がいた。こちらから見て左にいるから、向こうからみれば正しく右側通行をしているわけだが、急に現れたような灰色の服に父もとっさにハンドルを切った。まっすぐ進んでいてもぶつかったわけではないだろうが、大きく避けた車に後部座席の私たちは大きく体を揺さぶられた。

「ちょっとお父さん気を付けてよね」

と、私が不満を言うと

「すまん。すまん。あんな所に人がいるとは思わなかったよ」

「まったく、お父さんは・・」

同意を求めようと姉を見ると、車の後ろを振り返っていた。

「あのオッサン・・・」

「ん? 何?」

と、車の後方に目をやるとこちらを向いた灰色の男が遠ざかっていくのが見えた。


   十七歳ー4


 風呂から出てさっぱりしたが、今日はさすがに勉強もいいかとベッドに入ろうとするとメールがきた。『ちょっと部屋来て』姉がこう呼ぶときはわりと真面目な話だ。

 部屋に入ると姉はベッドに仰向けに寝そべりながらスマホをいじっていた。

「どうしたの?」

と、聞くとスマホを見たまま

「さっきの灰色のオッサン分かる?」

と聞いてきた。一瞬戸惑ったが

「車でぶつかりそうになった?」

「そう。あのオッサン。渋田もいたんだよね」

「え?」

「だから、あのオッサン渋田で私らを見てたの」

「そうなんだ」

姉が何を言いたいのかよくわからない。私はベッドに腰掛け、続きをうながした。

「だから、今日キサにストーカーってメールしたでしょ。アキラもだけど、あのオッサンも相当ヤバかったんだよね。ずっとこっち見てるんだもん。ヤバくない? それでカラオケに逃げたんだよ」

ようやく体を起こしスマホから目を話した。

「カラオケの中は大丈夫だったの?」

「クミとモモがいたからね。店を出た時は、3人で周りをよくみたけどオッサンいないから大丈夫って。でもクミたちと別れてからがヤバかった」

「本当だよ。黒田さんがいたから良かったけど」

「黒田さん。いいね。イケメン」

「やめてよ。命の恩人なんだから」

「でも、白馬の王子様だよね。女子のユメじゃナイ?」

「もういいよ。黒田さんの話じゃないでしょ」

「そう、灰色のオッサン。さっきいたじゃん? 見た?」

「うん、見た」

「こっち見てたじゃん?」

「うん」

確かにこちらを向いていた。暗い道で車が急に近くを通れば、怒るなり、驚くなりするはずなのに、あの灰色の男は、ただこちらを見ていた。無表情で。

「あの無表情ヤバいよね」

「うん。無表情ってああいう顔のことだね。うん。・・・ん? なんで顔が分かるの?」

「だって見たじゃん」

「そうじゃなくて。なんで見えるの?あの道を車で走ってたんだよ」

街灯などほとんどない。

「それで、どうして表情が分かるの?」

「だって見えたもん」

「だから、なんで見えるのかって」

光があたっていたとしても車のテールランプの赤い光ぐらいだ。見えるはずがない。それなのに服装まではっきり見えたし、覚えてもいる。

「オッサン光ってたんじゃネ?」

そんなわけない。と思いつつ暗闇に白く光るオッサンを想像してゾッとした。まだいたらどうしよう。

「まだいたらヤバくネ?」

姉がいきなりカーテンを開けた。

窓の外には隣の家があった。まだ帰っていないのか真っ黒な影がその後ろにあるはずの星空を三角に削り取っている。姉は窓に顔を押し付けるように家の前の道を見て、

「やっぱいない」

と、振り返る。そして、外を見ようと立ち上がった私をみて表情を硬くした。視線は私の肩越しに後ろを見ている。

「何アンタ」

という姉の声で、振り返ると、

男がいた。

灰色の男がベッドの脇に立っていた。夜道で見た時と同じ無表情で私たちを見ていた。五十センチと離れていない場所に男がいる。気づくと私は姉の前に立ち、守るように手を広げていた。恐怖より先に姉を守らなければと思った。

「あなた、誰?大声出すわよ」

と、言い切る前に、

「パパー!!」

姉が叫んだ。すぐに階段を駆け上がってくる音がする。が、男の表情は変わらない。

「どうした!?」

と、父がドアを開けて入ってくると、男はいなかった。ついさっきまで。いや、父がドアを開いた時までそこにいたのに。消えた。

 呆然とする私たちに「どうした?」と、もう一度父が聞いた。

 さっき道路で見た灰色の男がそこにいたという話をすると父はかなり親身になって話を聞いてくれた。親だから当たり前だが。しかし家中探しても男はいない。父は懐中電灯をもって家の周りを見たが、いなかった。アキラではないかと何度も確認されたが、彼は今、拘置所にいるはずだ。

 その日は久しぶりに姉と二人で寝た。


  十七歳ー5


 姉の事件から一ヶ月がたった。これまで何度も警察署に呼ばれ、いろいろと事情を聞かれた。姉の方がたくさん呼び出され、元カレとの関係を根掘り葉掘り聞かれたらしい。別れた理由を聞いてあきれてしまったが、ひとまず解決へと向かっている。

「黒田さんとはどんな感じなの?」

めずらしく駅で姉と会い、二人で帰ることになった。私は塾の、姉は渋田散策の帰りだ。城前駅を出た時にはだいぶあたりは暗くなっていた。

「ん? むずかしいね。電話には出るけど、なかなか会ってくれない」

「ふーん。でも、いろいろ解決すれば少し変わるかもね」

あたりはどんどん夜に包まれていく。

「ん~、確かにそうかも・・」

と、言った姉が、急に立ち止まって振り向いた。つられて私も振りむく。五十メートルほど後ろに

 男がいた。灰色の男だ。

「逃げるよ」

姉と私は駆け出した。あの角を曲がれば家が見える。二人同時に角を曲がり立ち止まった。家の前で男がこちらを見ている。さっきまで後ろにいたのに。私は姉の手をとり、また振り返って走り出した。人がいるであろう駅の方向に。

 なんとか駅前の交番に飛び込んだが、誰もいなかった。奥に扉が見えたので何とか息を整え、

「すみません。男の人に追われてるんです」

扉をドンドンたたくが、反応が無い。姉が机の上にあった電話の受話器を耳にあてて

「何これ。つながらないんだけど」

受話器を本体に投げつける。

「とりあえず、お父さんを呼ぼう」

スマホを鞄から出そうとしたとき、姉が「ヒッ。」と硬直した。入り口に男が立っていた。姉の腕を引き私の後ろに立たせる。私は通学カバンを胸の前に出し、どんな風にも対応できるようにする。

「川本カナさん。キサさん」

男が私たちの名前を呼んだ。

「お話し・・」

不意をついて持っていた鞄を男の顔に投げつけた。急な攻撃を顔に受けた男が少しよろめいた。また姉の手を引き、男に向かって体当たり。その隙に姉が逃げられれば、と思ったが体があたる寸前に男の姿は消えた。ぶつかるはずの物が急になくなって転倒してしまった。姉を守るはずが逆に姉に手を借りて立ち上がった。

「どういうこと?消えた?」

「おばけなんじゃネ?」

「本気で言ってる?」

「おばけ、見てみたかったんだよね」

なぜか姉の変なスイッチが入ってしまった。

「次出たら話してみよ」

「だめ!! おばけなんていない。ストーカーだよ。この前のこともあったでしょ!」

「でもさ、消えるんだぜ」

「うん」

「でさ、急にどこでも出るんだぜ」

「うん。だから危ないの」

「いや、なんかする気ならとっくにしてるって」

確かに、部屋の中にまで現れるのだ。これまで何でもできたはずだ。

「で、さっき話があるとか言ってたし、聞いてみんのも・・ほら」

と、姉があごで指した方を見ると男がいた。私はすぐ姉の前に立って男を睨みつける。しかし、男は無表情で先ほど投げつけた私の鞄を差し出した。

「話がしたい」

「いいよ」

姉が即答した。


 ◇◇◇


「そうぞうしゅって何?」

「世界を創った人のこと」

「わたしが?」

「分からない。あなたかあなた。どちらか」

「よく分かんなーい」

「だから、私かお姉ちゃんのどちらかがこの世界を創ったんだって」

「その通り」

「ばかばかしい。帰ろう」

「マジで!? じゃあ、なんでもできるじゃん」

「帰ろうって。わざわざ公園まできて話をしたけど、くだらなすぎる」

「それはあなた次第。あなたが創造主ならできるかもしれない」

「マジで!? ヤバくない? じゃあ、・・バッグが欲しい・・・」

「何してるの?」

「いやバッグ出るかもでしょ」

「そんなわけないでしょ。それにそれが本当だったらもっと楽しい人生のはずでしょ」

「え? 楽しくナイ?」

「はあ・・・」

「話は終わり」

「ちょっと待ってよ。グッチョの財布が欲しいんだけど」

「私にはできない。私はみる」

「はあ?何言ってんの? 欲しいの!」

「私にはできない。あなたが創造主なら創れるかもしれない」

「創造主って言ったよね。じゃあ、この世界にあるものは、私たちのどちらかが創ったってこと?」

「その通り」

「全部?」

「その通り」

「じゃあ・・・」

「そのスーツどこに売ってるの? 銀座? ダサいんだけど。何? 市松模様じゃん細かいのはすごいけど。何? この生地?」

「お姉ちゃん! 近寄らない! 触らない! ・・とにかくあなたはそれを私たちに伝えにきたということですか?」

「その通り」

「なら、もう付きまとわないですか?」

「もう来ない」

「ふーん。どこに住んでるの?」

「ここではない」

「あなたも私たちが創ったの?」

「私はちがう」

「ふーん。じゃあさ、私たちのどちらかが『そうぞうしゅ』なんでしょ?死んだらどうなんの?」

「消える」

「全部?」

「その通り」

「マジか」

「何で、何でそんなことを言いに来たんですか?」

「言わなければならないから。・・・・話は終わり」

「・・・!?」

「まぶしっ!・・・・・・ アレ? オッサンは?」

「・・消えた」

「まあ、ちょっと面白かったな」

「お姉ちゃんすごいね。手見て。今になってふるえてきたよ」

「『そうぞうしゅ』だってさ。ウケるんだけど」

「・・・死んだらみんな消えるんだって」

「あ、そういうこと? まあ、死んじゃえばいっしょじゃナイ?」

「え? そんなことないよ。パパとかママとかお姉ちゃんが消えるの嫌だよ」

「何、キサ。あんな話マジで信じてんの?」

「・・!?」

「あんなダサい服のオッサンの話なんて信用できないってハナシ」

「でも、消えたり出たり・・」

「CGじゃネ?」

「・・・・はあ」

「帰ろう。ゲッこんな時間。パパからもすげー着信」

「私もだ」

「おっ。ちょうどパパからだ。迎えに来てもらお」


つづく

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