第2話~悠貴~
勇気が悠貴だと分かった後、家族は長い相談の末、引っ越しを決意した。
父親は転職し、母親はパートを辞めた。
何故なら、悠貴が勇気である事を知っている人間が近くにいるのは、あまりにも危険だからだ。
しかし、ユウキとて自分の身体を見る事はある。
その度に、ユウキは苦悩した。
だが、だからと言って、そう簡単に現実を変える事は出来なかった。
「結局、私はなんなのだろうか……」
ユウキには、歌の才能があった、それはもう素晴らしい歌声だった。
しかし、ユウキは自覚している、天使の鐘などと呼ばれるのは、もうそろそろ終わりだと。
何故なら、声変わりが来るからである。
幸いな事に、ユウキの声変わりは遅い方である事は間違いない。
しかしどうだろう、ソプラノがテノールに変わってしまえば……。
「……野太い声じゃ、天使なんて」
そういう事情もあり、母親は提言しているのだ、性転換手術を受けようと。
この際、心だけじゃなくて身体も女にしてしまおうと。
……しかし、それは簡単な話じゃない。
悠貴の中に勇気が眠っているのは事実であり、いつまた勇気に戻るか分からない。
その時に、性転換手術を行って女になっていたら?
勇気が絶望するのは、火を見るよりも明らかだ。
そう、この身体はユウキの好き勝手にして良いものではないのだ。
「じゃあ、勇気はいつ帰ってくるの?私は、いつまで私なの?」
その問いかけに、正しい返答を出来る者は誰もいなかった……。
だから、ユウキは踏み切れない。
結局の所、ユウキの優しさが皮肉にも悠貴としての邪魔をしているのである。
現代の日本では、喉仏の骨を削るなどの方法で、女性の声を手に入れる事も出来る。
股間の膨らみをなんとかする事に比べれば、さほど問題ではないはず。
しかし、それも悠貴の苦悩の軽減にはならない。
それはやはり、勇気が女性の声ではおかしいからだ。
周囲は何度も説得している、踏み切ろうとした事もあった。
しかし、その度に悠貴の影で泣いている勇気が見えるのである。
それを思えば、悠貴がなじられる位は甘受すべきだと思ってしまうのであった。
「ユウキ?そろそろ音楽の授業だよ?」
「あ、うん!すぐに行くよ」
クラスメイトに呼びかけられ、音楽室に向かう。
ユウキの扱いは、当然だが女生徒。
それに異を唱える者は、今の所は誰もいない。
しかし、身体測定や宿泊合宿などの時は、一定の配慮が必要になる。
そして、そろそろ年齢的に性欲というものを覚える年齢になってきたが、ユウキは特殊である。
自分の立ち位置が特殊過ぎて、誰に対して愛だの恋だと言える状況ではないのだ。
「ラー……ラー……」
透き通るような声が響く。
ソプラノ歌手として、天性の才能を持っていると何度も言われてきたユウキ。
しかし、皮肉にも、その才能が高ければ高いほど、ユウキには重荷になる。
いっその事、自分を捨てる事に躊躇いの無い凡才ならば良かったのだろうか。
……いや、それは両親や勇気にあまりにも失礼だ。
私は、何かの幸運に恵まれて、勇気の身体を借りているのだから。
放課後。
ユウキは友人に別れを告げると、家路へと付こうとした。
……しかし、そこで上級生数人の男子生徒に囲まれてしまった。
用件は分かっている、バンドへの誘いだ。
「なあ、ユウキちゃん。そろそろOKもらえないかな?他と話が付いてるわけじゃないだろ?」
「……何度もお断りしたはずです、他を当たって下さい」
バンド活動に興味が無いと言えば嘘になる。
しかし、彼らは自分に利用価値を求めているようにしか思えない。
歌の上手い”女性ボーカル”がいれば、さぞかし映える事だろう。
……せいぜい、その程度だ。
「なんでだよ、ユウキちゃん歌上手いだろ?俺達だって、この学校じゃ1番のグループだぜ?」
「ただ、男性ボーカルじゃ味気ないんだよ。来てくれよユウキちゃん!」
どうしたものか、今日はとことんまでしつこい……。
このままじゃ、この男たちは強硬手段に出るかもしれない。
本気を出せばなんとかなりそうだけど、なにか嫌な予感がする。
例えば、この男たちの後ろに恐ろしい不良が付いて回っているとか。
そんなこんなで目を付けられ、”秘密が暴かれたら”……。
終わりだ。
「もっと真面目に聞いてくれよ!」
「……ッ!!」
肩を掴まれた!このままじゃバレてしまうかもしれない!!
そうだ、こういう時の為に。
ユウキは、偶然にも付けていた防犯ブザーの紐を引っ張る。
とてつもなく大きな音が、廊下に響き渡る。
周囲がざわつき、多くの人が状況に気付いただろう。
連中が呆気にとられている内に、ユウキは逃げ出したのであった。
「……危なかった」
なんとか、男連中を振り払って、距離を取る事が出来た。
しかし、必要以上に目立ってしまったのは悪手だっただろうか?
いや、そんな事を言っていられる状況ではなかった。
息を整えて、目を上げると保健室の表札が見える。
「どっちにせよ、少し休んでいこう……」
失礼しますと声を発して、室内に入った。
その後、保健師に状況を説明し、しばし身を隠す必要がある事を告げた。
それは教師たちにも伝わり、『理解している』人が、ユウキをその日は家まで送ってくれた。
後日の話になるが、騒動を起こした男子生徒たちは、事実上は勧誘しただけであるが、”女子生徒”を多数の男子で囲んだ事が問題となり、厳しい指導を受けた。
「……目立ちたくないのに、どうして」
歌う事は好きだ。
だけど、必要以上に目立つ事になれば、いずれ勇気が困る。
それが分かっているから、悠貴は動けない。
だが、それがいつかは誰にも分からない。
ひょっとしたら、その日は来ないかもしれない。
返せと言われるモノではないし、返すと言い出せるものではない。
その時が唐突に来たように、2度目も唐突に発生するかもしれないのだ。
キレイな状況にしておきたいのは、当然の事であろう。
だから、そう簡単に出来るはずない……性転換手術なんて。
でも、悠貴には時間が無い。
このままでは成長期が来て、いずれは完全に男の身体になってしまうだろう。
その前に、医学的にも精神的にも、打てる手は打たなければいけないのだ。
そう、ユウキは敢えて悪い状況に身を投じようとしているのだった……。