5位の場合 1
幼い頃は気管支が弱く、激しい運動をすれば発作で動けなくなる。
幸いなことに領地は自然豊かな場所で年中を通して気候も安定しており、シリエンスは発作が起きないように気をつけながら、この歳になるまで領地で大人しく慎ましやかに過ごしてきた。
一応、伯爵家の令嬢ではあるが身体が弱い事を理由に今まで茶会などに参加経験したことがなく、マナーなど身体に負担がないレベルの教養は身につけはしていたが、それを披露する機会は無かった。
シリエンスは一人娘だ。
婿養子を取らねばならないが、アダスト家のシリエンスが身体が弱いのは有名な話。
親族だけではなく、婚約を申し込んできた家の思惑をきちんと確認せねば、寝首を掻かれる可能性も大いにある。
大袈裟な話、結婚してからシリエンスが死ねばアダスト家を手に入れれる可能性もあるわけで・・・。
親もシリエンスの婚約者選びには慎重になり、今のところ婚約者も見つかっていない。
「はぁー、つまらない」
しかし、16歳ともなってくれば身体の弱さもほぼ改善されている。
激しい運動をしなければ、呼吸も安定しており問題無い。
主治医からも適度な運動の許可は出ているが、過保護な両親から領地外へ出ることは禁止されている。
しかし、16歳ともなればそろそろデビュタントも視野に入れなければならない。
領地の産業としては花卉栽培と養蜂だ。
アダスト領は王都からも半日程と近く、生花の流通には持ってこいの距離感だ。
しかも、アダスト領の花卉は品質も良く長持ちすると、それなりの値段で取引される。
花の種類も豊富で、蜂蜜も花ごとに取れて味も香りもそれぞれ特徴があり、美容の観点からも注目されている。特に女性の間では保湿剤とても人気があった。
もちろん、シリエンスも採れたての蜂蜜をたっぷり入れてのむミルクティーとスコーンが大好きだ。
「でも、暇なのよ・・・」
4年ほど前に一度シリエンスは、王都に行った事があった。
その時の街のキラキラした様子は今でも忘れられない。
しかし、領地の新鮮な空気と違い、まだ気管支も弱く身体が大人になりきれていなかったシリエンスの身体に王都の空気は合わず、数日も滞在すれば咳が止まらなくなり仕方なく早めにシリエンスは領地へと引っ込んだ。
それ以降、王都には行って居ない。
「お嬢様、騎士の人気投票の投票券と絵姿一覧が届きましたよ」
シリエンス付きの侍女、ランがお茶の用意と共に少し厚めの冊子を一緒に持ってやってきた。
「そんな時期なのね。ラン、一緒に見ましょうか」
毎年、人気投票の前になると姿絵の一覧が出回り、投票権が国民に一枚ずつ配られる。
そして、期間中に応援したい騎士に一票投票しに行くだけだ。
各領地内にも何箇所か投票場所は設置されていて、王都に出向く必要もない。
「もちろんです!お嬢様!」
ランはちゃっかりと自分の分のお茶とおやつも準備しており、一緒に冊子を見る気満々であった。
今年ランキング1位から5位までの騎士は単独1ページずつ使用して大きく取り上げられているが、それ以下の順位であれば6人ずつで1ページとなる。
新人は特別に2人で1ページ。
騎士団自体が大所帯のため、それなりに厚みのあり、見応えのある冊子となっている。
「お嬢様はご贔屓の方いましたっけ?」
「いないわ。あまり詳しくないの・・・」
領地に籠り、親戚にも友人にも騎士の知り合いが居ないシリエンスには、本物の騎士を直接見る機会はそう多くない。
「この冊子を見て、上位の方から顔の素敵な方を選ぶだけよ?昨年は副団長様に入れたから、今年はリューサルト様にしようかしら。ランは?」
「私は騎士団様推しだったのですが、ランキングからは撤退されたので・・・、副団長様ですかね?」
ランは残念そうに、微笑む。
20歳のランだが、16歳上の騎士団長に心酔して居たのかもしれない。
シリエンスが朧げに覚えている、騎士団長の情報としては名前と年齢、そして恰幅が良く筋肉質そうな見た目くらいだ。
まさか、一番近しい姉のような友人のような人物の好みを今知る事なり、シリエンスは若干の寂しさを覚えた。
「団長様から副団長様だと物足りなさそうね・・・」
「そうなんですよ!!」
この後、ランが団長の良さを力説してくれたが、流石に父ほどの年齢差のある男性にシリエンスは興味が湧かなかった。
「ごめんなさい、私にはよくわからないわ・・・」
「大人の男性の魅力はお嬢様にはまだ早いですね。それにお嬢様は想われている方がおられますものね!!」
ランにそう言われて、シリエンスは頬を赤くする。
「もう!何年前の話をしているの?」
「4年ほど前ですねぇ・・・名前は確か・・・」
「・・・ロイよ」
シリエンスはそう言いながら、1人の少年の顔を思い浮かべる。
記憶の中の少年は、もう朧気ではあるが少し癖のある紫紺色の髪で、榛色の瞳だった事ははっきりと覚えている。
花の事に詳しくて、その事を誉めるとはにかんだように笑って、その笑顔が凄く好きだった。
花の取り扱い方も丁寧で、花に対しての愛が伺えた。
しかも、それが領地の花だと分かれば、なんとなく自分の事を大切にしてくれているように錯覚して、気づけばその子を好きになって居た。
ただ、その子に会えたのは王都に滞在して居た数日間だけだ。
それ以降は会えても居ないし、どうしているかも知らない。
本当に淡い初恋だ。
「もう!良いから!!そろそろ休憩も終わりでしょう?」
「あ、そうですね!投票が始まったら一緒に行きましょうね、お嬢様」
そう約束して、ランは食器を片付け始めた。
******
「お嬢様、体調は大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ」
シリエンスは年が明け、2ヶ月ほど経ち王都のタウンハウスへと居住を移して居た。
隠居の祖父母からシリエンスのデビュタントの準備のため説得された両親は、渋々許可を出してくれた。そろそろ家族でタウンハウスに来て1週間ほどになる。
体調も良く室内で過ごす時間の方が割合的に大分多いが、観光と言う名目の外出も適度にしていた。
もちろん、例のお花屋さんに1日1度覗いてみるが、ロイにはまだ出会えていない。
「また、行くのですか?お嬢様」
「行くわ」
しかし、その日は店に到着すると定休日のようで、店頭に切花が並んでおらず、いつもよりも少し寂しい印象であった。
「お休みかしら?」
シリエンスは取り敢えず扉に手掛け、開けて中を覗いてみた。
カランカラーンとドアベルの音が鳴り響く。
「すみません、本日は休みで・・・」
中には男の人が1人居た。
小さめ鉢植えを持ち、ドアの方を振り向いてきた。
その男性は精悍な顔つきで、鉢植えに咲いている小ぶりなピンク色の花とはミスマッチのように感じた。
しかし、シリエンスはその紫紺色の髪の毛に榛色の瞳には見覚えがあった。
「貴方はロイ?」
朧気ではあるが、既視感もある。
ロイだと言い切る自信がシリエンスにはあったが、尋ねてみた。
「は?あんた、ファンかなんか?なんでここがわかった?てか、なんでその名前を知ってる?」
男性の警戒心が一気に上がった。
ロイだと思うのに4年前に微かに記憶している向日葵のような眩しい笑顔は無く、棘で守られた薔薇の様な雰囲気を醸し出している。
相手は殺気立ち、睨みつけられればシリエンスは恐怖のあまり足から力が抜けて、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
シリエンスは箱入りだったため、シリエンス自身を取り巻く環境はゆったりとした平和の中で完結していた。
誰かに負の感情を向けられた事が無いシリエンスにとっては男性の発する警戒心が初めての負の感情で、それがあまりにも強い物だったので、シリエンスは腰を抜かしてしまったのだ。
「お、お嬢様!!??」
後ろに控えて居たランが駆け寄ってきた。
慌てて、立ち上がさそうと腕をとるが力が上手く入らず、立ち上がる事はできない。
「ラン、ごめんなさい。腰が抜けてしまったわ。あの、あなたも申し訳ございません。4年前に一度こちらでお会いした少年に会いにきましたの・・・。だから貴方がロイと言う名前か聞きたかっただけなのです。違っていましたら、申し訳ありませんでした。私はシリエンス・アダストと申します」
会ったのは4年前だ。見た目だけで気づいてもらえるなって思ってはいなかったけど、こんなにプレッシャーをかけられるとも思ってもいなかった。
シリエンスは足腰に力が入らずしゃがみ込んだまま、自分の名前を名乗る。
それでも、気づいてもらえなかったらちょっと悲しいが、名乗った瞬間にロイから向けられていた、警戒心が消えた事でそれは杞憂に終わった。
「シシィ?」
「はい、お久しぶりです!やっぱり、ロイですか?シシィです!」
「あぁ!本当だ!よく見たらあの頃の面影がある。久々すぎてわからなかった!」
ロイが向日葵のような笑顔をシリエンスに向けてきた。
あの頃と同じ笑顔だ。
「気づいてもらえて良かったです」
「お嬢様、立ちあがれますか?」
ランがもう一度手を差し出すが、シリエンスは頭を左右に振った。
「ごめんなさい。やはり力が抜けて立てそうにないわ・・・」
ロイは持っていた鉢植えをカウンターへと置き、シリエンスに近づくと片膝を着きそのままシリエンスを抱きかかえた。
「ごめん、シシィ。俺が睨んだから・・・」
「驚きましたけど、もう大丈夫です。だって、ロイだとわかっていますから」
シリエンスは両手でロイの両頬を包み込んで、朧気だった顔を思い出すように見つめる。
「お、お嬢様!はしたないです!!」
その行動をランに咎められるが、ロイの顔を見ていれば思わず触れたくなる絶好のポジションのため、触らずにはいれなかった。
ロイは恥ずかしそうに目を逸らした。シリエンスを椅子に下ろし、少しだけ距離を取る。
「ロイは大きくなりましたね」
「シシィはあんまり変わってないね」
「そうですか?」
シリエンスは首を傾げる。
シリエンス自身は4年前よりもそれなりに美しくなったと思っていたが、王都で流行に揉まれて育っているロイにとっては、シリエンスはまだまだ芋っぽいのかもしれない。
「今回はデビュタントの為に領地から出る許可を得たので、4年ぶりに出てきました。前回、ロイとちゃんとお別れできなかったので、王都に着いて何度かこちらを覗いていたのですが、今日は会えて良かった」
「あー・・・、俺は今ここに居ないからね。時々、休みの日に花を見に来るくらいだ」
「私、今日は幸運だったのね。でも、ロイはお花が好きだからお花屋さんになるのでは無かったの?」
前回、ロイは自分の夢を語ってくれた事は今でも鮮明に覚えている。
花が好きだから家を継いで花に囲まれた生活を送るのだと、キラキラした顔で夢を語ってくれた事は印象的であった。
「・・・色々あって養子に行ったんだ」
「あら、そうなのね。なら、ロイと会おうと思えばどちらへ行ったらいいかしら?」
「・・・シシィは一人娘だよね?」
「そうだけれど?」
「なら、もう俺とは関わらない方が、会いに来ない方がいいよ・・・」
「え?」
思ってもみなかった言葉にシリエンスは面食らってしまう。
シリエンスに会いたくないと言われたように感じた。
「ごめん、シシィ」
「・・・私、前にも話したけど身体が弱かったから、お友達が少なくて・・・ロイとはお話するのがとても楽しくて、嬉しかったの・・・」
「ごめん・・・4年で色々と俺も変わったんだ」
ロイはシリエンスの方を見ようともしなかった。
それがとても辛い。
「ごめんなさいね?突然押しかけてしまって・・・。そろそろ帰るわ。最後に申し訳ないのだけれど、大通りに停めてある馬車まで抱えていただけないかしら。まだ、歩くのが覚束なくて」
「あぁ・・・それくらいなら。ちょっと待ってて」
するとロイは奥へと引っ込み、ローブを羽織ってやってきた。そのまま、そのフードを被りシリエンスが座っている椅子へと近づいてくると、シリエンスの膝と背中へと手を差し入れ軽々と抱えられていた。
「動くよ」
動き出すと、シリエンスは落ちないようにぎゅっとロイの首元へと縋り付く。
ロイは四年前よりも身長も高く、首周りや肩周りもがっしりとしていた。
そのまま、馬車まで抱えられていく中、フードのから見えるロイの表情はどこか暗くて、シリエンスから何か喋りかけれるような雰囲気にはなかった。
「ありがとうございました。ロイ・・・その・・・お身体に気をつけて」
馬車まで運んで来て貰えば、ロイとの関わりもここまでなのだろう。
「シシィも、会いに来てくれてありがとう。嬉しかった」
「あ・・・」
そのままランが乗り込めば扉が閉まり、ゆっくりと走り始める。
窓から見えるロイは見えなくなるまでその場から動くことは無かった。
シリエンスもロイが見えなくなるまで窓の外を見つめ続けた。
ロイの前で我慢していた涙がポロポロと溢れ出てくる。
「お嬢様・・・」
「お友達を失うのはこんなに辛いのね・・・」
別れの経験が殆ど無かったシリエンスにとって、ロイとの別れはとても辛く苦しいものであった。
シリエンスを拒絶したようなあの言葉が何度も何度も頭の中で繰り返される。
帰り着いてもこぼれ落ちる涙が止まらない。
涙が枯れる事はあるのだろうか。
それから暫くはランもシリエンスの隣でそっと背中を撫でてくれて忍耐強く待っていてくれた。




