98 ファムの父親
「ファム!」
俺は声を上げて慌てて彼女の所へ向かう。
「とにかく外へ出るぞ!
これは命令だ!」
「うるさい――
「だまれっ!」
俺は大声を上げて彼女の手をつかむ。
「いいから! 外へ出るんだ!
俺について来てくれ!」
「ですが……」
「頼むよファム、おねがいだから……な?」
俺はできるだけ優しく語りかける。
ここでこいつがブチ切れたら、間違いなくまずいことになる。
何としてでも彼女を落ち着かせてトラブルを回避しなければならない。
先ほど老人が吐いた言葉は、間違いなく地雷。
一発でファムから冷静さを失わせるだけの破壊力がある。
このまま放っておいたら……取り返しのつかないことになりかねない。
「…………」
ファムは自分の身体をつかんだ俺の手をじっと見つめる。
まるで珍しい虫でも眺めているかのよう。
「いっ……行くぞ」
俺は彼女の視線にビビりつつ、手を引いて部屋から連れ出した。
頼むから何も言わないでくれよと、心の中で祈る。
幸い老人もファムも何も言わなかった。
俺は彼女を連れて救護棟の外へ出る。
「はぁ……よかったぁ」
何事もなく外へ出てピリピリとした空気から解放されたことで、安どのあまりため息を漏らす。
ちらりとファムの方を見る。
彼女は真っ暗になった空の下、ぼんやりと星を見上げるように顔を上向け、ぼーっとしている。
怒りを爆発させようとしていたのに、それが嘘のように穏やかな顔つきだ。
今度はどうしたんだよ……いったい。
「なぁ……ファム」
「なんでしょうか?」
「なんで急に大人しくなった?」
「さぁ……外の空気に触れたからじゃないですか」
そう言って肩をすくめるファム。
俺のことをからかっているのか?
「外の空気に触れただけで、
そんな風に大人しくなるのかよ。
他にも何かあるんじゃないのか?」
「ええ……そうですね……。
あの日の夜も、こんなきれいな星空だったなと。
なんとなく思い出したのです」
いや……意味が分からない。
一人で感傷に浸ってくれるなよ。
「何があったんだ?」
「あなたには教えてあげません」
「ふざけるなよ……迷惑をかけたくせに。
俺には聞く権利がある」
とは言ったものの、この女の過去にはあまり興味がない。
話したくないのならそれでいい。
要は一人で勝手に盛り上がって、俺を置いてけぼりにするなよってことだ。
だがこの女は……。
「分かりましたお話しますね」
にっこりとほほ笑んで、そんなことを言うのだった。
ファムはエルフの里で生まれた。
里と言っても王族がいて、宮殿があり、そこそこ発展した都市だったという。
森の中で繁栄する彼らは人との接触を嫌い、静かに暮らしていた。
そこへ一人の男が迷い込む。
東の果ての方の国からやって来た傭兵。
黒い髪の小柄な男だったという。
彼はエルフの里の王に気に入られ、直属の部下になったという。
敵対する部族や他種族、そして人間たちとの戦いに彼の力を必要とした王は、気まぐれに敵を倒せと命令する。
ファムの父は言われるがまま敵を倒した。
里に仇をなす敵は軒並み倒され、平和がもたらされる。
王はたいそう父を気に入り、側室との間に生まれた娘と結婚させて婿養子にしたのだという。
しばらくしてファムが生まれた。
彼女は幼いころから戦いの訓練を受け、一人前の戦士になるようにしつけられる。
成長していくにつれ、他のエルフたちとの違いを気にするようになった。
少しだけ肌の色が違う。
髪の色も一人だけ黒髪。
瞳の色も一人だけ茶色。
他の子どもたちと違う身体に違和感を覚えたものの、自分に課せられた役目は戦いだと言い聞かせ、気にしないようにしていた。
それでも……。
「それでも本当は寂しかったんです。
私だけ友達がいなくて、いつも一人ぼっちでした。
だから……私は同世代の同性の人たちと、
どんなお喋りをすればいいのか分からないのです」
そう言ってほほ笑む彼女は、どこか自虐的に見える。
自分自身に劣等感を感じているかのようだ。
「そうか……大変だったな」
「もう少し、共感を示してもらえませんか?」
そう言われてもなぁ。
下手に共感なんかしたら……俺の過去が明るみになってしまう。
それだけは避けたいんだよ。
特に親が原因の人間関係の縺れなんてのは……。
俺にとって下手に踏み込まれたくない問題。
絶対に誰にも話したくない。
「いや、よくある話だろう」
「そうですね……」
そう言うファムは少しだけ寂しそうだった。
共感してほしかったんだろうか……。
「それで、お前のお父さんはどうなったんだよ?」
「――死にました」
「そっか」
どう死んだか話せよ。
俺からは聞けないが……。
まぁ、黙っていれば勝手に話すか。
「…………」
「…………」
何も話そうとしない。
俺が尋ねるのを待っているかのよう。
「分かった、聞くよ。
教えてくれ。
お父さんと何があったんだ?」
俺は全面降伏して尋ねることにした。
「殺しました」
「……え?」
「私が父を殺したんです」
ファムははっきりとした口調で言った。




