16 お仕事のお誘い
「あんたなんか大っ嫌い!
ほんと、ほんとに大っ嫌い!」
「あらあら、汚い言葉なんて吐いて。
品性が乏しいと、罵る言葉も貧弱になるのですね。
もっと本でも読んで語彙力を鍛えたらどうかしら?
まぁ……アナタは読んでいるうちに頭がいっぱいになって、
気づいたら本を燃やしてしまうでしょうから、
到底不可能でしょうけど! おーほっほっほ!」
「ぐぎぎぎ……!」
マイスのあおりに反論できず、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるソフィア。
はたから見て心底お互いを嫌い合っているように感じるのだが……実際は違うらしい。二人は互いに最高の評価をつけている。
……なんで?
人の感情とはよく分からないものだ。
表向きでは嫌い合っているのに、互いに敬意をもって相手を評価している。
二人の間に存在するのは、表向きだけ取り繕うだけの冷めた関係ではない。切っても切り離せないような強固な繋がり。
……と思わざるを得ない。
日記には二人の関係について、あまり深く書かれていなかった。ウィルフレッドは二人の関係をどんなふうに評価していたんだろうな?
「まぁまぁ、お二人とも。喧嘩はそれくらいにして。
マイスさまも何か用事があっていらしたのでしょう?
その話をされてはいかがでしょうか?」
ファムが言うと、マイスはハッとしたように我に返る。
「そっ……そうでしたわ!
ウィルフレッドさんに大切なお話がありますの」
大切な話?
婚約破棄に関することか?
先ほど、彼女の母親が一方的に婚約破棄の宣言をしたと聞いた。マイスはそれに同意していないようなので、ウィルフレッドの意思を確認しに来たのかもしれない。
……俺が返事をしていいのだろうか?
彼女は、ウィルフレッドの中身が別人になっていることを知らない。
俺は小日向聡であって、ウィルフレッド・フォートンではない。全くの別人だ。
そんな俺が彼女の求めに、平然と嘘をついて答えてよいものだろうか?
「…………」
ファムが無言で俺を見ている。
変なことを言うなとプレッシャーをかけられている気がした。
彼女は俺が別人だと知っている。ソフィアも。
知らないのはマイスだけだ。
「あの……マイスさん……」
「いえ、言わなくても分かりますわ。
フォートン家が置かれた現状は厳しい。
それはわたくしも、よく分かっているつもりですの」
「…………」
全然わかってねぇ。
それよりもウィルフレッドが別人になってることの方が重大だ。
しかし、話を遮るのもあれなんで、最後まで彼女の話を黙って聞くことにした。
「このままでは屋敷から追い出されてしまう。
アルベルトさまに残された財産も残りわずか。
これでは一家そろって野垂れ死にですわ」
「…………」
フォートン家の財政はすこぶる悪いらしい。
そのことを部外者が知っているとなると、いよいよもって後がない状況なのだと分かる。いったい何があったのだろうか?
「そこで……わたくし、考えましたの。
ウィルフレッドさんにお仕事を紹介しようかと」
「仕事……ですか?」
「ええ、わたくしの身の回りの世話をするお仕事ですわ。
といっても、下男としてではなく、専属の秘書として、
わたくしをサポートして欲しいのです」
「ええっと……」
専属の秘書?
そんなの俺に務まるだろうか?
前世……と言うか、この世界へ来る前の俺は営業の仕事をしていた。他人を言いくるめるのは割と得意。しかし、マネジメントの仕事はしたことが無いので、何をすればいいのか全く想像できない。
この話……受けても大丈夫だろうか?
「はぁ⁉ なにそれ! 絶対ダメ!」
ソフィアが大声を上げる。
彼女からしたら受け入れがたい話だろう。
「あらあら、あらあらあら。
アナタに口を出す権限はなくってよ」
「うるさい! ばーか! ばーか!」
「いうに事欠いてそれですか。
こうなったのは元々あなたのせいでしょうに」
うん?
ソフィアのせい?
何があったんだろうか?
「ええっと……ファムさん……」
「…………」
後で説明する。
彼女は眼でそう言った。
ここは黙っておいた方がいいだろう。
……と思ったら。
「ソフィアさん、全てあなたのせいです
あなたがフォートン家の財産を食いつぶしたのです。
そのことを全く理解していないようですね」
「…………」
マイスが冷たい視線をソフィアへ向ける。
彼女は淡々と過去の出来事について語り始めた。