105 水
「お前は本当に優秀な子だ」
父はよく私をほめてくれた。
苦しい訓練の後には必ず、優しく頭をなでて労いの言葉をかけてくれる。
ずっと怖い表情を浮かべていた顔をほころばせて、偉い、偉いとほめてくれた。
そんな父の期待に応えようと、毎日のように行われる苦しい訓練に耐え、鍛錬に励んだ。
父に喜んでもらえるように、彼の名を汚さぬように、立派な戦士になろうと心に決めた。
私は父が大好きだった。
戦いのさなかに嫌なことを思い出してしまった。
ファムは己の心の中に芽生えた甘えた感情を振り払おうと躍起になる。
敵が放つ水の弾丸は次々と空中ではじけて衝撃波を生む。
攻撃を回避しながら攻撃の機会をうかがうが距離を縮められないでいる。
そこら中に放たれる水の弾丸は大地を削り、前進を阻んだ。
触れてもダメ、避けてもダメ。
困難な状況ではあるが、勝機がないわけではない。
敵が油断を見せたその一瞬で『影』によって背後へ回り、致命傷を与えるのだ。
馬鹿正直に正面から挑んでいるのは、スキルによる瞬間移動への警戒心を薄れさせるためだ。
と言っても、『影』による移動に制限はないので、あえて油断を誘う意味はあまりない。
普通の敵なら背後に回ってさっさと殺している。
なぜそれをしないかと言うと、こちらが移動した瞬間に反撃を受ける恐れがあるからだ。
相手もファムのスキルをある程度は把握しているだろうし、背後への移動は当然警戒しているはず。
であれば、不用意に敵の死角を突こうとするのはベストではない。
罠を張っている可能性は大いに考えられる。
正面からの突破を試みるうちは、罠にはまる心配はないだろう。
むしろこのまま……。
ファムは攻撃をよけつつ、着実に距離をつめた。
ステータスの消費により耐久力を強化しているので、多少の衝撃は耐えられる。
当然、敵も肉体を強化しているだろうが、それはこちらも同じ。
攻撃力が当たれば確実に一撃で仕留められるはず。
『安易な予測を立てれば、それは死に直結する』
父はよくそんなことを言っていた。
まだ何か隠しているようであれば、再び距離をとった方が良い。
もう少し慎重になって様子を伺うべきなのだろうが……ウィルフレッドがいつまでもつか分からない以上、逡巡するのは悪手である。
ファムは一気に勝負を決めることにした。
「くそっ! しぶとい!」
敵は大量の弾丸を一斉にファムへと放つ。
しかしこれは彼女の身体を捉えることはなく、全て無駄撃ちに終わった。
一斉攻撃を回避したファムはすかさず間隙をついて一気に距離をつめる。
新しく水の弾丸を生成するまでにはいくばくかの時間を要するはず。
このタイミングであれば……!
「くっ! 無駄ぁ!」
少女は目の前に水の盾を形成した。
おそらく、圧縮した水の力で攻撃を防ごうというのだろう。
だが……無駄だ。
「ごふっ……えっ⁉」
少女は困惑気味に胸を貫いた刃を見下ろす。
水で形成された盾はその効力を発揮せず、やすやすとファムの攻撃を通してしまったのだ。
ファムは刀に影をまとわせていた。
この影は生き物を攻撃できないが、物体を断裂させる力を持っている。
刀にまとわせることで、どんなに固い物体でも切り裂くことができるのだ。
貫かれた水の盾はその力を失い、ただの水へと戻って地面へと流れていった。
「勝負あり……ですね」
ファムが言う。
『影』で背後に回る必要もなかった。
もっとも、今考えるとそちらの方が、リスクが高かったように思えるが。
「あはっ。そう思う?」
にんまりと口角を釣り上げる少女。
その笑みを目の当たりにして、ファムは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
なぜ……笑っていられる?
こんな状況で……。
「ねぇ……知ってる?
人間の身体って、実はほとんどが水分でできているの。
もちろん、血液も……」
ようやく気付いた。
彼女の身体から血液が流れ出ていない。
それどころか……。
「くっ! そんな!」
刀の柄を握る手に力を込めても、びくともしない。
何か非常に強い力で刃がからめとられている。
「気づくのが遅い……もう終わりよ」
彼女がそう呟くと、目の前に水の球が……。
「しまっ……」
慌てて『影』を生成するが間に合わない。
気づけばファムの身体は宙へと吹き飛ばされていた。
「とっ……父さま……」
地面に倒れたファムは父を呼んだ。
無論、その呼びかけに応じるものなどいない。
「やれやれだわ、まったく。
ここまで手こずらせてくれるなんて、予想外よ」
少女の声が聞こえる。
ファムがなんとか顔を上げると、自分の身体に突き刺さった刀を自力で引き抜き、地面へと放り捨てる彼女の姿が目に映る。
「本当ならすぐにでも殺してやりたいけど、
あなたを殺したらエイダまで死んじゃうからね。
今はまだ生かしておいてあげる。
あの子にもまだ利用価値があるから。
じゃ、そう言うことで……ね」
少女は笑顔でファムに手を振ってお別れの合図をする。
そのまま踵を返して、救護棟のある方向へと歩いて行った。
やはり彼女の狙いは……ソフィアだったようだ。
ファムにはもう彼女を追うだけの余力が残されていない。
ステータスを消費して体力を回復しても、立ち上がることさえできなかった。




