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貴族の子女が集まる学園の寮なので部屋はそれなりではあったけど、やっぱり我が家のベッドに勝るものはなし。
爽やかな目覚めと共に朝食を取りにリビングへ行った。
お母様とお父様は既にテーブルについて何やら深刻なお話をされている模様。
私が入るとピタッと話をやめたってことは……ん、まあいいか。
「おはようございます。お父様、お母様」
「ああ、おはよう。よく眠れたかい?ディータ」
「ええ、久しぶりにゆっくりできましたわ」
そう言ってマティスの朝食をいただく。
寮の朝食も貴族の子女相手だからそれなりだったけど、やっぱりマティスのにはかなわないわ。
お茶のお代わりをいただいていると私の小さな宝石レオがやってきた。
「レオ、おはよう」
「お姉様、おはようございます」
大人びたお辞儀の姿が微笑ましい。はあ、何やっても癒される。
聞けばレオは午前中は家庭教師とお勉強だという。
「お姉様は今日は何をされますか?」
「そうねぇ、時間もたくさんあることだし、マティスにお菓子作りでも習おうかしら」
「あら、それはいいわね」
「じゃあ、午後のお茶の時間はお姉様の手作りのお菓子がいただけるんですね」
「ほう、なら昼はコールドミートでいいとマティスに伝えてくれ」
昨日の学園でのことが嘘のように”あははうふふ”と和やかな雰囲気の朝食だった。
=== === ===
「お嬢様、それでは私が材料をご用意しますから手順通りに混ぜてください」
菓子作りと言っても所詮はご令嬢の手慰み。
段取りが組まれてのことだったけど、料理の腕が壊滅的な私としてはむしろありがたい。
メイドに着せてもらった可愛いレースのフリルがついたエプロンと形ばかりの三角巾をして作業台の前に立つだけだ。
今日は簡単なドロップクッキーというやつを作るらしい。
「祖母のレシピなんですが、簡単ですけど美味しいので初心者のお嬢様にはちょうどいいかと」
聞けば混ぜたらすぐ焼ける型抜きなしの簡単なやつらしい。
やることは目の前のボールに材料を入れながら指示をするマティスの言う通り混ぜるだけの単純作業。
いやー、流石にこれで失敗とかなくない?
マティスが、バターと砂糖と卵を順番にボールに入れてくれたのを混ぜてるだけなのに、なんで?
あれ?色味って白と黄色だけなのに、なぜこんな色に?
簡単な焼き菓子のはずなのに、生地がどうしてこんなにも粘るの?昔流行ったトルコアイスみたい。
私の理解をはるか斜め上をいく仕上がりなんだけど。
不安げにマティスを見つめると
「———初めてですから仕方ありませんね。焼けば多分…きっと美味しく出来上がるはずですよ」
って口元を引きつらせつつマティスは言った。ほんとかな?まあ、間違っちゃいないからね、作る手順と材料は。
マティス自慢の作り付けのオーブンに私のクッキーもどきを入れて焼く。
うん、匂いはいい感じ。問題は味よね。
でも、マティスが用意したのを混ぜただけだし、見た目は想像を絶する…あ、いや、ちょっと違ったけど、いい匂いがしているし。
焼きあがったクッキーをオーブンから出すと、部屋中に焼き菓子のいい匂いが広がった。
見た目はちょっと不恰好だけど、混ぜてた時のあの不穏な色と形状を思えば上出来だ。
「このまま少し置いてあら熱をとります。どうされますか?この後のお茶の時間に皆様に出しましょうか?」
「そうね。でもとりあえず今、味見してみる」
まだ暖かいそれを一つ摘んで口に入れた。
「ゴリっ」
マティスがすっごい目をしてこちらを見た。
あ、聞こえた?聞こえたよね、今の音。
「お嬢様、見ないことにして差し上げますから」
そう言ってキッチンタオルを渡してくれた。武士の情け、カタジケナイ。
あー、顎が外れるかと思った。マジで、歯が折れなくて助かったよ。
後ろを向いて口の中の物を出すと、向き直ってマティスを見た。
ちょっ、私の作ったそれで壁の飛び出した釘を打つのやめてくれる?
『すごい、釘が打てる』ってマティス、それ一応食べ物なんだけど。
ブラックジャックにでもできそうなそれをゴミ箱に捨てる時、死ぬほど派手な音がした。うむ。
感情のない目でエプロンを外し、片付けの終わったマティスにお礼を言った。
「ありがとう、マティス。じゃあ、また明日ね」
「ま、ま、また明日ですか?」
おっと、思わず素が出ちゃったね。
うーん、わかるよ。マティス。あなたの気持ち。
でもね、ダリオ様に差し上げるお菓子をどうしても自分で作りたいのよ。
わかってくれるかしら、この乙女の恋心が。
「手作りのお菓子をあげたい人がいるから協力してくれると嬉しいな」
此処一番の笑顔でマティスにお願いをする。
「わかりました。何か作れそうなものを考えておきます」
気の無い返事とマティスの虚ろな目を無視しつつ、その日のお菓子作りは終わった。
連休最終日、今日のサザエさんは感無量でしょうね