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異世界恋愛 短編集

目覚めればあなたは結婚していた

作者: 藍生蕗


 伯爵令息であったアウロアはある日気がついた。

 目覚めたとでも言うべきか。


 長く続いた望まない夢から……




「どういう事です! 叔父上!」


 声を荒げれば叔父は、何かを言おうと口を開けたまま、目を泳がせている。


「大声を出すものでは無いわ、アウロア」


 窘めるように猫撫で声を出す叔母を睨みつける。

 それを見た叔母は喉の奥に無理に空気を押し込んだように、身体を竦めた。


 アウロアの目つきは鋭い。

 彼は端正な顔立ちの貴人であるけれど、今は青い瞳には炎が灯り、身体中から怒気が立ち上っている。


「そうよ、アウロア。お父様もお母様もあなたの────いえ、全て伯爵家の為を思ってした事なのよ? どうして怒るの? あなたがいなかった(・・・・・・・・・)のだから、仕方が無いでしょう?」


 そう言って笑いかける従姉のファビーラにアウロアは向き直った。


「そもそも何故君はここにいるんだ? セフィージス家に嫁いだ筈だろう?」


「あ、あら」


 ファビーラは少し罰が悪そうに目を伏せる。

 だが、それを聞いた叔母は眉をきりりと釣り上げ、アウロアに責める視線を送った。


「あの家はファビーラが嫁ぐに値しない家でした。全く、婚約が決まった時から私は気に入らなかったんですよ」


 ファビーラは息巻く叔母の横でしおらしく俯いているが、アウロアは、「ああ、婚家から追い出されたんだな」と、察した。


 ファビーラは叔父夫婦に甘やかされ育ち、我儘だ。

 それでも貴族令嬢としての本分を理解しているならいいのだが。まあそうでは無かった。我儘放題だったのだから。


 それでも十年上の落ち着いた相手が見つかり、最初は子どものようなお転婆をしていても、徐々に夫人としての自覚を持ってくれるだろうと……良い人だったのに。別れたのか。


 微妙な顔をしているアウロアに気づいたのだろう。

 ファビーラは気を取り直したように言い募る。


「で、でも。だからあなたと結婚出来るのよ。私前からあなたの事が好きで────」


 全てを言い終わる前にアウロアはテーブルを鋭く打ちつけた。


「ふざけるな私には! ……イリーシアはどうしたんだ」


 その言葉に叔父一家は全員目を逸らす。

 アウロアは嫌な予感がして、壁に控える使用人に目を向けた。


「おい! イリーシアは……」


 だがアウロアの視線に怯える使用人たちでは無く、ファビーラが口を開いた。


「い、いないわ! あの人はあなたが記憶を無くして……あなたが伯爵家を継げないと分かったら、掌を返したように……だから……」


 媚びるように笑う従姉の言い分は全く相手にしない。

 アウロアはイリーシアを信じた。

 けれど、先に続く言葉に息を呑んだ。


「だからあの人はあなたを見捨てて出て行ったのよ! それにあの人は既に結婚しているのよ! あなたが記憶を無くしてから三年経って、あの人なんてもう二十二歳なんだから!」



 ◇



 イリーシアは三歳年上の女性だった。

 アウロアは子どもの頃親に連れられたお茶会で、イリーシアに一目惚れした。

 十一歳の時だった。

 十四歳のイリーシアは自分よりずっと大人びていてこの恋を実らせる為アウロアは必死だった。


 そして伯爵家嫡男という肩書きと、両親たちへの懸命な説得で、やっとイリーシアと婚約出来たのだ。

 アウロアが十三歳の時だった。

 イリーシアはデビュタントの直前で、アウロアは冷や汗を拭ったものだった。

 もしイリーシアが他の誰かに目をつけられてしまったら、それでも自分は一歩も引く気は無かったけれど、やはり気が気では無かった。


 だから彼女が広く知られる前に、彼女の隣を勝ち取った事に一先ず安堵していた。

 けれど、それからの三年間は長かった。

 この国で成人が認められるのは十六歳だ。

 それまでは婚姻が出来ない。


 本当なら女性の十九歳という年齢は少しばかり行き遅れ扱いをされる年齢ではあるけれど、と、アウロアがそう気兼ねするとイリーシアは笑い飛ばした。


「アウロア、あなた一体どれだけ私に、『待ってて』って言ってきたと思っているの? 心配しなくても、いくらだって待つわよ」


 その言葉を聞けばアウロアは安心して、嬉しくて、いつものようにイリーシアの掌に自分の頬を押し付けて甘えた。


「大きな犬みたいね」


 子どもみたいな扱いは少しばかりむっとするものの、イリーシアの手に掛かれば、アウロアは腹を出して甘える事も厭わないと思う。

 仕方が無いので苦情は口にせず、彼女に縋って幸福な時間を噛み締めた。




 成人と共に爵位を父から継ぐ事にした。

 それが、イリーシアの両親の結婚の条件だったのだ。


 あちらの家は年下のアウロアにあまりいい顔をしなかった。

 どちらかと言うとイリーシアの世間体を気にしていたのだろう。

 女性の方が三歳年上と言うと、確かに何かあるのかと思われるものだ。

 だが当然アウロアに異は無かったし、イリーシアの為に必死に領地経営の勉強をし、社交界のマナーも学んだ。



 アウロアの十六歳の誕生日の次の日、挙式の予定だった。

 誕生日当日は、城へ行き、陛下から爵位継承の許可を貰った。

 父母は屋敷を辞去するが、比較的近くに住まい、しばらくアウロアたちの様子を見守ってくれる事になっていた。


 謁見に何の問題も無く、アウロアは急ぎ自領へと戻った。

 翌日の素晴らしい誕生日プレゼントに思いを馳せて。

 けれど……




 帰りに馬車が崖から転落した。

 両親は帰らぬ人となり、アウロアは意識不明の重体で、目覚めた時には記憶も無かった。



 そして叔父夫婦が出張ってきてアウロアの後見人を申し出たのだ。

 難しいところではあった。

 一応アウロアは成人しており、爵位も継承していた。

 けれど彼らは、こんな状態の甥を放っておけないと息巻き、自分たちは血縁者であり家族だと屋敷に居座った。


 そして何よりアウロアが、記憶を無くした事により、全く別人のように大人しく、常に何かに怯えるように過ごすようになってしまったのだ。


 医師の話では、事故によるショックが大きかったのだろうというもので……



 そしてアウロアは、イリーシアを遠ざけてしまったのだ。



 ◇



 アウロアは再びテーブルを拳で打ちつけた。

 叔父たちがびくりと肩を跳ねさせる。


 (記憶が無いと言うだけで……)


 自分は何をやっているのかと歯噛みする。


 使用人たちは、アウロアの変わり様に皆目を剥いて驚いている。

 彼は常に怯えた様で、部屋に篭り切りだったのだ。

 正直いないものとして、侮られた存在だった。


 その彼────本来のこの屋敷の主は、今もの凄い形相で、今まで自分たちが仕えてきた主を睨みつけている。


「どうせ追い払ったんだろう。本来なら、彼女はここで伯爵夫人として私と共にいる筈だったんだ! なのに……」


 (結婚……したのか……)


 先程のファビーラの言葉が頭に響く。

 アウロアがそんな体たらくであったなら、彼女の両親ならばそのようにしただろう。

 どうして……いや、でも……


 身を翻すアウロアに叔父の声が飛んできた。


「アウロア! どこへ行くんだ!」


「イリーシアに会って来ます」


 アウロアは屋敷を飛び出した。


 イリーシアは言った、いつまでも待つと。だから……


 一縷(いちる)の望みを掛け、アウロアは馬を駆りイリーシアの住む屋敷へと向かった。



 ◇



 (ここにいるのだろうか……)


 アウロアは自身の思考と行動が噛み合っていない事に頭を抱えたくなった。


 (イリーシアが結婚していたら、ここにいる筈が無いのに)


 それに彼女の両親が、アウロアを見限ってイリーシアを別の誰かに嫁がせるのは、凄く当然の事だと思ったのだ。



 (イリーシア)



 屋敷の周辺をうろつき、いい加減不審者扱いされるだろうかと思い出した頃、懐かしい声が聞こえて来た。



 (イリーシア?!)



「お母様、待って下さい」


 だが続く言葉にアウロアは固まった。

 ゆっくりと声の聞こえた方に視線を巡らす。


「大丈夫よ、テッド。お母様はここにいますよ」


 庭の大きな木の下で手を振っているのは、イリーシアだ。

 アウロアは息を呑んだ。

 そして……彼女に向かって駆ける男児……


「……」


 イリーシアの明るく癖のある金髪と同じもの……。

 そして綺麗な翡翠の瞳。


 見ればイリーシアの手首には、男児の瞳と同じ色の石を付けた腕輪が煌めいていた。

 この国では婚姻の際、男性が女性に腕輪を贈る。

 それは女性にとっては既婚者の証で、アウロアもまた、イリーシアに用意していたものだった。

 自分の瞳と同じ色のそれ……


 そして彼女の夫の瞳は緑の色なのだろう。


 アウロアは馬の首を返し、屋敷から離れた。





「お母様どうしたの?」


「え? いいえ……知り合いに似てたような気がして……」


「え? もしかしてお父様? ねえお母様、お父様はいつ帰ってくるかなあ?」


「もう、テッドはそればかりなんだから」


 息子の言葉に、イリーシアは、くすりと笑みをこぼした。



 ◇



 アウロアは暫く馬を走らせた。

 かつてこの辺りは随分散策したものだ。

 だから、意識しなくとも身体は自然と馬に指示を出し、道を駆け抜けて行った。


 頬を伝うものに気づく者は誰もいなかった。




「アウロア? お前アウロアじゃないか?」


 急に声を掛けられたのは、疲れた馬を休ませる為に、川に降りたところだった。

 その声に振り返れば、「うわっ」と言う声が返ってくる。


「お前……幽霊じゃあ無いよな?」


「そんな訳無いだろう」


 アウロアとイリーシアの領地は隣接している。

 更にもう一つ、隣に合わせた領地の息子が彼だった。

 散々馬を駆り、随分遠くまで来てしまったという事だ。


 アウロアは自嘲気味に笑う。

 いっそ意識の無いまま、もっと遠くに行ってしまいたかった。


「……お前、何笑ってんの? 大丈夫か?」


「大丈夫じゃない」


「あ、なんだ。大丈夫じゃないか」


「……」


 五歳年上のこの男は、ずっとアウロアのライバルだった。

 何故ならイリーシアの両親は、こいつとの婚姻を望んでいたのだから。

 家格も同じ子爵。年齢も釣り合う。申し分無しだった。

 あの頃の鬱憤が思い出され思わず睨みつけると、フォンは口の端を引き攣らせた。


「まったく、お前は相変わらずだな。別に俺はお前が寝てる間にイリスに手出しなんてしてないぞ。だってお前は絶対に目覚ましてイリスのところに駆けつけただろうからな」


 フォンはイリーシアを勝手にイリスと愛称で呼ぶ。その度アウロアはむっとしていたのだが、今日は……

 はははと笑うフォンにアウロアは俯いた。

 その様子を見てフォンは首を傾げる。


「なんだあ? 何かあったのか?」


「イリーシアが……結婚を……」


 その言葉にフォンは、ああと答えた。


「仕方が無いだろう。あの場合は……」


 そこまで言ってフォンはぎょっと身を跳ねさせた。

 歯を食いしばったアウロアの両目から、止めどなく涙が溢れて来たからだ。


「え? 知らなかったのか?」


 大嫌いだ。

 アウロアは無神経な幼馴染を内心で詰った。

 そして記憶を無くした自分と、約束を違えたイリーシアに怒りを覚えた。



 (イリーシア)


 

「え? おい、どこに行くんだ?」


 問いかけるフォンに目もくれず、さっさと馬の休憩を終わらせ、アウロアは来た道を戻った。

 何をどうしたいかだなんて決めていない。

 けれど……


 せめて自分のこの気持ちだけは受け取って貰いたいと思ったのだ。

 たとえそれがただのエゴだとしても……一人傷つき、泣き寝入りするなど、アウロアの性分では無かった。



 ◇



 馬が泡を吹き始めた頃、アウロアは馬を止め、仕方無しに近くの宿屋に馬を預け、イリーシアの元に向かった。

 けれど、その途中に花屋を見かけ思わず足を止めた。


 いつもイリーシアのところに向かう時は、花束を抱えて訪れていた。

 アウロアは首を振って歩を進めようとしたが、何故か酷く気になる花があった。

 ……一つはフリージア。イリーシアが好きだった。

 もう一つは薔薇。

 いつも香っていて、鼻にこびりつくような感じがして……好きじゃないのに……何故か気になった。


 一度踵を返し掛けたアウロアだが、思いとどまり、フリージアの花を小さな花束にして貰った。



 ◇



 花を握りしめて正門から入るアウロアに、屋敷の使用人たちは騒然とした。

 先触れも無い訪問。

 けれど、アウロアとイリーシアが婚約者だった事は皆知っている事だ。それでもあの厳しい両親に見咎められれば追い払われる覚悟があったが、今のアウロアには怖いものなど何も無かった。


 やがて屋敷の奥から慌しく駆け寄るイリーシアの姿が見え、アウロアは目を細めた。

 考えてみれば夫の不在に昔の男が訪れているのだ、不躾にも程がある。

 それでも────


「イリーシ……」


「お父様!」


 元気な声に阻まれ、また声と共に明後日の方向から飛びつかれ、アウロアは固まった。


「は……?」


 目の前でイリーシアが目を丸くしているが、恐らく自分も相当呆けた顔で彼女に写っているだろう事は、容易に想像が出来た。




 ◇



 三年前────



「駄目よ! 待つなんて認められる筈が無いでしょう!」


 母の金切声にイリーシアは毅然と背筋を伸ばした。


「いいえ、お母様。私はもうアウロア様の妻です」


 その言葉に父はイリーシアの頬を打った。

 はっと息を飲む母親から目を逸らし、イリーシアは歯を食いしばった。


 だって約束したのだ。

 知らない間に自分が他所に行けば、目覚めたアウロアは絶対に苦しむ。


「イリーシア……よく考えなさい」


 夫の暴力を目の当たりにして、母はいくらか冷静になったようだ。

 けれど説得の体を崩さない。


「良く……考えて来ました! 今までずっと! それはあの方の妻になると決めた時から変わりません! もう私は、自身の名誉や身上よりも……あの方が大事なのです」


 そう言って項垂れる娘に、子爵は深く息を吐いて一言告げた。


「もういい。お前には失望した。そんなに貴族の義務を軽んじると言うならば……好きにすれば良い」


「あなた!」


 そう言って自室に戻る夫を追いかける母の背を見送り、イリーシアは床にへたり込んだ。


「お嬢様!」


 慌ててメイドのミラが駆け寄るのを見て、イリーシアは苦笑した。


「あなたまで……もう私は奥様なのよ」


 そう言って微笑むイリーシアをミラは痛々しいものを見る目で、しゃくり上げた。


 アウロアが事故に遭い、三ヶ月が経った。

 彼の叔父夫婦が屋敷を仕切る様になってから、イリーシアは門前払いをくらうようになったのだ。


 彼の意識が戻ったと聞いて、直ぐにでも会いたいと……


 けれど待てど暮らせど、イリーシアには何の連絡も入らなかった。

 噂で、彼は記憶を無くしたと聞いた。

 痺れを切らした父子爵が、伯爵家に乗り込んだが、アウロアは全ては叔父に任せているのだと。

 婚約の事は知らないと、破棄して欲しいと言ったそうだ。


 父は怒りを抑えず帰ってきたが、イリーシアは信じなかった。

 アウロアに何かがあったのだ。

 だから、父の怒りを深めたこの決断は間違っていない。

 ぎゅっと胸の前で手を組む。


 一度だけ伯爵邸に忍び込み、怯えるアウロアと面会した。

 記憶を無くしているとは言え、彼に拒まれ、イリーシアは打ちのめされた。

 それでも……


「アウロア……私を拒絶するなら、あなた(・・・)の口から聞かせて」


 イリーシアはキツく目を閉じ、祈る様に組んだ手を額に押し付けた。



 ◇



 暫く家がバタバタしている事は知っていた。

 だが下手に目に留まり、あれこれ言われるのは嫌だったので、イリーシアはずっと自室に閉じこもっていた。

 ミラに聞いてみたものの、どうやら自分の事とは別のもののようで、ミラも口を濁していた。


 両親が自分に対し暴挙に出ようとしている訳では無いと知り、イリーシアは、自室で息を顰めるようにして過ごした。



 そして暫くしてやって来たのがテッドだったのだ。



 テッドは姉の子だった。

 姉は婚家で男児を産んだが、その後愛人にその場を追われ、子どもと共に虐げられていた。


 姉は自身の身を守る事で精一杯で、テッドは乳母が必死に守っていた。

 どれ程愛人の横暴を許しても、正妻は姉であり、嫡男はテッドなのだ。

 けれど、その愛人が産んだ子が男児だった事により、嫌がらせだけですまなくなってしまった。


 二人の命に危険を感じた乳母が、父に内密に連絡を取って来た。

 そして父は姉とテッドの惨状を目の当たりにし、イリーシアの事は頭から吹き飛んでしまったらしい。


 怒り狂った父が最初にした事は、二人を安全な場所に移す事だった。

 そして直ぐ王都に飛び、宰相を頼り現状を訴えた。

 勿論宰相は相手にしない。

 何故ならそれは家の中の話であって、人死でも起きない限り他者が介入して良いような話では無いからだ。


 ただ噂は広まった。

 夫人を蔑ろにし、平民の愛人にうつつを抜かす夫。

 しかも大事な貴族の血を繋ぐ嫡男を粗末に扱い、平民の庶子を優遇している愚か者。


 この手の噂は、夫人たちは女性に同情的なのだ。

 特に妻に何の瑕疵もなく、一方的なものであったと知れば、その力は強まる。

 とは言え、貴族のくせに平民にしてやられたのかと言う意見も勿論あるが、嫁げば先の家に従わなければならないのは、誰もが知っている。そこでどれ程自由に振る舞えるかは夫次第だと言う事も。


 姉の夫は、次男だった。

 けれど、嫡男が他家に見染められ、養子に行く事になってしまったのだ。それが良縁であったが為断る事が出来ず、教育をきちんと行って来なかった次男が継ぐ事になった。


 彼の両親は次男を支えてくれる女性を探していた。

 我が家は子爵で、相手はなんと伯爵だった。

 それでも姉は両親が誇りに思う程に淑女の鏡であり、そのような理由があるならばと、相手の家に望まれ嫁ぐ事に異を唱えなかった。

 自分と違うと少しやさぐれた気持ちになったものの、姉の結婚は祝福していた。


 だからイリーシアも両親と違える事なく、怒りを隠さず憤ったのだが……


 父が連れて帰ったのはテッドだけだった。

 姉はどうしたのかと父に問えば疲れた顔で、修道院に向かったと告げた。

 何故姉がと声を荒げそうになったイリーシアを手で制した後、父の続く言葉に目を丸くした。


「あいつは冒険者になるそうだ」


 そう言った父の目は、どこか遠くを見るものになっていた。


 



 止める家令を意に介さず、愛人女性は子爵の用意した離縁状に勝手に押印した。当主が不在の時にだ。

 子爵はそれを携え伯爵家を出て行った。

 思わず口元が笑みに歪む。


 

 あの平民女は知らないのだ。

 これで自分が伯爵夫人になれると勘違いしているが、そんな未来は欠片も無い事を。

 もう妻と偽り夜会に連れ立つ事も叶わない。

 何故なら伯爵は既に離縁している一人者なのだから。

 それでも、もしあの女を連れ歩く様な真似をすれば、伯爵だけでなく、家も馬鹿にされ侮られる。

 何よりも既婚女性たちの冷たい眼差しと態度は、さぞ居た堪れないものとなるだろう。

 それでも尚あの愛人を家に置くのだろうか。


 そして彼は今後再婚し、子を設ける事が出来るのか。

 あんな家に嫁ぐ女性、或いは嫁がせる家は余程の事がない限り、利を覚えない。

 何故なら伯爵自身が、自身を無能であると晒してしまっているのだから。


 テッドは子爵が既に養子に迎えている。

 その書類にも離縁状と共に押印させた。


 馬鹿女と馬鹿伯爵。


 自分の家族を蔑ろにした事、決して許さない。




 けれど、修道院に向かう長女を止める事は出来無かった。

 子爵は躊躇ったが、暫くはそれが娘の平穏の為だと頷いた。だが、


 娘からだと修道院から届いた手紙を開ければ、冒険者と結婚したと書かれており瞠目した。

 もう好きに生きるのだと、娘の固い決意が書かれており、読み終えた子爵は思わず笑い出してしまった。


 (全くうちの娘たちときたら……)


 頑固にも、勝手にも程があるだろう。

 誰に似たのかと思い、顎を撫でては苦笑する。

 それでも自分に似ているのだと思えば、悪くないと思ってしまうのだから。



 娘が二人とも嫁に行く事になり、後継はもう暫くしてから、親族から目ぼしい者を選ぼうと思っていたのだが。

 テッドがいるのだから、問題はあるまい。

 そして、

 イリーシアが、待ちたいと言うのなら、好きにさせてやろうと思ってしまった。


 今回の事は何かの天啓では無いかと、子爵はふと柄にも無い事を思ったのだった。



 ◇



「私たちは暫く王都に居を移す。後の事は執事と家政婦長に任せてあるから、お前はここで好きなだけ待てば良い」


 それだけ告げて両親は王都に向かった。

 恐らく伯爵への牽制だろうが、あの家は初動が遅く、前伯爵が対応に回った時は、残念ながら社交界の眼差しは冷ややかだったそうだ。


 長男の婚家を頼ればいくらかましになるかもしれないが、婿の立場でどうだろう。

 相手の女性も、自分も同じ事をされるかもしれないと、不快な思いをしているかもしれないのだから。



 

 一人残されたイリーシアは、テッドの世話を任されていた。

 この家の嫡男とすべく教育せよとは、父からの命令だ。


 イリーシアは嬉しかった。

 何もせずにただ待つ事がどれ程辛いか分かっていたつもりだ。

 だからテッドの存在と両親の温情に感謝した。



 テッドは常に怯えていた。

 その様は、一度だけ会いに行ったアウロアを彷彿とさせた。


 イリーシアはテッドを甲斐甲斐しく世話し、懸命に心身の健康を育んだ。

 そして、



「お母様……」



 躊躇いがちに口にしたテッドを、イリーシアは抱きしめた。



「そうよ、お母様よ。テッド」



 そうして二人は親子として過ごす様になったのだ。

 

 イリーシアは腕輪を用意した。

 テッドと同じ瞳であり……そして……

 アウロアを思い出し、イリーシアは少しだけ涙ぐんだ。




 ◇


 


 回想から戻り、イリーシアはアウロアに改めて向き直った。


「急にごめんなさい。アウロア」


 テッドを引き離しながらも、イリーシアは困惑していた。

 何故アウロアは来たのか。

 彼は……もしかしたら、あれを怒って……


「いや、私の方こそ先触れも無く……すまない」


 そう言って、俯けた先の花束に気づき、慌ててイリーシアに渡そうとし……跪いた。


「イリーシア、私と結婚して欲しい」


 その時のアウロアには、未来は見えていなかった。

 ただ気持ちを伝えたかった。

 先程覚えた彼女への怒りは、彼女を目にして溶けて消えた。

 今も自分の気持ちは変わらない。


 だからその後の、躊躇いがちに告げられたイリーシアの答えに、アウロアは口を丸く開けて呆けた。


「その……ごめんなさい、アウロア。実はあなたと私はもう、結婚しているの」





 何がどうしてそうなった────





 ◇



 一番の理由は、両親への牽制だった。

 この国では重婚は認められない為、知り合いの神父を頼り、既にお互いの署名を済ませた婚姻届を提出した。

 アウロアが目覚め、自分を拒み、別の誰かを選ぶのなら、それに従い離縁すればいいと思ったのだ。


 あとは、アウロアの従姉、ファビーラの事だった。

 彼女は婚家から追い出され、都合良く記憶を無くしたアウロアと再婚しようと目論んでいた。

 それは伯爵邸にこっそりと忍び込んだあの日に偶然聞いてしまった企て。


 自分のしている事も褒められた事では無いのだが、そちらは棚の上にぶん投げ、イリーシアは憤った。

 あの従姉は、アウロアをずっと憎からず思っていたのだ。

 アウロアは気づいていないようだったが、彼女のイリーシアに向ける目は明らかに敵視したものだった。


 イリーシアは引くつもりは無い。

 三つ下の彼と婚約すると、両親相手にアウロアと立ち向かってからイリーシアの意思は揺るがなかった。

 彼女は一見儚く見えるが、気骨のある女性だった。


 だから幼なじみのフォンに相談して、アウロアから預かっていた婚姻届を提出し、ファビーラの思惑を打ち砕いた。

 そしてそれを知ったファビーラはイリーシアの元へ押し掛けたが、イリーシアはアウロアの誕生日に婚姻届を出しておくと約束してあったと言い張った。


 実は提出日を調べられたらどうしようかと、内心ではハラハラしていたが、有難い事にファビーラはその言葉を信じ、悔しそうに顔を歪め帰って行った。

 最後に、アウロアは離縁を望む筈だから、すぐにこの婚姻は無効になると捨て台詞を吐いて。


 イリーシアは不安になった。

 けれど、離縁の申し立ては訪れなかった。

 離縁にはお互いの意思が確認される。

 アウロアのあの状態では、言質は取れなかったのかもしれない。


 ふと息を吐く。

 イリーシアはこの綱渡りの状況が最善だとは思っていない。

 けれど自分にはこれしか出来なかったのだ。



 ◇



 途端にイリーシアの瞳からぼろぼろと涙が溢れた。


「本当に? 離縁では無く、私に求婚に来てくれたの?」


 その言葉にアウロアもまた泣き顔を作った。


「私はあなたに、生涯を通して求婚か求愛しかしない」


 そしてどちらともなく手を広げ、抱き合った。

 テッドは二人のその様を、羨ましそうに眺めていた。



 ◇



 アウロアは応接室に通され、イリーシアの話を聞いた。

 テッドが彼女の姉の子だと聞いた時は、安堵の余り、深いため息を吐いてしまった。

 疑っていた訳では無い。

 けれど、彼女と同じ髪を持ち、母と呼ぶ子どもがいれば、ついそう考えてしまったのだ。


 アウロアは、後ろ向きな考え方は好かない。

 それでもあの時は、とてもその現実を受け入れる事は出来ず、背を向けてしまった。

 それもこれもイリーシアのせいだ。

 彼女の事が好きだから……


「その腕輪は……」


 思わず口にしてしまう。

 今までの話を聞けば彼女が自分で用意した物なのだろう。

 色はテッドに合わせたのだろうか。

 その言葉にイリーシアは困ったように、はにかみ、口を開いた。


「私が自分で用意したの。……あなたと私の瞳が合わさったもの」


 アウロアは息を呑んだ。

 イリーシアは、珍しい金色の瞳をした女性だったから。

 それは黄にも見えるものであり、アウロアの青と、イリーシアの黄が合わさった、緑……


「……っ」


 思わず赤くなる顔を、口元に手をやり、隠す。

 嬉しいと思ってしまった。

 自分の青を身につけて欲しいとも思うけれど、これはこれで、なんと言うか……素晴らしい。

 そんなアウロアを見て、イリーシアも恥じらいながら口にした。


「それで……その、どうします?」


 その言葉にアウロアは顔を上げた。

 イリーシアの言わんとする事は分かる。

 だがその前に自分の保護者面をし、我が物顔で屋敷に居座るあの親族を片付けるのが先だ。


 イリーシアの決行はアウロアには感謝しかない。

 それが無ければ自分は確実にファビーラと婚姻させられていた。

 アウロアは記憶を無くした自分が嫌いだったが、唯一、イリーシアとの離縁を望まなかった事だけは、良しとした。

 


 そしてこうして本来の自分を取り戻し始めれば、段々と頭も冴えてきた。


 気になるのは叔父の動向。

 叔父夫婦は自分が怪我をする前からあの屋敷に到着していた。結婚式への参加の為だ。

 そして少しばかり早く着いてしまったと、屋敷に暫く滞在していたが、実はアウロアの爵位継承について、父に抗議していた事を知っている。


 そしてイリーシアとの婚姻にも反対していた。

 その頃にはもうファビーラは婚家から離縁の話を持ち出されていたようで、アウロアの他に娶ってもらえる当てが無いのだと訴えていた。


 自分たちの都合ばかり押し付けようとする叔父を窘めたものの、思うところがあったのか、父はアウロアにその話を話して聞かせた。

 爵位を継げばこういう身内の諍いにも立ち合い、諌めていかなければならない。

 それとは別の思惑があったとは、あの時は知らなかった。


「イリーシア、すまないが……」


 アウロアの様子にイリーシアは決然と頷く。


「どうぞ、この屋敷の者は好きに使って下さい。あなたの思うままに」


 アウロアは思わず立ち上がり、イリーシアの隣に座り手を握った。

 話し合いをする為に向かい席に座ったが、考えてみれば自分たちは既に夫婦なのだ。こちらの距離の方が自然で……


 そう思ってイリーシアの頬に手を添えたところで、応接室のドアが勢い良く開かれた。


 

「お母様! ずるいです! 僕にもお父様を紹介して下さい!」



 ぱちくりと目を瞬かせる夫妻を尻目に、テッドはアウロアに駆け寄り、膝によじ登った。

 後から慌てて乳母が止めに入ったが、アウロアは思わず声をあげて笑った。そして構わないと、イリーシアとテッドとの時間を大いに楽しんだ。



 ◇



 一方ファビーラは、アウロアの出て行ったドアを睨みつけ歯軋りをしていた。

 結婚したと告げれば諦めるのでは無いかと思ったのに、見込み違いだったらしい。

 こんな事ならずっと何の意思も示さない人形のままでいてくれた方が良かった。

 


 彼を部屋に閉じ込め自分だけのものにして日々を過ごした。

 ただ彼は、とりつくしまも無く誰も彼も怯え拒むものだから、関係を深める事が出来なかった。

 尽くす自分を見れば彼だって……なのに……


 どうして誰も彼も自分を否定するのか。

 自分は何も間違えた事はしていない。

 正しい事を求めただけだ。


 アウロアは年上の女性に一時惑わされただけ。

 本来なら家格の下の子爵家との縁談など、こちらは鼻にもかけないものなのに。

 両親はイリーシアが何かよからぬ事をしたに違いないと口にしていた。ファビーラもまた、そうに違いないと頷いた。

 そして最後にはアウロアは何故ファビーラを選ばないのかと、こんなに美しく可憐な娘は他にいないのにと嘆いた。

 ファビーラもまたアウロアより年上だが、たったの一歳だ。何の問題も無い。


 ファビーラも不思議に思っている事の一つだ。

 何故ならアウロアのみでなく、社交界でファビーラに声を掛ける者は皆無なのだから。


 それでもデビュタントの頃には随分と持て囃されたものだった。しかし、ファビーラが話し始めると、紳士たちは一様に表情を無くしていった。


 構わずファビーラが話し続けると一人二人と人が減り、やがてファビーラはいつの間にか一人になっていた。

 場所を変え何度かそういう場に訪れたが、ついにファビーラに声を掛ける紳士は誰もいなくなってしまった。


 淑女から話し掛けるなど、はしたない事。

 でもこんな状態で、どうやって婚約者を探せばいいのかと途方にくれるファビーラに、両親は、世には見る目の無い男ばかりなのだと嘆いていた。

 そしてファビーラが無理に彼らに合わせる必要は無いのだと教えてくれた。


 それから伯父にアウロアとの仲を取り持って欲しいと何度も談判しに行くようになったのだ。


 父は次男だったので、爵位は継げなかった。

 なので平民ではあるが、文官として城に勤めていた。

 伯父という有力な後見人がいる為だ。だから貴族と同等に扱われていた。


 ただ……

 ある日訪れた夜会で、たまたまファビーラは両親の悪口を耳にした。

 どうせやっかみだろうと切り捨てた話は酷いもので、父は仕事のお金を使い込み、近々宰相閣下に呼び出され城への登城を禁止されるというものだった。


 後見人である伯爵も処罰の対象となるが、直に息子に爵位を譲る話が出ているので、被害は最小限であるだろうと。

 こちらをチラリと見て口元を歪めて笑う令嬢に怒り、その場で掴みかかって会場から追い出された。


 ファビーラは何も間違えていない。

 両親は自分を大事に愛し、育んでくれた。

 だから両親が否というものはファビーラも否定するのだ。

 ファビーラもまた、両親を愛しているのだから。




 やがて十歳も年上の男に嫁がされる事が決まり、ファビーラは泣きたくなった。

 しかも相手は平民だ。

 母は泣いていたが、それでも行き遅れという世間の目に晒されるよりはと苦渋の決断なのだと話して聞かせた。

 ファビーラもまた頷いた。仕方がない事なのだ。

 けれど自分には伯爵位の高貴な血が流れていると言うのに……


 美しい従弟と結婚したかった。

 自分の結婚式で、従弟の隣で婚約者として並び立つ、あの女が許せなかった。




 初夜に夫が媚薬について教えてくれた。

 つまり女性の苦痛が和らぐものだと教えられたが、それを使った翌朝、ファビーラは思い付いたのだ。



 これだと。



 従弟を手に入れる方法。



 けれど従弟は自分を拒んだ。

 はっきりとしない意識の中ですら、口にするのはあの女の名前。

 ファビーラはいらいらした。

 自分に染める為、部屋を自分の趣味で一杯にし、大好きな薔薇を飾り、香を焚いた。



 そしてどんどん効果の強い薬に変えていった。



 けれど、いつの間にか薬は尽きていた。

 ファビーラが自由に使えるお金は、既に無かった。



 常に焚いていた香すら買えなくなり、部屋にフリージアの香りが漂って来た。大嫌いなあの花。

 あの女の為に植えたと従弟が誇らしげに語っていた。

 まさに今庭に咲き誇るあれは、近々花屋に全て売ると決めている。



 そんな中、従弟は目覚めたのだ。



 ◇



 逮捕状を突きつけられ、叔父夫婦は愕然と膝をついた。

 三年前の事ならば、まだ追跡の余地があった。

 あの頃の自分の家の使用人たちならアウロアも覚えている。

 また、叔父夫婦が連れていた使用人たちも記憶していたので、捜査は進み、真相に至った。


 フォンはその執念に頬を引き攣らせていたが、危険分子に目を光らせるのは当然だとアウロアは切って捨てた。


 叔父夫婦は馬車に細工し、両親とアウロアを亡き者にするつもりだった。

 本来ならば、往路で馬車は壊れる予定だったのだとか。

 ただ、杜撰(ずさん)な計画というか、素人仕事だったというべきか、馬車は復路で壊れてしまった。


 理由は爵位継承の阻止。

 アウロアが娘と婚姻しないのなら、死んで貰い、自分たちがそこに居座る必要があった。


 何故か。


 父が見限ったからだ。

 城の金に手を出し、仕事を罷免となった。

 家名を汚し、泥を塗った。


 本来ならアウロアに告げるべきだったが、幸せそうな息子につい絆され、婚姻後に話そうと隙を作った為、殺された。


 アウロアは唇を噛み締めた。


 注意していれば気づけた事だった。

 そんな事情があるなら、無理に叔父夫婦を結婚式に呼ぶ必要など無かったのだ。

 それなのに最後の父の温情を彼らは裏切りで応えた。


 ならばアウロアも容赦などしない。

 

 証拠を徹底的に探し出し、証人たちを問いただし、宰相の前に並べて訴えた。


 自分の両親は叔父に殺されたのだと。


 人死となれば、軍の正式な取り調べが入る。

 宰相は慎重に証拠を検分し、軍に捜査を命じた。


 叔父は登城禁止の命を受けていた。

 働き口が無かったから、娘を伯爵家に嫁がせて、そこにぶら下がろうとしていたのだ。


 軍に引っ立てられていく両親を見て、ファビーラは遠慮なく軍人に噛み付いた。

 けれどそれを見た叔父夫婦は目の色を変え、娘を叱り飛ばした。


「この……馬鹿娘! 元はと言えばお前が離縁などされるから! お前たちが散財して、家のお金じゃ足りなくなったから……! お前たちのせいだ! 全てお前たちの!!」


 軍人に捕らえられていたファビーラは、その言葉を聞いて目を丸くしていた。


「お、お父様?」


「何がお父様だ! お前は私を父親なんかじゃなく、自分に都合の良い金蔓程度にしか考えてなかっただろう! お前は、お前たちは褒めそやさなければ、もっといい物をと強請り、いくらでも果てもなく……わ、私は、兄まで手に掛けて……」


 項垂れる叔父にアウロアは冷たい目を向けた。


「何故被害者ぶってるのか知りませんが、両親の殺害は紛れもなくあなた方の犯行です。金を使い込んだのも、両親を殺す為動いたのも、あなたの意思無くしては全う出来なかった」


「し、仕方が無かったんだ! 家族に頼られ……私には他に道は……」


「その事こそ父に相談すべきでしたね、ファビーラとの縁談では無く。これは間違いなくあなたが選びとってきた結果ですよ」


 ばっさりと切り捨てるアウロアに叔父は奥歯を噛み締めて呻いた。


「殺して……おけば……やはり殺しておくべきだった! そうすれば私が伯爵家の当主になれたのに!」


 その言葉にアウロアは目を眇めた。


「お、お父様……?」


「お前が、お前たちがアウロア、アウロアと言うから生かしておいたばっかりに! お前たちのせいだ! 全部お前たちの!」


「もういいでしょう、今ので自供も取れましたから。さようなら叔父上叔母上、もう会う事は無いでしょう」


「な、なんで私まで!」


 軍人に取り押さえられ、叔母は悲鳴を上げた。


「言い出したのがお前だからだ! お前たちが言わなければ私は兄を殺そうなんて思わなかった!」


「なっ! 私のせいだってさっきから! あなたがずっと自分の方が優秀なのにと言って、お義兄様を疎んでいて……なのにいざ領地経営をやらせてみれば、さっぱり上手く行かなくて、借金ばかり抱えて!」


「借金をしたのはお前たちの放蕩のせいだ!」


「仕方が無いでしょう! 貴族なんですから! 流行遅れのものなんて身につけられないし、お金を使うのだって義務なんですよ!」


 ぎゃんぎゃん喚く二人に、流石に軍人もいい加減にしろと叱りつけていた。


 引き摺られる二人を見送り、アウロアはそういえば彼らは、アウロアが調査をしている間、何故逃げようとしなかったんだろうと不思議に思った。

 アウロアは子どもの頃からイリーシアを手に入れる為に、あの曲者の義父とやりあってきた。


 その為叔父からは、子どもらしく無く可愛げがないと嫌味を言われて来たのだが……

 きっとその頃から嫌われていたのだ。


 恐らく、アウロアが伯爵家嫡男で、次期当主だから。

 自分が手に入れられなかった爵位を手に入れるアウロアに嫉妬して。そして蔑む事で自分を慰めていたのだろうか。


 だから逃げなかった……侮っていたから。

 たとえ逃げたとて捕まえてみせるが。

 どう転んでも親の仇。到底許せる相手では無い。


「ア、アウロア……」


 震える声に振り返れば、青褪め、寒さに凍えるように身も震わせるファビーラが目に入った。


「君にも逮捕状が出ている」


 その言葉にファビーラは目を丸くした。


「は、はあ?! 何言ってるのよ! 私は何もしてないわ! 何も知らない! 何の罪に問われるというのよ!」


 彼らは本当に愛し合っていた家族なのだろうか。

 庇い合う体を見せながら、火の粉が降り掛かれば容赦なく手を振り払い、自衛に走る。

 アウロアは内心、本気で首を捻った。


「一つは窃盗」


 その言葉にファビーラは息を呑んだ。


「もう一つは違法薬物の所持と、使用だ」


 ファビーラの身体がぐらりと傾いだ。


「な……な、知らないわ! 違法だなんて知らなかったのよ!」


「君の元婚家から持ち出したあれは、所持に許可がいるものだ。それを勝手に持ち出し、挙句店で買えないと知り、その理由を考えもせず、裏取引に応じた」


 アウロアは奥歯を噛み締めた。

 自分をずっと捉えていた闇はその薬によるものだった。

 それを用いて自分を好きにしようとした、従姉の安易な思考にも腹が立つが、それ以上に違法と知り、その使用法も確認せずに捌いていた売人は、アウロア自ら捕らえ牢に入れた。


「君の罪は無知だ」


「どうして! 知らない事を責められるのはおかしいわ! お父様たちの罪だって私には関係が無いし、私は悪くない! 悪いのは、私を見ずにあんな女にうつつを抜かしたあなたと、身の程も弁えずあなたを誘惑したあの女よ!」


「犯罪に手を染めた罰はきちんと受けて貰う。私からは情状酌量の余地無しと書き添えておこう。……どうなるかは知らないが、達者で」


 そう言って踵を返すアウロアにファビーラはまだ何かを叫んでいたが、アウロアにはもう未来を向く目しか持っていなかった。




 ◇


 

 

「結婚式をしたい」


 そう口にすればイリーシアは少し困った顔をして恥じらった。

 今更と俯ける顔を上向かせ、目を合わせ告げた。


「けじめだイリーシア。叔父たちが食い潰したせいで、伯爵家は暫く立て直しに時間が掛かるだろう。だけど、だからって、祝い事を遠慮をする必要は無いんだ。……それに君にはこれから伯爵夫人として私の隣に立って貰う。領民にも紹介したいし……だから……」


 段々と自信を無さそうに尻すぼみになるアウロアを、今度はイリーシアが励ました。


「そんな……嬉しいわ。でも……三年前のドレスではもう似合わないと、思うの……」


 イリーシアは二十二歳だ。

 十九歳のギリギリ娘時代のドレスで挙式に臨めば、流石に参列者からの視線が気になる。それこそ伯爵夫人の最初の印象は良く無いかもしれない。


 アウロアが結婚式を望んだのはイリーシアの花嫁衣装を見たいからだが、それ以上にイリーシアと結婚したと周囲に知らしめる為だ。それは勿論イリーシアが望む形である事が大前提である為……


「何も心配いらないイリーシア。全て私に任せて」


 そう言ってイリーシアの手を掬い取ったアウロアは、目を細めて笑った。




 ◇




「……で、なんで俺なんだ? 俺はまだ結婚してないから、何の助言も出来ないぞ」


 そう言ってフォンは顔を引き攣らせたが、次いで勢いよく頭を下げたアウロアに目を剥いた。


「金を貸して欲しい」


 伯爵家はたった三年でその財産の殆どを食い潰されており、果ては借用書まで出てきた。

 アウロアの名前で勝手に借りたと主張する事も出来るが、どうしたって借金を踏み倒したという不名誉な噂は流れるだろうし、後々に響くだろう。何より両親の残した家にこれ以上疵をつけたく無かった。


 けれど、それとイリーシアとの結婚式は別だ。

 お金が無いのなら慎むべきなのかもしれないが、それでも一生に一度の事を、彼女と何の思い出も残せないのは辛かった。何より彼女は遠慮するだろう。それが嫌だったのだ。

 これ以上我慢させたくなかった。

 多少無茶をしても。


「無理なら、貸してくれそうな奴を紹介してくれるだけでも────」


「貸すよ」


 頭を掻き、フォンは、はーっと息を吐いた。


「ったく、お前がなあ……虚勢張ってばっかりのガキだったくせに……人に物を頼む態度も取れるようになったんだなあ」


 そう言って、目を細める幼なじみに、アウロアは感謝を込めて笑った。



 ◇



 結婚式当日、義父に手を引かれしずしずとバージンロードを歩くイリーシアを見て、アウロアは感激していた。



 それは三年前にイリーシアが用意したものを、職人たちによって流行りを取り入れ、且つ落ち着きのあり品位を損なわないものに仕立て直されたものだった。


 義父である子爵との話し合いの場で、伯爵家の窮状を知っていたのだろう。お金はこちらで用意する旨の話を持ち出された時、アウロアはキッパリと断った。

 お金は既に信頼のある者から借りているのだと告げると、子爵はニヤリと笑って、そうかと頷いた。


 また、自分のこれからの領地経営と借金返済の計画を話し、子爵から許しを貰った。


「お前は見所がありそうで良かった。娘を頼む」


 その眼差しには娘の幸せを願う父親の想いが込められており、アウロアは強く頷いた。


 最後の関門を突破し、アウロアは一息ついた。

 やっとイリーシアを伯爵家に迎える事が出来る。


 婚姻証明書は受理されていたが、伯爵家の準備が整うまで、イリーシアには実家で過ごして貰っていた。


 テッドは、イリーシアと一緒に伯爵家に来る事になった。

 彼は子爵家嫡男であるが、アウロアとイリーシアを両親と慕っている。イリーシアもまた、テッドと離れがたくなっていた。アウロアはイリーシアの意思を尊重し、テッドの親となる事を了承した。


 一通りの事が片付くまで一人で過ごす時間は寂しく感じたが、それもイリーシアを迎える為。また、衣装の事もあり、忙しくはあったが丁度良い時間だった。



「イリーシア」



 差し出すアウロアの手にイリーシアの手が重なる。

 義父の手を離れ、イリーシアがアウロアの隣に並び立った。



「待たせて、すまない」


「ええ……本当に。もう待つのは嫌です。それでも、待てたのはあなただからだわ」



 はにかむイリーシアに、アウロアは少しだけ泣きそうな顔をして。


 そして沢山の祝福に囲まれる中、二人は永遠の愛を誓った。



 新婦の腕には青と黄、そして緑の三色で織り成された腕輪が煌めいていた。


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