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バレンタインスペシャル

今回の作品には少し腐った要素があり、苦手な方は覚悟を持って読了されることをお願い致します。


「ついにこの日が来てしまったか……」


そう……これは俺の様なモテない男にとっての格差、カースト、呪われし忌まわしき記憶の日



ヒトそれをこう呼ぶ……


――――――――――バレンタインデーと


「……ハァ………」



俺は異世界での住居である部屋で本日何度目か分からない溜め息をついた。


(異世界に逃れようとも、この忌まわしき日から逃れられないとは……)


それこそまさに終わらない舞踏(ワルツ)と言えよう。


「トーヤさっきから溜め息ばかりだけど、一体どうしたの」


俺の落ち込み様にティコが心配そうに声をかけて来る。


「ああ……いや……ちょっとな……」


俺は今日と言う日のことをティコに説明した。


ガネメモにも勿論バレンタインはある。


ただ日本とは違い、チョコレートや甘いものが貴重なこの王都でそういった物を送る風習はない。


いわゆる欧米式であり、男女問わず気になる人に《花》をプレゼントすることになっているのだ。



「へ〜そんな日があるんだね。でも、ウインシニアではそんなことはしてなかったし、他の地方でもあんまり聞いたことないけど」



更に説明を付け加えると、このイベントは本来帝国で流行っていたもので、それならばと商魂逞しい王国の商人が輸入して来たのだ。


ちなみに庶民は花だが、貴族や豪商などは高価な贈り物を贈ったりしている。



「じゃあトーヤはアリアに花を贈るの?」



ティコのその言葉に俺は嫌そうな顔をするが、すぐに勝ち誇った表情に変える。



「ふっふっふっ、アリアは教団の奉仕活動で王都を離れているから花は受け取れないし、俺からも贈れないな。いやー、ざんねんだなー」



アリアは現在教団の仕事で王都を離れており、今の俺はフラグ喰らいの魔の手から逃れ自由な身の上だった。



(今日は休日だし、ゆっくり出来そうだな)



何だか眠くなって来た俺はベットに横になり、昼寝という惰眠を貪ろうとするが……



「はい♪ トーヤどうぞ」



ティコの手に握られていたのは、妖精状態の彼女でも持てるくらいの良い香りがする小さな花だった。



「ん?どうしたんだそれ」



先ほどまで何も持っていなかったと言うことは、《自己の世界(ファンタズマゴリア)》から出したのだろうけど



「この花はね。精界に咲く《夢見華》と言って、この華の香りを受けながら眠ると見れない夢を見れるんだよ」



これはまた珍妙な華であるが、見れない夢ってどんな夢なんだ?


俺は疑問をティコに聞いてみるが



「どんな夢かは見てのお楽しみだよ。どうせ昼寝するのなら楽しい夢を見るのがいいでしょう」



今日は陽気に当てられて眠いから、昼寝をしようと思っていたので丁度良いと言えば良い。



「じゃあ有り難く頂くよ」


「今朝のお礼だからどうぞどうぞ♪」



今朝はこの世界のバレンタインと言うことで、ティコには普段より良いお菓子をプレゼントしていたので、そのお返しだと考えた。



「うっ……もう限界なんでおやすみ〜」



花の香りの効果か眠気が限界になった俺は横になり昼寝の時間に入る。


横になった俺は瞬時に意識が落ちる感覚を感じた………



「おやすみトーヤ……………」







――――――――― カリ カリ カリ


そこはとある雑居ビルの一室、そこに2人の男性と1人の女性がデスクを前に一心不乱に作業していた。


同類がその光景を見たならば、こう表現しただろう……修羅場と……



「…………」



男はただ静かにゴムをかけ、ベタとホワイトを使い作業を行う。


もう1人の男はトーンを綺麗に張り、吹き出しにセリフを貼り付けていた。


そして女性は原稿に精密機械の様にペン入れを行っていたが、人は機械ではない。


徐々にペースが落ちて行き、そして……



「………足りない………」


ポツリと一言の後


「あーーー!!!潤いが足りない!!!」



女性は突然の大声を張り上げるが、男2人は特に気にした様子もなく作業を進める。


2人は分かっていたからだ。


ここで気にして声をかけてしまったら負けであると



「ちょっと無視は酷いんじゃない!2人共、紳士の自覚があるなら少しは気遣ってよ!」



そんな自覚は無いと言うがの如く、男の片割れはその言葉にも特に気にする様子はない。


仕方ないので、もう片割れの男性が気遣う様に女性に話しかけた。



「百合原氏いきなり大声を出してどうしたでゴザルか……湿度計ではそんなに乾燥はしてないようでゴザ……」


「湿度の話しじゃない! あとそのムカツク話し方はやめい!!サブスケ!」



男はゴザルと言いたかったのだが、百合原と呼ばれた女性は言い切る前にその言葉を封じた。



「お、落ち着いて百合原氏、何をそんなにピリピリしているので……」



サブスケには同僚の百合原がピリピリしている理由は何となく分かっていた。


百合原(ゆりはら)は、ガーネット・オブ・メモリアル制作チームのディレクターだ。


ディレクターと言っても名前だけで、制作指揮そのものは代表が執っているので彼女の仕事は主に全体的な補助作業に従事していた。


補助作業と言っても、マルチに対応出来るクリエイターで制作陣最優と最恐と呼ばれている女性である。



「拙者……もとい私等の作業に何か不手際が、それでしたら申し訳ないでござ……です」



サブスケは謝るが、百合原の反応が薄い。


その反応に”あれか!“と体は小学生探偵のような閃きを見せる。



「サボったコーメーに怒っているのでござるか、いやーアイツにも困ったものですな〜」



もう1人来るはずだったゲームの戦術担当のコーメーは、格ゲーの新台が入るとかでゲーセンに逃亡していた。


こんな目に合うのなら、自分も連れいってほしかったとサブスケは思うが



「ああ……違う、違う。その事で怒っているんじゃないよ……」



少しは落ち着いたのだろう、先ほどまでの荒れた様子はない。



「でも、コーメーの奴は後で〆る」



そう言って自分の手のひらに拳を撃ち付ける百合原


サブスケは思い出していた。


百合原は米国海兵隊の父親から軍隊式格闘術(フェアバーンシステム)を伝授されている事を……


以前、刃物を持った引ったくりを難なく制していた百合原氏の雄姿を思い出し、サボらなくて良かったと安堵する。



(コーメー氏、ホネは拾って上げるでござる)



今は楽しい時を過ごしているであろうコーメーの冥福を祈るサブスケであった。



「……チッ……」



2人いるもう片割れの男が不満そうに舌打ちをする。



「随分とご不満そうね葛霧」



百合原の威圧感たっぷりな声にサブスケは心臓がドキリとするが、葛霧と呼ばれた男はどこ吹く風だ。



「……ああ、こんなつまらない漫画の手伝いをさせられている我が身の不幸を呪っているところだ。さっさと進めて終わらせて欲しいのだがね」



(葛霧!何て事を!!!)


怖いもの知らずな葛霧のもの言いにサブスケは阿鼻叫喚の地獄絵図を想像するが……



「へー、じゃあ何処がつまらないのか言って見なさいよ」



百合原のその言葉に作業の手を止め、百合原に向き合う葛霧


「……まず絵や構図のクオリティは高いが、親しみ易さはサブスケのが上だな、これでは絵画のデッサン集だ」


「……次にコマ割りが致命的に悪い。ここは見せ場なのにどうしてこんな小さなコマで書く。ここも大ゴマにする意味が不明だ」


「あと一番意味が不明なのが……」


葛霧は手にした原稿を2人に突き付け


「人造人間ロボの主人公とラスボス少年の“ウタマロ・グリップ君”が”ビッグ・マグナム“過ぎないかね…… それに血管もグロさも妙にリアルでベタ塗っているとゲンナリするのだが」


葛霧のその言葉にはサブスケも同意だった。

棒巾(ぼっきれ)にトーンを貼るこっちの身にもなれってんだ。


「これは芸術よ!!それにね、大人しい顔した男子や人畜無害そうな笑顔の男子がビッグ・マグナムなウタマロ君を持っていた方が……  えーと確か――――――萌える―――――でしょう!!!」



野郎2人は心底思った。


『そんな萌え捨ててしまえ』と………



「……そもそもなんでお前はこんなにウタマロ君の精巧な形に詳しいんだ……ま、向こう……こっちもか……女は進んでいると言うが、お前の彼氏のモノかコレ……」


葛霧はドン引きした様に言うが、その話しにサブスケは酷いショックを受けていた。


(え!?百合原氏……か、彼氏が居たでゴザルか!! まあ、百合原氏は頭も良いし、美人だし、留学生だし、強いし非の打ちどころが無いからな……母国に彼氏が居ても仕方ないでござろうが)


「ふっ……知ってる? 住んでいた州では……エロ本は無修正だったのよ。ウタマロ君なんて日常的に見てたわ!!」


その得意げな表情に、何をそんなに威張る要素があるんだと2人は思ったが、ツッコんだら負けとお互い自重した。


「……つまりは雑誌モデルのウタマロ君ビッグ・マグナ厶しか見たことがないから、これが標準と思った訳か……つまりは生で見たことないと」


葛霧の呆れた冷たい視線にぐうの音も出ない様子の百合原に、サブスケは理解した。


(あ、コイツ未経験だ……と)


「このサイズは薬でも飲まないとこうはならんぞ、そもそもお前の作品はリアリティがない!!」


だがその論破理論に隙を見出した百合原は、得意な体術の如く待った!!と異議を唱える。


「リアリティって言うけど、これはコミックよ。ならサブスケの書いたえろCGはどうなのよ。友人のEllenが言っていたわ、彼氏のウタマロ君からどれだけ汁が出るかと思って楽しみにしていたら、ほとんど出なくて、『phlegm』みたいって、サブスケのは《urine》になってるじゃない」


よほど興奮したのだろう。一部が英語になっていたが、サブスケは下ネタ全開の百合原に失望を抱く………訳なく


(ゆ、百合原氏の下ネタ……い、良いでござるな)


いつもの有能女子ぶっている娘のポンコツ振りにサブスケの胸中に芽生えるものがあった。


(………ああ……これが《萌え》か………)


サブスケの胸中を知らずか言い合いを加速する2人だが、サブスケにも飛び火しないことはなく。


「で、どうなのサブスケ!リアリティってそんなに大事!ねぇ!!」


いきなり飛び火するとは思っていなかったサブスケだが、創作においての自分の持論を言ってみることにした。


「まあ……あまりやり過ぎるのもシラケるのでダメだけど、かと言ってリアリティばかり求めるとそれはそれでつまらないから、状況に合わせた構成が必要だとゴザ……思うよ」


「……そうだな。状況に合わせた構成は大事だぞ。例えばこれだ」


そう言って葛霧は自分のデスクの引き出しから、1冊の薄い本を取り出して来た。


その1冊は百合原が以前に描いた同人誌だった。


「……この内容は意味不明だ。何で爆弾魔妖怪に後ろを取られた狐妖怪に『少々髪が傷んでいるな。トリートメントはしているか?』と言われながら掘られているんだよ。重ねて言う、本っ当に理解出来ん!!」


(あ……葛霧の悪いクセが出てきたな〜)


葛霧はいわゆるストーリーの評価については非常にうるさい。


「ふっ……甘いわ葛霧、美少年が後ろを取られた時点でこうなるのが自然の流れよ!! そう……彼はこうなる運命だったのよ!!!」


「お前ん中でそう思う運命なだけだろう。お前ん中だけでこっちは全く共感できん!!」


「こんなに色っぽいシチュのだから仕方ないじゃない! 公式カプの三つ目妖怪もいいけど、たまにはMATCHA Flavorを選びたくなるのよ」


葛霧は百合原のいきなりのMATCHA Flavor発言に『へ?』と

なるが、恐らく百合原は葛霧が展開についてではなくカップリングについて怒っていると勘違いを察し訂正を行おうとするが……


「ま、待て……俺はカップリングについて怒っているのではなくてだな……」


葛霧から訂正と言う名の会話のキャッチボールを百合原に届け様とするが、助っ人脳筋メジャーリーガーの如くバットで振り抜き特大アーチを描く。


「そうだね、葛霧は三つ目妖怪好きだったものね。知っているよ屋上で《黒龍波》の練習をしていたり、栄養ドリンクを飲んで『見えるか……この妖気が……』とか言っていたり、そんなに好きだったのに……取り返しのつかないことを……」


百合原は「sorry……」と目尻に涙を浮べ申し訳無さそうに呟く。

勿論嘘泣きだ。


「ッ……何で知っているんだ!」


葛霧は確かにこっそり三つ目妖怪の技を練習しているし栄養ドリンクを飲んだ時は人が居ない時に言っていたが、まさかそれを見られていたとは夢にも思わなかった。


「分かったよ。次の本では《三つ目妖怪✕狐妖怪》の正統派カプで描くよ。どっちが《攻め✕受け》がいいかな♪」


「葛霧氏……以前、拙者の描くエルリカたんのチラリズムに何も感じないと言ったのはそう言う……」


サブスケは自分のケツを気にする様に、ドッぴきした冷たい視線を葛霧に向ける。


「……ま、待て、お、俺をそんな目で見るな。俺にそんな腐った嗜好はない」




―――――― 〜♫〜♫〜♫




会社に設置されている置き時計から正午を伝える音楽が作業場に鳴り響く。


「お昼だね。ちょっと提案があるのだけど聞いてくれる」


百合原の何か企んでいそうな表情に、2人は聞こえない振りをしながら、出口に駆け寄る様に走る。



―――――絶対ロクなことを考えていない



これが男2人の共通に思っていることだった。



―――― ターン!!!



「アイエエエエエ!!!」


響き渡るサブスケの悲鳴


我先にと駆け寄ろうとした出入口の扉にトーンカッターがスリケンの様に突き刺さったからだ。


「2人共まだ話しは終わってないよ♪」


表情はにこやかな百合原だが、底知れぬ迫力にサブスケは背筋が凍える感覚を覚える。


「……見事な投擲術だ……ニンジャかこの女……」


これには葛霧も脱帽であった。






「今日は何の日か知ってる」


逃げ道を塞がれた2人は仕方なく百合原の話しを聞くことになった。


そこでの第一声がこれだ。


(今日は何の日かだと……)


葛霧の頭に浮かんだのは“今日は何のひ ふっふ〜ん♫”と言うお昼の情報番組のフレーズだがはて……


「……今日は何日だ」


生憎と葛霧には曜日、日にちの感覚は薄い。

故に隣のサブスケに聞いてみるが


「えーと、今日は二月十四日でゴザルが……はて、何かあっただろうか……」


「……むう……確か祝日ではなかったな……そうか!!」



「今日は《ストラスブールの誓い》が結ばれた日だ」



突然の葛霧の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったかの様に、固まる百合原。


「それは何の誓いでゴザルか、拙者《桃園の誓い》ぐらいしか知らないでゴザルよ」


固まっている百合原と知らないと言うサブスケに、葛霧は得意気な表情をし


「仕方ないな不勉強なお前らに教えてやろう。《ストラスブールの誓い》とは、西フランク王《禿頭王》ことシャルル二世と東フランク王ルードヴィヒ二世がだな……」


「ちーがーうだーろーーーーーっ!!!バレンタインに決まっているだろぅ!!!2月14日で何でハゲの話しが出て来るんだよーーー!!!!」


ブチギレた様な百合原の叫びに言葉を止める2人、そしてバレンタインと言う言葉にようやく納得する2人だった。


「……自分には関係のないことだったので忘れていた。そうだったな、2月14日と言えばヴァレンタインだったな」


葛霧は納得したかの様にウン、ウンと頷き、サブスケは頭を抱え俯く。


「バレンタイン……預かるチョコ……うっ……頭が……」


それはサブスケのトラウマを抉るようなストーリーがあった様だった。


「今日はバレンタインだからね。それで提案があるのだけど」


百合原のその発言に葛霧が「皆まで言うな」と言い言葉を受け継ぐ


「その通り!今日はヴァレンタインこと聖人ウァレンティヌスがローマ皇帝クラウディウス2世により処刑された日だ」


「………へ?」


百合原から間の抜けた声が続くが葛霧のその言葉に迷いはない。


「百合原は欧米住まいだから、教徒として聖人の冥福を祈りたいと考えていたのだろう」


「そ、そうでござったのか百合原氏、なんと敬虔な信徒なのでござろうか、しかし祈ろうともこの辺りに教会なんてござったかな……」


サブスケは『うーん』と思い当たる節を考えるが……


「……そうだ駅前の雑居ビルの2階でミサをやっている教会があったな。あそこでいいのでは」


葛霧は思い出したかの様に、駅前の雑居ビルの場所を言う。


「えっとあそこって、1階が焼肉屋で3階が熊本料理のところでござったか?」


葛霧がそうだと首肯する。


「よし、ミサが終わった後は馬刺しと焼酎で一杯はどうだ」


コップでクイッとお酒を飲む仕草をする葛霧に同意を示すサブスケ


「た、たまらんでゴザルな」


「いい加減にしろ!!Fuck you !!!」


百合原から怒りの言葉が飛んだ。





「えーとつまりだ。百合原は俺とサブスケでお互いにバレンタインデーの贈り物として花を贈り合って、お前の創作意欲を掻き立てろと……」


百合原からの提案は、今日はバレンタインデーだから葛霧とサブスケとで互いに《花》を贈り合い、百合原の851成分を補給すると言う話しだった。


「……えーと……葛霧と花の贈り合いですか……」


サブスケが素の状態でドッぴきした様に反応する。


「そもそも、某と葛霧で補給になるでござるか……」


葛霧とサブスケは美男子どころか、並かそれ以下の容姿なので、冒涜的な汚い風景が出来上がるのは確定だ。


「大丈夫よ。ちゃんと脳内フィルターをかけるし、それに日頃の友好を深め合うと言うことでもいいんじゃない」


不満そうな男2人であったが、昼食とプレゼントの花を調達に向うことになった。






「戻ったでゴザル〜」


花屋のロゴが入ったビニール片手にサブスケが最初に帰宅した。


「おかえり〜サブスケいい花あった」


期待に目を輝かせる百合原を見てサブスケは彼女に同情せざるを得なかった。


(汚い男2人の絡みで、修羅場の現実逃避とは……まあよくあることでゴザルが……)


同じクリエイターとしての苦しみに理解を示すサブスケであった。


「これでござる」

花屋のビニールから出て来たのは、苗袋に入った草であった。


「………草?」


百合原は困惑した様な顔になるが、サブスケは勿論否定する。


「いえいえ、これは花の苗でござるよ。これは1日草でござってな、初夏から夏にかけて昼前だけ綺麗な花を咲かせるそうなのですよ」


勿論、花屋のお姉さんの受け売りだ。


(しかし百合原氏に劣らぬ外国人の美人さんでござった)


三つ編みをした『ねじり切っちゃうわよ』な娘に似ていたのは余談である。


「へーそう聞くと何だか可愛い感じがするね」


百合原は満面の笑顔で草の先端を”ちょん ちょん“撫でるようにつつく。


(うーん。拙者の御子息もあんな感じに“ちょん ちょん”して欲しいでござる)


ヨコシマなことを考えていると百合原から質問が飛んだ。


「で、この苗の名前は」


サブスケは勿論考えているでゴザルよ。と名前を伝える。


「店員のお姉さんにちなんでエアリ……」


「そうじゃなくてこの苗の名称だよ」



「そ、そうでござったか、この苗は《弟切草》でござる」


「ふーん、キミは弟切草くんか〜……………ん!?」


百合原は日本語勉強の為に勧められてプレイしたゲームの中にそんな感じタイトルのモノがあったことを思い出した。



――――――――その花言葉は 《復讐》



「ね、ねえ………アンタ葛霧に怨みでもあるの……」


百合原はドぴきした様にサブスケ言うが、サブスケはどこ吹く風だ。


「うーん、色々文句はあるけど、怨んでいるとかはないでござるが」


「なら何でこんな花言葉が《復讐》なんて物騒なものプレゼントで買って来るのよ! アレなのこれがPsychopathってヤツなの!!」


今日何度目か分からないくらいブチギレた百合原の怒声が飛び、サブスケは慌てて釈明する。


「ま、待つでござる。弟切草の花言葉は《復讐》ではなくて《怨み》でござれば………」


「んなこと聞いてねー!!!!!」


その釈明はまさに無能議員の答弁、又はキャンプファイアにガソリンと言った様な感じで、怒りが燃え上がる百合原


「か、考えてみて欲しいでゴザル。プレゼントとは相手が受け取って喜んでもらうのがベストでござろう」


その言葉に百合原は一先ず怒りを抑える。


「もちろんそうよ」


それくらいプレゼントの基本だ。


「では、これを葛霧にプレゼントしたらどう反応すると思うでござる」


「え!?」


百合原は想像してみる。

この弟切草を受け取った葛霧の反応を……


『ほう!弟切草か!』

『知っているか、弟切草は平安の世に鷹匠兄弟の弟が秘伝の弟切草の傷薬の秘密を売ったが為に、兄が弟を斬り殺すことが由来となっているのだと』

『クククッ……何と人間らしい醜聞ではないか、だがその醜さこそが、人間の本質よアーハッハッハー!!!』



「うわー……すっごい喜びそう……」


「そうでござろう」


百合原は思い出した。

葛霧と言う人物はネジが何本か外れているNutjobだと……




「……戻ったぞー」


扉が開く音がし、葛霧が昼食から戻って来る。

その手には何か植物が入ったビニール袋を手に下げていた。


「おかえり〜葛霧、よしよしちゃんと贈り物は持って来た様だね」


頭のネジが飛んでいるが博識の葛霧のことだ、どんな花なのか百合原は気になって仕方なかった。


「……ほれ、ご依頼の贈り物だ」


サブスケは袋を受け取り、中の植物を出してみる。


「………こ、これは!!」


そうそれは………草だった。

紛れもない十人中、十人が雑草と言いそうな見事な草だった。

何なら根っこも、抜いた後の泥もしっかり残っている抜きたてホヤホヤな雑草だった。


「これは花じゃない!!!!雑草だあああああああああああああ!!!!」


百合原の怒号が社内に響き渡る。


サブスケは今日は休日で良かったと考えた。


そうでなければ近所迷惑になっていただろう。


「……ふっ………不勉強なお前等に言ってやろう……雑草と言う名の草はない!!!」


「じゃあこの草はなんなのよ!!!」


葛霧は顔の前に手をかざし、腰を大きくひねり無駄に独特なカッコつけた様なポーズを取り


「知らん!!!」


「ざけんな!!! Go to hell!!!!」


百合原の怒りが爆発した。




「百合原氏……拙者、雑草を貰ってどんな顔をすれば良いのか……」


「あーもーう、わらえばいいとおもうよー」


怒り疲れた百合原から、突っ込む気力もない感情が薄まった棒読みな声が響く。


「草だけにござるかwww」


まさに語尾に「w」が付きそうな感じのサブスケの笑い声が響いた。


「何でもいいが、そろそろ原稿進めなくていいのか……入稿まで移動時間含めてあと五時間くらいしかないぞ」


葛霧の容赦ない現実の言葉に百合原は夢から現実に帰って来たのだろう。

表情が絶望に染まる。


「ど、どうしよう……間に合うかな……」


(……う、うわ……も、萌えでござる!!!)


いつも気が強く凛々しい百合原の、道に迷った子供の様な姿のギャップ萌えにサブスケの脳内の萌汁がドバドバと湧き出る感覚が支配する。


(この破壊力、いかな葛霧と言えども)


サブスケは百合原のギャップ萌えに葛霧も支配されているかと視線を向けるが……


「ふん!自業自得だ。大体スケジュールを決め予定通りに事を運んでいれば、昭和アニメの小学生主人公みたいに夏休みの宿題で泣きを見ることはなかったんだ………だが、その無様な姿…嫌いではないぞ」


そう葛霧の萌えポイントは非常にズレているのだ。



「さて休憩はここまでだ」


そう言って葛霧は自分の席に戻りベタ塗りとゴムかけを再開する。


百合原は逡巡した様な雰囲気を見せるが、葛霧はそんなものを意に返す様子もなく。


「残りは少ない。死ぬ気でやれば間に合うさ、ペンを取れ、そして筆を進めろ、お前には立派な二本の腕があるじゃないか」


葛霧そのセリフにサブスケは何だか名言匂を感じるが、憶えはない。


「ま、これでも食って必死に頑張れ」


そう言って葛霧は百合原の目の前に瓶に入った高価なプリンを置く。


サブスケは知っていた。

あれは甘い物が大好物な百合原の中でも特にお気に入りの、デパ地下スイーツコーナー限定品の一品だ。


先まで不安そうな表情の百合原だったが、目の前に置かれた限定品のプリンを一気に平らげ


「……ふっ………葛霧、見える?この妖気が」


プリンが口もとに付いているがそれは勝利の笑み、サブスケの脳裏には勝利の女神と言う陳腐な単語が浮かぶ。


「ああ……禍々しく凄まじい妖気だ。勝ったな」


2人は盛り上がっているが、どちらと言えば妖気と言うより覇気のが正しい気がするが…ま、いっかと納得する。





「何とか間に合った〜〜」


閉店ギリギリに印刷所に入稿を済ませた帰り道、百合原は精も根尽き果てた様子だった。


「……これに懲りたらもっと余裕を持つことだ」


サブスケは知っている。偉そうに言っているが、葛霧も未だにシナリオを完成出来ておらず催促されている身の上であることを……


「しかし百合原氏の集中力は凄かったでござる。まさかあれだけのページ数を一気に仕上げるとは……」


定規も使わず後半、直接のペン入れで雑になるかと思えば、普段と変わらぬクオリティで仕上げた百合原に脱帽する思いだった。


「では、ヴァレンタインと言うことでこれからミサに行って、熊本料理の店に行こうか」


サブスケは「本当行くのでござるか……」と思ったが、百合原も勘弁して欲しい感じだった。


「ミサはステイツでするから遠慮するよ……それより入稿後のパーティだよ、パーティ♪」


解放感たっぷりな百合原の言葉に強い共感を覚えるサブスケ

「そうでござるな。入稿後の一杯と睡眠は至福の時でござる」


「ふむ、では報酬ということで百合原の奢りで馬刺しで一杯……」


「あ、2人共ちょっと待ってて」

葛霧が言い終わる前に百合原は近くにあったコンビニに早足で駆けて行った。


「飲み物でも買いに行ったのでござろうか」


サブスケは素直にそう言ったのは内面が純粋故だったが、もう一人の男はそうではない。


「いや、あれは大きい方だな。間違いあるまい」


断言する葛霧に、吹き出しそうになるサブスケだが人通りがある故に笑い出すと変質者扱いになりそうなので耐えるサブスケ


「いやいや、百合原氏はそんなものはしないでござるよ」


断言するサブスケに呆れた表情をする葛霧


「あれの容姿が良いのは認めるが、所詮は現実(リアル)の女だ。人である以上その楔から解き放たれることはない、偶像崇拝と現実認識を改めろ……」


葛霧のその言い方に可笑しくなってしまったサブスケは、人前であるが我慢出来ずに吹き出してしまった。


「何が可笑しいサブスケ」


サブスケの知る葛霧という人物は、他者にはあまり興味を示さないタイプで、愚かしいこと以外他者の評価をあまりしない、これが百合原ではなく他の人間を指していたならただ呆れていただけだろう。


(百合原氏をちゃんと1人の女性として認めているのでござろうな)


無意識なのだろうが、さっきの言葉からはそう言ったニュアンスを感じられて笑ってしまったのだった。


「ただいま~……ん?どしたの何か面白いことでもあった」


とても話せる内容ではないので、何でも無いことにするが、百合原も特に追求することはなかった。


それは手している袋とは無関係ではない。


「ま、いっか、ハイ♪これ今回のお礼だよ」


百合原が2人に渡したのは、可愛らしいラッピングのチョコレート……いわゆる


「バ、バレンタインチョコでゴザルか!!」

サブスケから信じられないものを見たかの様な声が上がる。

そのテンションはさながらツチノコを見つけた様なものだった。


「今買ったコンビニので悪いけど、今日手伝ってくれたお礼だよ」


サブスケはチョコレートを頭上に掲げ、その姿は正に”ごまだれ〜♫“と擬音が付きそうな感じだ。


「この世に生を受け二十数年……親以外からバレンタインチョコなんて貰ったのは初めてでござる。これは凍結保存にして墓場の中まで添い遂げる所存!」


「そ、そこまで喜んでくれるのは嬉しいけど……少し重いよ」


あまりのサブスケの喜び様に少し引く百合原


そしてもう1人チョコを受け取った人物、葛霧はと言うと……


「葛霧!そ、それはもしや……」


サブスケが受け取ったチョコはいわゆる義理チョコの中でも恐らく《友達以上、恋人未満》なものだ。


だが、葛霧が受け取ったチョコは大きいハート型のいわゆる《本命》系であった。



(ま、まさか百合原氏は葛霧のことを……はっ!ま、まさか普段の冷たい態度はまさかテレ隠し……こ、これをどう表現すれば、テレ……ツン、いやツンテレ……いや弱い……ツン……)


「……サブスケ、お前が何を考えているか何となく分かるが、一先ず自分のチョコをしっかり見てみろ」


葛霧はそう言って自分のチョコも見せて来る。


(くっ……本命を貰ったからと勝ち誇った自慢でござるか)


サブスケは自分のチョコを落ち着いて見てみると、ラッピングの上から何か貼っており、それには男の夢を冒涜的に涜す内容が書かれていた。



――――――見切りおつとめ品 20%引き


サブスケは葛霧のチョコを見てみるが、やはりそこには……


――――――セール処分品 40%引き


「み、見限られたでゴザル!!」

人通りもある中なのに、気にせず大声を上げヒザを付き絶望に打ちひしがれるサブスケ


「……お前はまだいいだろう。俺のは処分だぞ、何て胸糞悪いバレンタインチョコなんだこれは」


騒ぐ2人に通行人から、何だ?何だ?言った視線が突き刺さる。


周囲はヒソヒソ声で『……三角関係……』『……見限られたって痴情の縺れか……』『……美人の外国人が男2人たぶらかして処分……』とあらぬ方向に話しが伝播されて行った。


「ちょ!やめてよ2人共、ただ安かったから買っただけで、別に他意はないから!!」


それは数年後の人が聞けば完全にツンデレとも取れる言い方だったが


「それはそれで希望を打ち砕く話しでござるな」


だがツンデレと言う概念が薄いこの時代、そして見限られたと勘違いしていたサブスケは気付かず、もう達観した気分で悲しくなって来ていた。


「まあそう肩を落とすなサブスケ、将来いつかお前のファンから食べきれないほどチョコを貰うが、痛風と糖尿が気になって“何で若い時にくれなかったんだ”って泣く時が来るからな」


「なんでござるか!その夢も希望もない恐怖の大王みたいな予言は!」


「あーもーっ!!!いい加減にしなさい2人共、ボクはもう行くよ!!!」


周囲の好奇の視線に耐えきれなくなった百合原は失望感に沈む男2人を放置し逃げ出す。


「ま、待って欲しいでござる」


「……おい!逃げるのは許さんぞ。馬刺しと焼酎を報酬として奢ってもらわん内は逃さんからな」


その後、熊本料理店は生肉を嫌がった百合原の意向で、多様のスイーツを楽しめるホテルのディナービュッフェに行くことになった。


なお、今回の報酬は値引きのバレンタインチョコとなり、結局割り勘での食事となったことを付け加える。







晴天の日、関西空港の国際線のロビーに1人の女性が帰国の徒に着こうとしていた。


もちろん……

「百合原氏……本当に帰ってしまわれるのでござるか……3ヶ月前にバレンタインチョコを貰ったのが昨日のことの様でござる」


「……バレンタインの話はするな……処分品の忌まわしき記憶が蘇る……」


ムサイ男2人は見送りに来ていた。


百合原は苦笑いをしながら

「サブスケいい加減その変な喋り方止めたら、そんなんじゃモテないぞ」


サブスケは痛いところを突かれたのか「分かったよ……」と言葉使いを直す。


そして次に葛霧に向き合うと潤んだ恋する乙女の様な表情で

「葛霧〜 そんなに気になると言うことは、値札がない本命が欲しかったのかな♪」


「……ケッ……」


あまりにも臭い演技に葛霧は悪態をついた。


「あー冷たいな~葛霧、よし!次に会う時は素敵な恋人を作って悔しがらせてやろう♪」


「おうそりゃあいいな。特大ウタマロ君を持った恋人を作って、毎晩ヒイヒイ言ってろ」


百合原は葛霧のその言葉に”うーん“と少し考えたあと


「やっぱいいや、大変そうだし痛そうだし」


百合原の言葉で笑みを浮かべる一同


こう言った冗談が言えるのは、湿っぽいのは苦手だと言う暗黙によるものだった。


「代表や他の皆にも、改めてお礼を言っておいて」


「ああ、みんな寂しそうにしていたからね。伝えておくよ」


留学期間も終わり、母国の大学に戻ることになった百合原の為に先日はガネメモ制作メンバー一同でどんちゃん騒ぎであった。


百合原も見送りはいいと言ったが、この2人はそれでも来たのだ。


「しかし葛霧はよく百合原氏の居る場所が分かったね」

関西国際空港のターミナルビルは人も多いし結構広い、待ち合わせか携帯電話やPHSなどで連絡を取り合わないと合流は難しいだろう。


ちなみにこの3人共、携帯電話は所持してないし、待ち合わせも特にしていないはずだ。


にも関わらず葛霧は百合原の居る場所が分かるかの様に迷うことなく辿り着いたのだ。


「……昔から探しモノは得意でな、この女の行動パターンを推測するにここだと踏んだ」


カッコつけたポーズを取った葛霧に百合原が呆れた様に「ダッサ……」と突っ込む。


でも、すぐに笑顔に戻りその姿はいつもの百合原だった。


サブスケ達が見つけた時の百合原はどこか寂しそうな表情と雰囲気だったが、その時と比べると雲泥の差だ。



――――――流れる国際線のアナウンスそれは時間の終わりを告げるものだった。


「時間だね……楽しかった。君達に会えてそれだけで日本に来た甲斐があったよ……」


百合原は笑顔だが、どこか泣きそうな雰囲気だった。


「僕も……皆もそう思っているよ。楽しかった……今まで生きて来た中で一番……楽しかった」

サブスケの目から涙が流れる。


そういつかは終わりが来るのだ。


サブスケは二十数年の人生の中で、絵師としても鳴かず飛ばずな現状だが、それでも今が一番輝いている気がしていた。

その彩りの一つが何処かに行ってしまうことが悲しくて仕方なくなって来たのだ。


「……ありがとう……サブスケ……」


百合原はサブスケに優しく微笑みかけ、そっと我が子の様に抱きしめる。


「……また会えるよ。だからいつも通りに見送って欲しいな」



だがそんな百合原の目端にも光る雫が輝いていたことに気付いた葛霧は一歩、彼女に踏み出す。



(……分かっているさ……対価に差し出した()()の範囲でしか言わん……)


理解出来る者がここに居たなら、葛霧のその一歩は何かしらの覚悟を決めた一歩の様に見えただろう。


だがそれに気付く者はそこには居なかった。


「……百合原……」

葛霧に視線を向ける百合原の瞳に映ったのは、顔色を酷く悪くし、額に油汗を滲ませた姿だった。


「ど、どうしたの葛霧、酷く苦しそうだけど何処か悪いの……」


葛霧はそんな言葉に意を返さず苦痛を堪える様に、一方的に喋る。


「っ……カルネ……アデスの板……だ……」

絞り出したかの様な葛霧の言葉に、百合原もサブスケも意味が分からず虚を突かれる。


「………はぁ……はぁ……」

だが葛霧は二人の反応に気にすることなく心臓が苦しい様に胸を手で毟る様に抑えながら言葉を続ける。


その尋常なない姿に、百合原とサブスケは葛霧を介抱するべく身体を支えようとするが


「さわるな!!!」

普段大声を出さない葛霧に驚く2人は手を止める。


(……なんだコレは……コイツは本当に葛霧なのか)


サブスケの瞳にはいつもの友人の姿にしか映らない。

だがその身に纏う気配の様なものが、普通とはかけ離れたものだった。


いわゆるカタギじゃないと言ったものではなく、得体の知れない()()かだ。


「いいか……百合原……よく聞け」


葛霧の声は小さい。囁く様な声は本来なら周りの雑踏に掻き消され聞こえることはないものだろう。


しかし消えたのだ。

周りの雑踏が、世界からサブスケ、百合原、葛霧だけが3人だけの世界になった様に……


百合原も葛霧の変化に驚きの眼差しで見ている。

だがその雰囲気はサブスケの様に変化によるものだけではなく苦しみに耐える友人を気遣うものだった。


「………ッツ……いづれお前に人生の岐路が起こる……《奇跡》により、一度はお前は救われる……が……」


――――――二度目はない……


その言葉と同時に葛霧は一息ついた様に息を吐き、落ち着いた様になった。


「すまないな。どうやら先日の送別会で飲み過ぎたようだ」


いつの間にか周囲の雑踏も、葛霧の様子も元に戻っていた。




百合原は体調が悪そうだった葛霧の心配をしていたが、搭乗手続きの時刻も来たことも、そして当の本人が「大丈夫」だということで、またの再会を約束し別れることとなった。




その帰り道にて………


空港からの帰り道の電車内で2人は並んで座っていた。


時間帯もあるのだろう、周囲は僅かな乗客しかなく電車の走行音以外とても静かだった。


サブスケは公共機関内ではあまり喋ることはない。

他人が公共機関で騒いでいるのは好まない為に、自分もそんなことをしたくないからだ。


だが今日はそのポリシーを破るつもりであった。


「葛霧……百合原氏に言ったあれは例の”予言“なのかい」



葛霧との出会いは、高校生だったサブスケが学校の創立記念日に日本橋(にっぽんばし)の同人誌ショップに初めて行った時だった。


そこで葛霧からお前は絵師が向いているといきなり言われ、絵なんてろくに描いたことないので半信半疑だったが、それならばと数々の予言めいたことをサブスケに言ったのだ。


それらは全て的中しており、サブスケはそのことにより葛霧にはそう言った能力があると思っていた。


「先ほどの君は今までにないほど苦しんでいた。百合原氏に一体何が起こるんだい……」


サブスケが聞いたのは興味本位でのことではない。

友人が危機にあるのなら助けたいと言った、ごく当たり前のことだった。

それを察した葛霧は嘆息の後に


「……前にも言ったと思うが、流れを止めようとか変えようとするのは無駄なことだ。ドラマの様に運命は変えられるものじゃない。運命は積み重ねで起き、そして最期は崩れるものなんだ……」



その言葉は昔にサブスケが葛霧から聞いたことだった。


「運命とは《賽の河原》の石塔だ。この世の運命は積み上げたもので決まる。そしてそれは最後には崩れる」


例にして挙げれば、一般的な家庭で生まれた山田(仮称)と言う人物が、中学、高校、大学、就職、結婚と絵に書いた様な人生を歩む。

それだけの言葉ならばこの山田は平凡な人生を歩むと大多数の者は考えるだろう。


だがこの人生で山田の運命が決まることになる。


山田は結婚し子供も授かったことで、家族が出来たことでファミリーカーを購入し、数年後に仕事に寝坊した山田は慌てて運転をし通勤中に車両事故で亡くなる。


そうだ……そんな運命は誰にも解らない。


『しかしこれが積み上げた《運命》の結果だ』


『山田が“今の社会的にまともな人間”だった為に、当たり前の様に人生を歩み、家や車を買い……その結果山田の人生の石塔は崩れた』


『だがどうしてそうなったと思う。家族の為に車を買ったからか? 当たり前の様な人生を当たり前の様に歩まなければならない社会の圧力からか? 山田が仕事をしなければ、いやそもそも寝坊をしなければか、否、妻から子供の将来について夜遅くまで話しをしなければ、そもそも結婚なんてせずに1人だったら、そもそもこんな絵に書いた様な幸せを進まなければ…………… そうなったらどうなるそれは”山田“と言う人間は…何になるんだ……』


『たまに視えるんだ。人生の石塔が……他の人間は糸だとかロマンスがあるのが視えんだろうけど、俺はよりによって河原の石塔だぞ……』


そう言った葛霧は哀れむ様に笑っていた。



「百合原氏の石塔が崩れるか……葛霧」


サブスケのその声に込もっていた静かな感情は怒りだった。

葛霧は一瞬逡巡した様にそれを認めた。


「……ああ……そうだ……」


淡々と言う葛霧にサブスケはショックで頭を抱える。

「何故アイツに核心をついて言わないんだ……だとか言わないでくれよ。あれが精一杯の助言だった……」


それはサブスケにも分かっていた。


「『運命の死に深く関わると、関わった人間も死期に巻き込まれる』だったね……」


葛霧にも青い時期があった。


石塔の安定が訝しい人間にはそれとなく助言を行ったが、抽象的な助言だけなので、助かった者は居ない。



「百合原氏はどうなるんだ……」


電車が駅に停まり、何人かの乗客が乗り込んで来た為に2人は一先ず会話を止め、座席を詰める。



「……高い対価だったが、“奇跡“を起こしてくれるそうだ……」


人が増えて来た為に周りに聞こえない様に“ボソ”っと小さい声だった。


「奇跡って……一体……」


「さあな、だが奇跡を起こすのは神様の領分だ……その奇跡を受けた百合原がどう選択するかは分からないがな」


電車が駅に停車し数人の若者達が賑やかに乗り込んで来る。


昼前なのに、わずかに甘い香りが周囲に漂う。その匂いの正体は酒だろう。


葛霧は不快そうに僅かに表情を歪めたがそれだけだ。

サブスケも内心あまりいい気はしない。


「もう俺達には何も出来ない。後はアイツを信じろ」


葛霧のその言葉を最期に2人は会社までの帰路の間、喋ることはなかった。








それから幾年が過ぎ、僕達が作っていたゲーム、ガーネット・オブ・メモリアルが完成間近に葛霧が事故で亡くなった。


葛霧は施設育ちで天涯孤独であり、又、大型車輌の事故に巻き込まれ遺体は見るも無惨な姿だったので、直ぐに荼毘に付され遺骨は無縁仏とされた。


そして葛霧が亡くなって間もなく、ゲームの制作代表が行方を晦ました。

最初は何か事件に巻きこまれたと考えられたが、警察が言うには多額の借金による夜逃げだと聞かされた。


実質の副リーダーだった葛霧と、リーダーの代表が居なくなったことで僕達はどうしたら良いか分からなくなったが、僕はゲームを完成させようと主張した。


実際、追加予定だった《黒の少女編》以外は完成していたからだ。


そして都合の良いことに製品化の資金も、既に業者に払い込まれていたので債権回収会社に、その資金を回収される前に強行的な生産になった。


製品化は出来たものの販路が全く決まっておらず。またそういった伝手も人材も会社にはなく、途方に暮れた僕達は道端でゲームを売る暴挙に出た。


ゲームも1本しか売れなかったし、後で警察の人にはこっぴどく叱られたし、散々だったよ。


でも、嬉しかった。


『えろげ初めてなんですけど、これは……その……最高のゲームですか』


『ああ!!最高のゲームだよ』



「君がゲームを買ってくれて皆の努力が報われた。そしてガーネット・オブ・メモリアルを愛してくれて、僕は本当に嬉しかったよ………高嶺くん………」





そう………俺の目の前に居るのはサブスケさんだ。

そして俺は彼の夢を観ていた。


本当に愉しい時間だった。


ガネメモには色々な人達の想いが込められた作品だと改めて理解した。


ゲームは難しく何度も投げ出そうとしたが、それでもコンプリートするまで長い時間を費した。


「あの時も言いましたが、貴方のおかげですよサブスケさん。ゲームを売ってくれて、そして書き込みをした俺に会いたいとDMを返してくれて」


サブスケは嬉しそうだが何処かに影がありそうな笑顔で頷く。


「ありがとう。そう言ってくれてあの世の葛霧も百合原も喜ぶよ」



(……………えっ…………)



俺は硬い何かで殴られた様なショックを受ける。


サブスケさんの夢で見た彼女は親しみ易そうな、好感を持てる女性だった。


彼女にも機会があれば話しを聞きたいと考えていたが……



「………亡くなられたのですか……」


「ああ……」


サブスケさんが短く応えると、夢の中に14インチの当時流行った大手メーカーのテレビデオが姿を現す。


「彼女とは暫く気軽にメールで近況を交換していたけど、葛霧が亡くなってからはメールをするのを僕は止めてしまった」


サブスケさんは百合原さんに、葛霧さんの死を伝えることが出来なかったそうだ。


百合原さんのメールの内容には『葛霧のバカは元気にしている』とか『3人でバカやっていた時が懐かしいよ……アイツは元気かな』など、葛霧さんに対する内容に応えられなかった罪悪感と、当時は売れないイラストレーターとしてバイトと掛け持ちで必死で頑張っていたので、返信をすることもなく疎遠になっていった。


それから1ヶ月に1回だけ、14日に彼女からのメールが届いた。


当時の僕は過去を蓋にして、その時を必死に生きた。

そうしないと生き残れない世界だった。


「いや、そんなのは言い訳だ。あんな楽しい時代はもう僕には帰って来ない。だから僕は過去を捨てたかった」


その時置いてあったテレビデオから崩れる様な轟音が鳴り響き映像が流れる。


それは俺でも知っている有名な映像


海外で起きた最悪のテロの映像だった。


「毎月14日に届いていたメールがこの月を境に来なくなった。後になってネットに出てきた犠牲者の名簿を見て知ったよ」


「そこには百合原の本名が書かれていた」


そう……それは冷徹な事実だった


「僕は慌てて百合原にメールを送りまくった……でも、返事は一切なかった…………」




―――――――奇跡なんて起きなかったんだ



俺はテレビデオの映像を再び見る。


崩れるビルの瓦礫、舞う粉塵、それは目を覆いたくなるような理不尽な暴力の化身だった。



「あれから僕は忘れることにした……でないと、罪悪感で潰れる気がした」


そうは言っているが、サブスケさんからは忘れようなどと言った雰囲気は一切ない。


いや、むしろ


「……伝えたかったのですか、俺に……いや……」



――――――本当は忘れたくなかったのですね



俺の言葉にサブスケさんは頭を抱え嗚咽がこみ上げて来た様だった。


「君は葛霧とよく似ているよ。姿、性格とかじゃなくて何か根っこのところがね。そんな君と話して葛霧と重ねてしまったことで、結局は過去に囚われた自分を自覚したんだ」


違う人が見れば、この人は過去に囚われた憐れな人に見えるだろう。

だが俺にはそうは見えない。


彼は過去に囚われていない。


「サブスケさん……貴方は優しい人なのですね」


嗚咽がこみ上げて来たサブスケさんが涙と鼻水にまみれた顔で見上げて来る。


「貴方は過去に囚われているんじゃない。過去を守りながら生きているのですよ」


俺はいつも考えていたことがあった。

俺の大切な人は両親をおいて他ならない。だがこの2人もいつまでも居る訳ではない、確実に別れの時が来るだろう……


「俺は自分自身に誓っていることがあります。例え幸せな想いが終わっても、その想いにしがみつかない……でも忘れもしない。想いを守りながら生きて行くと……」


それが現時点での俺が考え決めたことだった。

将来本当にその大言通りに生きて行けるかは分からないが、それでも俺はそんな生き方をしたいと思っていた。


「サブスケさん……俺には貴方はしがみついている様には見えません。過去を守りながら、そして今の大切なモノを守りながら生きているのでしょう」


サブスケさんは俯きか細い声で「……そうだね……」と言う。


「僕も君と同じだ。葛霧や百合原達の想い出も大切だけど、今僕が守りたいのは、こんな僕でも愛してくれる妻と娘……家族だ……」


その芯のある言葉に俺は自然と笑みが溢れる。

同人イベントの後の打ち上げに参加した時、酔っ払ってへべれけになったサブスケさんを甲斐甲斐しく介抱していた美人さんが居たが……あの人かと思い出した。

(サブスケさんと比べると若い人だったから、てっきり売り子さんかと思っていたな……)




(そろそろか……)


俺自身の眠りが浅くなる感覚が出て来た、そろそろ目覚めの時だった。


「そろそろお別れの様です。最後に」


俺は今異世界……それもガネメモを模した世界に居ることを伝える。

普段にこんなことを言えばキ○ガイ確定な発言だろうが、ここは夢の中だ。



案の定………



「アッハッハッハ!!!それはまた羨ましい話だ。神様からの異世界転移転生ってチートハーレムのやりたい放題じゃないのかい」


サブスケさんは冗談と考えているのか、楽しそうに笑っているが、それが真っ当な反応だと考える。


だが俺にとっては災難この上ないことだった。


「そんな美味い話はありませんよ。むしろ文明レベルは下がってパソコン、スマホどころか照明すら事欠く生活です。身分制度もあって無礼討ちにもなりましたし、コンビニで買えそうな菓子とか何でもないものも高価だし、正直、現代日本が如何にチートなのかが実感出来ますよ」


俺のその言葉にサブスケさんは更に笑い出した。


「ま、確かにそうだろうね。僕も中世異世界に行けと言われても、ペンタブ絵しか取り柄がないから生きて行ける自信はないし、それにいくら文句や不満があっても結局僕らは自身の世界を生きて行かなきゃいけないんだと思うよ」


その言葉には俺も同意であった。

結局、人間は今まで積み上げて来た”手札“で生きて行くことしか出来ないのが人生と言うものだろう。


「話しが逸れましたが、俺の側にティコが居るんですよ」



「ボクっ娘で甘いものに目がなくて、能天気で好奇心が強くて楽しそうにしているかと思えば退屈になると不機嫌になるし、厳しいことを言う割りには困っている人を見捨てなかったり……」


「サブスケさんの夢で観た百合原さんとよく似ていました……」


そう俺は何となくだが理解していた。

ティコが誰をモデルにしていたかを……


「ああ……君が思っている通りだよ。百合原は途中で抜けるのを気にしてスタッフロールに名前を入れるのを断ったんだ。だからスタッフロールの名前代わりに、百合原をモデルにティコの容姿と性格を似せたんだ。 完成したゲームを見て驚く百合原を期待してね……」


「あ!勿論あの”腐った“ところは反映させてなかったけど、そっちは大丈夫なのかい」


サブスケさんは心配そうに俺に聞いて来た。


俺は“腐った“ティコを想像してみる。


『トーヤ✖クロスティルいただきました。逆キャプもいいけどヘタレ攻めより美形の囁き攻めかな〜♪』


『おお!後ろを取った。トーヤがクロスティルに“気を注ぎ込む”のかな♪ボクも見ているぞ〜』



うわ〜こんなヒデえ腐女子は俺も初めてだ…… つか、ティコはそんなこと言わない。


「今のところそんな兆候はありませんよ」


でも気を付けないとな、アレは何が原因で目覚めるか分からないし……



「良かったらティコに伝えてあげてくれないか、百合原と言う人間が居たことを……彼女が生きた証がキミだと言うことを……」


―――――――薄れゆく声―――――――


―――――――それは目覚めの時―――――


俺は薄れゆく意識の中で必ず伝え様と思う


ティコの母親とも言って良い一人の女性の話しを……………







「おはようトーヤ、と言ってももう夕御飯の時間だよ」


目が覚めた俺の近くにティコが目覚めの挨拶をしてくれる。


俺の頭は寝起きでボーッとしているが、目覚めは悪くない。


「ああ……おはようティコ……」


言っている間に外の日が暮れ始め街に喧騒が広がって行く。

俺の行きつけの食堂も、既に夕食時の客がごった返しているだろう。


「少し出遅れたか……この時刻だと食堂の席を取るのも大変だし、奮発して今日は屋台の食べ物を買って豪勢にやろうか」


俺のその言葉にティコはにこやかに同意を示す。


「いいね♪それなら昨日の屋台で見たボット(カボチャ)のグラタンがいいな」


昨日ティコと見かけたもので、普通のグラタンの様にカボチャが入っているグラタンじゃなくて、小ぶりのカボチャを容器にして丸ごと食べられるのが、特徴のものだ。


ちなみにトーヤの故郷のウインシニアで特別な日に食べるご馳走だ。


「ならそれにしようか、確か惣菜広場にあったな」


俺は夕食時に屋台を列ねる、別称《惣菜広場》の名前を言う。


「うん。そこの串焼き屋のおっちゃんの隣りの屋台だよ」


俺とティコは連れ立って夕食調達の為に表にでる。


「寒いな……」


まだ春には早い時期だ。冷たい風が撫でる様に吹く。

空は澄んでおり、幾つかの星が輝いて見える。


「ねぇ♪はやくはやく♪」


ティコの急かす上機嫌な声が聞こえ、俺は昔日、両親と外食に行った時を思い出した。


(確か俺もこんな感じに両親を急かしたな)



―――――ところでどんな夢を観たの


―――――ああ驚きの夢だったよ


―――――へ〜どんな夢、聞かせてよ


―――――では、これに始まるは一つの作品を創る為に 集まった人達の物語〜



この話がティコにとって、どう捉えるかは俺には解らない。

でも、この娘のこれからの長い時間に何かしらの助けになることを信じよう。


では語ろう、ティコのルーツ……母と言って良い人の物語を…………








「えーと確かこの箱だったかな」


朝に目覚めたサブスケは、朝食もそこそこに自宅の近所にあるトランクルームに来ていた。


目的はここにしまってあるゲームを取りに来たのだ。


(何であのゲームを蓋する様なことをしたのかな……)


罪悪感から自分を守る為に過去に蓋をした自分、それは元凶とも言えるゲームを封印し全てを忘れようとした浅はかな過ちだった。


(結局そんなことしても逃げ切れるものじゃないって、この年齢でやっと気付くっていうのも……遠回りしているな)


しかも夢で、この前友人になった人物に指摘されてようやくだ。


『人生は近道を歩む奴もいれば、遠回りしている奴もいる。道を踏み外さなければ、いつかいいことがあるさ』


『ま、ゲームでもやってリラックスしな』


昔、親友にそう言われたことを思い出していると目的のゲームを見つける。


あの頃と何も変わらない無駄に大きなえろげパッケージで、【ガーネット・オブ・メモリアル】と書かれていた。


「よし!元制作陣の1人として頑張って攻略してやるぞ!」


意気込むサブスケであったが、ガネメモをプレイするにはOS950が必要と後になって気付き、OSのディスクを探してまたこのトランクルームを探索したのはまた別の話しである。


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