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④平成のお岩さん

チチチ…

チュンチュン…

小鳥のさえずりでお岩が再び目覚めた所は、公園のベンチの上でした。

《眩しい…。》

木漏れ日がさし、空は抜けるような青空です。お岩の横を犬を連れたお年寄りが通りかかりました。

犬はお岩に気づくと、

「う~っ」と唸り、激しく吠えました。

「あら嫌だわ。そんなに吠えないで。」

お岩がにっこり笑って、頭を撫でようと手を伸ばすと、犬は頭を低くして後ずさりします。

「こら! タロウ。何やっているんだ! もう行くぞ!」

お爺さんに言われ犬は行ってしまいました。

《ここは何処だろう。》

お爺さんと犬の後ろ姿を見送りながらお岩は思うのでした。

キョロキョロ当たりを見回しながらお岩は首を傾げました。

《おかしい…。確か農家の縁側で昼寝をしていたはず。

なのに…どうして私ったらこんな所にいるんだろう…

夢を見ているのかな~。

長い長い夢を…。

私、どうしちゃったんだろう…

そう言えば、髪型も着ている物も風景も

…違っている。

ひょっとしたら…

未来というところに来ているのかもしれない。

いや、きっとそうに違いない。これまでに起こった事を思い返すと、未来に来たとしか思えない。

私がいた江戸時代よりも、ずっとずっと後の日本に来ているような気がする。

もしそうなら、どうしてそんな事になっちゃったんだろう。

キツネかタヌキに化かされたのか…。でもキツネにもタヌキにも会っていないし…。

お岩は、早朝の都会にある公園を歩きながら考えました。




 川面を眺めていると、何故か癒された気持ちになります。爽やかな風も吹き、清々しい笑顔でお岩は散歩を続けます。

時折船が通るのですが、そのたびにお岩は、子供みたいに歓声を上げて喜んでいます。

「わぁ~、早い・」

小さな小舟しか見た事の無いお岩には、そんなものすらが新鮮であり驚きなのです。

 道路と川の間の歩道を歩くお岩は、車を見ては驚き、ビルを見ては驚き、感激と興奮の連続でした。

《しかし、未来の世界は凄いな~。あんな鉄の固まりが走っているんだもの。 

あれにぶつかったらひとたまりも無いよね。》

 ブツブツ言いながらお岩は1時間程も散歩していました。

《バジャン》

 後ろの方で音がしました。

《…ん?》

何の音だろうと振り向いた瞬間…

「キャー・

誰か助けて~・ 

タケル~・」

女性が泣き叫んでいます。 

見ると、幼児が川の中でもがいています。

お岩は迷わず川の中へ飛び込みました。

しかし、飛び込んだ瞬間、自分が泳げないことを思い出しました。

《私、泳げなかったんだ・ 。でも今はそんな事言ってられない。助けなきゃ・》

 必死の思いで幼児を助けることが出来ました。

 その場には大勢の人が集まっていましたが、皆一様に唖然とし、首を傾げるのでした。

 そうなのです。人々にはお岩が見えません。溺れかけていた幼児が、突然泳いで川岸まで来たように見えたのです。

 ポカンとしていた人達も、子供が無事助かった事を心から喜び、拍手して喜んでくれました。

 お岩は再び歩き始めました。泳げないと思っていたけど、いつの間にか泳げるようになったんだと頷きながら…。

 いつまでもあそこにいると、皆からお礼を言われるから照れくさいものね。




 しばらく歩いていると、大きな交差点に来ました。

《うわっ、鉄の乗り物がいっぱい・》

 驚くお岩の目が一点で釘付けになりました。あの子達何やってんだろう…。

 お岩は女子高生の後ろから覗き込みました。

「何? あのピコピコなるやつは…?」

注意深くして見ていると、たくさんの若者が楽しそうにピコピコやっています。

好奇心旺盛なお岩はしばらく観察することにしました。

携帯でメールを打っているだけなのですが、江戸時代のお岩には不思議でたまりません。

字のようなものが画面に出てきますが、横書きの文字はお岩には読めません。

《…?…》

首を傾げながら更に観察していると、突然若者が大きな声でしゃべり出しました。

「ああ、さとし? 

俺だけど、わりぃけど少し遅れるわ。寝坊しちゃって…。ウン…ゴメン。」

《あ~、ビックリ・したぁ~。突然しゃべり出すんだものビックリするじゃないの・・。

誰に向かって話してるのよ。どう見たって近くに友達いなそうだし…。

これも未来の機械なんだね。この機械が有れば、離れている人とも話が出来るんだね。

未来の人っていいな。こんなの誰が考えたんだろう…。相当頭の良い人が考えたんだろうね。

 さて…と、私は人混みはあまり好きじゃないから、もう少し静かな所へ行こうかな。》




 大通りから横路に入ると、車も人もそんなに多くはなくマンションやアパートなどが立ち並ぶ住宅街です。

緑の木々が生い茂る公園では、子供達が楽しそうに遊んでいます。子供達の側では母親同士がおしゃべりの花を咲かせていました。

 お岩は公園を見た後、何気なく前を見て《あっ・・》と叫びました。

1台のトラックが走って来たのですが、そこへ3才位の幼児が飛び出してきました。

「キャー・・」

母親らしい女性が悲鳴をあげました。

トラックの運転手は居眠り運転をしていました。慌てて急ブレーキを踏みましたが、トラックが止まった位置は子供が飛び出した所より5m も先でした。

 トラックの運転をしていたのは髭面の中年の男でしたが、慌てて車から飛び出すと、動揺しながら子供の姿を探しました。トラックの下を覗き込み、続いてトラックの前と後ろも見ましたがどこにも子供の姿は見当たりません。

 男はどうして良いか分からずオロオロしながら、泣き叫ぶ母親の所へ行くと、土下座して謝罪した後、子供がどこにもいないことを伝えました。

急ブレーキの音を聞いてたくさんの人が集まって来ました。

「どうしたんだ・」

「交通事故か・」

「ケガ人はどこだ・誰か早く救急車を…」

人々がざわざわしている所へ、

「ママ…」

子供がトラックの後ろから出て来ました。




母親は目を大きく見開き、信じられないという表情をして、はっと我に返ると我が子を抱きしめました。

「しょ…しょうたぁ~。ごめんね~。ごめんね~。ケガは無かった? 良かった~。本当に…良かったぁ~」

泣きながら我が子を抱きしめる母親を見て、周りにいた人達も安心して帰って行きました。

 ただ一人トラックの運転手だけがしきりに首を傾げていました。

普通なら…。

あのスピードで走っていて、直前で子供を発見したんだから…即死だ・

何故だ…?

何故この子はかすり傷一つ無いんだ。信じられない。

神様か仏様のお力に違いない・。

これからはもっと真面目に働こう。 

夕べは仕事をした後、疲れていたからすぐ寝ようと思っていたのに、友達に誘われて断れずに夜中まで酒を飲んでしまったのでした。

 車は時には人の命を奪ってしまうことがある乗り物だ。人を死なせてしまった後、どんなに後悔しても始まらないのだ。

頭では分かっているつもりだけど、こうして30年も車を運転しているとマンネリになって大丈夫、大丈夫っていう油断の気持ちが出てくる。

今回の事は奇跡的に人身事故にはならなかったけど、初心に返って安全運転を心がけようと肝に銘じました。

 男は母親に深々と頭を下げると帰って行きました。




母と子は公園のベンチに座っていました。

「無事で良かった。ママ、翔太が死んじゃったと思って悲しかったわ。本当に良かった…」

 母親はそう言うと我が子を抱きしめました。

「お姉ちゃんが助けてくれたんだよ。」 

翔太はにこにこしながら言いました。

「お姉ちゃん?」

「うん、お姉ちゃんが危ないって言って僕の事助けてくれたんだ。

だけどね…有難うって言おうとした時にはもういなかったの。」

「それ、ホントなの? お礼を言わなきゃ」

「ママ…お姉ちゃんは、もういないよ。」

 本当はお岩は親子のすぐ側にいました。そして、その会話を笑顔で聞いていました。

《翔太バイバイ》

そう言うと、お岩はその場を去っていきました。

「えっ、」

翔太はお岩の声がする方を見ました。

「どうしたの?」

ママが心配そうに翔太の顔を覗き込みました。

「今、お姉ちゃんがバイバイって…。」

「どこ? どこ?」

ママはキョロキョロ周りを探しています。

《なんか人助けするのって気分いい。でも、お礼なんか言われたりするのって照れちゃうんだよね。》

お岩は歩き出しました。

いつの間にか、あたりはすっかり夕焼け空になっていました。

《綺麗な夕焼け…》

 お岩はうっとりして沈む夕日を眺めました。

《今日も1日終わったか~。これからどうしよう。

まだ、未来の夜は見た事無いから見てみたいわ。

 いつも明るいうちに眠たくなっていたから。何故か今日は眠たくならなくて良かったわ》




 薄暗くなり街頭が点く頃になると、背広を着たサラリーマンなどが赤のれんのある店に入って行きます。

 

《しっかし…この時代の男性は何て窮屈なものを着ているんだろう。着物の方がずっと楽なのに…。

しかも首に紐まで巻き付けて。同情しちゃうわ。》

 店の中からは楽しげな笑い声が聞こえます。

《何か楽しそう…。私も覗いて見よう》

 小さな店内に入ると、まずカウンターがあり奥の方にも小さなテーブルが2つありました。

 奥のテーブルには既に客が座っていて、空いていたのはカウンターの真ん中の席だけで、頭の禿げた50才位のオジサンと白髪頭の60才位のオジサンの間だけです。

 

《オジサン達の間かぁ~。どうせなら若い殿方の方がいいんだけど…。 

まっ、いいか。》

 お岩は椅子に座ると、忙しく働く店員に声をかけました。

「お兄さん、私にも日本酒下さいな。」

 すると店員は、キョロキョロと周りを探すそぶりをしていましたが、首を傾げまた陽気に客に話しかけていました。

「お兄さん、あのう~お酒は? さっきから何度も注文しているのに…。何で気づいてくれないのよ…」

 お岩は怒って店を出てしまいました。

 しかし何軒行っても、同じようにどこの店でも無視されるので、仕方なくお酒を飲むのは諦めて歩き出しました。

 近くに公園があったので、ここで休むことにしました。

ギーコ、ギーコ

「あ~面白いわ、この乗り物。そう言えば昼間子供が楽しそうに遊んでいたっけ」

 お岩はブランコが気に入りました。

ギーコ、ギーコ

 その頃、公園を通りかかったカップルがいました。

「ねえ、この公園気味が悪いわ。だって、誰もいないのにブランコが揺れてるのよ。」

「確かに…。今日は風も無いのに、何だか気持ち悪いな」

 そんな会話はお岩には聞こえません。お岩はブランコが面白くてグングンこいでいました。

 遊び疲れたお岩がブランコから降りてぶらぶら歩いていると、近くにベンチが見えました。  

《あそこで休もう》




 ベンチに腰をおろそうとすると、50才代半ば位の男性が酔いつぶれて眠っていました。

 ベンチの周りには焼酎やら酎ハイやらが散乱しています。

「オジサン風邪引くわよ。早く家に帰んなきゃ…」

 お岩はオジサンの体を揺すりましたが起きる気配はありません。

《しょうがないな》

お岩は放っておくことにしました。

 すると、突然オジサンがガバッと起きたかと思うと、お岩の方を見て、

「お前ブスだなぁ~。」

と言って、またグーグー眠ってしまいました。

《ブスってブサイクって事? 失礼な…。私は村でも評判な美人なのよ》

 お岩は娘の頃、何人かの男性から恋文を貰ったことを思い出しました。

 でも、何軒か回った店で誰からも無視され続けていたお岩は、

《まあ、いいか。》

と呟きました。

 少なくともこのオジサンは、私の存在を無視はしなかったんだから…。

 どうせどこにも行く所なんて無いし、しばらく、このオジサンの側にいてあげよう。

 しばらくすると、オジサンがブツブツ寝言を言い出しました。

「この年まで…ヒック…会社の為に、必死で働いてきたのによう…ヒック。

リストラされちまって…母ちゃんに何て言えばいいんだよう~」

 オジサンは何度も繰り返して言ったので、江戸時代のお岩にも、会社がクビになって家に帰るに帰れないでいることが分かりました。

「オジサン、今は辛いかもしれないけど、生きていればやり直しも出来るんだから頑張ってよ」

 するとオジサンはヨタヨタしながら立ち上がると、

「姉ちゃん良いこと言うねえ。ありがとよ。あんたから元気貰ったよ。」

 それだけ言うと、また草の上にバタッと崩れるように倒れ込んでしまいました。

「オジサン。オジサン大丈夫?」

心配になってオジサンの体をゆすると、グーグー眠っています。

《なんか憎めないオジサンだな。》

 お岩は寝ているオジサンの隣に座ると話し始めました。




 ベンチに腰をおろそうとすると、50才代半ば位の男性が酔いつぶれて眠っていました。

 ベンチの周りには焼酎やら酎ハイやらが散乱しています。

「オジサン風邪引くわよ。早く家に帰んなきゃ…」

 お岩はオジサンの体を揺すりましたが起きる気配はありません。

《しょうがないな》

お岩は放っておくことにしました。

 すると、突然オジサンがガバッと起きたかと思うと、お岩の方を見て、

「お前ブスだなぁ~。」

と言って、またグーグー眠ってしまいました。

《ブスってブサイクって事? 失礼な…。私は村でも評判な美人なのよ》

 お岩は娘の頃、何人かの男性から恋文を貰ったことを思い出しました。

 でも、何軒か回った店で誰からも無視され続けていたお岩は、

《まあ、いいか。》

と呟きました。

 少なくともこのオジサンは、私の存在を無視はしなかったんだから…。

 どうせどこにも行く所なんて無いし、しばらく、このオジサンの側にいてあげよう。

 しばらくすると、オジサンがブツブツ寝言を言い出しました。

「この年まで…ヒック…会社の為に、必死で働いてきたのによう…ヒック。

リストラされちまって…母ちゃんに何て言えばいいんだよう~」

 オジサンは何度も繰り返して言ったので、江戸時代のお岩にも、会社がクビになって家に帰るに帰れないでいることが分かりました。

「オジサン、今は辛いかもしれないけど、生きていればやり直しも出来るんだから頑張ってよ」

 するとオジサンはヨタヨタしながら立ち上がると、

「姉ちゃん良いこと言うねえ。ありがとよ。あんたから元気貰ったよ。」

 それだけ言うと、また草の上にバタッと崩れるように倒れ込んでしまいました。

「オジサン。オジサン大丈夫?」

心配になってオジサンの体をゆすると、グーグー眠っています。

《なんか憎めないオジサンだな。》

 お岩は寝ているオジサンの隣に座ると話し始めました。




「オジサン元気出してね。そのうち良いこともあるわよ。

死んでしまったら…全て…終わりだもの。」

「何か…あったのか?」

 いつのまに目を覚ましたのか、オジサンが言いました。

「オジサン聞いてくれる?

戦争中に好きになった人がいたんだけど、戦死しちゃったの…」

「そうだったのかぁ~。姉ちゃんも苦労したんだなぁ~。

俺なんざ、生きてるだけでも…幸せってもんだよな…。

姉ちゃん有難うね。あんた優しい人だよ。

死んだ男の事は早く忘れて、いい男見つけるんだよ。…ヒック…。

俺に惚れても駄目だぜ。俺には愛する母ちゃんがいるからな」

「うん、オジサン有難う。」

「じゃあ…元気でな。」

 オジサンは手を振るとヨタヨタ歩き始めた…と思ったら突然戻って来てお岩の顔を見ると、

「あんたいい人だけど、ブスだね~」

陽気に笑いながら行ってしまいました。

《もう人の事ブスブスって、失礼しちゃうわ。でも、どこか憎めないオジサンだったな…」

 お岩は、真夜中の誰もいない公園のベンチに座り、ふと空を見上げました。

 戦死した武さんは、今でも私の事を待っているのかな?

 それにしても…本当は、あれから随分時間が経っているのかもしれないな~。

 戦死した武さんも同じ日本人なのに、ここは戦争の跡形も無いし、あまりにも平和だもの。

 本当はあの後に、長い年月が経っていたはずなのよ。

 でもその間、私は何をしていたのかしら?

ずっと眠っていた?

そんな何十年も眠り続けるなんて有り得ないわ。

でも、それなら何故?

お岩は自問自答しました。

分からないわ。

その間何をしていたのか思い出せないわ。

戦地に行ったり、のどかな田舎へ行ったり、そして今は未来の大都会にいる

その事は分かっているけど、それだって長い長い夢を見続けているだけかもしれないし…。

少し夜風の中を歩いていたら思い出すかもしれない。お岩は散歩する事にしました。




柳の枝が風に揺れています。赤提灯の灯りに照らされているのを見ながらお岩は綺麗だなぁ~と思いました。

すると、突然

「キャーッ・・」

女性が悲鳴をあげました。

「どうしたんだ・」

「何があったんだ・」

 何人かの人が集まって来ました。それらの人達に支えられるようにしながら、女性は恐怖に怯えながらお岩を指差しています。

 お岩は何事かと振り向きましたが、お岩の後ろには何もありません。

 しばらくすると、そこにいた全員が、恐怖におののいた顔をして叫びました。

「出た~・」

「幽霊だ・」

「ば…化け物だ・」

皆が一目散に逃げ出しました。あまりの恐怖に腰を抜かした女性が四つん這いになって、怯えながら歩いていました。

「幽霊って…?

私が…幽霊なの?」

 お岩はあまりのショックに立っているのがやっとでした。

 そして、ガラス窓に映し出された自分の姿を見て気絶しそうになりました。

 世にも恐ろしい顔をしていたのです。右半分が焼けただれ醜く腫れ上がっていました。

 泣きながらガラス窓の中に映し出された顔を見ていると、通りかかった人達が悲鳴をあげながら逃げて行きます。

 私は皆と友達になりたいだけなのに、皆は怖がって逃げて行く…。

 もう、ここにはいられない。お岩はフラフラする足取りで、人のいない方へいない方へと歩き続けるのでした。

 歩きながらお岩の記憶が少しずつ蘇っていきました。

 子供の頃はとても幸せだったこと。お正月には妹のお袖とはねつきをしたりして遊んだこと。

 娘時代には近所でも評判の美人で多くの男性から恋文を貰ったりしたこと。それらの中でも一番情熱的な恋文を書いたのが伊右衛門で、しかも彼は男前だったためお岩も恋に落ちて夫婦になったことを思い出しました。

 そして、私達は幸せに暮らしていたはずだわ。その後どうなったかが思い出せない。思い出そうとすると、頭が割れるように痛くなってしまう。



 いつしかお岩は林の中を歩いていました。そして、切り株に腰をおろすと頭を抱え込みました。

「キャーッ、助けて・」

突然暗がりの中で悲鳴が聞こえました。

「頼む、俺の幸せの為に死んでくれ。お前さえいなくなれば俺は響香と幸せになれるんだ。」

 逃げ惑う女性を見て、お岩は全ての記憶を取り戻しました。

 昔、愛する夫から似たような言葉を突きつけられた事を思い出したのです。毒を盛られてこの様な顔になってしまったことも…。

 あの女性を助けなければ…。でも、私の顔を見て、彼女が腰を抜かしてしまったら…。

 お岩はどうして良いか分からずに木の影から2人の様子を見ることしか出来ませんでした。

 このままでは彼女は男に殺されてしまう。いくら月明かりがあるとは言え、夜中にこんな林の中に誰かが助けに来るとは考えられません。

時間がない・

神様お助け下さい。お岩は必死で祈りました。

その時何者かが現れました。そして、

「早く逃げて・」

女性に叫びました。

「有難うございます。」

女性は頭を下げると、一目散に逃げて行きました。

何者かが男を後ろから抑えつけていたのです。

「逃げられたか」男は舌打ちし、振り返って自分を押さえつけていた男性の顔を見ると、

「か…勘弁して許し下さい。も…もう彼女を襲ったりし…しません。ほ…本当です。誓います。…だから命だけは…お助け…く…下さい。」

男は悲鳴をあげて逃げて行きました。

 そして、女性を助けた男性がこちらに歩いて来ました。お岩はドキドキしました。

「いったい、いつまで待たせる気だい。」

「えっ、

この声…それはまさしく、ずっとお岩が会いたいと待ちこがれていた武の声でした。嬉しくて嬉しくて、どうして良いか分からないお岩は、ただただ泣くばかりでした。

 ひとしきり泣いた後で改めて武を見たお岩は目を大きく見開いて驚きました。




 戦地で見た武は、泥だらけで汗臭かったし、体も顔も血だらけだったのに、めの前に立っている武は、清潔でお洒落な服を着こなし、端正な顔立ちに微笑みを浮かべていたのでした。

「どうして武さんがここに…?」

「お岩さんを迎えに来たんだよ。いつまで待っても来ないんだもの。67年間も待たされるとは思わなかったよ。」

「私の顔…こんなに醜いけど平気なの?」

「僕はお岩さんの心が好きになったんだから、外見は関係ないよ。」

 武はそう言った後に、心の中で呟きました。

《正直言うと、最初はビックリしたけどね。》

「お岩さんも既に気づいていると思うけど…。」

「本当は私、ずっと前に死んでいたのね。」

「そう…、僕が生まれるずっと前の…恐らく江戸時代じゃないかと思う。

お岩さん髷をゆっているものね。

だから僕達は、どちらにしても生きて出会うことは無かったんだよ。」

「そうね。

ところで、さっき女の人を襲ってた人があなたを見て怯えていたけど…。」

「ハハハ…。あれは女の人が逃げ出した後、戦争中の血だらけの姿になってみせたのさ。そうしたら怯えて、もう2度と彼女を襲ったりしないと約束したよ。もし約束を破ったらまた何度でも出てくるからね…と脅しておいたからもう大丈夫。」

「そういうわけだったのね。確かに戦地での姿で突然現れたら、ビックリするわね。」

お岩はクスッと笑いました。そして、

「私ずっと1人ぼっちで寂しかったわ。」

と呟きました。

「今からあの世に行って幸せに暮らそう。」

「私、武さんのいいお嫁さんになるわ。」

「僕もお岩さんを大切にするよ。…それからね、あの世に行ったら良いことがあるんだ。」

「良いこと?」

「うん、あの世では昔の美しい姿で永遠に暮らすことが出来るんだよ。」

「そう言えば武さんも、見違えるほどになっているものね。」

 今2人はあの世で幸せに暮らしているようです。ただ、お岩が美しい姿に戻った為、武は気が気ではないようです。

 どんなにたくさんの男達に言い寄られても、お岩は武以外の男性には全く興味はなく、献身的に尽くしているそうです。

 あの世の誰もが羨む仲の良い夫婦だという風の噂です。




 2人はあの世…つまり天国で暮らしていますが、どんな暮らしをしているのでしょう。

 そこには地球にある全てのものがあります。遊園地、映画館、美術館、デパート…。あえて言えば無いものは病院くらい(笑)。既に死んでいる人たちなので必要ありませんからね。

 住まいは戸建て、マンションなど希望する所を選べ、武とお岩は100階建てのマンションの最上階に住んでいます。

 とっても眺めが良いので2人ともお気に入りです。

 科学者などの特別な能力のある人は、さらに能力の向上を目指すべく勉強を続けているので、科学は地球よりも進んでいるのです。

 地球ではまだ開発されていない家電製品などもあり、誰もが自由に使うことが出来ます。

 ただ生まれ変わって行く時には、全ての記憶が失われてしまうのですが…。

「綺麗な夕焼けね。」

 ベランダから沈む夕日を眺めながらお岩が言いました。お岩は髷を解いて今はサラサラのストレートヘアーです。当然着ている物もオシャレなゆったりめのピンクのワンピースです。

「本当に綺麗だね。」

 武もお岩の隣で頷きました。そんな武も今時の若者のヘアースタイルで、ファッションもオシャレにキメテいます。

「ねえ、お岩さん。ワインでも飲まない?」

 リビングに行くと、テーブルの上にはワインに合うつまみが体裁良く並べられていました。

 武はコップにワインを注ぐと2人で乾杯しました。

「あ~美味しい。」 

 満足そうにワインを飲むお岩を武は笑顔で見つめます。2人はいつも楽しくおしゃべりしながら夕べのひとときを過ごします。

「いいものを見せてあげる。」

 武がリビングにある等身大のテレビのスイッチをつけました。そして、リモコンを操作して旅番組を録画したものを画面に出しました。

 何せ等身大ですから迫力があります。すっかり魅了されているお岩に武が言いました。




「この中でお岩さんが行きたいと思う所へ新婚旅行に行こう!」

「しんこんりょこう…って何?」

「結婚したばかりの夫婦が行く旅行のことだよ。」

「どこも素晴らしいから、1つになんて決められないわ。」

「それじゃ、世界一周しようか? 時間はタップリあるからね。まずはどこに行きたい?」

「そうね。まずは日本一高い富士山を見たいわ。」

「よし、それじゃ今からちょっと行って来よう。」

「今から?」

「そう、今から…。おいで」

 武はお岩の手を握ると、テレビの中に入っていきました。そして驚いているお岩もいつの間にかテレビの中に…。

そして、テレビから抜け出た瞬間、目の前には富士山がありました。裾野が長く続いていて、素晴らしい眺めです。

「わぁ~、これが富士山…なのね。綺麗だわ~。日本一高くて日本一美しい山ね。」 

「時差があるからまだ明るいけど、もう少しで夕焼け空も見られるよ。これがまた綺麗なんだ。ちょっと頂上へ行ってみよう!」

 頷くお岩の手を握ると瞬間移動で富士山の頂上に到着しました。

「わぁ~、いい眺め。雲の上に浮かんでいる感じね。」

 幻想的な美しさにお岩はウットリしています。

「いい眺めだろ。もう少ししたら雲が移動するからもっと素晴らしい眺めになるよ。」

 武の言う通り雲が動いて遠くの山々が見えました。

「すごい絶景ね。」

「望遠鏡を使うと、もっとよく見えるよ。このツマミを回すと倍率が上がるから…。最大1000倍まで拡大できるからね」

 武はお岩に操作方法を教えました。   

「うわ~っ、見える見える。凄いわ。遠くの山がすぐ近くに見えるわ。」

「さあ、今度は富士山の麓に降りて、近くの町や村なんかも見学しない?」

「見てみたいわ。」

「まだ夕焼け空になるまで少し時間があるからね。、少し空の散歩をしよう」

 2人は鳥のように天女が舞うように空中遊泳を楽しみました。

 湖の湖面ギリギリの所を滑るように飛んだり、小高い丘の上から人々の生活を眺めて楽しみました。




 

それから再び富士山の夕焼けが一番美しく見える所まで来ました。

 2人並んで、茜色に染まった富士山をしばらく眺めていました。

 お岩はあまりの美しさに声も出ないほど感動し、ぼう然と立ち尽くしていました。

「さっ、家へ帰ろうか。」

 2人は等身大のテレビに入って行くと、自宅のリビングに入って行きました。

 お岩はソファに座ってからも興奮がおさまらないようです。

「さて…と、次は日本酒にする?」

 武がコップに日本酒を注ぐと、お岩は美味しそうに飲みました。

「あ~美味しい。私は昔の人間だから、日本酒の方が良いかも…」

 そう言うお岩はほんのり桜色で、増々美しさが際立ってきます。武はそんなお岩とこれからもずっと仲良く暮らしていけることを幸せに思うのでした。

 本来なら出会うはずのない2人でした。神様か仏様のお力に違いないと武は思うのでした。

 その後2人が世界中を旅して歩いたのはいうまでもありません。

終わり




 これで、『優しいお岩さん』の連載は一応終わりですが、お岩さんについて誤解されている方が多いと思われますので、本当のお岩さんについて掲載しようと思います。

 いわゆる怪談としてのお岩さんは、創作されたものであり、本当のお岩さんは怪談の内容とは全く関係ありません。

 今回私は、東京の『小岩稲荷』にお詣りに行って来ました。

 最後にその時の資料を掲載したいと思います。

 私の作品は読まなくても構わないのですが、あとがきだけでも是非とも読んで欲しいです。

 鶴谷南北によって歪められたお岩さんの過去を思うと、私は気の毒でなりません




 この神社の「於岩」というのは「お岩」という江戸時代の初期、江戸の四谷左門町で健気な一生を送った女性のことである。

 その女性の美徳を祀っているのが、この神社である。ところが、その「お岩さん」の死後200年近く経ってから、図らずも芝居の主人公になった。『四谷怪談』である。

 しかも福を招き、商売繁盛のご利益があり、芸能の成功、興行の成功にはことさら霊験あらたか。

 さらに最近では交通安全、入学試験にも功徳がある、という。

 怨念と「お岩」さんの関係は、いったいどうなっているのか。




 脚色された於岩 第一幕。

時は江戸初期。所は四谷左門町の武家屋敷の一角。

 

お岩は徳川家の御家人の田宮又左右衛門の娘で、夫の田宮伊右衛門とは人も羨む仲のいい夫婦だった。

 ところが、三〇俵三人扶持というから、年の俵給は一六石足らず。台所はいつも火の車だった。

 そこでお岩夫婦は家計を支えるため商家に奉公に出た。お岩が日頃から田宮家の庭にある屋敷社やしきがみを信仰していたおかげで、夫婦の蓄えも増え、田宮家はかつての盛んな時代に戻ることができた。

 お岩稲荷 信仰のおかげで田宮家は復活した。

という話はたちまち評判になった。そして、近隣の人々はお岩の幸福にあやかろうとして、屋敷社を『お岩稲荷』と呼んで信仰するようになった。

 評判が高くなるにつれ、田宮家でも屋敷社のかたわらに小さな祠を造り、『お岩稲荷』と名付けて家中の者も信仰するようになった。

 そればかりではなく、毎日のように参拝に来る人々の要望を断りきれず、とうとう参拝も許可することになった。

 それからは『於岩稲荷』 『大厳稲荷』 『四谷稲荷』 『左門町稲荷』などといろいろに呼ばれたが、家内安全、無病息災、商売繁盛、開運、さらに悪事や災難除けの神として、ますます江戸の人気を集めるようになった。

 お岩という女性に怨念のかけらもない。




第二幕 時は、江戸後期。所は歌舞伎の作者、鶴谷南北の部屋。

 鶴谷南北はかねてから、『於岩稲荷』のことを聞いていた。

 お岩という女性が死んでからもう二百年がたっている。それなのに今でも江戸で根強い人気があることに注目した。

 人気のある『お岩』という名前を使って歌舞伎にすれば、大当たり間違いない、と見当をつけた南北は台本書きに入った。




 お岩があんな善人では面白くない。刺激の強い江戸の人間を呼ぶにはどぎついまでの脚色が必要だ。

 南北は『お岩稲荷』からは『お岩』の名前だけを拝借して、江戸で評判になったいろいろな事件を組み込んだ。

 密通のため戸板に釘付けされた男女の死体が神田川に浮かんだことがある。

よし、これを使おう。

 主人殺しの罪で処刑された事件もあった。あれも使える。

 姦通の相手にはめられて殺された俳優がいた。それも入れよう。

 四谷左門町の田宮家には怨念がいたことにしよう。

 江戸の人間なら、だれでも記憶にある事件を作家の空想力で操り、脚本はできた。

 しかし、四谷が舞台では露骨すぎる。『お岩』の名前だけ借りれば十分だ。南北が付けた題名は『東海道四谷怪談』。四谷の於岩稲荷の事実とは無関係な創作であることを示すことにした。

 天才的な劇作家が虚実取り混ぜて創作したのが、お岩の怨念劇だった。




第三幕 時は、文政8年(1825)。江戸文化が最も華やかで、文化爛熟といわれた時代。

 寛政から始まった幽霊物の読み本が最盛期を迎えていた。

 果たせるかな、歌舞伎は大当たりした。

 お岩は三代目尾上菊五郎、伊右衛門は七代目市川団十郎の『東海道四谷怪談』は江戸中の話題をさらい、以来、お岩の役は尾上家の『お家芸』になったほどだった。

 歌舞伎がますます於岩稲荷』の人気を煽った。あまりの人気ぶりに幕府も当惑し、四谷塩町の名主・茂八郎に命じて、町内の様子や出来事をまとめさせ、奉行に提出させている。歌舞伎の初演から二年目の事だった。




第四幕 時は、その後。所は四谷左門町の於岩稲荷神社。

 この歌舞伎の影響力は大きかった。

 最初は出演した役者がもっぱら参拝していた。そのうち上演前に参拝しないと役者が病気になる、事故が起こるといった話にまで発展するようになった。

 祟りがある、という声もあったが、事故の原因はほかにあった。なにしろ怪談である。トリックを凝り、道具だても複雑になり、多くなる。おまけに怪談だから、どうしても照明は暗い。また天井からの吊し物も多い。そんな中で芝居することになるので怪我が多かった、ということだろう。

 それが怪我にからめて『祟り』と結びついたのである。




第五幕 時は、明治以降。所は中央区新川。

『東海道四谷怪談』を手掛けては天下一品といわれた市川左団次から、『四谷まで毎度出かけていくのでは遠すぎる。是非とも新富座などの芝居小屋のそばに移転して欲しい』という要望もあり、明治12年(1879)の四谷左門町の火事で社殿が消失したのを機会に、隅田川の畔にあった田宮家の敷地内に移転した。それが現在の中央区新川にある於岩稲荷神社で、四谷の稲荷神社とまったく同体の神社だ。

 その新川の社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失したが、戦後、四谷の稲荷神社ともども復活して、現在は二つの稲荷神社がある。




『優しいお岩さん』を応援頂き有難うございました。

たくさんの人達に応援頂いたお陰で、楽しく創作を続けることができました。

 私はこの作品に何か《運命的なもの》を感じます。

 連載を始めしばらくたった頃、ファンの方から

「一応お岩さんのお墓参りをした方が良いよ。映画や舞台で四谷怪談を演じる時も必ず初演前にお墓参りしているようだから…。」

と、言われ出掛けて行きました。ネットで調べた限りでは、四谷怪談は鶴屋南北の創作であり、実在のお岩さんの人生は幸せであったとありました。

 ですからお岩さんの創作小説を書いたからといって、呪いとか祟りなどがあるわけがないとは思いましたが、万が一読者の方がケガをしたとか病気になったなどということがあるとお互いに嫌な思いをするし、好奇心旺盛の私は知らない所を歩くのも楽しいだろうと行って見ることにしました。

 今は行って良かったとつくづく思います。…と言うより、私が行く気が無いのでファンの人の力を借りて行くように導かれたようにも思うのです。

 というのは、本当は幸せだったお岩さんの人生を鶴屋南北によって醜く歪められてしまったわけです。

 そう…お岩さんの人生を呪いや恨みや祟りなどで塗り変えられてしまったのです。

 どんなに悔しい思いをしていることでしょう。

 私がこの創作をするということは、そんなお岩さんの名誉挽回というか、お岩さんの汚名を払拭する助けになるのではないかと思ったのです。

 この日は「お岩稲荷」を見た後激しい土砂降りになってしまい、巣鴨にあるお墓には行けませんでしたが、いずれ機会があったらお参りして来ようと思います。























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