6.志麻の家①
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志麻の家は、大通りから路地をいくつか入ったところにある。喧噪から離れた住宅街の一角に、ひっそりと佇んでいた。
「やっと着いた……」
志麻は安堵に胸をなで下ろした。あんぱん効果が失われる前に、我が家へ無事に辿り着くことができた。最悪の場合、この幼少の妖怪を背に負ぶって帰る羽目になるところだった。
「なかなかに良き家じゃのう!」
元気溌剌のてまりは、路地から家を見上げると目を輝かせた。
その横で、志麻は何の感慨もなく、久しぶりの我が家を見上げる。
「そう?ただ古いだけだけど?」
瓦屋根のどこにでもあるような二階建ての日本家屋は、そんなに眺めて面白いものでもないと、志麻は思う。
ぐるりと生け垣で囲まれた家は、屋敷というほど大きくもない。玄関扉までは飛び石が敷かれてはいるが、門扉もない比較的簡素な作りだ。
「そなた、分かっておらんのぅ」
素っ気ない志麻の反応に、てまりが嘆かわしや、と首を振った。
「古くともこのような良き香りは、そうそうありはせん」
「香り?」
満足げに腕を組んで頷くてまりの横で、志麻は首を捻った。
「匂いなんてしないけど?」
鼻から目一杯空気を吸い込んでみるが、近所の家から漂ってくる夕飯の匂いしか感じない。これは味噌汁の匂いだろうか。
そんな志麻を見て、てまりは人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ふっふっふ、これじゃから素人は」
「は?それ、どういう意味?」
てまりの仕草に思わずカチンと来る。
これでも妖保局に最年少で入局した身だ。そんじょそこらの人間よりは、色々な面で優れていると自負している。何に対しての素人発言か分からないが、何だか釈然としない志麻である。
ムッとする志麻とは対照的に、てまりは人差し指を立てて得意げに説明を始めた。
「良いか?愛を持って住まわれた、幸せが詰まった家というのはのぉ、それはそれは芳しい香りを放っておるものなんじゃよ!」
てまりはクンクン、と鼻をヒクつかせながら、飛び石を跳ねるように進んでいく。
「我ら、座敷童子はのぅ、こうやって香りを頼りに家を探すんじゃ。依り代とするならば、居心地の良き家が良いからのぅ」
玄関前にたどり着いたてまりは、幸せそうな顔で、扉に鼻を近づけ、思いっきり息を吸い込んだ。
「んん~、花とお日様の良き香り……間違いないのぉ。極上の家の香りがプンプンしおる」
てまりの言葉に、志麻の瞳がキラリと輝いた。
「座敷童子って嗅覚良いんだ……!」
新発見に、てまりに対する先程の苛立ちは消え去り、代わりにムクムクと湧き上がってくるのは、妖怪に対する探究心。
サッと懐から手帖とペンと取り出すと、てまりの元へと駆け寄った。
「その嗅覚ってさ、犬並みだったりするわけ?」
「犬ころと一緒にするでない!! 失敬な!!」
クワッとてまりに牙を向かれるが、別に怖くもなんともない。志麻はペンを構え、目をギラつかせながら、てまりに迫っていく。
「良い香りの基準って何なわけ? もしかして花の香り? ってことは、庭に花が生えてれば、座敷童子の住居基準を満たすってこと?」
「じ、実際の花というわけではなくての、家そのものが放つ香りという意味で、生えている植物は関係ない――」
「へぇ!じゃあ良い家だったら家自体から香ってくるってことか!」
志麻はてまりの言葉を一字一句、手帖に書き起こすと、鼻息荒く次の質問をする。
「じゃあさ、香りって花が基本なの? それとも、香の匂いとか色々種類あったりする?」
「な、なんじゃ急に?! そなた、目の色が変わっておらんか?!」
志麻の質問攻めに、てまりは若干身体を引いている。どうやら怖がられたようだ。
志麻はてまりから半歩、身を引くと、興奮を静めるために一つ咳払いする。
「座敷童子についての新事実が出てきたら、誰でもこうなると思うけど?」
「いやいや、絶対に普通ではあるまいよ!?」
「妖怪の普通と人間の普通は違うから」
警戒心丸出しのてまりを見下ろして、それに、と志麻は鼻で笑った。
「ここにはオレとてまりしかいないし、普通だろうが普通じゃなかろうが、オレにとってはどうでもいいし」
座敷童子の生態をつぶさに観察し、その生態を論文としてまとめる。そのためにてまりを引き受けたのだ。端からどう見られようが、成果が得られるならば構わない。
志麻はてまりを怖がらせないよう、にっこりと笑みを貼り付け、小首を傾げた。
「それで? 家の香りの種類、まだ教えてもらってないんだけど? 良いからさっさと答えなよ」
てまりはプルプルと肩を振るわせると、志麻にビシッと指を突き立てた。
「お、おぬし!それが人に物を訪ねる態度か!!」
「だって、てまり、人じゃないじゃん」
「そういうことを言うておるんじゃない! このひねくれ者めが!」
その言葉に、志麻も気色ばむ。
「はぁ? そっちこそ、素直に質問に答えたらどうなの? 家に住まわせてあげるんだから、少しは協力しなよ」
「わらわじゃって進んで来たわけじゃないわ、たわけ!!」
「何その言い方? オレだって、てまりがこんなにガキだって分かってたら、引き受けたりなんかしなかったし!」
「ガキ扱いするでない!!!」
二人の声が徐々に大きくなっていき、今にも掴み掛かりそうな時だった。
――ガラッ
「何やってんの?お前ら」
志麻の家の玄関の引き戸が、内側から勢いよく開かれた。
驚きに、志麻とてまりは硬直する。
「え、なんで?」
戸に半分もたれて二人を出迎えたのは、なぜか局長のヤスだった。
てまりは見知った顔だったからか、引きつった顔から一変、朗らかな笑顔をヤスに向けた。
「おぉ、ヤスではないか! さっきぶりじゃのう!」
「おぉ、てまりちゃん!無事に着いて良かったなぁ!」
ヤスが、よしよし、とてまりの頭を撫でると、てまりはどこか嬉しそうにはにかんだ。
(子ども扱いは嫌なんじゃないのさ?)
志麻は口をへの字に曲げて、ヤスを睨み上げた。
「っていうか、ヤス、なんでいるの?オレたちのが先に出たのに」
その言葉に、ヤスは怪訝そうに眉をひそめた。
「ばぁか、お前らが遅すぎんだよ。何やってたんだ?」
呆れ顔で言われ、志麻は静かにてまりを見た。
「……それはてまりに聞いてくれる?」
「な! わらわのせいだけではなかろう!?」
てまりが噛みついてくるが、華麗に聞き流し、志麻はそのまま湿度の高い目でヤスを見る。
「そもそもなんで家に入り込めてるわけ?」
志麻の言葉に、ヤスはキョトンと目を瞬かせると、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「何でってそりゃ、お前。この家の合鍵持ってるのに、外で待つなんて馬鹿らしいだろ?」
取り出した鍵を志麻の眼前に突きつける。
「え、合鍵……!?」
「お前が局に泊まり込んでる間、誰が家の管理してたと思ってんだ? ん?」
「うっ、それは……」
長らく家を放置すれば荒れ放題になるのは目に見えている。
ヤスは、志麻がいつ家に戻っても良いように、定期的に手入れに来てくれていたらしい。
(オレに断りもなく……)
志麻は複雑な思いでヤスを見る。
言い返せない志麻に、ヤスは感謝しろよ~、と、にやつき顔で言って、家の中を顎で示した。
「早く入れよ。お前ら、なかなか帰ってこねぇんだもん。先に飯食っちまおうかと思ったぜ」
「何!? それはいかんっ!!」
飯という単語に反応したてまりの口から一筋の雫か垂れる。
「志麻! 早くせんとおぬしの分も食べてしまうぞ!!」
てまりはヤスの横をすり抜けて、慌ただしく家の中に入っていった。
「飯じゃ飯じゃ~!!」
「さっきのあんぱんでお腹いっぱいじゃないわけ……?」
てまりの雄叫びに、志麻は思わず呆れてしまう。あとで手帖に「座敷童子は食いしん坊」と付け加えておこう。
「志麻もさぁ」
ふと見れば、ヤスは不服そうに腕を組み、志麻を見下ろしている。
「何?」
スッと手が伸びてきたと思ったら、志麻の頭をワシャワシャと撫で回した。
「うわっ、何すんのさっ!!」
ヤスの手を払いのけると、ヤスはいたずらっ子のような笑顔を志麻に向ける。
「お前もそんなに顔してないで入れよ。自分の家なんだし」
ヤスが靴を履いて家に上がる。
そんな顔がどんな顔か分からないが、志麻はムッと唇を引き結んだ。
「うるさいな」
志麻はヤスに気が付かれないように小さく息を整える。
(ただいま)
どうせ言ったって返ってくる声はない。
志麻は心の中で挨拶をすると、久しぶりの我が家へと足を踏み入れた。
「6.志麻の家①」おわり。
「7.志麻の家②」へつづく。