4.家路①
「のぉのぉ~」
夕方になると、東京の街はにわかに活気づく。
帰路に就く者や店へ客を呼び込む者の声が重なり合い、心地よい喧噪を生み出している。
「志麻ぁ~」
ざわめきの中から自分を呼ぶ声を聞いた気がしたが、志麻は気にせず歩を進める。
その脇を、ガス灯に火を入れる点消方が走り過ぎて行った。点火棒と脚立を持って、人々の合間を縫っていく。
「聞こえておらんのかぁ!?」
ぽぅっと明かりが灯るガス灯を横目で見ながら、スタスタと歩いていた志麻だったが、
「おい、志麻よ!!」
「うわっ!」
ぐいっと後ろに袂を引かれ、足を止めた。
「何すんのさ!」
ムッとして振り返ると、
「……って、何その顔」
これ以上ないほど頬を膨らませたてまりが、ジトッとした目で志麻を睨み上げていた。
針で突いたら破裂しそうな頬に、何かの姿が重なって、志麻は、あぁ、と手を叩いた。
「不細工なフグ?」
「ぶ、不細工とはなんじゃっ!失礼な!!」
フグから一転、顔を真っ赤にして茹でダコと化したてまりは、志麻に向かって不満を口にした。
「わらわはもう疲れたぞ!足が棒になってしまうわ!!一体、いつになったら家に着くんじゃ!?」
「それはこっちの台詞だから」
志麻は眉間に皺を寄せた。
「アレは何だ、コレは何だってキョロキョロしすぎ。全然前に進まないじゃん」
「うっ……!そ、それは……」
てまりの瞳がゆらゆらと泳ぐ。
志麻は大きく溜息をついた。
妖保局を出てからというもの、洋装の者を見れば物珍しさに付いていこうとするし、ガス灯を見ればフラフラと吸い寄せられ、鉄馬車を見れば恐怖におののき志麻にへばりつく、といった具合で、まともに真っ直ぐ歩くことさえままならなかったのだ。
「とっとと歩いてれば今頃着いてるから」
志麻のトゲのある言い方に、てまりがシュン、と項垂れた。
その姿はどことなく叱られたワンコロを思い起こさせる。伏せた耳に下がった尻尾、極めつけの、きゅーん、という切ない鳴き声まで聞こえてきそうで、なんとなく心苦しい気持ちになる。
(……って、なんでオレの方が罪悪感覚えなきゃいけないわけ?)
幻覚を打ち消すようにブンブンと頭を振った志麻は、視線の先にあるものを見つけ、ある名案を閃いた。
「てまり、ここでちょっと待ってて」
「え、な、なんじゃ急に?ってこれ!どこへゆく!?」
てまりの声を無視して志麻は雑踏の中へ走り出した。
●
ぽつん、と一人で道の真ん中に取り残されたてまりは、あまりの出来事に呆然と立ち尽くした。
(わ、わらわを貴重な妖怪だと言うておきながら放置とは……!連れ去られたらどうするつもりじゃ!?)
目まぐるしく行き交う人の中で、自分が捕まったときのことが蘇る。身体が自然と強ばった。
それは、てまりが新たな家に憑いたばかりの頃のことだった。
突然、見知らぬ男達が押しかけ、問答無用でてまりを縛り上げると、獣を入れる檻へと放り込んだのだ。
当然、てまりは家の主に助けを請うた。しかし、家主は男達から金を受け取ると、てまりを嬉々として差し出したのだ。
「妖怪など側に置くより、金に換えた方が役に立つ」
それが、家主からてまりに向けられた最後の言葉だった。
(昔は、こんなことなかったのにのぉ……)
共に囲炉裏を囲み、決して豊かとは言いがたい食事をし、語らい、眠る。
時間は穏やかに流れ、人と妖怪はお互いの存在を許容しながら、上手く生存していたのに。
今はもう会えない優しく温かかった人々の顔が、浮かんでは消える。てまりはその容姿に似合わない冷めた笑みを口元に浮かべた。
(今となっては、昔のことじゃ)
「4.家路①」おわり。
次回更新は2020/05/09(土)を予定しております。