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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.6 < chapter.4 >

 ミュージアムの屋上では、戦闘用ゴーレムが限界を迎えていた。

 茨の棘に削り取られ、ゴーレムだった断片が小さな砂山を築いている。かろうじて形を留めていた腕もついにゴロリともげ落ちて、身を守る術は完全に失われた。

 茨怪人は「今だ!」とばかりに蔓を伸ばし、ゴーレムの後ろにあるもの、オリヴィエ・スティールマンのガラスケースを狙う。

 すべての蔓がそちらへ向けられ、背中がガラ空きになった瞬間。


 騎士たちが仕掛けた。


 展開される氷の魔法陣、人狼族二名の《衝撃波》。茨怪人は魔法によって足の自由を奪われ、蔓の動きを鈍化させる。

「突撃イイイィィィーッ!」

 ゴヤの号令の下、残る九名の騎士が前に出る。彼らは数の優位に物を言わせ、手数の多さで畳みかけていく。

 ゴヤの《鬼哭》で実体化する姿は、本人の意識に強く刻まれた『最盛期の自分』である。どの時代に何歳で死んだ人間であろうと、概ね二十代から三十代、働き盛りの青年として現れる。装備も、自分が使用した武器の中で『最も使い慣れた物』を身に着けた状態だ。完全武装した最盛期の英雄たちは剣やナイフで蔓を斬り落とし、徐々に包囲網を狭めていった。

 斬られた蔓は再生するようだが、こちらも疲れを知らない死者の群れ。再生速度を上回る超速斬撃を続け、蔓の大部分を刈り取ることができた。

 もう少し。あとほんの少しで茨の根元、本体らしき人間の下半身部分に直接攻撃を仕掛けられる。

 誰もがそう思った、その時だった。


 茨怪人が真上に跳び上がった。


 九十秒が経過し、氷の魔法陣が解除されたのだ。

「クソッ! 攻めきれなかったか!」

「すまないガルボナード! 行けるか!?」

「充分ッスよ!!」

 氷の魔法陣が解除されたと同時に、人狼族の二人は《衝撃波》から別の魔法に切り替えていた。圧縮空気で足場を作り、先行して空を駆け上がる。

 跳び上がった茨怪人は空中で時間を稼ぎ、蔓を再生していた。だが元の姿に比べれば、蔓の長さも本数も足りていない。逃げ場のない空中で人狼たちの猛攻を防ぐには不十分だった。

 あっという間にすべての蔓を刈り取られ、《旋風》に囚われる。小型の竜巻のような渦の中、茨怪人は地面に降り立つこともできず、無様に翻弄されていた。

「今だ!」

「やれ!」

「はい!」

 風の階段を駆け上ったゴヤは、最大出力の《鬼火》を放った。

 青白い炎に包まれる屋上。はじけるような光の奔流に飲み込まれ、視界のすべてが光に沈む。


 ゴヤはこの時、自身の中に流れ込む『茨怪人の記憶』を見ていた。


 特務部隊に入隊し、笑顔で自己紹介するオリヴィエ・スティールマン。

 オリヴィエは想いを打ち明けられ、驚き、戸惑いながらも沈黙を約束した。

 今まで通りの態度を貫くオリヴィエと、何も知らない仲間たち。徐々に乱れていく生活と、自分を心配する郷里の両親。

 パーティーの日、やっと自分の未来に希望が持てた、その直後。

 あまりにも気安く奪われたオリヴィエの唇と、踏みにじられた自身の想い。

 フラフラと会場を出て、トイレに入り、個室の中で命を絶った。

 自分の身体に《起爆符》と呼ばれる呪符を貼り、爆発させたのだ。

 だが、トゥーリオはすぐに後悔した。なぜなら、異変に気付いて真っ先に駆けつけたのはオリヴィエだったからだ。

 霊体になったトゥーリオは、爆死した自分の横で呆然とその声を聞いていた。

「馬鹿……なんでだよ……。俺は、あなたには幸せになってもらいたかったのに……あなたは俺と違って、女も抱けるんだろう……?」

 オリヴィエは霊的能力者。この言葉は死体に語り掛けたものではない。死体の横にいる、トゥーリオの霊に向けて発した言葉である。

 トゥーリオは答えようとした。だがここでクラウスがやってきて、トゥーリオの死体を見て悲鳴を上げた。幸い、このころには招待客の大部分は帰路についていた。上半身の無い無残な死体はオリヴィエとクラウス、数名の王宮関係者以外の目には触れずに済んだ。

 死因については、オリヴィエ以外の人間は縁談が調う以前の経緯と事情を知らないのだ。第三者目線で見ればトゥーリオは婚約が決まったばかりの幸せな若者で、自殺するような動機は何一つ存在しない。しばらくの間は内々で調査が続けられたが、最終的に『原因不明の事故死』として処理された。




 ピカピカに磨き上げられた王宮のトイレの中、便座に腰を下ろした姿勢のまま動かない下半身。《起爆符》によって吹き飛ばされた上半身は、背後の壁に血と肉片となって貼りついている。

 爆発によって生じた煤に覆われ、それはまるで、四方八方に蔓を伸ばす黒い茨のようで――。

「……トゥーリオ・カルドゥッチさん?」

 個室の前に立ち、ゴヤは死体に声をかける。

「教えてほしいんス。あなたは、なんでオリヴィエさんを呪っていたんスか? オリヴィエさんは、何も悪くなかったじゃないッスか」

 死体は答えない。

 この空間は霊とゴヤだけが見ている『記憶の世界』だ。ここにあるものはすべて幻。本当は何も存在せず、トゥーリオの霊とゴヤの意識だけがここにある。

 この空間内でなら、上半身がなくとも、答えようと思えばいくらでも答えられるはずなのだ。それなのに、トゥーリオは何も語らない。

「なんでこんな死に方したんスか? あなたのことはぶっちゃけどうでもいいんスよ。でも、あなたとの婚約が決まったばかりのあの女の子は、あの後どうしたんスか? 俺も一応士族ッス。士族のルールは分かってます。こんな死なれ方したら、あの子、『縁起でもない』とか『サゲ女』とか言われて、一生結婚できなくなるんスよ? あの子のほうが、あなたの何十倍も可哀想じゃないッスか……」

 トゥーリオの霊は何も答えない。

 ゴヤは軽く頭を振り、トゥーリオに向けて一歩踏み出す。

「ぶっちゃけ俺、まだ童貞なんで。人の恋愛にとやかく言える立場じゃないんスけど。これだけは言わせてもらっていいッスか? あなたはオリヴィエさんに告白して、それからどうするつもりだったんスか? 断られる可能性のほうが高かったんスよね? 拒絶も否定もしなかったオリヴィエさんの返し方、マジで最高じゃないッスか。あれでスッパリ諦めてたら、こんな面倒なことにならなかったのに。なんでまだ、こんなことやってんスか。最低ッスよ……」

 死体はピクリとも動かない。

 しかし、背後の壁には真っ赤な血文字が浮かび上がる。


〈僕はまだ、オリヴィエに答えを言っていない〉


 答えとは何か。少し考えて、ゴヤはオリヴィエの言葉を思い出す。

「……あなたは俺と違って、女も抱けるんだろう……?」

 言葉の意味に気付いて、ゴヤは何とも言えない顔になる。

「……あなたの答えって……?」

 血文字はザワザワと動き出す。

 壁に貼りついていた肉片がひとつ、またひとつと床に落ち、一つに寄り集まってトゥーリオの顔を復元していく。

 床に置かれたデスマスクのようなそれは、ゴヤのほうを見て嗤った。

「抱こうと思えば抱けるさ。だが、それで彼女はどうなる? 幸せになれるのか?」

「……え?」

「黙れよ、童貞。女は子供だけ産んでいれば、それで幸せだとでも思っているのか? 違うだろう? そんなの、断じて違うんだ。女一人も幸せにできない男に、生きる価値なんてあるものか!」

「……って、え? ちょ、まって! てことはまさか、オリヴィエさんを呪っていたのは……!?」

「ああ、そうさ! これが僕の答えだ!!」

 瓦解する世界。

 トゥーリオの『記憶の世界』が消え、視界のすべてが光に包まれ――。




 ミュージアムの屋上に、一筋の光が立ち昇る。

 天を衝く純白の光の中には、無傷の茨怪人の姿がある。怪人はゴヤの攻撃でダメージを受けるどころか、最初に出現した時よりも大きく、確かな存在感を持ってそこにいた。

「な……これは……」

「クソ! 失敗したのか!?」

「ガルボナード! おい! しっかりしろ!」

「立て! 早く!」

「ガルボナードォォォーッ!」

 騎士たちが声をかけるが、怪人の足元に倒れたゴヤは動かない。

 怪人は騎士たちの攻撃を余裕を持って防ぎながら、オリヴィエのガラスケースに歩み寄る。そして自然な動作で腰掛けた。

 大量の蔓はそのままに、見る間に失われた上半身を復元していく茨怪人。

 時間にして、わずか一分足らず。

 そこには、背中に茨の蔓を生やしたトゥーリオ・カルドゥッチの姿があった。

 トゥーリオ・カルドゥッチは、自分に攻撃する騎士たちのことなど見ていない。背中の茨は自動的に迎撃を行い、魔法に対しては純白の光の盾が出現する。


 これはおかしい。

 呪詛や悪霊、魔獣の類ではありえない。

 この光と気配は、もっと神々しい『何か』であって――。


 騎士たちの頭に、まさかと思う言葉がよぎる。

「これは……『神の光』か……!?」

「ありえない! 『呪詛』そのものにまで堕ちた人間が、『神的存在』へと引き上げられるなど……っ!」

「だが、しかし……!!」

 トゥーリオはオリヴィエの顔をまじまじと見つめ、それからガラスケースの隅に入れられたハンカチを見る。それは女王がオリヴィエに贈った花の刺繍のハンカチである。貴族の作法や花言葉に疎い人間でも、そのハンカチに特別な意味があることくらい一目でわかる。

 トゥーリオはうんざりしたような顔で溜息を吐く。

「なあ、オリヴィエ。自身の幸福を追求するために、女性を犠牲にするような生き様は醜いと思わないか? 君が望んだ僕の幸せとは、いったい何だい? 君は僕に、そんな恥知らずな男になれと言いたかったのか?」

 眠ったままのオリヴィエは、トゥーリオの問いには答えられない。それが分かっているからこそ、トゥーリオはなおも言葉を重ねる。

「君は今、何をしているんだ? こんなに素敵なハンカチをもらっておきながら、君は何も答えを返さないつもりなのか? いつまでプリンセス・ヴィヴィアンを振り回すつもりだ? やめてくれよ、そんなの。僕が好きになったオリヴィエ・スティールマンは、そんな卑怯な男じゃなかっただろう? なあ、頼むよ。もうこれ以上、逃げ回らないでくれ。僕は、そんな君を見たくはなかったんだ。だから……ん?」

 トゥーリオはキョロキョロと辺りを見回し、それから空を見る。

 満天の星空に向けて手を伸ばし、天上から何かを受け取ろうとしているようだ。

 騎士たちの攻撃はなおも続けられているが、そんなもの、今のトゥーリオには全く通用しなかった。


 どこからともなく降り注ぐ光の雨。

 その雨に打たれ、トゥーリオは姿を変えていく。

 背中に生えた醜い茨は光の翼に、血に汚れた着衣は純白の甲冑に。

 そして涙で腫れた目元を隠すかのように、甲冑と同じ純白のマスクを装着する。

 ここにいる者は、もはや茨怪人などではない。


 聖騎士、トゥーリオ・カルドゥッチ。


 純白の光を纏う彼は、神的存在へと変貌を遂げていた。

「……う……ん?」

 微かに身じろぎするゴヤ。その動きに気付き、トゥーリオはガラスケースを降りてゴヤの傍らに膝をつく。

「ありがとう、ガルボナード。君のおかげで天の扉が開かれた」

「……天の……って、え? は? それって……えええぇぇぇ~っ!?」

 ゴヤは飛び起き、天使のようなトゥーリオ・カルドゥッチを上から下まで舐めるように眺めまわした。そしてガクッと項垂れる。

「なんスかこのオチ! マジっすか!? 呪い殺す気で取り憑いてた悪霊が守護霊になるなんて、見たことねえッスよ!?」

「ああ、僕自身、驚きを禁じ得ない。どうやら僕の主張は、天によって正当性が認められたらしい。しかし、ただの守護霊ではない。オリヴィエがを正しい選択を続ける限りは守護するが、間違えたときは、僕は再び呪詛と化す。今の僕は、そういう存在のようだ」

「つーか、マジで守護霊ヤル気ッスか? 告ってフラれた相手の守護霊とか、キツくないッスか?」

「それも含めての試練と贖罪だ。すまない。君にも、他の騎士たちにも迷惑をかけてしまった」

「いや、ま、それはいいんスけど……守護霊やるにしても、オリヴィエさん、まだ寝たまんまッスよ?」

「そうだね。だから彼が目覚めるまでは、僕は世界を見て回ることにするよ。百年のブランクは大きい。今のうちに知識の不足を補っておきたいんだ」

「あー、社会科見学ッスか……ホント、真面目人間ばっかりッスね……」

「また会おう。勇敢な騎士よ」

「それ、もっとましな恰好してる時に言われたかったッス」

 肩をすくめて笑うゴヤに、トゥーリオ・カルドゥッチは優しく微笑む。

 そして次の瞬間、その姿は夜の闇に解けるように、ゆらりと揺らいで消えた。神的存在へと昇華した存在を、人間が知覚することはできない。彼が自らの意思で顕現しない限り、人間の目にその姿が映ることはないのだ。


 何も見えなくとも、おそらく、彼はまだそこにいるのだろう。


 ゴヤは立ち上がり、踵をそろえて敬礼した。

 神的存在へと昇華したとはいえ、彼は騎士だ。神への祈りのポーズより、騎士団式の敬礼で見送るべきだと思ったのだ。

 気付けば、ゴヤの両側には十二名の騎士がずらりと並び、ゴヤと同じように敬礼していた。

 彼らが浮かべる不敵な笑みに、畏敬の念など欠片も無い。それはつい先ほどまで戦っていた相手に、「次は覚悟しておけよ」と再戦を誓う戦士の顔であった。

 ひとり、またひとりと姿を消していく騎士たち。《鬼哭》による実体化が解けた後は、彼らは再び展示品に取り憑き、ミュージアムの夜警に戻る。


 戦いは終わった。


 さて、あとはこのガラスケースを地下に戻して――と、ゴヤがガラスケースに触れようとした時だ。

「終わったのかしら?」

「うわっ!? 陛下!?」

 いつの間にか、ヴィヴィアン女王が真後ろに立っていた。

「えーっと、どの辺から屋上に?」

「光の雨が降る少し前からよ。あの茨怪人、トゥーリオ・カルドゥッチよね?」

「へっ!? あの、ご存知で……?」

「最初から気付いていたわ。上半身が吹っ飛んで死んだ騎士団員なんて、そうそういないもの。それに彼の死体を最初に発見したのはオリヴィエよ。トゥーリオ・カルドゥッチについて何を聞いても答えてくれなかったから、おかしいと思ってたの。やっとすっきりしたわ。オリヴィエに『告ってフラれた』のね、彼」

「んん~、そのぉ~……はい。そうみたいッス……」

「事故ではなく、自殺なのでしょう? どうして自殺したのかしら?」

「それは……ちょっと、分からないッスね……」

「ふぅん……?」

 ゴヤの表情から、女王はそれが嘘であることを見抜いていた。ゴヤのほうも、嘘だとバレていることくらい分かっている。しかし、だからといってゴヤの答えは変わらない。

 ショックを受けた彼は自分で《起爆符》を発動させた。そこまでは分かる。だがその瞬間に彼が何を考えていたのか、どんなつもりで死を選んだのか、それはゴヤには読み取れない。ゴヤが見た『彼の記憶』は、あくまでも彼の目と耳を通して記録された画像と音声にすぎないのである。

 困り顔のゴヤをしばらく睨みつけてから、女王はフウッと息を吐いた。

「そんな顔をしないでちょうだい。サイトちゃん以外をイジメたって、楽しくもなんともないんだから」

「サーセン……」

「それより、綺麗ね」

「はい?」

「空よ。光の雨なんか降らなくたって、ほら。こんなに綺麗」

 スッと空へと伸ばした手。

 その手に光は注がない。

 けれども女王は白い指を優しく動かし、何かを掴み取るようなしぐさをみせる。

「……いじわるよね、カミサマって。届きそうに見えるのよ。あんなに遠くにあるのに……」

 女王の横顔は、まるで幼い子供のようだった。


 今にも泣き出しそうな、あどけない少女の顔。


 ゴヤはこの瞬間、何か言わなくてはと思った。

「あ、でも、ほら! たまに降ってくるヤツなら拾えますよ! 大気圏突入で燃え尽きなければ、カケラくらいなら何とか!」

 違う。

 違うだろうガルボナード。

 ここは彗星とか隕石とか、そんな話をするシーンじゃないだろう。

 思い付きで喋った後で、ゴヤは自分に向けて全力の脳内ツッコミを入れていた。

 だが、言ってしまった言葉は取り消せない。

 ゆっくりと振り向く女王の目を見て、ゴヤは慌てて頭を下げる。

「……ガルボナード?」

「あっ、あの、その……なんかサーセン……」

「あなた時々、ものすごくいいこと言うわね?」

「へっ?」

「そうよね? 星だって、たまには落ちてくるものね。可能性はゼロじゃないわよねぇ……?」

「あの……陛下……?」

 星空を見つめ、思案に耽る女王。ゴヤはその横顔を見つめ、それから女王に倣い、一緒に空を見上げた。

 どうやら自分の発言は、彼女の心の琴線に触れたらしい。が、何がどう触れたのかは分からない。迂闊に何か言えば、せっかくいい雰囲気に落ち着いたこの空気が台無しになるような気がした。

(ヤベェ……『マジで星エモいっすね! パネエ!』以外の感想が出て来ねえ……)

 何も語らないことこそ、この場の正答なのだろう。

 ゴヤと女王はそれからしばらく、満天の星空に見入っていた。


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