そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.6 < chapter.3 >
同じころ、本部敷地内の一角では、ちょっとしたダンス教室が開かれていた。
蓮池横の東屋に小型のミュージックプレーヤーを持ち込み、控えめな音量でナイトクラブの定番曲を流すデニス。軽快なリズムでステップを踏み、サビの部分で特徴的な手の振りを加える。
「ここ! 足より手振りのほうがメインですから! 角度と動かし方が重要です!」
「ん? あれ? これはもしかして、手旗信号か!?」
「はい! 曲のタイトルも『フラッグ』ですから!」
「起信信号、発動信号……ア・イ・シ・テ・ル……?」
「で、このあと間奏で……」
プレーヤーから流れるポップな間奏に合わせ、デニスはナイトクラブでライブ演奏される場合の、オーディエンスたちの『お約束』を実演してみせる。
「こうやって隣の人と手をつないで、抱き合って、キスするんです。運悪く女の子がいなかった場合は、覚悟を決めて男同士で!」
「男同士で!?」
「はい! だいたいこの曲、イベントの締めくくりにやりますから。みんな酔っぱらってテンションおかしくなってるんで、ノリで舌突っ込まれないように気を付けてくださいね!」
「それ、赤の他人にやるのか!?」
「はい、やるヤツいますよ~。最初からそれ狙って紛れ込んでるゲイもいっぱいいるんですからぁ~」
「へ、へぇ~。そうなんだぁ~?」
「それで、間奏後にはもう一回サビ部分がありますから。今度の手振りは、こう……」
「応信信号、解信信号……エラー? ん? お断りなのか??」
「あ、サビの部分もう一回流しますね。このエラー信号は『解読不能』とか『NO』の意味じゃなくて……」
男性ボーカルと女性ボーカルの掛け合いで歌われる愛の歌。しっとりとしたムードなんて欠片もない、力強い声色で応酬される双方の感情。歌われる歌詞はありふれた言葉なのに、声に乗せたパッションによってこれが疑似的な性行為であると表している。
繰り返される言葉は『それなら態度で示してよ!』。男性側の愛の告白に対し、女性のほうが言葉やキスでは足りないと挑発しているのだ。
二度目のサビのあとには、一度聴いたらすぐに口ずさめる簡単なメロディーで「ラララ」と歌っている。間奏にキスするくらいなのだから、フロアのファンが大合唱することくらい容易に想像できた。
ダンスを教わるオリヴィエは、問いかける目をデニスに向ける。
「ここから曲の終りまで三分間、カップルはずっとキスしっぱなしになります」
「やっぱり……」
この曲は、クラブイベントで知り合った男女をそのままホテルに送り出す『船出の歌』である。曲の締めくくりは男性ボーカルの「沈没すんなよ、クソ野郎ども!!」という絶叫。中折れの心配までしてくれるとは、なんと至れり尽くせりな内容の曲なのだろう。
オリヴィエはただただ驚いていた。
百年前のナイトクラブでもダンスは踊られていたが、当時は『まともな女性』が酒場に出入りすることは無かった。酒場にいるのは売春婦だけで、『踊れる曲』の間に目当ての女に声をかけ、価格交渉が済んだらそのまま連れ込み宿へと消えていく。
それがこの百年の間に、なんとオープンになったものか。男女が対等な立場で酒と音楽を楽しみ、イベントの締めくくりに「頑張れよ」と背中を押される。デニスの説明によれば、一部のナイトクラブでは身分や階級による入場制限を撤廃し、誰でも踊れる場が用意されているという。
それはつまり、身分差があっても恋愛ができるということ。
もちろん、正式な結婚は法的に認められない。それでも、百年前には自分の思いを伝えただけで死刑にされていたのだ。比較にならない自由度である。
オリヴィエがそのことを話すと、今度はデニスが驚いた。
「死刑!? えっ!? 貴族の令嬢に『好きです』って言っただけで!?」
「ああ。売春婦以外に『好き』なんて言おうものなら、それはそのまま、結婚を申し込みます、という意味だからな。庶民は比較的自由に恋愛していたようだが、士族と貴族はかなり厳しかった」
「ちょっと気になる子に、軽~いノリで『惚れちゃったかもなぁ~?』とかも……?」
「その女性の兄や父親の耳に入ったら、すぐさま家と家とで話し合いの場が設けられる」
「メチャクチャお堅いですね」
「プロポーズは絶対だ。前言撤回はできない。酔った勢いで口を滑らせて、本命以外と結婚する破目になった大馬鹿野郎もいた」
「うっわ、最悪……。それ、結婚させられた女の子のほうも絶対幸せになれないじゃないですか……」
「そう思うよな? まあ、他にも地域ごとの風習とか、騎士団関係者限定の身内の階級ルールなんかもあって……結婚がらみで人が死ぬことも少なくなかった。俺の仲間も、一人死んでるんだが……」
何かを思い出すような顔をしたオリヴィエに、デニスは軽く首をかしげて話の先を促す。
「けっこう重い話だが、聞くか?」
「はい。百年前の結婚事情、興味あります」
「百年も経ってれば、誓いの有効期限なんざ切れてるよな。さて……どこから話すかな……」
それからオリヴィエは、かつての仲間の思い出話を始めた。
特務部隊にトゥーリオ・カルドゥッチという男がいた。士族の長男で、真面目で誠実、剣の腕も立ついい男だった。見た目もそこそこ整っており、特務部隊昇進後は各地の士族からいくつもの縁談が舞い込んでいた。
貴族や士族の縁談は、本人たちの意思とは無関係に進められる。結婚とは個人と個人の『夫婦の誓い』ではなく、家と家との『事業協力契約』だからだ。
トゥーリオもご多分に漏れず、士族の常識で生きる人間だった。恋愛と結婚は別。例え誰を好きになろうとも、親の決めた相手と結婚し、家を継ぐつもりでいた。だが、あるとき彼は『運命の出会い』を経験してしまう。
特務部隊に、オリヴィエ・スティールマンが入隊したのだ。
トゥーリオの人生観は完全に狂った。
彼は同性愛者ではなかった。これまで好きになった相手は全員女性だったし、贔屓にしている舞台役者は美女ばかり。酒場で気に入った売春婦を買うことも、行きずりの女と一夜を共にしたこともあった。自分は異性愛者だと信じていたし、事実、男性相手に性的興奮を覚えることは無かった。
それなのに、トゥーリオはオリヴィエに一目惚れしてしまった。
ある晩、トゥーリオはオリヴィエを呼び出し、自分の想いを洗いざらい吐き出した。生真面目なトゥーリオには、適当な嘘をついて『友達のふり』を続けることはできなかったのだ。
オリヴィエはトゥーリオの話をすべて聞いたうえで、こう言った。
「あなたの気持ちを拒絶する気も、否定する気も無い。でも、俺はあなたの気持ちには応えられない。話してくれて、ありがとう……」
そしてトゥーリオが同性愛者であること、自分に対して告白したことは誰にも話さないと誓った。オリヴィエはその誓いを守り、その後もこれまでと同じように接していた。
だが、トゥーリオは目に見えておかしくなっていった。
仕事で小さなミスを連発し、毎日浴びるように酒を飲むようになった。身なりも素行も悪化する一方。そのうち、トゥーリオの生活が乱れていることが郷里の両親の耳にも届いてしまった。両親は『誘惑の多い都会でいつまでも独身生活をしているせい』と考えたようで、トゥーリオに見合い写真を山ほど送り付けてきた。
はじめは無視していたトゥーリオも、いよいよ逃げきれなくなった。あるときトゥーリオは、花嫁候補の一人と会うことになった。場所は王宮主催のダンスパーティー。このパーティーは基本的に貴族限定だが、一部の有識者、著名人、騎士団本部所属の士族には招待状が届くのである。同じく本部所属士族のオリヴィエも、トゥーリオと一緒にそのパーティーに出席した。
事件はそこで起こった。
この場が事実上の『お見合い』と知る人々のサポートもあり、パーティーが終わるころには、二人の縁談はすっかりまとまっていた。気立ての良い令嬢と話をするうち、トゥーリオは自分がもともと異性愛者であったことを思い出し、彼女との生活を前向きに思い描くことができたようだった。
トラブルが発生したのはオリヴィエのほうだ。
同じ特務部隊の仲間、ラウリラ子爵家のクラウスが、酔った勢いでオリヴィエにキスしてきたのだ。
「あーあー! 俺が女だったら、絶対お前に抱かれたいと思うのになー! よっ! 色男! わはははは!!」
クラウスは妙に憎めない悪ふざけキャラの男で、この言動も酔った上での冗談として受け入れられた。宴もたけなわ、周りの人間もすっかり酔っていて、制止するものは誰もいない。貴婦人たちは黄色い悲鳴を上げ、「もう一回! もう一回!」と囃し立てた。
この時、手を叩いて囃し立てる貴婦人の中にバラーチェ公爵夫人の姿があった。彼女は中央社交界の裏ボスと呼ばれる人物だ。ここで彼女の機嫌を損ねれば、後々面倒なことになる。
オリヴィエはヘラヘラと笑うクラウスの肩をトンと押し、同時に腰に手を回してクラウスの身体を抱き止めた。それはちょうど、大衆演劇の英雄役がヒロイン役を情熱的に抱きしめるポーズである。
オリヴィエは動揺するクラウスの唇を有無を言わさぬ勢いで奪い、しっかり舌まで絡めてから、ポイと床に放り出した。
「飲みすぎだぞ、バーカ」
「ってえなー! お前、さてはいつもこんな感じか!? 女の子はもっと丁寧に扱え!!」
「阿呆。相手がお前じゃなかったら、ちゃ~んとお姫様抱っこしているさ」
「あ、酷い! お前、俺のことももっと大事にしろよ~っ!!」
「したくねえよ、バカ! クラウス! お前、本当に俺にベッドまで運ばれたいのか!?」
「それはヤダ! でも、優しくしてぇ~ん?」
「あ、こら! しがみつくな! 擦り寄るなよ、おい! この酔っ払い!!」
「あぁ~ん、イ・ケ・ズゥ~♡」
「ぅおぉ~いっ!!」
クラウスの愛されおふざけキャラが見事にハマり、この場は大変盛り上がった。
しかし、誰もが笑顔の中、ただ一人蒼白な面持ちでパーティー会場を辞した人物がいた。
それはトゥーリオ・カルドゥッチである。
心の底から愛した人が、目の前で同じ隊の仲間を抱きしめてキスしていたのだ。
酔ってふざけていたから。
周りが囃し立てたから。
機嫌を損ねるわけにはいかない人物が見ていたから。
事情は分かる。頭ではしっかり理解できている。それでも心では、感情では、それを受け入れることができなかったのだろう。
オリヴィエはこの時、駄々をこね始めたクラウスの相手で手いっぱいだった。会場を出て行くトゥーリオの様子がおかしいことには気付いたが、追いかけることはできなかったのだ。
オリヴィエがトゥーリオの顔を見たのは、この時が最後だった。
ここまで聞いて、デニスは目を伏せた。
「その……オリヴィエさんのせいじゃありませんよ。失踪した人がどこかで亡くなっていたとしても、そんなの、止めようがないし……」
オリヴィエは黙って首を横に振る。
「え? あの、失踪じゃないんですか……?」
この問いに小さく頷いてから、オリヴィエは絞り出すように言った。
「……死んだのは、パーティーが終わってすぐのことだったよ……」
瞼の裏に焼き付いた光景。
それはまるで、禍々しく蔓延る真っ黒な茨のようで――。




