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④たとえば、二人の使用人 2


 仕事を終えたアリスは使用人用の休憩室へ向かう途中、廊下の窓の前で足を止めた。窓の向こうは他の邸宅がひしめいていて、更にその先ではまだ、多くの人々が行き交っているに違いない。この時間でも、王都はまだうっすらと明るかった。

 いつも生活している領地のお屋敷は街から少し離れているため夜は暗く、他の建物は見えない立地になっている。そんな、いつもとは違う外の様子にも少し慣れて来たところだった。


「お嬢様ったら、まったく」 


誰も近くにいない事を確認して小言を口にしつつ、アリスは窓に映った自分の姿、さっきまで仕事をしていたので当たり前だが、ちゃんときれいに整っている事を確認した。明日、大事な仕事が控えているエディは流石に休んだだろうな、とは思いつつも。




 男女共用の休憩室には仕事を終えた使用人達が思い思いにくつろいでいる。アリスは部屋の奥で女性使用人の一団が談笑しているのを見つけた。


「アリス、お疲れ! こっちおいで」


 手招きされた先のテーブルでは、厨房で作られたらしい焼き菓子や、外で買い求められた可愛い包装がいくつも並んでいる。アリスが領地の屋敷の料理長に作ってもらい、差し入れとして持ち込んだマフィンはもうとっくに売り切れてしまったらしい。好物のキャンディを見つけて、いくつかポケットに忍ばせた。同年代の女の子達が占領していた長椅子の端に入れてもらって、紅茶とお菓子を口に運んだ。普段は領地で仕事をしているので、この機会にこちらで働いている人達とも交流しておく必要がある。 


「ねえアリス、何か手品見せてよ。得意技なんでしょう?」

「あら、その話広まっているんですか?」


 こうやるんでしょ、と一人が笑いながら指を弾いたが、残念ながら音は出なかった。こうですよ、とアリスは手本を見せつつ、更に開いた手の平に先ほどのキャンディを出して周囲が目を丸くするのを楽しんだ。


「アリスはもうちょっとおしとやかな感じの子だと思ったのに、……まあ、明るいのは良い事だよ」

「似たような事を、こちらへ来てからもう五回くらいは言われましたね、ええ」


 あちこちで笑いをこらえるかのような咳払いが上がる。まるで、アリスに齢相応の落ち着きがないかのように口を揃えるのは納得がいかない。しかし、手品を止めるという考えもなかった。単純に楽しいという以外にも、大抵はこれで顔と名前を覚えてもらえるという素晴らしい利点があるためだ。


 



 

「……アリス、ちょっといい? 少し連絡があるんだけど」

「エディ、明日早いんじゃなかったの?」 


 アリスが都会屋敷の使用人達から、王都のお菓子屋さんの情報を収集している時に後ろから声を掛けて来たのは、同期にして幼馴染の青年だった。


「今日入った新人をあちこち挨拶させていたら遅くなってさ。……ほら、ここで最後だ」


 彼は自分で言う通り、年下の少年を後ろに引き連れていた。見るからに育ちの良さそうな印象なので、それなりの家の出身者である事が察せられる。アリスもエディもとっくの昔に忘れてしまった初々しさを漂わせる彼が、やや緊張した面持ちで頭を下げた。すると周囲の年上の女性達が、かわいいと顔を綻ばせる。


「ほらアリス、まだ仕事残ってるみたいだから、その新人君と場所を代わってやんな。エディ、明日は腕の見せ所だよ! 他所のお坊ちゃん達なんて蹴散らしておやりよ」

「……はいはい。みんな、応援よろしく」


 輪の中では最年長にあたる給仕係の激励を皮切りに、他からも次々に応援する声が上がった。エディはその一つ一つに笑いながら応じて、こちらに目配せして部屋を後にしようとする。仕事の一環であれば仕方ない、とアリスも腰を上げた。年上の女性使用人達の中に取り残された新人が片端から話しかけられているのを尻目に、エディに続いて休憩室を出た。



「……大丈夫かな、あの子?」

「ざっと見たけど、変な人はいなかったから。こっちだと名前の通っている商会から来ているし、丁重に扱ってくれるさ」


 初日の最後に年長者の中に置き去り、とはなかなか胃の痛い展開だと心配になる。しかし、大丈夫だと判断した上でエディは置いて来たようなので、アリスもそれ以上は追求するのを止めておいた。


 そんな妙に素っ気ない事を言うエディの、暗めの金色の髪は、子供の頃と変わらない。しかし背が伸び、アリスはちゃんと顔を上げないと視線が合わなくなって久しい。それから職業上、洗練された所作であるとか、昔は無造作にしてあった髪もちゃんと整えてある。侯爵の従者に相応しい、育ちの良い好青年に見える。


 エディが当主であるレスターの従者として出る先は、高貴な人々の集まる夜会やサロンも多い。連れ歩く従僕の量や質は、権力や経済力が直接反映されるため重要視され、男性使用人の花形とされていた。

 もちろんアリスだって、トリーの傍に仕えているため、身なりにはそれなりに気をつけている。こういうのも仕事の一環だと言い聞かせてはいるが、エディに対して、昔の様に気軽に話しかける事を躊躇するようになってしまった。もちろん態度には出さないように気を付けていても、緊張しているね、とトリーにはよくからかわれてしまう。実際、心の中はそわそわと落ち着かない。

 

 

 

 そんな複雑なアリスの胸中には気が付かないようで、エディはのんびりと、人のいない食堂へとやって来た。もう翌日の仕込みも終わっているようで、厨房の方も明りは消えている。彼は卓の上に置いてあったランプを手に取った。


「アリスはどう? 上手くやってる?」

「ええ、家令さんの親戚の縁で仕事を紹介してもらった私には、的確な助言をくれる親切な同期がいるの。……羨ましいでしょ?」


 アリスはテーブルを挟んで腰かけながら自慢した。自己紹介する時は家令さんの名前を出すように、とずっと前にエディに念押しされていた。話の流れに合わないのでは、と最初は思っていたが、意外と他の使用人達も自分の経歴を最初に明かす人が多かった。


「……ならいいけど。アリスはのんきだからさ、何か心配なんだよ」

「私は別にのんきじゃありません」

「僕の知り合いで一番のんきなのは、間違いなくアリス」


 アリスは抗議したが、彼は笑うばかりで撤回には応じなかった。一般的に大人、として扱われる年齢に到達したが、エディとは未だに仲が良かった。彼は何かと気を遣ってくれたり心配してくれたりと、相変わらず気の良い青年である。


 かつてのエディはただの使用人見習いから従僕見習いに繰り上がった。しかしどこの家の子供なのかは不明、という特殊な経緯のせいで苦労したらしい。アリスが同じ嫌な思いをするなんて馬鹿馬鹿しい、と気遣ってくれる大変心優しい同期である。


 一方のアリスは、未だにエディが心配するような意地の悪い人間に屋敷内で遭遇していない。最初からいないのか、家令さん云々を付け加えたおかげで避けることができているのかは、もう確かめるのは難しいだろう。

 

「……それで、連絡って?」

「ほら、お土産買いたいけどお店がわからないって言ってたじゃん」


 彼はどこからか地図を取り出して、机の上に広げた。王都の網目の様に整備された街並みの大体中心部を、現在地だと指で差してくれた。てっきり仕事の話をするのだと思っていたが違ったようだ。それならわざわざ今日でなくても、と少し申し訳なく思う。有名な老舗の菓子処や女性向けの服飾店、花の種を買えそうな店を挙げ、場所を地図上に示してくれた。基本的には領地に勤めているアリスはお土産をもらうばかりなので、たまには買って日頃の分を取り戻しておきたいと思っていたのだ。


「……ちょっと前だけど、エディがコインの形をしたチョコをくれた事あったよね? あれはどこ?」

「そこはちょっと離れているんだよね。あの辺だと馬車使った方が便利かもしれない」

「そっか、あれ面白かったのに遠いんだ。あとさ、アンガスさんが……。仕事着のままじゃ入れないちゃんとした店に行って来いって。勉強になるからって。良さそうな場所ってある?」


 領地のお屋敷で厨房を任されている料理長から、エディに可愛くお願いして連れてってもらえ、という冷やかしが付け足された事は黙っておく。わざわざ小遣いまでくれようとしたが、それはもう子供じゃないと丁重にお断りをしておいた。

 

「いいじゃん、……空いているのはいつ?」


 彼は手帳とペンまで取り出した。アリスが一緒にお願い、と頼む前から二人で出掛ける予定になっているらしい。トリーもいつも同じ侍女がいないと寝付けないでは困るので、早く仕事の終わる日もあるように調整してくれているのだ。


「……一緒に行ってくれる?」

「そりゃあ誘われたら喜んで行くさ。お洒落な服着て一緒に行こうよ。お店は色々と教えてくれる人がいるからさ」


 アリスは短い確認のための言葉にかなりの勇気を要したが、エディからはあっさりと了承の返事がやって来る。その温度の違いが、イマイチ面白くない。じゃあ他の女の子に誘われたらどうするんだ、とかいろいろな疑問が浮かんできたが、口には出さなかった。  



「エディは明日、大丈夫なの? 今からでも二千と四十八回、素振りやる?」

「そんな頃もあったね。まあ、今夜はもういいかな」 


 エディは面倒を見てくれる事になったカークから、剣の素振りのノルマを課されていた。その影響で、一緒に手品の練習をしている時間はなくなってしまったのである。何故中途半端な数字かと言えばエディ曰く、根に持たれているらしい。

 一本でも疎かにしたらすぐわかる、と随分脅かされたようだ。朝から晩まで休憩時間は練習用の木剣を振り回すようになった。アリスは腰高窓から身を乗り出してその動きを眺めたり、えいえい、と気合の声と共に剣が空を切る音を聞きながら、一人で手品を練習していた。

 

「……私の右手にご注目」


 アリスは宣言してから、エディに差し出した右手にさっきのキャンディを出して見せた。彼は目が良いのか勘が良いのか、それとも手品を見せ過ぎた影響か、視線や音を利用した陽動にほとんど引っ掛からない。そのため彼を相手に、手品を成功させるのが難しい。


「……今のはちょっとわからなかった」


 そのエディに最高級の褒め言葉をもらってアリスは喜んだ。しかし何のためらないもなくエディが飴玉に自分の手を重ねて来たので、思わず硬直した。


「この味好きなんだ、ありがとう」

「……そ、そう。それは初めて聞いた」


 部屋が薄暗いせいか、彼は挙動不審には気が付いていないらしい。嬉しそうに包装紙を破き始めている。アリスは何だか無性に恥ずかしい気分になってしまった。


 じゃあおやすみ、とアリスは照れ隠しに立ち上がった。


「明日もこれで頑張れそう、キャンディありがと」

「怪我しないでね。何なら降参してしまえばいいのよ」

「……まあ、見てなって。本番をお楽しみに」


 座ったままのエディの、緊張感のない笑顔に見送られる。そっちだって随分のんきじゃないか、と喉元まで出かかった。試合には刃を潰した剣を用い、危険行為は失格退場と規定はされているものの、急所に強く当たれば大怪我は免れないだろう。


 アリスは明日の事を思うと既にお腹が痛いのに、この余裕は一体なんなのだろうと思ってしまう。


「……私は胃が痛くてしょうがないのに、さ。……心配で」

「いっつも喜々として手品を見せてくれるのに? 緊張なんてしているんだ?」 


 こうやって、とエディが小気味よく指先を鳴らした。手品には欠かせないんだと二人でせっせと格好良い音を目指して練習した日々が懐かしい。


「それはエディか、……親しい人の前だからできるの。じゃあね」


 言い合いを始めると長くなるのは目に見えているので、アリスは早めに切り上げた。痛い所を突かれたので撤退した、とも言える。


「……約束、忘れないでよ。おやすみ」



 そんなわけでアリスはエディの声に見送られて食堂から撤退した。休憩室には戻らず、自分の割り当てられている部屋に戻った。ありがたい事に一人用である。さすがに本家のご令嬢専属は好待遇だった。髪をほどいて寝間着に着替えてベッドに寝転んで、枕に顔を埋めたいというよくわからない衝動に従った。


 妙に緊張してしまうのも、準備しておいた言葉が全てきれいにどこかへ行ってしまうのもいつもと同じだった。トリーにからかわれるのも仕方がないだろう。


「あれだけ余裕たっぷりだなんて、負けた時の慰め方を練習しておかないと」

 

 アリスは顔を上げた。何しろ一緒に食事に行くのだ、それもお洒落なお店。アリスの胃と心臓には頑張ってもらわなければ。エディと、それからトリーも無事に式典をこなす事を願いながら、アリスは目を閉じた。

 

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