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①たとえば、二人の見習い 1


「ようこそ、紳士淑女の皆様。そして子供達」


 ゆったりとした低い声の、目元を隠した赤い仮面の男が舞台の上で一礼した。夕暮れの街の郊外に建てられたのは即席の舞台で、観客達は水を打ったようにしんと静まり返って、彼の一挙一動に注目している。

 開幕を心待ちにしていたアリスとエディは、初めてのお給金と引き換えにしたチケットを握り締め、サーカスの観客席の最前列にいた。子供だけでは心配だからと付いて来てくれた、他の使用人の先輩方と一緒である。


「本日はご足労頂き、心より御礼申し上げます。それでは早速、最初の奇跡をご覧に入れましょう」


 彼は観客席を見渡して、それからすぐ前で目を輝かせている二人の子供に目を留めた。もしかして、と思っているとアリス達は舞台の上へと招待された。顔を見合わせおずおずと立ち上がると、舞台の上から手を差し出された。


 まさかこんな展開は予想していなかったのでどうしていいかわからず、アリスは降り立った舞台の上で固まってしまう。続いてやって来たエディも、心なしか緊張しているように見えた。


 振り返ってみると、観客席では心配そうな顔の保護者代わりの家令夫妻、その隣では料理長と庭師が持ち込んだ軽食を手にしたまま、楽しそうに見守っていた。空いた方の手をのんきに振っている。後で迎えに来るから、と言い置いてどこかの酒場へ馬を向かわせた御者は、今頃どうしているだろうかと頭を過ぎった。


「……それでは二人の素敵なお客様に、最初の手品のアシスタントを務めて頂きましょう。まずはお近づきの印に、握手をお願いできますか」


 差し出された右手に、二人は飛びつくように両手を伸ばした。白い手袋ごしに、大人の男性のしっかりとした感触がする。目を覆っているだけの、金色の縁取りがされた赤い仮面の奥で、奇術師の目がきらりと魅力的に輝いた。


「何が起きても、決して驚いたりしないように。それでは、……三、二、一」


 カウントダウンに、会場中の声と期待とが重なっていく。先ほど握手をかわした右手を掲げ、全ての観客の視線と興奮とが集まるタイミングを見計らい、彼は指を打ち鳴らした。












 サーカスの興行から三か月ほど経った頃、使用人見習いのアリスとエディは、庭師のラックを探していた。よく晴れた日の午後は彼の仕事にはうってつけで、きっと人手が必要だろうと考えたのだ。


 朝方の外は涼しかったのに、時間が経つにつれ、じわじわと汗がにじんでくるほど暑い日になって来ている。野良仕事を任されても問題ないよう、アリスは自分の黒髪を使用人用の出入り口で後ろで一つに括った。その横でエディはとんとん、と履き直したブーツのつま先を調整している。


「さあ、アリス。午後も頑張ろうか」

「うん」


 どちらからともなく呟く言葉は、見習い達の合言葉のようなもので、朝にも夕方にも交わされる。二人は同じ日にここへ連れて来られ、早く仕事を覚えるために毎日朝から晩まで走り回っていた。僕は八歳だから二つ年上、とエディは言ったが、背丈が大体同じくらいなのもあってか、何かと一緒に扱われている。


 庭を眩しそうに見つめる、エディの綺麗な淡い緑色の目は、ちょうどこの季節の庭に広がる鮮やかな新緑の色によく似ていた。やや落ちついた色の金の髪も、彼の優しい性格によく合っていた。

 

「ラックさんはどこだろう? 庭園に新しく造った休憩場所の片づけは、もう終わったと思うけど」


 ああいう建物を東屋って言うんでしょ、と二人はやや駆け足で芝生の上を進んで行く。普通の子供は簡単な読み書きを習うため学校へ通いつつ、家の仕事を手伝うのが役割とされていた。しかしアリスの両親は流行病で亡くなって、そういった子供の収容施設はどこもいっぱいいっぱいの状況である。似たような境遇の子供はたくさんいた。路上にそのまま放り出されないだけ、随分とありがたい待遇なのだ。領主のお屋敷で家令を任されている遠縁の親戚が、アリスの将来の労働力を見込んで置いてくれる事になって、年齢の近いエディを同じ使用人見習いだと紹介された。朝一番に鶏小屋で卵の回収と掃除、ご飯を食べた後は学校で習うような読み書きの勉強をして、午後はお屋敷での仕事を少しずつ覚えるようにしている。

 このお屋敷は小高い丘の上にあって、街からは少し離れている。今は跡継ぎとお嬢様がいて、その仕事と生活を支えるために、その何倍もの人間が雇われていた。



「いいかいアリス。……エディ君も色々と大変な目に遭って来ているからね。根掘り葉掘り、事情を聞き回るような事をしてはいけないよ」

「はい、家令さん」


 アリスは親代わりの言葉に従って、エディの詳しい事情を聞き出す事はしなかった。自分だって、もう会えなくなった両親との事を聞き回られたら、きっと嫌な気持ちになるのはわかり切っている。これまでとは何もかも一変した生活において、もう一人の見習いの存在はアリスにとって心強かった。少々愚痴や泣き言を零しても、最後にはがんばろうと励ます言葉を掛け合える。


 性別が違うので、将来は別々の仕事をする事にはなるのだろう。しかし、一番最初の辛い時期にこのような相手がいてくれるのは、きっと大きいに違いない。




 二人が屋敷の外に広がる庭園の入り口に足を踏み入れると、暑いとさえ感じていた空気は一変する。庭師が丁寧に剪定した木々が強すぎる陽ざしをさえぎって、奥へと続く小道にはひんやりとした空気が漂っている。葉擦れの音と涼しい風がもっと奥へ、と二人を呼んでいるかのようだった。

 

 春に芽生えた新緑の間を、光の橋が、小道にいくつも降りてきているのが見える。その光景はちょうど、雨上がりの雲の切れ間によく似ていた。


「ほら見てエディ。こうやって……」 


 空から降りて来る光の筋は、天使の来たる道である。教会でのありがたいお話によると、地上に病と穢れが蔓延した際、空から天の使いが降りて来て、人間達に浄化のための天上の火を授けにいらっしゃのったのだそうだ。

 その力にあやかって、そういった空模様の日は子供を外に出して陽ざしを浴びさせる習慣があった。健やかな未来を願うやり取りが、どこの家の前でも見る事ができる。また、空にかざした手のひらを、どこも触らないように気をつけて、家の奥で横になっている病人のところまで行って、苦しい場所を撫でてやって快復を望む。


 それらは古くからある、優しい祈りの一つであった。アリスは手の平を陽光にかざして、実体のない光の幕に手を触れてみせた。横でもエディが同じような事をやってから、お互いの目と手のひらをぴたりと合わせる。二人はあくまで仕事中だから、と抑えめの笑い声を発した。


「手品が上手になりますように、ってね」 

「時間が余ったら、ちょっと練習できるかな? ハンカチからキャンディを取り出したら素敵じゃない?」

「飴よりコインを出して、そこから別の見世物に繋げるのも良いと思うけど。……ああでも、お菓子はいいよね。そのまま配ったら喜ばれるかも」

 

 二人には手品、という共通の趣味があるのも、仲が良い理由の一つだった。あのサーカス見物以来、二人はすっかり虜になってしまっている。帰りに物販へ駆けこんで、一番安い手品用のコインを購入して、ずっと練習していた。そして最近一番初歩の、コインで必ず表を出す、というのをようやくできるようになったところだった。


 立派な使用人になるという目標以外にも、手品を覚えて夕食の時に披露して、みんなから拍手喝采を浴びてみたい。些細な目標は、仕事の糧でもあった。



「でも、コインの裏表は必ず同じ回数、って誰が決めたのかしら。エディは誰だと思う?」

「空の上にいる神様でしょ。きっと、今日の天気を決めたり、海とか山とか創ったり、ここの港は冬でも凍らないとか、色々考えるんだよ。身分とか貴族とか、みんなが暮らしやすいように」


 ふとした疑問に、エディがわかりやすいように答えてくれる。彼は頭がいいね、と家令もよく褒めていた。

 コイントスの結果は表と裏の、どちらかに偏ってもおかしくないのに、とまだ読み書きの勉強中のアリスは思ってしまう。しかし何回も試すと、大体同じ回数になるのだそうだ。


「じゃあさ、必ず表を出せるようになった私達って、神様の決めたルールに勝ったって事?」


 大袈裟だ、とエディは笑う。しかし小道をしばらく進みながら色々と考えを巡らせたようで、最終的にはそうかもしれない、とアリスに同意した。



 

「……それにしても、ラックさんいないじゃないか」

「木の梯子を探せって言うけど」

 

 二人の見習いは、昼食後は廊下の床磨きや厨房の手伝い、外へ出て庭師の助手を努める事が多い。草むしりや土を運ぶなど、ラックも簡単な仕事を見習い達へ割り振って、自分にしかできない専門的な内容に、限られた時間を使う事ができる。


 一口に使用人と言っても様々な経歴の持ち主がいる。庭師のラックは若いながらも腕を買われ、他所からやって来た男である。これは珍しくて、全体としては侯爵家傘下の家から行儀見習いを兼ねて来ているとか、先祖代々の使用人の一族である出自の者が多いそうだ。


 そんなわけで使用人は適材適所。親代わりにして使用人の総まとめ役である家令の教えに従って、二人は早足でさらに奥へと向かう。ラックと手の空いた男手で、主一家の面々が心を休めるために庭の一画に屋根付きの休憩場所を作っていた。その東屋は昨日、あらかた完成したそうだが、まだ柱の清掃等の仕事が残っているかもしれない。


 庭師の仕事道具の一つ、木の梯子を探して小道を進むと、やがて開けた場所に出た。真新しい屋根の下から話し声が聞こえる。


「ラックさん、お疲れさまです! ……何かお手伝いを」

 

 二人は元気よく声を掛けたが、そこは庭師ではない人間の休憩場所として早くも利用されていた。居合わせた三人分の視線が使用人見習いへと向けられる。


「……し、失礼しました!」


 できたばかりの憩いの場所にいたのは、座って本を広げている御屋敷の跡継ぎと白い帽子を被った彼の妹、そしてお目付け役の上級使用人の少年だった。

 

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