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7 飛べ! たいやきくん

 月曜の朝、緑のボルボ940ステーションワゴンは、下りの首都高川口線を走りながら、埼玉県の北東方面へと向かっていた。

 川口を過ぎて直線に入る。防音壁ごしに遠くの施設やマンションの給水塔が過ぎていく。そこそこ流れてるな、とサングラスをかけた管地がちらりと空良を見る。

「寝てんのか? えらく静かだな」

「起きてる。……静かにしてるのは得意だから」

 明らかに眠そうな空良が、半開きの目をして答える。知ってる、と減速しながら管地が肯いた。

「お前がウチに来るとき、うるさいガキはごめんだと言ったら、うるさくないことにかけては保証すると安藤が言ってたくらいだ」

「しゃべるのは苦手だから」

「それもとっくによーく知ってる。おかげで愚痴や悪口も出てこない。悪いことじゃない。でも、話しかけられたらなんか言ってくれ。俺が淋しいだろうが」

「わかった」

 空良は変わらないままの景色を眺める。東北自動車道に入り、浦和料金所を通過すると付け足すように管地が言った。

「あと挨拶はしろ。相手が誰であろうが、朝はオハヨウゴザイマス、日中はコンニチハ、仕事でオーケーもらったらアリガトウゴザイマスだ。ちゃんと発音しろよ」

「うん」

「よし言ってみろ」

「オヤスミナサイ」

 目を閉じる空良を管地が小突く。埼玉スタジアムを過ぎて外界を遮る壁が途切れると、空良も興味深げに窓の外を見た。岩槻付近に入り、開発中の区域をぼんやりと眺める。

 あれっ、と空良が高速で過ぎていく廃物置き場に目を見張った。その中に、白衣を着て暗い肌色をした人形が見えたような気がした。


 蓮田を通過し、白岡、久喜を抜け、加須で東北自動車道を降りると、しばらく見通しの良いバイパスを走る。どこまでも広がる田園風景に、再びうとうとしていた空良が呟いた。

「ここもいいところだね。よく眠れる」

「お前のイイトコロの基準は寝床かよ。風呂場だの押し入れだので寝たがるくせに」

「なんか、すごく寝やすいから」

「そりゃお前、見えてるモノに警戒しすぎなんだよ。『これは自分にとって危険なモノか?』『ここは危険なコトが起きないか?』ってな。だからゴチャついてる場所は、視覚情報の処理が追いつかなくて緊張が解けないんだ」

「……あとここは、色がやさしいから」

 空良は風にうねる一面のやわらかな緑を見た。いまひとつ冴えなかった空も青さを増し、夏らしい田園の絵がどこまでも続いている。

「……そこまで赤がダメってわけでもないだろ」

「そうだけど、ここはキレイだ」

 そうか、と管地はウインカーを出し、広い十字路を左折してバイパスを抜けた。緑の中を走るボルボはのどかな住宅地に入り、いくつかの古い家並みを過ぎたところで停まった。

 ここだ、と管地が車を降りたのは、店舗面積の半分以上が倉庫や生活スペースとなった古い雑貨店だった。店として機能しているのは煙草を売る窓口と洗剤などが置かれた店頭付近で、その入口周辺も大量の植木鉢や水の入ったじょうろに占拠されている。

 その横には増築された簡素な小屋があり、プロパンガスの小さなボンベが置かれていた。

「鯛じゃない」

 小屋の看板を見た空良が眉を寄せる。茶色いトタン張りの小屋に掲げられた看板には、どう見ても鯛には見えない魚の絵と、『鯉のぼり焼き』という黒く太い文字があった。

「この辺じゃ鯉のぼりが名物だからな」

 管地が『鯉のぼり焼き屋』の小窓をこつんと叩く。背伸びをした空良が店内を覗くと、鯉のぼりの形をした古い焼き型が黒く光っていた。 

 管地は店の裏側に回り、古い知人でもある店主に声を掛けると、二人はそのまま店主の家に招かれた。店番しなくていいのかよ、と心配する管地に、いいのいいの、と依頼主の年配の男は、商品である『鯉のぼり焼き』を振る舞いながら説明した。

「これがスタンダードなつぶあん、新作のバナナカスタード。ほかにも裏メニューで、塩バターあんも考えてるんだけど」

 難しい顔で新作をテイスティングする管地の様子を見て、恐る恐る空良もそれに口を付ける。管地は慎重に咀嚼していた鯉のぼり焼きを飲み込み、店主に聞いた。

「で、コレに合わせた鯉のぼりの絵でも描くのか?」

「いや、最初はのぼり焼き一筋で行こうと思ってたんだけど、夏はあんまり出ないからさ、かき氷とかも売ってみようかなって思いついちゃってさ」

「思いつくのが十年とひと月遅いんだよ」

 明日はもう七夕だぞ、と管地が麦茶を飲む。いいじゃんいいじゃん、と店主は片目をつむりながら両手を合わせた。

「そんなわけで、鯉のぼりとかき氷の良さが伝わるような感じで一発頼むわ。あの小屋丸々好きなようにやってくれちゃって構わないからさ」

「……ソフトクリームは?」

「あ?」

 立ち上がろうとした管地が、動きを止めて空良を見る。空良は九谷焼の大皿に横たわる短めの鯉のぼり焼きを見ながら、控えめな声で言った。

「かき氷は夏しか食べないけど、ソフトクリームは冬でも食べたくなるし、青空に鯉のぼりとか、雲みたいなソフトクリームは楽しい絵になる……と、思う」

 おっ、と管地が意外そうに口を開ける。なるほど、と店主ももみあげに指を添えながら納得したように肯いた。

「それもそうか。あずきもあるし、その気になればあずきクリーム氷とか、五家宝あずきソフトなんかもアリだな」

「いやいや、あんまり手びろくやんない方がいいと思うぞ。あとなんでも名物だからってとりあえず入れようとか考えるなよ?」

「でもウミちゃんだって、ちっさい頃はシャケ入りのやつをおいしいおいしいって食べてくれてたじゃん」

 ウミちゃん? と思わず空良が管地を見ると、ウミちゃん言うな、と管地が店主を睨む。えー? と店主は悪気のない笑顔で言った。

「昔っからみんなウミちゃんって呼んでたじゃん」

 ノウミってヘンな名前だよねえ、と店主が空良に同意を求めると、うん、と空良は素直に肯きながら聞いた。

「管地、ソフトクリームにシャケ入れて食べてたのか」

「のぼり焼きの方だっつの。サーモンのサンドイッチみたいなもんだろ」

 管地は一応店主に絵柄や方向性を確認すると、とっととやるか、と空良を促し外へ出た。養生シートやテーピングを済ませて、速やかに下地を塗る。そんな本格的にやんなくてもいいよー、と顔を出す店主に、いいからしばらくすっこんでろ、と管地が睨んだ。

 小屋の正面に明るい青を塗り、ソフトクリームの雲を浮かべ、かわいげのある鯉のぼりを泳がせる。明るい空色を基調とした、依頼人の希望に添った楽しげな絵を完成させると、管地は小屋の側面を眺めて言った。

「ちょい空良、まだ時間あるからこっちもやろうぜ。サービスだ」

 わかった、と空良が塗料を移動させる。管地はにやりと笑いながら別の塗料を指定し、ボルボの荷台から資料を取り出し絵柄を指示する。ふうん、と興味深げに肯いた空良は、資料を元に精密な絵を素早く描き上げていった。

「お前、こういう絵の方が捗るみたいだな」

 空良の背後で管地が楽しそうに呟く。ポップでイノセントな鯉のぼり焼き屋の側面には、目力と躍動感のある、日本画タッチの鯉が尾をくねらせ飛沫をあげて滝を登っていた。

 店主が再び様子を見にくると、管地はシートで隠した側面を見せないよう正面に誘導し、どうよ、と空色の絵を見せる。いいじゃんいいじゃん、と満足げに肯く店主に、真面目な表情で管地が言った。

「あと小屋の横っ腹もサービスで塗っといた。まだ乾いてないから、明日の朝までシート取るなよ?」

 そうなの? と側面に回ろうとする店主を制し、だから明日まで外すな、と管地が帰り支度をする。片付けを済ませた空良を乗せてボルボのエンジンを掛けると、ありがとねー、と店主が手土産に五家宝を空良に渡した。ばあちゃんのことよろしく頼むわ、と手を振り、管地が緑のボルボを発車させる。

「さてと、なんか食ってこうぜ。甘くないヤツ」

 何食いたい? と国道に抜けながら管地が聞く。空良は手渡された棒状のきな粉菓子を見ながら言った。

「……あんまり珍しいやつじゃないのがいい」

「わかってる。お前も妙なモノばっかり食わされたせいで、得体の知れないモノ食うのが怖いんだろ。わかるぜ。俺もジンギスカンキャラメルとか、フィンランドの黒飴なんかを土産にくれる親戚が人として信用ならねえ」

 のどかな街並みを抜け、しばらく走ると飲食店の数が増えてくる。目の前を過ぎていくうどん屋やラーメン屋を眺めながら空良が呟く。

「でも、管地が平気だっていうのは食べれる。……のも多いよ」

「ほう、そしたら新たなチャレンジだ。寿司食うぞ。つっても回る方の寿司な」

 回るのか? と空良が驚いて目を見開くと、回転寿司知らないのか? とさらに驚いた顔で管地がウインカーを出した。その先には回転寿司屋の看板がある。

「お前、世間知らずってレベルじゃねえぞ? いいか、寿司が勝手にぐーるぐる回ってるから好きな皿取って食え」

 管地は駐車場に車を停め、わかった、と緊張気味に肯く空良を連れて店内に入った。

「本当に回ってる。すごいな」

「だろ? その感動を大切にしろよ。そして人に言うなよ」

 魚市場を思わせる威勢の良い接客スタイルに空良が動揺する。案内されたカウンターに座った管地が鰯やマグロの皿に手を伸ばした。

 しばらくして店の世界観に慣れた空良が、レーンに流れる真鯛や目鯛に手を伸ばす。

「お若いのに、わかってらっしゃいますねえ」

 続いてイサキや穴子の白焼き握りを取る空良に、店員が嬉しそうに笑いかける。いくら軍艦を飲み込んだ管地が呆れたように言った。

「単に赤いの避けて白いの食ってるだけだよな」

 偏った奴め、と玉子を取った管地が一貫だけ食べて空良に勧める。空良は考えるような顔で玉子をゆっくり食べると、ふと真面目な目をして聞いた。

「……赤いのもある方がいい?」

「寿司の話か? パレットの話か?」

「どっちも。本当は全部必要?」

「パレットの話なら、絵を描いてる奴が判断することだ。見てるだけで滅入る色ならわざわざ使うこともない。そしてここは回転寿司屋だ、マグロ食わなくても寿司屋は怒らん。食いたくない皿を取る必要もない。自分が食いたいもの、心地良い色を受け取ればいい。大体、色に遠慮してたら務まらんのに、どうして絵描きになりたいんだ?」

 管地が湯飲みを置いて空良を見る。空良は流れていくコーン軍艦をぼんやりと目で追いながら言った。

「絵を描くのだけは苦手じゃないし」

「ロックンロールで食っていきたいってのとそんなに変わらん。わかってるかもしれんが、どんな仕事でも、やってりゃ勝ち負けってのはくっきり出てくるぞ」

「……それでも、ヘンな絵じゃなければ、人に嫌がられることもないと思ったから」

「そりゃわからんぞ? 評価は他人からもらうんだ。大胆で馴れ馴れしい商売上手な友人でもいなけりゃ、コミュ障画家が食っていくのは難しいんだぜ」

「……だから安藤と友達なのか」

 空良が湯飲みを両手で持ったまま管地を見る。管地も持っていた湯飲みの底を揺らし、それを飲み干した。

「俺から近付いたと思うか?」

 いや、と空良が首を横に振り、だろ? と管地が肩をすくめる。会計を済ませて寿司屋を出ると、二人は車に乗り込み東北自動車道で帰路についた。

 久喜白岡を過ぎ、蓮田サービスエリアを通過する頃、空良が思い出したように言った。

「……次で降りれる?」

「あ? トイレなら蓮田が最後だぞ?」

 もう少し早く言え、と焦る管地に、そうじゃなくて、と空良は先に見える緑色の標識を指差す。二キロ先にあるのは岩槻インターチェンジだった。

 空良の頼みで岩槻で降りた緑のボルボは、東北道脇の国道をゆるゆると走り、倉庫や資材置き場が点在する区域で停車した。待ってて、と空良が廃物置き場の前で車を降りる。

 勝手に入るなよ、と心配する管地をよそに、空良はうずたかく積まれた廃物の箱庭をずんずんと進む。割れた黒板や凹んだスロットマシーンを避け、いくつかの古いマネキンが寄せられている一画から、白衣を着た一体を管地に見せた。

「ケイラク人形ってこれ?」

 なんじゃそりゃ、と管地がサングラスを押さえて空良に近付く。それは白衣のあるなしとは別な意味で他のマネキンとは明らかに違う、ヌーディな頭から全身にかけて鉄道路線図のような点と線が記されている、古い木製の人形だった。

「……経絡人形だったこともあるとは思う。良くは知らんが」

 特殊なマネキンとして使用されていた可能性を考慮する管地に、空良は葉月から聞いた話と、行きがけにこの白衣の人形が目に止まったことを大まかに話した。へえ、と管地は面白そうに経絡人形をあちこちいじり回す。

「取れてるのは指だけじゃないな。アゴがそっくり外れてる。……なんか知らんが、妙に内側の方が丁寧に造ってあるぞ?」

 ほれ、と管地は人形を見せた。ほんとだ、と空良が空洞になった顎のあたりを覗き込む。壊れたというよりは、元よりそういう造りのように、顎だけを外された形跡があった。

「指は取れたから絆創膏で繋いだって」

 空良は人形の右手をつかみ、絆創膏の巻かれた指を見せる。ほう、と白衣のポケットを探った管地が小さな銀色の円盤を手にのせて聞いた。

「で、コンパスってこれか?」


 浦和から再び東北道に入り、川口線で東京方面に向かう車の中、空良はコンパスの針が揺れるのをずっと眺めていた。どうすんだそれ、と管地が不思議そうに空良を見る。

「せっかく見つけたから、葉月に渡す」

 そうか、と管地はアクセルを緩めた。東領家を過ぎ、遠くにスカイツリーが見えてくる。次第に車が増えてくる夕刻、緑のボルボは荒川を横目にのんびりと走っていった。


 青山のマンションに戻ると、管地はとりあえず汗を流すためにバスルームへ向かった。空良も細かな道具を片付けたあとにシャワーを浴び、汚れた服を洗濯機に入れる。

「いつも管地は服が汚れなくてすごいな」

「あれっぽっちの仕事でペンキまみれになってたまるかっつの」

 キッチンで夕食を用意している管地が大きな声を出す。気をつけていてもいつの間にか服が汚れている空良と違って、管地の服に塗料や絵の具が付くのを見たことがなかった。

「常に背広にネクタイで油絵描いてた画家もいる」

管地はテーブルに適当な生野菜と茹でたソーセージの皿を置き、黒オリーブをつまむと棚から大判の画集を出した。着替えた空良もピクルスをつまんで開いたページを覗き込む。自画像らしき絵の中の男性は背を向けていて、黒っぽい上着の首や袖からは白いシャツがのぞいていた。その姿勢の良さや整えられた頭髪などからも、きちんとした人物のように見える。

「この人、なんか不思議だけど……空の絵が多いね」

 空良がページをめくりながら言った。マグリットな、と管地が一旦画集の表紙を見せる。

「青い空と白い雲、謎の紳士も多い。あと鳥と卵も多いな」

「でも、どれもきれいな空なのに、鳥が飛べない空みたいだ。天井や壁に空の絵を描いて、安心させて閉じ込めてる」

手を止めた空良がページを見つめる。絵の中の明るい青空は、暗黒を隠している小さなカーテンの内側だった。ほかにも、布切れのように切り取られた空や、室内の壁紙として存在する空の絵がある。

「なるほどな。閉じた世界の壁紙なんだな、この青空は」

「でもきれいだ」

「だな。閉じ込めるためだとしても、閉じ込められる誰かのために、この空は描かれてる。その対象が自分自身だとしても、閉塞感に耐えるためには、この空が必要なんだ」

……と勝手に思ってる、と管地は本を閉じた。それよか食おう、とテーブルに促された空良は考えるような顔をして言った。

「閉じ込めようとするのは、外に出ない方がいいってことかな」

「どうなんだろうな。どこまでも外の世界を知ろうとしても、行けるところは限られてる。まだ誰もが地球の外まで出れるわけでもない。広い世界を知らなくても問題ないさ」

「管地もわからない?」

「わからなくていいんだよ。それでも自分の琴線に触れる絵を見たときは、震えが来る」

 そう言って管地がセロリを囓った。空良も納得したようにゆで卵を食べる。のんびりと二人が食事を済ませ、空良が皿を洗い終わる頃、玄関のチャイムが鳴った。

 ぼくが出ようか、と空良が手を拭くあいだ、さらにチャイムが二度鳴った。時計を見た管地は顔を顰めて空良に言い含める。

「いいか、新聞なら取らないからな」

 わかってる、と玄関に向かった空良が慎重にドアを開けると、立っていた初老の小男が大袈裟な身振りで挨拶をした。

「やあ空良くん」

「間に合ってます!」

 空良に追いついた管地が即座にドアを閉めようとすると、飛田は玄関に片足を滑らせて空良に向かって懇願した。

「そうおっしゃらずに……いやちょっと待って、ドア閉めないで、ねっ空良くん」

 トビタさんだから、と管地に断りを入れて空良がドアを開けると、やれやれ、と他人事のように飛田が玄関に入り込む。おっさんを甘やかすな空良、と飛田を見ないようにする管地に、まあまあスガチさん、と飛田が諭すように言った。

「目上の者に媚びないという姿勢は評価しますが、もう少し」

「目上だと思ってねえから!」

 何しに来た、と腕を組みながら睨む管地に、だってー、と飛田が上目遣いで長いまつげをぱちぱちさせる。

「せっかく友と奇跡の再会を果たしたんですから、昔話などしたいじゃないですか。でも日中はお出かけだったみたいなので、こんな時間にお邪魔した次第です」

「……今日は管地の仕事でカゾってところに行ってたから」

「おお、もうちょっと足を伸ばせば鬼平江戸処があるじゃないですか」

 あ、これどうぞ、と飛田が青い手提げ袋からヨックモックの白い包みを出して空良に渡す。それウチの近所の店じゃねえか、と管地がため息をついた。

「ほら、土産の五家宝やるから帰れ。大体なんでウチの住所知ってんだ」

「それは……空良くんから先日伺いまして」

 あ、いただきます、と飛田が五家宝の包みを受け取る。そんなこと言ったかな、と首をかしげる空良に、飛田は無理やり話題を変えた。

「いや、それにしても素晴らしいアトリエですな。こっちの妙な勢いがあるくせして変にねちっこい感じの絵は新古典主義っぽいし、あのぐにゃっとしたオブジェにはエロスとかタナトスなんかを感じます」

 勝手に上がり込んだ飛田が部屋を見回すと、適当なこと言いやがって、と管地が呆れる。こちらは? と窓辺にあるオブジェに飛田が近付き、それはぼくの、と空良が注意した。ほう、と飛田は窓際に置かれた唐草模様風の器を眺める。

「アールヌーヴォーの匂い漂うガラス工芸のようですな」

「それ、こいつがラクガキしたバニラクリームフラペチーノのカップだぞ」

 管地の言葉に飛田が器を手に取った。それはアクリル絵の具で唐草風の文様が施された、ドーム状の蓋が付いたプラスチックのカップだった。よく見ると、複雑な文様に紛れてコーヒー店のロゴである緑のセイレーンがひっそりと笑っている。

 これはこれでなかなか、と飛田がカップを振ってみせると、中でことりと音がした。

「それ、イワツキにあった葉月のコンパス」

 隠しといたやつ、と空良がカップから銀色の円いコンパスを取り出す。岩槻? と首をかしげる飛田に、空良は昼に見つけた経絡人形の話をした。



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