4 アキラ&ツインズのビューティートークショー
とりあえず4話までの主要人物。ほぼ登場順です。
小野丸 空良……無口で小柄な絵描き少年。
管地……空良の師匠。愛車は緑のボルボ940。
富仲……常に顔色の悪い、運び屋のボス。愛車は白のBMW。
間能……富仲の部下。金髪眼鏡。愛車は黒のハリアー。
小堀……富仲の部下その2。大男。
飛田……うさんくさい初老の小男。
伊原……元女医。愛車はダークレッドのメルセデス。
北条……伊原の部下。グレースーツに角形眼鏡。
安藤……クラオホールディングスの役員。大柄で色白。愛車は白のボルボS80。
あいなとあいみ……巨乳と美乳の双子モデル。
秋山……槙野組の幹部。
翌日の午前中、管地が丸の内にある商業ビルの地下駐車場に車を入れると、眠そうな目を見開いた空良が責めるような声を出した。
「神田に行くんじゃないの」
「その前にココの五階に用がある」
管地は空良を促して車を降り、係員に車を任せる。時間は、と空良が腕時計を覗こうとすると、無駄だぞ、と管地が左腕を振って見せた。
「俺のタグホイヤーの調子が悪いんだ、時計屋に預けてくる」
地下から地上一階へ出ると、エントランスに設けられた広いスペースに空良を待たせ、管地はエスカレーターでさらに上の階へ消えていった。
空良が広間にあるピカソの複製画を眺めているあいだ、その周辺ではIDカードを下げた女性がチラシを配り、奥に設営されたステージでは係員がマイクのテストを始めている。
壁のポスターによると、七月三日に化粧品メーカー主催のイベントが行われるとあった。ふいに空良にとっては十分すぎるボリュームで、スピーカーから明るい声が響く。
「アキラ&ツインズのビューティートークショー、本日午後、三時から開催です!」
気がつくと空良の近くには、華やかかつメイクには一家言ありそうな婦人達が整理券を求めて列を作っていた。ぐぐっと力強く引かれた赤い口紅や、青信号のように光る緑色のアイシャドウにぎょっとしながら遠ざかる。
しばらくして戻ってきた管地と地下へ降りながら空良が尋ねた。
「今日って電車に乗るの?」
「嫌なのか? 銀座線はそんなに赤くないぞ?」
赤い色があまり好きではないらしい空良に、管地がからかうように笑いかける。昨日のオムレツにもケチャップは使わなかった。
「色じゃなくて、電車は嫌いだ」
「ほう。そりゃ知らんかった」
「乗り物としては悪くないけど、つり革が使えない」
ああ、と察したように管地が空良の身長を再確認して肯く。空良は地下通路の先にあるみどりの窓口を睨んで続けた。
「あと、混んでるときはどうしてか、ぼくのところに人が来る」
「……隙間があると思われたんだな」
管地が携帯電話で時間を確認する。訪問予定の一時までは時間があった。食ってくか、と管地は遠くに見えるベーカリーを親指で示し、空良と向かった。
「ちょっと前までそこにプレッツェルの店があったんだけどな」
会計を済ませ、イートインコーナーの席を確保した管地は、色よく焼けたミートパイを囓りながら地下通路を眺めた。空良はアップルパイを頬袋に蓄えてもぐもぐと咀嚼する。管地は胸ポケットからボールペンを出し、ペーパーナプキンにハート型を三分割したような形を描いて見せた。
「プレッツェルは、盗みをやったパン職人が考えた形だとか、祈りを捧げる修道士の腕の形だとかって言われてるんだとさ」
「それ、ぼくは病院で、三位一体を表すって聞いたことがある。聖書とかの」
「お、どこで何を聞いてきたのか、面倒臭い単語知ってんじゃねえか。あの辺はなかなか言ったもん勝ちな話でな」
なにそれ、と最後の一口を飲み込んだ空良が首をかしげる。管地はパイの破片が付いた指を舐めながら続けた。
「大昔、西洋の絵描きってのは職人みたいなもんで、親方について壁に宗教画を描くのが仕事だった。聖書と関係ない絵は描けなかったし、宗教的な約束事を避けられなかった。つまり当時はなんの絵を描こうが、『聖書と関わる深い意味がありますから』って言い切る理屈が必要だった。三つあるものは三位一体を表してるとか、美女にバラやユリをつけて、マリアの清純だの純潔だのを表してる、とかな」
「最初から聖書の絵なのに?」
「そうなんだが、ただ描きたくて描いちゃったってのもあると思うぜ。たまらなく裸が描きたいなあ、俺ならすげえの描けんだけどなあ、ってな。でもそのまま描いたら怒られる。しばらくは聖書や神話、あとは歴史なんかの高尚な絵しか認められなかったんだ。だから全裸が基本のヴィーナスとか、頑張っても葉っぱ一枚のアダムとイヴを描く。男の裸ならひん剥かれて処刑されるシーンの聖人とかな」
「そしたら許されたの」
「お約束を守ってればな。逆に、そのルールを最大限に活かして拡大解釈すればなんでも描けるのさ。その辺にある日用品や小物にも象徴だの意味が決まってた。パンとワインの絵を描いてもキリストをテーマに描きましたと言い張れる」
「普通の絵は嫌われるの?」
飲み終わったジュースのストローをいつまでも吸いながら空良が聞く。んー、と管地は宙を睨むとアイスティーを一口飲んで言った。
「大御所の偉い親方は嫌がったんだよ。『こんなんウチじゃ認めねえ』ってな。今でもあるだろ、和菓子職人でも寺の坊さんでも」
そうなの? と空良が訝しげに眉を寄せた。食べたあとを片付け、トレーを持った管地が立ち上がる。
「そこをうまく納得させて通すための便利なお約束が、聖書に出てくる小道具だ。意味もなく薄着の美女や美男を描くととやかく言われるから、とりあえず頭に輪っかを描き足す。それなりの物を持たせば天使の絵だ」
「だからって、めちゃくちゃ描いたらだめじゃないの?」
空良が高い椅子からすとんと降りる。管地は愛らしいエプロンを着けたウェイトレスにトレーを渡し、ごちそうさん、と手を振り店を出た。
「大聖堂なんかのカタい仕事じゃ厳しかろうさ。お約束ギリギリセーフな奴もあったし、アウト食らって修正された奴もいる。そいつがめちゃくちゃ評価された」
ふうん、と空良がわかるようなわからないような顔をする。地下駐車場で車に乗り込み、神田方面へ車を出す。黙っていた空良が呟くように言った。
「裸、そんなに描きたかったのかな」
「そりゃお前、美しい裸が描けるんなら描きたいし、そんなもんがあるならぜひ見たいし、欲しがる奴がいたから絵描きが食ってけたんだ。依頼してくれる金持ちの肖像画に美しさを上乗せしたり、依頼主の望みに沿ったオプションを足すのも仕事だ。エロい絵を堂々と飾って眺めていたい依頼主のためにも、こっちが高尚な言い訳を用意するのさ」
飲食店や古書を扱う店をいくつも通り過ぎ、管地のボルボ940ステーションワゴンは三日前に訪れたヒーリングスパ極楽の逆方向へ曲がった。さらに細い道へ入って進むと、新しくはないがしゃれた造りのマンションが見えてくる。管地は向かいのパーキングに車を入れ、目の前のマンションの一室を訪ね、チャイムを押した。
「今回の仕事は弁天様だ」
「……ベンテン様」
わからないまま空良が復唱する。ドアが開き、お待ちしてました、と肌つやの良い中年男性が二人を迎えた。どうぞこちらに、とスリッパを勧めて空良に目をやると、確かめるように管地に聞いた。
「あの、そちらは」
「助手です」
子供ですよね、と男が気まずそうに管地を見る。まあそうなんですが、と管地は空良の肩をぺしっと叩きながら安心させるように笑った。
「ご心配なく。作業は私が行いますから」
「そういうことでは……」
餅肌の男が気遣うように空良をちらりと見る。とりあえず、と二人をリビングに通し、観音開きの棚の奥から、五十センチほどの木彫りの座像に手を伸ばした。
空良の視界を気にした男が微妙な高さに抱き上げたのは、木製であることを忘れるほど艶やかに磨かれた、琵琶を抱いた裸の弁財天だった。木肌の白さが失われることもなく、細部まで柔らかさを帯びていて、露わな乳房や臀部には温かさと瑞々しさの気配すらあり、その表情は美しくもどこか艶めかしく、力強い微笑をたたえている。
「その、あまり青少年向きではないといいますか……」
「あーいえいえ、これでもあと二週間すれば堂々とアダルトサイトに『はい』とアクセスできる年になりますから」
大丈夫です、と管地が苦笑する。大人達の心配を今ひとつわかっていない空良をよそに、実は、と男が弁財天を撫でつつ声をひそめた。
「縁起ものでこの手の弁天様はよくありますが、うちのはちょっと次元が違うでしょう? あまりに欲しくなりまして、大枚はたいてやっと手に入れたんです。なんとか弁天様にもその辺をわかって欲しくてね、上等の布で優しーく優しーく撫でるように拭いてやるのを日課にしてたらですね、とうとう夜な夜な出てきてくれるようになったんですよ、夢に」
「それは……また結構なことで」
どこか引きつったように肯く管地の脇で、眠そうな目をした空良が退屈そうに部屋を見回す。肌つやの良い男は、目を輝かせながら話を続けた。
「出てきてくれるぐらいですから彼女も満更じゃないわけで、でもそれなりに紳士的にとじわじわ距離を縮めていったわけなんですが、どうにも最後の一線が越えられないんです」
「……夢の話ですよね」
「もちろん、当然夢です。毎晩夢に出てきてくれてるんです。彼女も嫌がってるわけじゃないんですよ。こっちの気持ちもわかってくれてる、それなら何が問題なのかと聞いたら、『でも私のは』って」
そう言って男は抱えている弁財天をくるりとひっくり返した。安定性を優先したせいか、座像である弁財天が台座に接している部分の装飾や細工は、極力省かれている。
「ここだけつるつるなんですよ、つるつる。何も彫ってない」
「そのようですね」
ひどく真面目な表情を作った管地が深く肯く。あとはわかりますよね、という眼差しで餅肌の依頼主が管地を見つめる。管地は二秒ほどまぶたを押さえて息を静かに吐くと、生真面目な表情と声を作って言った。
「確かに、不完全な状態です。このままでは、弁天様も今ひとつ真価を発揮できません。これは著しく重大なエラーです。解決はお任せ下さい」
「私の要望も反映させてもらえるんですよね? つきましては参考資料の用意が」
「おい空良、自由時間だ」
別の棚をごそごそと探り始めた男の頭越しに管地が命じる。ハイ、と合い言葉のように返事をした空良は言われるまま玄関へ向かった。携帯電話の電源を確かめた管地が言う。
「夕方まで好きにしてていいぞ。あと、最近は妙な奴が多いから気をつけろよ」
外に出た空良は、午後の光に目を細めながら神田の通りを歩いていた。白く淀んでいたような雲は流れ、くっきりとした青空と強い光があたりを照りつけている。
空良はヒーリングスパ極楽を通り過ぎ、日本橋方面へ歩き出した。オフィスビルをいくつか過ぎ、製薬会社の近くにある駐車場の奥へ進み、スプレーによる落書きで埋め尽くされたコンクリートの壁の前に立つ。その壁は、礼拝堂の絵が描かれていた部分だけ、白いペンキで乱暴に消されていた。
空良は塗料の乾き具合を確かめると、駐車場をあとにした。白のペンキは塗られてからそれほど時間が経っていない。塗りつぶした奴はまだ近くにいるかもしれない。嫌な気配はなんとなく感じていた。
駐車場から急いで遠ざかり、気がつくと司町の近くを歩いていた。あまり人通りのない路地へ入ると、汚れた工事現場のパネルに目を止める。
どうするか、とポケットから画材を取り出した空良が考える。工事は中断してしばらく経っているようで、再開する気配もなさそうだった。確かなことはわからないけれど、散々落書きされた上にポスターが貼られ、さらにその上からもスプレーで上書きされていた。
「ラクガキか? もうどうにもならんから、ちょっとくらい描いていいよ」
真後ろからの声にびくりと硬直する。空良が恐る恐る振り向くと、土地の人間なのか、肩にタオルを掛けてステテコを履いた男が、アイスキャンデーを食べながら立っていた。
ありがと、と片言のように空良が礼を言う。キャンデーを咥えた男は笑って手を振った。
「なーに、わけわからん妙な絵より、子供の絵の方がなんぼかマシだよ」
その頃日本橋では、製薬関連企業の本社ビルが近い路上で、あまりたちの良くない風の男が三人ほど、イライラしながら黒いセダンに乗り込んでいた。白いペンキの缶を抱えた男が畜生だのクソだのと唱えながらドアを閉めると、車はエンジンまでもがいらついているように急発進していった。
すれ違いに、華やかな雰囲気の男女三人組がビルのエントランスから姿を現した。表に据えられた御影石の塊には『クラオホールディングス』とアルファベットが彫られている。
彼らが向かったのは本社ビルの専用駐車場ではなく、近くにある時間貸し駐車場だった。三人は車に乗り込むでもなく奥へと歩き、コンクリート製の壁の前に立つ。アタッシェケースを持って紺色のスーツを着た大柄な男と、ショートカットの黒髪にカラフルなタイトスカート姿の女性が二人、落書きだらけの壁を眺めていた。
「あー、こっちも消されてますね!」
華やかなネクタイを締めた色白の男は、白く塗りつぶされた部分を眺めて愉快そうな声を出した。スタイルが良く、同じ顔をしている二人の女性も口々に言う。
「全体的にもう少しきれいに塗り直せばいいのにね」
「下手な修正は不自然さがより強調されるのにね」
まあまあ、と笑いながら男は振り向かずに目だけで後方を確認すると、二人を促して駐車場を出た。何事もなかったような顔で車のキーを取り出し、クラオホールディングスの専用駐車場へと向かいながら車内換気機能をキーで起動させる。
「さあ、行きましょうか」
日差しを避けつつ三人は本社ビルの敷地から駐車場へ回り込み、日陰に停めてある白のボルボS80の運転席に色白の男が乗り込む。やっぱ暑いですね、と栗色の髪を掻き上げてエンジンをかけると、パステルカラーをまとった同じ顔の美女二人も、後部座席に乗り込んではたはたと胸元を扇いだ。
「暑いから早く車出そうよ、安藤」
「イベント三時からでしょ、安藤」
「余裕ですよ。道路空いてますし、打ち合わせも済んでますし、五分ですよ五分。それにあいなさんもあいみさんも、もうメイクバッチリじゃないですか」
そう言いながらも、安藤と呼ばれた色白の男はこころもちアクセルを強めに踏み込み、エアコンの温度を低めに設定した。永代通りに出て呉服橋を過ぎ、大手町駅前を左折する。
「まあ、打ち合わせもあんまり意味ないしね」
後部座席の右側にいるローズピンクのリップをつけた女性が困ったように笑う。左側にいるアプリコットオレンジのリップをつけた女性も諦めたように言った。
「もう、向こうも慣れっこだろうしね」
東京駅丸の内北口付近まで来ると、白いボルボは保険会社のビル手前から地下駐車場に入った。車から降りた安藤は係員に車を預け、二人を連れて一階へと向かう。
会場に到着した安藤は、スタッフへの挨拶もそこそこに手洗い場で念入りに手を洗い、身なりと靴をチェックした。背後でお互いをチェックしあっている同じ顔の二人を促すと、では行きましょうか、と三人でステージに上がった。待ってましたとばかりにマイクを持った司会の女性が高い声を出す。
「お待たせしました! クラオ製薬、クラオジェネリック提供の『アキラ&ツインズのビューティートークショー』ただ今より開催いたします!」
天ぷらを揚げているような拍手の音の中、一歩前に出た安藤を示して司会者が続けた。
「クラオ製薬によるコスメティックブランド、プフラスターの専務でありビューティーアドバイザーの、安藤アキラさんです!」
安藤が軽く手を上げて、女性ばかりの来場客を見渡す。拍手とシャッター音が響いた。
「そしてアキラさんの専属モデル、宇佐見あいなさんとあいみさんです!」
あいなさん、と紹介されたパステルピンクのスカートの女性がにこやかに会釈する。あいみさん、と呼ばれたパステルオレンジのスカートの女性はにっこり笑って手を振った。安藤はあいなとあいみを左右に従えてマイクを持つと、明るい声で話し始める。
「やあみなさん、本日は超強力な紫外線をくぐり抜け、ようこそ無事お越しくださいました! お会いできて嬉しいです!」
UVケアは抜かりないですね? と安藤はマイクを持ったまま、片目をつむって会場を見回した。はーい、と女性達が手を振りながら声を揃えて返事する。
さて七月のオススメメイクは、という司会の声に合わせ、背後のスクリーンにあいなとあいみの顔がアップで映った。あいなの可憐なロマンスメイク、とキャプションが入り、愛らしさを際立たせたメイクについて安藤が解説する。次に、あいみの魅惑なヒロインメイク、と銘打ってクールな攻めと色気を演出するポイントをレクチャーした。さらに二人の顔でいくつかのアレンジを実演してみせると、くるりと観客の方向を向いて笑った。
「さあ、次はあなたの美しさを追求するための時間です。美しさを演出するなら、たとえ大船観音にでもメイクアップしますよ!」
あいなとあいみがケープを外して立ちあがる。スタッフは会場の来客から希望者を選び、メイクを施す準備に入った。そのあいだも安藤と司会者のあいだでトークが続く。
「アキラさんは、『メイクアップアーティスト』ではないそうですが」
「はい、僕はあくまでアドバイザーです。例えばここにとんでもない美女がいたとしても、日々の心次第で醜く歪むこともあるし、土地や文化、時代が違えば見向きもされません。美しさの本質を生むのは、顔の造りではなく表情。それは僕が外側から動かせるものではありません。あなたにとっての最高を作り出すのは、あなた自身の力です」
「はい、アキラさんのキメ台詞が出たところで準備ができたようです!」
ぱっ、とスクリーンにスタンバイされた状態の少しぽっちゃりした女性が映り、安藤のカウンセリングを含めたメイク講座が始まる。肌質や理想とするイメージなどを語らせ、それなら、と並んでいるコスメやメイク道具を選び、その一つ一つを解説しながら女性の顔に優しく色をのせていく。女性の涼やかになった目元を示しながら安藤が語る。
「ご存知のように、こういった演出でまた個性が際立ちます。例えば目や眉、まぶたの形。何があなたに似合っていて、何を美しいとあなたが感じるのか。どんな自分になるかは、あなたが決めるのです」
安藤はブラシを持った手を顔から離し、もう片方の手を蝶のようにひらひらさせながら女性の顔を覗き込む。手鏡を手にした女性は少しだけ不安そうに言った。
「でも私、二重にしないままでいいんでしょうか」
「あなたのような切れ長でクールな一重に、欧米の男性はゾクっとするんです」
さあ完成です! という司会者の声とともにあいなとあいみが女性のケープを取り去り、安藤がうやうやしくその手を取って女性を前に立たせた。司会者から感想を聞かれ、質問はありますか? と向けられたマイクに、ぽっちゃりした女性は恥ずかしそうに答えた。
「えーと、アキラさんは、どんな女性にゾクっとするんですか?」
「えー、僕ですかあ? そうですね、先日ゾクッとしたのは、すっごくキレイでめっちゃ完璧メイクの人が、女性じゃなかったことに気付いちゃった瞬間ですね。それはともかく、遠目には直線よりは曲線、本能的にふっくらした感じの女性に目が行きます」
ぽっちゃりした女性を安藤が見つめると、おおお、と女性達がどよめいた。近付くと? という会場からの声にのんびり答える。
「そうですね、至近距離では肌や唇、髪や目元のコンディションなんかが気になりますね。まあ、僕もなかなかキレイなんで負けてないですけど!」
どっ、とどよめきが笑いに変わると、安藤は笑顔を作りながらも真面目な声で続けた。
「それでも、僕とあなたには決定的な違いがあります。僕がキレイになったところで何も期待されませんが、美しくなってしまった女性はドラマを期待されてしまう。この美しい人は、つぎにどんな仕草をして、どんな声で話すんだろう。人は美しい存在を見届けたくなるんです」
言葉を切った安藤は、紛れ込んでいた友人を見つけたような表情で会場の客達をじっと見つめた。はるか後方で販促品を陳列しているスタッフの首尾を確認して続ける。
「ですから、人目を引くほど美しくなるには覚悟してください。見られてしまうことを。そのうえで、楽しんでください。美しくなることを。そのためには、何よりまず自分を、自分の顔を知ることです。ぜひ鏡と仲良しになってください!」
「そんなわけで、プフラスターの今夏限定モデルでーす」
すかさず、販促品のコンパクトミラーを手にしたあいなとあいみがにっこり笑顔で安藤の両脇に立つ。安藤も思い出したような顔で上着の内ポケットから同じものを取り出し、今日はありがとう、とメイクを施した女性に差し出した。
「内側に秘めている美しさをどう表現するか。それを決めるのは、僕ではなくあなた自身なのです」
本日はありがとうございましたー、と明るい声が響き、にっこり笑った安藤が手を振りながら退場する。二手に分かれた物販コーナーはあいなとあいみがそれぞれ呼び子になり、あいなのスキンケアグッズがどうの、あいみの美肌メニューがどうのと盛り上がりながら華やかな色が揃ったチークや口紅、斬新な色合いの並ぶシャドウを次々とさばいていく。商品を入れた美麗な手提げバッグに販促品のコンパクトミラーを付け、あいなとあいみがにっこり笑いながら手渡しする。受け取った女性はうきうきしながらコンパクトミラーをその場で取り出し、包装を解いて嬉しそうに眺めた。
ふんわりと淡いピンクゴールドの、薄く優雅な楕円型をした合わせ貝のような鏡。その内側の隅には、安藤の扱うコスメブランド『プフラスター』のロゴと、大本の総合医薬品メーカーであるクラオホールディングスのロゴが入っていた。
イベント終了後、安藤達の三人は有楽町駅近くのカフェへ移動し、別件の打ち合わせを済ませてカフェを出た。安藤が立ち止まって首をかしげる。
「あれ? ここまでうっかりタクシーで来ちゃいましたけど、僕の車置いた駐車場って、結構遠くない?」
「地下で繋がってるから平気。日に当たらず行けるよ安藤」
そう言ってあいなが地下道へ続く階段を示し、高いヒールをものともせずにすたすたと降りていく。あいみも美しい姿勢のまま階段を降りながら言った。
「安藤って自分の車で移動したがるけど適当よね」
「ホント。ちゃんと本部が社用車と運転手付けるって言ってるのに」
「本部も呆れてるよね。要職なのに変な仕事ばっかりしたがるし」
インパクトのある三人に、通行人が二度見しながら通り過ぎていく。ふふふ、と安藤が愉快そうに返した。
「鳥だって自由に飛びたいし、飛ぶ空は選びたいんです」
「結構自由に飛んでるみたいけど」
「クラオホールディングスは嫌?」
地下通路を颯爽と歩きながらあいなとあいみが聞いた。安藤は白い歯を見せて答える。
「蔵尾一族なんて血の繋がった他人ですよ。一族として認められたいとか、僕そういうのないですし! 目指したくもない上を目指すよりも、今の方が生きてる実感を持てるってもんです」
JPタワーを過ぎて、丸ビルの地下入口に出ると、ファンシーなウインドディスプレイに目をやりながらあいみが言う。
「あら。安藤なら本家に気に入られて、そこそこ偉くなると思ってたのに」
「お仕事の成績もいいし、日頃の行いもそこそこいいしね」
あいなもディスプレイされたカラフルなランジェリーを見ながら言った。そんな二人に安藤は明るい口調で語る。
「そうはいきません。どれだけ信心深かろうが、正しかろうが悪かろうが、努力しようが怠けていようが、上へ行く人間は決まっていて名簿に記されている。世界が公平にできていないってのは、子供の頃、教会で教えられてますから」
「なんか私が知ってるキリスト教と違うのね」
「信じる者が救われるってわけでもないのね」
「現実的でイイじゃないですか! 人間風情が、自分の力でなんでも思い通りにできると思うなよ、ってコトでしょう!」
ふははは、と安藤が愉快そうに笑いながら、新丸ビルの地下入口を過ぎる。フローズンドリンクを片手に歩く若者達を羨ましげに目で追った。
「暑くなってきましたね。なんか、コーラフロートとかそういうの飲みたいですね!」
夕方、弁天様のいる神田のマンションに戻った空良は、餅肌の男から執拗に感謝されている管地の脇で、黙々と後片付けをしていた。
「ホントにスゴいです、スガチさん」
「いえいえ、そちらの理想に近付けたのなら何よりです」
「近付けたなんてモンじゃないですよ! もう、この辺とかこのあたりなんかの加減が」
「いやいやまあまあ、とにかくご満足頂けたならこちらも本望です。おい空良、そろそろおいとまするぞ」
そう言って管地はサングラスを取り出し、早々と装着する。急かされた空良はより早く終わらせるためにも丁寧にクリーナーをかける。依頼主の男は、管地が仕上げた弁天像を抱きながら心もち声をひそめて管地に言った。
「それでですね、このことはあの……あんまりよそには」
「もちろん、わかっております。これは大自然の生む奇跡的な造形美であり、人間風情が作り出せる代物ではないものです。偶然ならばご神体、故意に作れば猥褻物とかそういうやつです。弁天様の内なる美しさを発現させたのは私ではなく、あなた自身の力なのです。そんなわけで」
では良い夢を、と管地は手早く荷物をまとめ、とっとと行くぞ、とクリーナーをかける空良を引きずるように男の部屋をあとにした。
「……大丈夫なの?」
何が、と先の信号を見ながら聞く管地に、いろいろ、と空良が答える。
「弁天様の細部をリアルに作って欲しいという依頼に応えた。仕事としてはノープロだぜ」
もらうモンはもらったしな、と疲れたように言った管地は、ふっと明るい声で続けた。
「それに弁天様も、弁天様を作った奴も、これで落ち着いたと思うぜ。作った本人だって、心残りのままリリースすると気が晴れないもんだ」
「そうなのか」
「俺だってそうさ。あんなままにして悪かったなあ、当時はあの仕上げがイイと思ったんだよなぁ、とか思い出して眠れないこともあるんだ。今日の弁天様は『ココなんとかして』って訴えてたような気もする」
「……なんかすごいね」
「サン・ピエトロのピエタとか、アカデミア美術館のダビデ像作ったミケランジェロは、大理石の中に、掘り出してやるべき像を見てた。スゴい奴はとことんスゴいぜ」
管地は夕暮れの丸の内を抜け、霞ヶ関から赤坂方面へ緑のボルボを走らせる。
前を走っていた黒いセダンは、テレビ局付近で増えてきたタクシーを無理やり追い抜き、無駄にタイヤを鳴らして牛丼屋の手前を左折していった。
牛丼の匂い漂う狭い路地では、停車した黒いセダンから降りてきた男達が、暑さと空腹に苛々しながら、壁画のそばに座り込む男を眺めていた。
そこは閉店してしばらく経っているスナックで、脇にはビロード張りの円椅子や枯れた観葉植物の鉢が積まれている。奥には物置小屋があり、その朽ちかけた壁面に寄りかかるように男が座っていた。車から降りた男二人が何事か話しかけ、朦朧としている男の頬をぺちぺちと叩く。
そんな様子を横目に、もう一人の派手な柄のシャツに紫の上着を着た男が、携帯電話に向かって独特のイントネーションで報告した。
「ベロベロなってますけど、生きてます。……はい、ひとまず車乗せます。こんなトコ置いとくわけにもいかんので。秋山さんは?」
周囲の目を配慮した二人の男は、酒癖の悪い知人を介抱するように、ぐったりした男を車の後部座席に乗せた。ドアを閉め、会話もままならない男に向かって怒鳴りつける。
「おい! お前にヤク売ったのはどこの奴だ?」
わかんない、と恐れる様子のない男の異様な発汗と匂いに、両脇の男達が顔を背ける。ざけんなてめー、と右側の男が焦点の合っていない男の耳を強く掴む。しかし男は痛みや恐怖を感じる余裕はなく、ぶるぶると体を振るわせるばかりだった。紫の上着を着た男が助手席に乗り込み、通話状態の携帯電話を持ったまま、後部座席で震える男に話しかける。
「あのな兄さん、こんなフルーティなニオイの錠剤でご機嫌なってたのと違う?」
助手席の男は、錠剤が入っていたらしいアルミとプラスチックを合わせた空のパッケージを取り出し、男の鼻先でひらひらと動かした。その残り香に反応した男の焦点がふっと目前のそれに合い、震えながらも言葉を発した。
「それ……絵、描いてた子が」
「絵って、あの辛気くさい壁の絵か? 子供なんか?」
うん、と肯いた拍子に、男は白目を剥いてぜいぜいと喘ぎ始める。左側の男がシートに付いた赤くじっとりとした汚れに気付き、畜生、と舌打ちしながら男の後ろ頭に触れた。
喘ぐ男の後頭部に付着していたのは血液ではなく、先刻まで背にしていた壁画の、まだ乾いていない赤の塗料だった。あー、と紫の上着の男は顔を歪めて、耳に押し当てている携帯電話に向かって言った。
「これ、そっち着くまでもたんと思います。情報取れるだけ取ってみますけど、わざわざ秋山さんが面談することないですよ。車汚される前に直送しときます」
男は通話を切り、再び車を降りた。物置小屋の周囲や地面を見回しても、売人に繋がる手がかりになるような物はない。しゃーない、と物置に描かれていた絵を睨む。
薄暗い礼拝堂に転がっている男達。左右の壁に掛かる額絵と、そのあいだに立っている白衣の女性。その背後にある十字架と、鳥や天使がいる青い天井画。
天井の青に舞う天使の手には、描いたばかりの赤いリンゴがあった。