宵闇
1章 「宵闇」
『兄さん…。兄さん、どうして。』
少女は宵の森を走る。
服は所々破れ、靴は泥が固まったまま。
この地方の特有の民草の服装。
だが、輝きを放つ白銀の髪と蒼の瞳が民草と違う異質さを放っている。
少女は今から数刻前、夕闇迫る村を出た。
それまでは記憶を失い、ただの村娘として若い父親に養われていた。
村をアドリアン皇国軍が取り囲んだのは突然だった。
父は血相かいて少女、セイレーンを家に閉じ込め隠し扉から袋をひとつ持たせ、追い出した。
『セイレーン、生きてくれ。生きて…、幸せに。』
剣を手にした父は言った。
父の背中を見て、あたしはすべてを思い出した。
あれは、父ではない。
ふくろに入ったここらの農民の少年用の麻の服と短剣。父、セインの名の入った15の少年の身分証とセイレーンの同じく15の身分証。
父はすべてを悟っていた。
そして、すべてを覚悟してセイレーンを育ててくれた。
若かったから、どれだけ苦労したろう。
その上、娘だなんて嘘までついて守ってくれた。
『お兄様、あたし、決めました。』
覚悟と共に髪を短く切り揃え、服を着替える。
お兄様、待っていてください。
あたしも敵を打ったらその暁にそちらへ向かいますから。
そうしたら、また家族一緒です。
水溜まりに浮かぶのはまだ、あどけない幼さを残しつつ、凛々しく線の細い若い頃、そう、あたしを育て始めた頃のお兄様。
ずっと、苦しかったでしょうね。
貧しくてお腹が空いてもあたしにだけ食べさせてくれた。
年をごまかして、そこまでして。
かさっ。
あまりに食べてなくて動けなくなったあたし。
ああ、野犬の類いでもこの辺りにいたのかしら?
もうじき宵も明けるわ。
そうしたら、あたしはなにか食べるもの探さなくちゃ。
この森を抜けないと隣の大きい村には行けないし。
王都まであと、どれぐらいかしら?
早く、早くしなきゃ。
お兄様が一人で逝ってしまわぬうちに。
『ううっ…。』
情けない。早く先に進まなくてはならないのに。
あたし…。いや、僕は復讐の使徒。
名も無き故国の民草。
それが今の僕だ。
『僕は誓う。
故国、アルメリアの民草として立派に散ることを。
今は無き父と母、兄に立派な戦いぶりを見せる。』
この誓いは僕の命を持ってして有効となる。
古いアルメリアの騎士の誓い。
幼い頃兄に教えてもらった懐かしき言葉。
兄も誰かに騎士の誓いをしたのだろうか。
だから、あたしを守ってくれたの?
教えて。お兄様――――。




