駄犬たちの背比べ
職員室にたどり着き、突入の心構えもできたというのに、扉の向こうから漏れるザワめきが最後の一歩を踏み止まらせる。扉に掛けた手に力が入らない。
情けなくも逡巡していると思わぬ救世主が現れた。
「お、ミヤモじゃん。」
300人いる同学年の中でも、まさに適役者だった。彼はすでにテンポの良い会話を使って、自分の仕事に取り掛かり始めていた。
「なに、結果報告?」
広山重雄ことヒロシゲは俺と同じクラスでバリバリのお調子者。人懐っこく、加えて赤点四天王にひけをとらないバカだ。結果なんて聞かずとも見えている。
当然、スリッパも上履きも履いていない。
ヒロシゲに近づくというよりも、職員室から離れるようにヒロシゲに歩み寄り、尋ねてみた。
「で、どうだった?」
「落ちた。」
「だろうね。」
「お前は?」
「落ちた。」
「だろうね。」
「じゃねえとこんな時間に来ねぇよ。」
職員室前で2人でケタケタと笑ってやった。
秀才たちは生涯味わうことなんてないだろう傷の舐め合い。惨めな気持ちにさせる反面、気後れや苦悩といった諸々のつっかえ棒を取り払ってくれる素晴らしい儀式。
ヒロシゲはその祭司として、最高に有能だった。何と言うか、顔を見ているだけで和むのだ。
「どうする、帰る?」
もちろん帰るつもりはない。回りくどいがこれも儀式の段取りなのだ。
「ここまで来てそりゃないだろ。それよりさ、さっきスロットで結構儲かったわけよ。」
いやに上機嫌だと思ったらそういうことだったのか。
「マジ?じゃあ今から――――、」
「待てって。せっかくパーッと遣うってのに、ただ何となく行くのも、もったいネーじゃん?ここはイッパツ先公どもにかましてからにしようぜ。」
俺は失笑しながら親指を立てる。
ところが、ヒロシゲのように最高のタイミングで現れる奴もいれば、なんとも間の読めない奴も当然ながらいるのだった。
「さあ、いざ」というところでそいつは、いつもの能天気な声とともに現れた。
「お、宮本と広山か。どうだった。」
体育教師の八尋は相変わらず無神経だ。ヒロシゲはそうでもないみたいだが、俺はコイツが苦手だった。
体育教師=バカという偏見はないけれど、少なくともこいつはそれを助長する人間に違いない。
「落ちました。」
捕まらないように端的に、無感動に答えると「お前の成績ならいけるはずなんだがな。」とまたしても言ってはならないことを言う。
「広山は?」
「すんません。」と軽い返事の中にも誠意を感じさせるヒロシゲの言動は、八尋よりも格段に社会人らしい知性を感じさせる。
まんまと騙される八尋は親しげにヒロシゲ肩を叩き、「まあ、落ち込むなよ。お前なら大学へ行かなくてもイイ就職先が見つかるさ。」と勝手に進路を曲げる始末。何様だ。
この体育教師に唯一感心するところがあるとすれば、学校の生徒全員の名前と成績を把握していることくらいだ。
卒業生の名前も忘れないというから確かに凄い。だけど、それだけだ。
「お前は勉強に向いてないからな。」
「初耳だよ。」
「受験前にそんなこと言えんだろう。」
どの口がそんなことを言っているものやら。
「お前は断然肉体労働向きだよ。額に汗水流して人の役に立ってる方が机にかじりつくよりもよっぽどお前らしいよ。」
「消防車とか?」
八尋は大声で笑いだして、俺もそれにつられて笑ってしまった。
「消防『隊』だろ。なんだ『車』って。」
こんな、ありがちな面白くもなんともないやり取りを見ていると、実は二人はわざとバカの振りをしているんじゃないかと勘ぐってしまう。
「先生はなんで体育教師になったんすか?」
「なんだ唐突だな。」
「何となく。」
「ホント唐突だな。」
八尋の屈託のない笑顔は――坊主で十円ハゲをつければ――、某氷菓子の人気キャラクターに似ている。
「その話はおいといてだな。まぁ、入れ。諸角さんにもキチンと報告していないんだろう?茶も出すぞ。」
やはり俺は体育教師が嫌いだ。
八尋が派手な音を立てて扉を開けたからだ。そのせいで、音に反応した教師たちの視線が一斉にこちらに注がれたのだった。