啀《いが》みあう
俺が降りた駅は住宅街のど真ん中。そんな場所に用はないとでも言いたいのだろうか。この駅で一匹のハエも降りることはなかった。
アイツらは皆、ふたつみっつ先まで行くつもりなのだ。そこにはデパートがあって、オシャレなカフェがあって、カラオケもボーリング場もある。なんだってある。
そんなハエらを見送るのは大変なストレスだった。
駅を出ると空は雲一つなく、カラッと晴れていた。春の陽気な日差しに当てられると、心の中の陰鬱な影もまた増々クッキリと濃くなっていく。
『実に、遊ぶには絶好の日和だ。しかし、俺には全く関係がない。仕方がない。しょせん70億の世界の中心に俺は立っていないのだから。』
そんな感じだ。
溜まりに溜まった鬱憤は思春期の代名詞とも言える欲求に矛先を向けることになった。
私服なのをいいことに、アダルトビデオ店で気の済むまで居座ることにしたのだ。
店内には『俺たち』のあらゆる意欲をそそる『音』がエンドレスで流れ
ている。ここで買い物をすれば、抱えている全ての問題がとるに足らない物事のように思えてくる。
『思春期万歳!』俺は心の奥底で両手を高らかに掲げて叫んだ。
公では決して口にできないようなタイトルの商品を一つ手に取り、俺は3時間ほど子ども子どもした優越感に浸っていた。
店を出てもやはり、影は完全には消えなかったけれど気になることもなくなった。『思春期万歳!』
俺は太陽を睨め付けながらも揚々とした足取りで帰途についた。
けれど、そんな誤魔化しも、家に辿り着く前に儚く打ち消されてしまった。
「学校には行ったの?」
純愛だ何だと謳うドラマに熱狂的な人間からしてみればこれは、そういった『運命の出合い』的なものに近いのかもしれない。
もしかしたら『幼馴染み』という設定にはそういった魔力がを備わっているのかもしれない。さらにあいつは優等生で金髪ハーフ美人というステータスまで持っている。
「黒瀬ってさ、人形みたいだよな。」同級生にそこまで言わせるあいつはまさにそういう台本の下に生まれてきた『魔女』のような奴なのだ。
……いいや、もはや大人気ない抵抗すまい。確かに『運命的』だ。でもそれは全くでもって良い意味ではない。『赤い糸』ではなく、『悪戯』の方だ。
なぜなら、今まさに俺は全くのノーガード。いや、それどころではない。この右手には『思春期』という弱点を曝け出している。男として社会的大ピンチに遭遇しているのだ。
「いや、気分じゃなかったから行ってない。」
こいつの家まで一駅離れているというのに、休日の昼間だというのに、町中でバッタリ顔を合わせてしまった。
ここまで俺に対して運命が乱暴だと、もはや『それ』を隠す気も失せてしまった。
「電話もしてないの?諸角先生、アンタの連絡待ってるんじゃないの?」
意外にも、というかそれが大人な対応なのかもしれないが、魔女は俺の右手が下げている灰色のビニール袋に一度だけチラリと目をやる以上に『それ』について突っ込んではこなかった。
それにしても、頼んでもないのにまるっきり保護者気取りだ。普通、幼馴染みでも思春期にもなれば男女は少し距離ができるもんじゃないのか?というか、同じ大学に通おうとするなんてやり過ぎだろう。
これじゃあまるでアニメか何かの登場人物のようで胸焼けを起こしそうだ。
「行かなくても俺が落ちたことくらい他の誰かから聞いてるんじゃない?」
「そんなの分からないでしょ。」
私立受験を黙っていたこと、間違いなく怒っている。もはや負け戦だった。だが、
「賭ける?」
そう言うと、珍しく智代は眉間にシワを寄せて俺を睨み付けた。
「だったらアタシが行ってくるけど?」
「は?」
「誰だってイイんでしょ?だったらアタシが言ってきてあげるわよ。」
どうしてだか、俺は焦って智代の手を掴んだ。何度となく触れたことのある腕なのに、いつもよりも何倍も細く感じられた。
「分かった。行くよ。行ってくるから。」
ここまでの言動が無意識に出た。まるで操られているかのように。これも『幼馴染み』の魔力なのか……。
「っつーかさ、智代は何で俺が今日、受験日だって知ってるわけ?」
いいや、本当は分かっている。どうせ俺の家を訪ねた際に母さんがリークしたに違いないのだ。そして、智代から返ってきた答えは予想そのままだった。ついでに黙っていたことも怒られた。
「それで?何か用があって家に来たんだろ。」
一度家に帰る許しをもらった俺は、休日の昼間、人通りの少ない住宅街を2人並んで歩いた。