2匹の
今まさに人生の迷宮にはまっている私。自分のことがよく分かっていないから、歩いている道が正しいかどうかも分かりません。
それを教えてくれる友人や家族というのはとても大切ですね。気付きにくいですし、こそばゆい気持ちですが、心通わせられる人は大事にしたいものです。
卑猥なジャズを流しながら、身支度を整える。
髪は濡れていて、下着姿。前髪が視界を遮る度に今夜の自分の姿を想像する。
智代子は今夜、悠司に応えることだけを考えていた。
「智代、遅い。」
ジーパンにTシャツで黒髪のショートカット、モデルのような8頭身美女が息を切らせて駆け寄ってくる。悪くないシチュエーション。
「ごめん、ちょっとボゥとしてて。」
美女の名は黒瀬智代子。産まれてから大学まで一度も離れたことのない、社会人になってもこうやって頻繁に会う機会のある幼馴染み。
気心知れた友人と言えば聞こえは良いけれど、成人した男女に『親しい』なんて言葉が諸刃の剣だってことは、嫌というほど身に染みている。
「大丈夫か、熱でもあるんじゃない?」
『俺と智代に限ってそれはない。』なんて都合の良い例外もなかった。
「ううん、平気。それより、チャッチャと用事済ませちゃおう。」
いいや、もしかするとこれも俺の一方的な思い込みなのかもしれない。
なにせ、智代はパリコレモデルと並べても見劣りしない正真正銘の美女で、都心を歩けばスカウトマンの行列ができるかもしれない。
くわえて今までにしとめた男の数は両手両足でも足りない。それでいて男に媚びない、気取らない大人の女のプロフェッショナル。
対して俺は30年の間にそういう関係になった相手はたったの1人。そして長続きもしなかったド級のアマチュア。
俺はいつだって智代に手を引いてもらうような子どもで、智代はいつだって俺が思い描く大人の理想像だった。
ボーイッシュな格好をしていても、智代はまるでドレスを着こなすお嬢様ような品格を備えていて、幼馴染みといえど、こっちから声をかけるにはちょっとした度胸がいる。
智代を見ていると、『大人』とのはそういうものだと説教されている気にもなる。
智代は以前、同時期に平気で5人の異性と付き合うような人だった。
そんな女は世間的には゛尻軽女゛というのかもしれないけれど、俺はそうは思わない。思えない。
そのことについて尋ねた時、俺は初めて彼女の心を深く傷つけたと反省しているからだ。
「肉体的にも精神的にも余裕のある内に色んなことを知っておきたいじゃない。仕事に追われない日々ってのは未成年に許された最高の特権だからね。」
そう口にした智代はまだ入りたてホヤホヤの、ピカピカの中学一年生だった。
そんな智代に言わせれば、一般人の方がどうかしていると思えて仕方がないらしかった。
「だってそういう人たちって、自分の未熟さを自覚してなかったりするじゃない?やり直せない過去のことばっかり悔やんで、バカみたいって思わない?」
だから5股というのは、なんの説得にもならないと思う。関係の深さよりも人数を問題にする智代の考え方もいかがなものかと疑問に思えた。
あまつさえ、「手本になる大人がいないんだもの。自分で演じてみるしかないでしょう?」などとほざく。
子どもながらに『コイツ生意気なことを言っている』と思って見過ごすことしか、その時の俺にできることはなかった。
かといって、俺程度が感じることを智代が自覚していないはずがなかった。
「私だって馬鹿げてると思うし、言ってることも幼稚なのかもしれないけれど、だからこそ色んなことを知りたいの。男から。女から。」
俺はその時、人一倍傷つく彼女を想像した。普通よりも何倍も濃縮された人生経験は黒瀬智代子の人生も、人柄も、何もかもを壊すように思えた。
けれど、俺は止めなかった。その時点で10人以上の経験あった彼女が、全くそんな兆候を見せなかった彼女が少し恐くなったのだ。
「お前って変だな。」
そうして呟いた何気ない一言だった。つい口にしてしまった小さな不満だった。
けれど、その瞬間に見せた智代の表情はその後の俺のトラウマになるには十分過ぎるくらい衝撃的なものだった。
自分がとことんできの悪い人間だと思い知った。
母親に「お前なんて産まなきゃよかった。」と言われているのと同じなのだ。智代にしてみれば。
俺はその時になってようやく、兄弟を傷付け続けていたことに気が付いた。そんな様子も見せず、俺の側に居続けてくれた彼女が一番の肉親に思えた。
智代がどんな考えをしていても反発しないとその時、自分に誓ったのだった。
そんな事態になったのも、中学生から薄々と感じ始めていた智代への苦手意識が原因だった。
中学生というガキだった頃、すでにその片鱗を見せていた彼女は、ガキであることを楽しんでいた俺にとってコンプレックスの対象だった。反抗期の矛先も親にではなく、智代に向いていた。
だからこそ、成人した俺は誰よりも彼女を幸せにしたいと心から願っている。
反抗期を過ぎたからじゃない。人間的に彼女を超えたからじゃない。もちろん、彼女の恋人になったからでもない。
ただ、彼女のことが好きになってしまったからだ。