2話~下~
「これで三回目の空振りね。……なかなかしっぽを見せない、か……」
ミークが紅茶の入ったティーカップを両手で持ったままつぶやいた。今、ラーザでは、五人が頭を突き合わせて悩んでいた。
あれからずっと、例の不審人物は気配をひそめているのだ。
「あまりレイシアを危険にさらすわけにはいかないし…… どうしたものか」
ヴェルクが何気なくつぶやいた言葉に、ロザリオが、いたずらっぽく笑うと茶化した。
「どうした、ヴェルク。さすがに毎回女の子を運ぶのは疲れるか?」
「なっ……そんなこと!」
一瞬でヴェルクが赤面する。ミークがくすくすと笑っている中、セフィードまでもがうつむいた顔を右手で抑え、表情は見えなかったが小刻みに肩を震わせていた。
「セフィードにまで笑われるし…… 俺は全然平気だって! 事実レイはとんでもなく軽いし」
「わかった、わかった。……そんなにむきにならなくても良いじゃない……くっ」
ミークは、冗談をまともに受け取ったヴェルクを必死でなだめようとするが、笑いをこらえられない。
(笑ってる……)
初めて見る、三人の完全に気の抜けた雰囲気に、レイは心の奥が少し熱くなる。
(なんだろう、この気持ち……あったかい)
しかし、レイにはまだ心が暖まる理由がわからなかった。
次の日、授業が終了した後、レイはロザリオに魔法実習場に連れて行かれた。
「実は今日、あの頼んでおいた腕輪が届いたんだ」
言いながら、ロザリオは手に持っていた箱を手渡した。
箱を開けると、先日買ったシンプルなミスリル製の、腕輪があった。内面には細かく魔法陣が彫ってある。
「魔法陣の横に彫ってあるのが呪文だよ。試してごらん」
と言うと、ロザリオはどこからかリモコンを取り出して、少し後ろへ下がりながらスイッチを押した。すると、目の前の扉が開き、見せかけの小さな魔物が出てきた。本物ではないが、生身の生き物同様の反応をする。
オオカミによく似た魔物は、レイに気が付くと走り出した。
(『アグルス・レトラート』)
レイは呪文を唱えながら、腕輪をはめた手を体の前で横に振った。すると、魔法陣と古代文字が書かれた呪符が一枚現れた。
それを魔物に飛ばすように手を前に突き出すと、呪符はまっすぐ標的へ飛んでいく。あたった呪符は、目には見えない鎖で相手の動きを一瞬にして封じた。
「さすがだね。一発成功だよ」
ロザリオが機械のスイッチを切りながら近づいてきた。
「これで、もしもの時の時間稼ぎになる。呪符の効果は、何もしなくても二分が限界だからね。あまり頼りすぎないように心掛けるんだよ」
(二分か……。逃げるにしても十分いけるかな)
ロザリオの忠告に余裕の表情でうなずくレイだった。
「……あ、なんか伝言入ってる」
自身がはめている指輪のマジックツールの変化に気が付き、触れると、ヴェルクの声が響いた。
『ヴェルクです。魔物が出たようなので向かっています。お手数ですが、レイシアには、ラーザで待っていてくれるように伝えて下さい』
言葉を相手に伝える魔法だった。会話のように、双方同時には通信できないため不便な時もあるのがたまにきずだ。
「……だそうだよ。今日に限って出るなんて……。置いてけぼり……喰らっちゃったね」
あはは、とロザリオが苦笑いする。
(留守番か……暇だな)
しょんぼりと肩を落とすレイに、ロザリオが言いにくそうに声をかけた。
「それから……先生、今から職員会議入っているから、悪いけど一緒に行けないんだ」
(……勉強も見てもらえないのか)
いよいよ暇だな、と思いながらレイはロザリオがと別れて、ラーザへ向かった。
だいぶ、校舎内で迷子になることも無くなり、レイはラーザの扉を開けて中へ入った。ガタン、と後ろ手に扉を閉め、扉に身を預けて広い植物園(そう呼ぶことにした)を見渡すと、だいぶ植物がこんもりと茂っていた。
(そういえば、お母様もよくお庭でやっていたな……)
レイの母は、庭で育てた草花を屋敷の中に飾るのが好きで、いつも飾るものを変えては、レイにあれこれと教えてくれた。
(花が枯れそうになってる……それに、葉っぱも散らかってる……)
レイは物置へ行って、必要そうな道具を探し当ててくると、暇つぶしをかねて、掃除し始めた。
まず、落ちている葉や花びらを片付け、花に水をやる。日陰になってしまっているものは、木の剪定が無理なので場所を移した。
(これは、コリムの花……きれいな色)
しゃがんで水をあげながら、一人ひそかに楽しんでいると、急に目の前が光ってショウマとトゥリーンが出てきた。
『何やら楽しそうだな、レイ』
『レイはお花がお好きのようですね』
(……うん。一度やってみたかったの、こういうこと)
一通り作業を終え、次はどこをしようかと顔をあげたレイの目の前を、上から下へ何かがよぎった。足元を見てみると、そこには、木から落ちてしまったらしい蜘蛛がうごめいていた。
(きゃっ!)
びっくりしたレイは、後ろに尻餅をつき、持っていたじょうろを取り落した。
『レイ! 制服が……』
トゥリーンが悲鳴を上げる。
(いっけない! 汚しちゃった)
慌てて立ち上がり、汚れを払うが、スカートに水がかかってしまっていた。
(トイレで洗ってこよう……)
植物園の中央に小さな噴水はあったが、さすがにそこで洗うのは、はばかられた。
レイはラーザを出ると、一番近くにあるトイレへと急いだ。幸い誰も使っていなく、汚れを取り、タオルでできる限り水気をふき取るとそれほど気にならなくなった。
よし、とトイレから廊下に出ようとした時、体が何かに反応して、立ち止まった。
(何かが……いる。よくない感じがする……)
そっと廊下を覗いて確認するが、誰もいない。
(ショウマ、トゥリーン)
不安になったレイは、ペンダントを握りしめ、二人に話しかける。
『この気配は、おかしいな。……魔物の気配に似てないこともないが、そんなはずはない。だとすれば――』
『ラーザへ一刻も早く戻るのが名案ですね』
二人の言葉にありがとう、と返事を返したレイは、来た道を走って戻った。しかし、廊下の角を曲がったところで、レイの足が止まった。
(……!)
瞳の先には、黒いマントを羽織り、全身をほとんど隠した男が佇んでいた。
振り返った男はレイを見据える(?)と、レイからかろうじて見えている口元を歪めた。
「ふふ…… さっそく見つかるとは……運がいい……」
それだけ言うと、男はつかつかとレイの方へ歩み寄ってくる。
(う、動けない……。いや、来ないで……)
レイの顔が悲痛にゆがむ。逃げたいのに、恐怖心が足を床に縫い付ける。
男は、すんなりとレイの傍までやって来ると、人形をそうするかのように、レイの首をつかんで持ち上げ、小さな体を壁に押し付けた。
(うっ……。何、この人……力が……)
体に違和感を感じ、必死に抵抗を試みるが、何とも無いようだ。必死に周囲を見回し、ふと、つかまれている男の手首に目をやった時、妙な形の腕輪に気が付いた。
(この腕輪……おか……しい……)
まるで、腕輪に力を吸い取られているような感覚だった。
レイは、ありったけの気力を振り絞る。
(『ラデ・クォフ』)
レイの首をつかんでいる男の手首を両手で掴み、ついに魔法を使った。
なんとか、つけているマジックツールの効果であると思わせるため、極力、攻撃性としてはこけおどしに近い、触れたものに静電気ほどの微弱電流を走らせる術を使った。
思惑通り、男は驚いて手を放し、後ろへ数歩よろけた。
(げほっ……けほっけほっ……)
解放されたレイは、その場に崩れ落ち咳込みながらも助けを求めるため、周りを見渡す。
しかし、もともと人通りの少ない廊下であるためか、周りには誰もいない。
「くそっ…… 何しやがった!」
思った通り、男は腕輪を確かめるような仕草をする。
今のうちに何とかして逃げなければ、と必死に考えるレイだったが、目を開けているのがやっとだった。
「この、小娘が……!」
腕輪が大丈夫だったらしい男は、再びレイのもとへ迫ろうと歩き出した。
これまでか、と諦めかけたその時、レイは、男の背後に人影を見た。
(誰かいる!)
人影が走りながら魔法を唱えているのが見えたレイだったが、その微妙な表情の変化に男が気づいてしまった。後ろを振り返って、舌打ちする。
「ちっ……バレたか」
それだけを言い残すと、横の空いていた窓から、常人とは思えないほどの素早さで逃げて行った。
(せ、先生……)
見えた人影はロザリオだった。
レイは立ち上がり、ロザリオのもとへ向かおうとするが、自分が先程まで、目を開けているのがやっとであったことを忘れていた。
まともに立つこともできず、再び倒れこむところを駆け寄ってきたロザリオに抱き止められた。
(……力が……入ら、ない……)
ロザリオの「レイシア!」という声を最後に、意識が暗闇へと吸い込まれていった。
☆
「……」
セフィードがいつもより厳しい表情で、学院のある方向を見つめていた。
「どうかした? セフィード」
ヴェルクが、例の者がいないか走り回って確認しているのを横目に、ミークが、セフィードの変化に気づく。
(かすかによくない気配を感じるぜ……。セフィード)
ペンダントの中のルークからの声に、ああ、と心の中で返事をするとセフィードは、三人が揃うなり告げた。
「……早く戻ったほうがいい。嫌な予感がする」
いつもとは違うセフィードの様子に、二人は肝を冷やした。
はっ、とミークがおもむろに手帳を取り出して固まった。
「……予定では、今日職員会議があってる。レイシアちゃん……一人だわ」
レイシアの身に何かあったら……
顔を見合わせた三人は、一瞬後、ラーザヘと疾走していた。
セフィードの悪い予感は当たってしまった。三人がラーザヘ転がり込むと、ロザリオが走り寄ってきた。
「大丈夫かい? ……レイシアがやられた。ミーク、楽な服か寝巻を借りてきてくれ。……今回は、面倒なことが起きた」
ミークは、泣き出しそうな顔をしてだっと駆けて行った。
「ヴェルクとセフィードは、疲れているだろうけれど、守護神を呼び出してくれないか? レイシアがどういう状況か全くわからなくてね。守護神ならわかるかもしれない」
言い終わる頃には、二人はそれぞれの守護神を呼び出していた。
三人は、レイを横たえてあるベンチへ移動した。
「シフォン、ルーク……。頼む、レイシアの状況を知りたいんだ」
ぐったりとしているレイの様子を見て、呆然としたヴェルクは、レイを見つめたまま、生気の抜けたような声でそれだけを言う。二匹はすぐさま言葉の意味を悟り、レイのペンダントのもとへ飛んで行った。
二匹は、しばらくペンダントに触れてじっとしていたが、しばらくすると、互いの顔を見合わせ、難しい表情で戻ってきた。
『これはたぶんの話になるっスけど……。レイシア、かなりのマナを『持って行かれた』みたいっス』
「自分から使ったんじゃないのか?」
ヴェルクはルークの言葉に引っかかった。
『確信は持てないが、そうとしか他に考えようがないのだ。自らマナを使いすぎた時の症状とは、様子がおかしい』
ショウマが説明する。
「自らの消費であれば、守護神は何があってもある程度は力を残す。しかし、今試してみたが二人と念が通じないのだ。対応しきれなかった何か、異常な事をされたとしか思えない」
三人が沈黙する。ロザリオが顔を歪めた。
「さっき、ラーザにレイシアが居なかったから、外へ出てみたらレイの前にマントを羽織った人間がいたんだ。すぐに気付かれて逃げられてしまったけれど……たぶんそいつだ。侵入者がいたなんて、この学院の落ち度だ」
くっ、とロザリオが珍しく感情的になる。
「先生が責任感じることないっスよ。オレっち達も魔物退治とはいえ、レイシアを一人にした責任がある」
ルークが咎める。
その時、扉が荒々しく開かれ、ミークが転がり込んできた。
「遅くなってごめんなさい! 他にも、要りそうな物を……持ってきたの…………」
ミークは息を切らしながら言った。手には、服のほかにタオルや飲み物を抱えている。
「ありがとう、ミーク。疲れていると思うけど、レイシアを着替えさせてくれるかい?」
ロザリオが、遠慮がちの声をかける。
「もちろんです。……レイシアちゃん、大丈夫ですよね?」
「ああ、でも出来るだけ慎重に頼む。どうやらかなり衰弱しているみたいだから……」
ミークは、泣きたい衝動に駆られたが、すぐに気を奮い立たせると、持っていた物を一旦置いた。そして、服だけを肩にひっかけ、レイシアをそっと抱え上げると、三人が見守る中、奥の部屋へと入っていった。