2話~上~
忍び寄る影
時は日が昇り切ってずいぶん経った頃。場所は学院からそう遠くないところである。そこには一体の魔物と、三人の人間が対峙していた。お互いに随分やりあっていたようで、両者共に疲れが見えた。
ある一人を除いては……。
『エル・クライン』
一人が炎系の魔法を唱えた。突き出された手から出た炎の塊は、毛がもっさりした巨大なヌーのような魔物へと向かい、標的を燃やし始めた。
もろに攻撃を受けた敵は、けたたましい声を上げ、体中に炎をまとったまま、怒り狂ったように突進を開始した。
「そんなっ! まだやるっていうのか?」
幾度となく苦手属性の魔法を受けてもなお、戦機を失わない敵に、違和感を覚えると同時に、焦りが生じる。
『シェアラ』
先ほどとは変わり、今度は女子が杖を振り、目の前に見えない壁を作り出す風系のプロテクト(防御)を唱えるが、詠唱時間が足りず、初歩的なものしか出来なかった。
魔物を跳ね返すことはできたが、その一回でプロテクトは消滅。しかも、風が炎を消し去ってしまうという、彼女には珍しいミスまでしてしまった。
「いっけない! 間違えた!」
その時、敵の突進が始まってから静かに始めていた、三人目の詠唱が終わった。
『……ルグ・デノウス・ローテル』
立ち上がりかけていた魔物を、闇の力の塊が包み込み、一瞬で灰にしてしまう。
とても強力な上級魔法だったが、かけた本人は何でもないような顔をしている。
「ふう……」
最初の二人が同時に安堵の息をつく。
「さすがね、セフィード」
女子が最後に術を放った男子に言った。
そう、お判りのようにこの三人はヴェルクとミークとセフィードである。しかし、三人の姿は、明らかにいつもと違っていた。
まず、制服なのは変わっていない。しかし、三人には人間の耳は存在せず、動物の耳としっぽがついていた。ヴェルクは銀色で、ミークは茶色、セフィードは黒色の毛並をしている。
これが、普段ペンダントの中に宿っている、三匹の守護神の秘められた真の力、俗に言う「変身」である。これにより、三人は一時的に人間離れした力を得ることができ、その力で魔物を消し去っているのだった。
話を戻そう。
ミークはセフィードに半分からかいの入った声をかけるが、その表情はいつもより厳しかった。もちろんいつものことなので、セフィードも無視。
「気付いたよね……二人とも」
ヴェルクが、さっきまで動いていた灰の残骸を見ながらつぶやく。
「ええ」
ミークが返事をした。
三人はしばらく無言でいた。
「とにかく、今日のところは戻りましょ? レイシアちゃんと先生がきっと、ラーザで退屈してるわ」
ミークが口を開いた。
「ああ、そうだな……」
三人は学院に帰るため、変身を解こうとした。しかしその瞬間、セフィードが背後に何者かの気配を感じ取る。
(誰だ!)
すかさず振り返ると、路地の角に人が消えていく後姿が一瞬だけ見えた。すぐにセフィードは猫の跳躍力を生かして地面を蹴り、常人でないスピードで人影を追いかける。
「セフィード!」
「ちょっと! どこ行くのよー!」
急に走り出したセフィードを、変身を解いてしまった二人が慌てて追いかけた。
だが、セフィードが角を曲がったころにはもう誰もいなかった。
「くそっ……」
セフィードは吐き捨てるように言うと、ポケットからペンダントを取り出して首につけた。とたんに、いつもの人間の姿に戻る。
追いついた二人は、セフィードに急に走り出した訳を聞きたかったが、こういう時のセフィードは答えてくれないことを知っていたので、このときは何も言わなかった。
三人は、そのまま無言でラーザへ道を急いだ。
☆
少々時間を巻き戻して、ヴェルクたちが戦っている頃……
レイはロザリオと二人で、ラーザにて暇人推進中だった。それは、レイが回復して数日後にさかのぼる……
「まずは、少しでも周りにレイシアちゃんの力がばれないようにしないといけないわね―……」
ミークの呟きにロザリオが案を出した。
「魔術道具を使ってみたらどうかなあ。あれなら、詠唱できないレイの防御力をあげられるし、遠くからでも十分に援護できるようになる」
「それがいいね。害が少ないものなら、攻撃系のものも仕込めるし」
「マジックツールなら、私たちのようによほど感覚が優れた人でなければ、ただのアクセサリーにしか見えないわ」
……というわけで、早くも方針が決定し、今に至るまで作業中なのであった。
守護神と契約を交わしたことで、ステータスが一段と上がったレイだったが、同時にもう一つ解ったことがある。術さえ覚えてしまえば、セフィードたちの使う術まで使うことが出来るということ。
ただ、やはり体力面では圧倒的に劣るため、魔物との戦いで素早く動き回ることもできないし、術を使った時の体力的反動も大きかった。(回復力も半端でないため、無理をしない限り特に問題ないが)
まず、レイは術を仕込む道具を選びに行った。
レイがロザリオと一緒に行った店で、レイが選んだのは、シンプルなピアスと腕輪だった。
ピアスにはプロテクトの効力を上げる力、腕輪には触れた相手の動きを封じてしまう力を持つ呪符を召喚できる力を入れることにした。
「呪符の数は、君が思った通りの数を出すことができるよ。その分マナを消費するけどね」
と、ロザリオが補足して教えてくれた。
腕輪の呪符の召喚は、魔法陣を組み込むことを必要とするため、買ったその日に、ついでに専門の業者の所へ出しておいた。
次の日、ロザリオの指導のもと、レイはピアスへ力を組み込む作業に入ったが、意外と難しく、四苦八苦していた。
一日かかって、何とか作り上げたレイは久しぶりに達成感を感じる。
しかし、出来上がってしまえばそれで終了なため、次の日からは暇人なのである。
(はあ……。それにしても、暇。……そして、退屈。……一緒か)
だいぶのんびりすることにも飽きて、二人そろってうとうとしてきた頃、
「ただ今戻りました」
ラーザの扉が開き、三人が帰ってきた。
息つく暇もなく、ミークがお茶を入れ、三人がそれぞれの場所に座った。
「まず、今回の報告から聞こうか」
ロザリオがいつもの流れで、話し合いを始める。
「はい。最近の魔物討伐で感じたことが一つ、……急に敵が強くなってきている気がします。何というか……見た目は変わらないんです。けど、オーラっていうのかな……戦っているときの手ごたえが、何か違う気がするんです」
ヴェルクが感じたままに言うと、ミークがタイミングを計って口を挟んだ。
「セフィードからも、何か言うことがあるんじゃなくて?」
意味ありげな言葉に、ロザリオが首を傾げながら、本人の言葉を待つ。セフィードは腕を組んだまましばらく黙っていたが、これは推測だが、と言って、話し出した。
「組織が魔物に干渉してきているのかもしれない」
「干渉って……まさか操っているというの?」
ミークが青ざめる。
「それは知らないが…… 今日倒し終えた後、近くに人の気配を感じた。すぐに消えたがな……」
「それでさっき、急に走って行ってしまったんだね。確かに妙だな…… 俺たちを陰から見ていたかもしれないなんて……」
ひと通り聞いていたロザリオが、テーブルの上に組んだ手に顎を載せて、感慨深げに言った。
「そうか……そんなことが……。でも、まだその人影が例の組織の者だと判断するには厳しいね。他の目的があっていたのかもしれないし……」
それぞれが思案し始め、しばらくの間、静寂に包まれる。
トン……
何かが軽くぶつかったような音が、静寂な空間に響いた。
みんなは驚いて、ある方向に視線を向けた。そこには、テーブルに立てられたスケッチブックが、一人の少女の代わりに四人の視界に移る。
私が行く
「行くって、まさかそいつを自分が捕まえようっていうのか?」
ロザリオが驚いて、レイの本意を確かめる。
まだ、腕輪は届いていないが、レイは少しでも三人の力になりたかった。(というか、半分は「外」に出たかった)
「だめだ、レイシア。……悪いけど、変身できない君を連れて行くのは危険すぎる」
ヴェルクがきっぱりと即答する。
そう、レイは、守護神と契約を交わしておきながら、未だに変身することが出来ないでいるのだ。
シャネルは、守護神の力を開放しその力を得るために変身する。強い意志を込めてペンダントを握り、引っ張ると簡単にチェーンがほどけて変身できる。人の姿に戻る時は、ポケットなり、袖の中なりに手を入れれば自然と握られているのだった。
しかし、レイが何度やってもチェーンが切れることはなく、半分首を絞めているだけの自殺行為にすぎなかった。
これもまた、前例がなかったが、四人は、レイの気持ちの問題ではないかと勘付いていた。他に理由がないからである。そして、四人はレイのことを考えて黙っておくことにした。
話が脱線した。
ヴェルクに却下されてしまったレイだったが、絶対に行く!とでも言うように頑として首を横に振り続けた。
ついに、ヴェルクが根負けした。
「……しょうがないな。うーん……じゃあ、もしも小さな事でも何かあったらすぐに僕たちにプロテクトをかけるんだ。そうすれば守護神が、プロテクトがかかった事にきっと気づいてくれるし、周りには気付かれにくい」
ヴェルクが妥協点を打つ。
レイがうなずく中、ほかの二人が何も言わないので、ロザリオが口を挟んだ。
「ミークとセフィードは、異論は無いのかい?」
ミークは一瞬きょとんとすると、すぐに笑顔になって答えた。
「ええ、もちろんよ。今はもう、ヴェルクの判断に私たちが反論する必要はないわ。それだけ、ヴェルクは物事をわかっているし、信頼できるもの。ね、セフィード」
「……」
セフィードは、目線は下げたまま肯定した。
「……じゃあ、決まりだね。レイシア、頼むから無茶だけはするな」
ヴェルクの言葉に、レイは分かっている、と言うように何度もうなずいた。
こうして、レイにとって初めての魔物退治同行が許されたのだった。
次の日……は特に何も起きなかった。
そのまた次の日、レイは、トゥリーンに猫に転変してもらい、そのもふもふの毛を撫でて暇をつぶしていた。
ショウマとトゥリーンも、犬や猫の姿になることはできるらしいが、なぜかショウマは転変した姿を見せてはくれなかった。転変を断るショウマの顔は、何かわけがありそうだったし、トゥリーンも何も言わなかったので、無理に聞き出すのはやめた。
『グルルル……』
普段、ひとがたをしている為、動物の姿では話すことができないトゥリーン(ショウマもきっと同じ)が、珍しく気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らした。
「……!」
少し離れたところからこの様子を見ていたショウマは、一瞬自分の目を疑った。今まで、自分たちの前ですら笑ったところを見せなかったレイが、トゥリーンを撫でながら、かすかに微笑んだのだ。
トゥリーンは気付いていなかった。
(これは一つ、ロザリオに教えてやるか? ……レイの事を一番気にしておるようだし)
よし、と半ば楽しそうに、ショウマがロザリオの方へ向かおうとした時だった。体が、ある気配に反応する。守護神のみが感じ取ることができる、魔物が現れたサインのようなものだった。
ショウマは、すぐさま踵を返して空中をレイの元へ急いだ。トゥリーンも反応し、レイの手から離れてひとがたに戻るとすぐに言った。
「レイ、魔物が出ました。すぐに準備を」
レイが驚いて三人の方を見ると、それぞれの守護神たちが出てきて伝えているところだった。
ロザリオが言う。
「みんな、……くれぐれも気を付けて」
四人は無言でお互いの顔を確認しあい、うなずいた後、すぐに動いた。
正確には走り出した。
レイはもちろん、学院の校舎を抜けて外へ出るのだと思っていたが、先頭を走っていたヴェルクが何かを呟きながら扉を開けると、そこはすでに校舎の外だった。
(え?……ここ、どこ?)
慌てて今くぐった扉を振り返ると、そこは校門のすぐそばの用具倉庫の壁だった。しかも、見ているそばから扉は消えてしまう。
(空間転移がしてあったんだ……)
一人感心していたレイだったが、
「レイシア、急いで!」
せかされて、急いで三人の後を追った。