2025/04/15 (2)
我にかえったのは一人目の重戦士の方が先立った。
「おいアンタ、助けてくれ! この女PKだ!」
「ぬ?」
二人目の重戦士がこちらを見るのに思わず舌打ちしそうになるが、堪えて叫び返す。
幸い、先ほどの爆風で顔を隠していた布は外れているので、それほど怪しい風貌にはなっていないはずだ。
「嘘よ! 騙されないで! この男の方がPKよ!」
「……ぬ?」
二人目の視線が倒れ伏した方に向けられる。
「なぁッ!? おまえ!?」
「襲われたところをなんとか返り討ちにしたの! 噂になってる麻痺武器使い! ほら、これが証拠!」
そういって手に持っていたナイフを掲げてみせる。
「ち、違う! そいつがそれで俺を麻痺に――」
「私盗賊だから所有権を奪い取ったのよ! お願い、信じて!」
今の私の格好は身動きしやすいように軽装備で揃えてある。パッとみた感じならば職種の区別はつきにくいはずだ。冷静になればいくらでも粗が出てくるだろうが、この場はとにかく勢いで乗り切るしかない。
「騙されるな! その女の方がPKだ!」
「その男がPKよ!」
私達の訴える声を聞いて、重戦士はその場で「……ぬぬ」と唸り声をあげる。
両腕を組んで私と倒れこんだままの男を交互に見やる。
――と。
「ぐ、お前も、噂は聞いたことあるだろう、麻痺武器使いのPKは女だったはずだ……!」
そう言って、一人目の重戦士が地面に手をつき身体を起こそうとする。
――しまった!
内心で舌打ち。麻痺効果の時間切れだ。
「お願いだから信じて! 助けてよ!」
その場でナイフを投げ捨てると、私は二人目の方に走り寄った。そのまま重戦士の足にすがりつく。
「助けて……助けてください!」
「き、気をつけろ! そいつは――」
「ひっ」
膝をついたまま叫ぶ男の声に怯えたふりをして、隠れようと重戦士の背中にまわりこむ。
「逃げろぉぉぉ!」
――装備解除。再装備。《紅毒蛇の牙刃》。
地面に捨て置かれていたナイフが消え、一瞬後には再び私の手の中に。
「残念でした」
一息に目の前の重戦士の腰に突き立てた。「ぐぬ」という短い呻きをあげて、ぐらりとその身体が傾く。後ろに向かって倒れこんでくるのをかわすと、すぐさま今度は一人目の方に駆け寄る。
装備変更。《アイスブレードⅠ》。既に男は立ち上がっていたものの、完全に麻痺が抜けきっていないのかその足元はおぼつかない。
スキル発動。《乱れ斬り》。
「このっ」
盾を構えようとするが遅い。
白いエフェクト光をたなびかせ、斬線が走る。袈裟からの斬り下ろし、逆袈裟からの斬り下ろし、右から左への薙ぎ払い、右上への斬り上げ、最後に頭から下への唐竹割り。五連撃全てがヒットし、男の身体がよろめく。すぐさま装備変更、《紅毒蛇の牙刃》。背後に回りこみ、先ほどと同じ急所にぐさり。
「くそ、がぁ」
悔しさをにじませた声をあげて、再び男の身体が地に沈んだ。
振り返る。離れたところでは、二人目の重戦士も仰向けに倒れたまま。
それを確認して、私は身体から力を抜いた。
「はぁ……一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなったかぁ」
もう喚く気力もないのか、一人目の重戦士は黙してこちらを見上げている。兜に隠れて見えないが感じる視線の強さからして、おそらく凄まじい目つきをしているだろうことは容易にうかがえた。
……ひどく、疲れた気分だった。
体力ゲージはほとんど減少していないというのに、全身が鉛のように重かった。
なにをやっているのだろう、私は。
こんなクソッタレな世界で、こんなクソッタレなことをして。
馬鹿みたいだ。本当に――馬鹿みたいだ。
「……安心してよ。もうさ、なんかやる気がなくなっちゃったからさ、殺さないでおくよ。どうせ顔も見られちゃったし、しばらく他所にでも移って身を隠すよ。ラッキーだったねあなた」
「……口封じを、しなくともいいのか」
口封じ。
デス。
死人に口なし。
この世界でいくら死んだところで、プレイヤーの現実の肉体がどうにかなるわけではないけれど。
その心は、死んでしまうことも、ある。
「……しないよ。殺すとしても、私は麻痺ったプレイヤー相手にしかやらない。本当に人を壊してしまうような真似なんか、するもんか」
「…………」
それ以上、男は何も話さなかった。
私は逃げるように足早に二人目の方に向かう。
その重戦士は両腕を広げて、大の字の状態で仰向けに倒れていた。
「あなたも災難だったね。こんなところに落ちてさえ来なければ、こんな目にあうこともなかったのに」
「…………」
「それにしても、空から落ちてくるとか、なにあれ。……あんなの見たことないよ」
思い出すたび、笑えてくる。
わずかに首だけを動かしてそんな私を見る重戦士は、何を思っているのか、ふんと鼻を鳴らすと唐突に全く関係のないことを話しだした。
「うぬ、最前線の攻略組ではないな」
「え?」
「うぬを、我、見たことない。つまり、そうだろう?」
「……まぁ、そうだけど」
ということはこの重戦士は最前線組ということだ。そこに思い至り、背筋が冷える思いをする。
そんなレベルの重戦士など、前線落ちした今の私が太刀打ちできる相手ではない。
「ならば知らぬのも無理はない」
「……なにを?」
「このゲームの仕様では、麻痺の状態異常は、全身ではなく首から下が動かぬようになるだろう?」
「そう、だね。そうじゃなければこういう風に話したりすることもできなくなるし」
なんだ?
いったいこの相手はなにを言おうとしている?
「つまり麻痺状態になったプレイヤーは、スキルやアイテム使用、チャット機能も封じられ、出来ることといえばこうやって喋ることぐらいしかない」
「……時間経過によって自然に回復するか、麻痺回復アイテムを誰かに使ってもらうまでは、そうだろうね」
「だがバグか仕様か、実は自力で麻痺を解除する手段が、もうひとつあるのだ」
「な、嘘よ! そんなの聞いたことない!」
ゲーム内掲示板の中でも有用そうなスレは私も毎日チェックしているが、これまでそのような話題が出たことはない。麻痺持ちのモンスターが今のところほとんど見つかっていないせいもあるだろうが、それにしたってもし本当にそんな手があるのならば、もっと広まっていていいはずだ。
いや、しかし先ほど、この相手は私が最前線組であるかどうかを訊ねてきた。
ということは、彼らの中だけで秘匿された情報ではないのか?
いやいやいや、そのような生死に関わる重要な情報を、一万人のプレイヤーの期待を背負って立つ彼らが隠すだろうか?
そもそも、このような口を動かすことしか出来ない状況でいったいなにができるというのか。
あらゆる思考コマンドは封じられ、物理的にも身動きとれない状況で――
「いや、そうか……」
思い至る。
ブラフ、か?
こうやって言葉で時間を稼ぐことで自然回復を待つつもりなのか。つまり余裕ぶって相手の話にのっている今のこの状況こそが、相手の狙い。
「チ、その手にはのらない」
油断した。気が抜けすぎていた。一度重戦士を睨めつけ、忸怩たる思いを抱えたままその場を去ろうとして――
「まぁ待て」
「…………」
私の中のなにかは、すぐさまここを去るべきだと訴えている。おそらくそれは正しい。
そう思うのに。
どうしてか、私はその重戦士の声を無視することが出来なかった。
最後だ。これが本当に最後だと自分に言い聞かせ、振り返る。
「これが発見されたのはごく最近のことでな、まだ最前線組の半分も知らない。もっとも、知ったところで信じないか、信じても試そうなどと思う輩は今のところ一人もいないのだが」
「……じゃあ、そんな手段が本当にあるというなら、やってみせてよ。いますぐに、ここで」
「…………」
私の言葉に、しかし重戦士は無言を返すだけだった。
――ああ、やっぱり。
間違いない。ブラフだ。
なぜか失望にも近い思いが胸の中に広がるのを感じながら、私は首を振った。
なんだろう。
私は一体、なにを期待していたのだろう。
とんでもない登場の仕方をしたものだから、また何かとんでもないことをしでかしてくれるのではとでも思っていたのだろうか。私にはとても出来ないことを、みせてくれるのではと。
この閉塞感を吹き飛ばしてくれるようななにかを、期待していのか。
「度し難い……」
自嘲の笑みが浮かぶ。
もう手遅れなのだ。そんなもの、ありはしない。もう、私は終わってしまっている。
いまさらまともになろうだなんて、あまりにも遅い。
「さようなら、誰とも知らない重戦士さん。もう二度と会わないと思うけど、あなたのこと、なんとなく嫌いじゃなかったよ」
沈黙したまま言葉を発さない重戦士に手を振って、今度こそ私は踵を返し立ち去る。
立ち去る――はずだった。
その音が、聞こえさえしなければ。
がしゃり、と金属同士が擦れ合う音が、背後から響いた。
踏み出そうとしていた足を止め、ゆっくりと、振り返る。
「……………………ぐす」
そこに、重戦士が、立っていた。
いまだ自然回復まで時間があるというのに、自らの両足で、しっかりと立つ重戦士が姿が、そこにはあった。
「な、まさか、本当に……? 一体、どうやって……」
「――――――のだ」
呆然とした私の問いに、重戦士は答えた。
その内容に、私はぎょっとした。
「――は?」
「……もう一度、言って、やる。いいか、よく、聞け」
ひどく恨みがましい声だった。
ふぅふぅと両肩で大きく息を吐き、重戦士はもう一度繰り返す。
「舌を、噛み切るのだぁ――――!!」
鼻声のその言葉と同時。
重戦士の全身が光に包まれ。
あ、と思った次の瞬間には、私の目の前も、真っ白になっていた。
衝撃。
まるで大型車が突っ込んできたかのような。
全身の骨が粉々にされたような。
《プロテクトバースト》。
通常のそれとは威力も範囲も桁違いだが。
吹き飛ばされて、流れる景色の中に、動くもの。私に追いすがる、鋼の姿を見た。
重戦士とも思えぬ素早さ。振るわれる拳。迫る、鋼鉄の拳。
――これ、死んだ。
私の意識はそこで途切れた。
全身を押し包むあたたかな感触に、私は目を覚ました。
光。
青い光が空に向かって消えていくのが見える。その光には見覚えがあった。
回復のエフェクト光。
どうやら私は死んでいなかったらしい。
場所も変わっていない。森の中。そこに仰向けになって倒れているようだった。
「気づいたか。うぬ、危なかったぞ。たぶん、瀕死だった。運が良い」
すぐそばに、重戦士が立っていた。
二人目の方。
「というか俺も攻撃を食らったんだが。瀕死だったんだが」
野太い男の声が聞こえた。
視界には入っていないが、近くにいるらしい。一人目の方の重戦士だ。
「うぬ、重戦士だろう。重戦士なら気合いだ。根性をみせろ」
「おい」
「ちょっとしたミスだ。我、悪くない」
「いやいや」
「だってうぬ、こいつに殺されかけていたのだから、その危機を救った我、うぬの命の恩人。その命、我が拾ったのだから、我のもの。うぬのもの、我のもの」
「どこのジャイアンだ!」
「……ごめんなさい」
ぺこりと重戦士が頭を下げる。
しばらく経って、呆れたような溜め息が聞こえた。
「……まぁ、いいさ。確かにアンタに救われたようだからな」
「わかればいい」
「この……はぁ、いや、もう、いいよ。分かった分かった」
ふふんと満足そうに鼻を鳴らすと、重戦士は「んしょ」と私の頭のそばに腰を下ろした。
そこにいたってようやく意識が完全にはっきりした私は、おそるおそる身体を起こした。
痛みは走らない。完全に回復しているようだった。
「…………」
一人目の重戦士は私から数メートル離れたところにいた。兜を外し素顔を晒した状態で、木の幹に背を預けている。アバターはアッシュブロンドの男性型で無精髭を生やしている。おそらく年齢は三十手前ぐらい。その顔に警戒の色を浮かべこちらを見ている。
視線を二人目の方に移す。
一メートルも離れていないところで、こちらに顔を向けていた。こちらは兜をつけたままだが、全体の雰囲気からは警戒心のようなものは感じられなかった。
「……どうして、助けたの」
「死にたかったのか?」
「……どうかな」
PKが増えはじめてきた現在でも、プレイヤーの間では彼らへの対処の仕方が定まっていない。名前や容姿情報を掲示板に晒して放っておくべきだという者もいれば、各ギルドからメンバーを集って大掛かりな自治組織を作り留置しておくべきだという者、積極的にPKKして廃人に追い込むべきだという過激な者までいる。
だが仕様上、PKしても第三者にはそれがわからないようになっているため、特定が非常に難しい。その気になれば大人数で一人を陥れようとすることも不可能ではないのだ。
だからこそPKに関することは多くのプレイヤーにとっては頭の痛い問題になっているのだが、それでもPKされかかった場合はその相手をPKしても咎めないというのが全体の空気として形成されつつある。本当に生き残った方に正当性があったのかどうかは、誰にも証明できないだろうが。
「……おまえ、どうしてPKなんかやっているんだ。手遅れがどうのこうのと言っていたが」
一人目の重戦士からかけられた言葉に、私はうつむく。
「……私、これでも前は攻略組だったんだよ」
「それが今じゃPKか。落ちぶれたものだな」
「そう……だね。本当にね」
どこにでもある話だった。
ひと月が経ったこのゼイルでは、ありふれている程ではないだろうが、よく聞く話だった。
――かつて私は、五人組のパーティを組んでいた。
最前線を押し上げる、攻略組のうちの一つ。少しでも早く脱出するために、ひたむきに努力し続けていた。
だがあるとき、ネームドモンスターのドロップ分配でもめることがあった。最初に報告しあったとき、明らかに予想されていたよりもドロップの数が少なかったのだ。誰かが隠しているのは間違いなかった。
互いに疑心暗鬼になった私達は初めは冷静に話し合おうとしていたが、次第に口論になった。誰もが、知らず、この状況にストレスを感じていたのだろう。折しも最前線組の中で新たに再起不能者が出た直後のことだった。
この狩りに出る前にそのプレイヤーを見舞っていたのだが、なんとも酷い様だった。
完全な廃人状態。それをその時私達ははじめて見たのだ。
ベッドに横になったまま焦点の合わない目を天井に向けていて、何を話かけても、揺すっても叩いても、何の反応も返すことはなかった。
当然、そうなると自分では食事をすることも出来ず、放っておけば数日で餓死することになる。餓死すると再び同じセーブポイントで復活し、やがてまた餓死し、また復活して――という地獄のループが続くことになる。実際、他プレイヤーと交友のない死者の中には、そういった状況に陥ってしまっている者も多いという噂だ。
誰もが口に出さないだけで、自分たちの未来を不安がっていた。このまま戦い続ければいつかああなる――それを目の当たりにして、ひどく動揺していた。
本当はそれぞれがもう戦うのを止めたいと思っていることは、薄々気づいていた。だが誰も言い出せなかった。攻略組のメンバーが恐怖を押し隠して頑張っているというのに、自分たちだけが楽な道を選ぶことなどできるはずもなかったのだ。
そのストレスが、この一件で爆発した。口論からただの罵り合いになるに至って、もう私達の頭の中からはドロップのことなど消え失せていた。ただただ現状への不安、恐怖、怒り、悲しみを互いにぶつけあい、ついには戦いにまで発展した。
殺すつもりはなかった――というのは言い訳なのかもしれない。
気づけば、その場に立っているのは私ともう一人だけだった。誰が誰を殺したのかは覚えていない。無我夢中だった。呆然と見つめ合う彼の目の中に、正気の光など一欠片もなかった。そしておそらく、私の中にも。
獣のような雄叫びを上げて、彼は私に斬りかかってきた。
私はそれを迎え撃った。
クリティカルだった。
喉を裂かれた彼の体力ゲージはゼロになり、光の粒子となって消えていった。
今でもその時の彼の断末魔の叫び声を覚えている。
そうして、かつての私のパーティメンバーは再起不能となった。
全員が廃人となったわけではないが、ほとんどその一歩手前だ。他人に怯え、ろくにコミュニケーションをとることもできなくなり、一日のほとんどを宿の部屋で過ごしている。
廃人になったメンバーの部屋を訪れるたびに、私は思い知らされる。
もう、手遅れなのだと。
現実に戻ることができたとしても、私達の肉体が無事であったのだとしても――きっと彼らの心は二度と元に戻らないだろう。
この罪を、私は、現実でも、負わなければならない。
私は、人殺しだ。
「だから、もう、手遅れなんだよ。どれだけ頑張ってこのゲームをクリアしても、向こうの世界に待っているのは、殺人者という汚名だけなんだ」
そう最後に私が告げると、場には重苦しい沈黙が流れた。
二人目の重戦士は、私の隣で何を考えているのか両腕を組んだまま、「ぬぬぬ」とうめき声を上げている。
一人目の方は苦虫を噛み潰したような顔で地面を睨みつけていた。
その眼差しが、こちらに向けられる。
「だが、それでどうしてその後もPKを繰り返した。それ以上に罪を重ねてどうするつもりだ」
「……もう、どうでもよくなっちゃったんじゃないかな。現実に、戻りたくないんだ。だから他人の足を引っ張る。どうせ麻痺状態からのデスは痛みがないから、再起不能になることもないし、攻略しようとする連中の意を挫くにはちょうどいい」
「どうして廃人にならないと断言できる」
「実体験だよ」
自嘲に口元が歪む。
「自殺しようとボスの前で自分を攻撃して試してみたんだけど、ダメだった。麻痺なしでも試したことがあるけど、怖くて怖くてそっちは逃げ出しちゃった」
「…………」
「ほんと、中途半端だよね」
自殺することもできず、足を引っ張るといっても自分より弱そうなプレイヤーしか相手にせず、本当に全力で攻略している最前線のプレイヤーには近寄ることすらしない。
結局、憂さ晴らしでしかないのかもしれない。
私のどうしようもない気持ちを八つ当たりしてぶつけているだけなのかもしれない。
……多分、それが本当だ。
一人目から視線を外し、隣の二人目に向ける。
「ねぇ、どうしてあなたはそこまで必死になれるの?」
「……ぬ?」
「麻痺を解除するためだといっても舌を噛み切るなんて正気の沙汰じゃないよ」
麻痺状態は確かに痛覚を遮断する。しかしそれも麻痺が解けるまでの間だ。その解除後にプレイヤーを襲うのは舌を噛み切ったことによる想像を絶する苦痛だ。おまけに自らの攻撃力で自らの無防備な急所を攻撃するわけだから、基本的にプレイヤーの攻撃力が同レベル帯のモンスターより高く設定されているこのゲームでは、システム的なダメージ量も相当なものになるはずだ。
その手段を行使するためには、かなりの度胸と覚悟が必要になってくる。
そもそも、普通にプレイしていたならそんな手段、見つかるわけがない。
いくら麻痺状態でも口が動くからといって、誰がデスの危険を犯してまで自分の舌を噛み切ろうとするのか。それで麻痺が解けるという確証もないというのに。
「偶然、敵のクリティカルを受けた時に衝撃で舌を噛み切って、見つけたのだ。瀕死になったから結局動けなくて死んだが。だいたい、我だって、こんな手段普通使わない。うぬが、PKなんてしようとするから、使うはめになったのだ」
恨みがましい声で言われて、私は言葉に詰まる。
「……そ、そんなの、放っておけばよかったんだよ。私、立ち去ろうとしていたんだから――――――って、え?」
「我、腹が立った→殴りたい→殴ろう→殴った→我、満足→我、勝利。我、敵を逃しはしない。これぞ黄金の方程式。いちぶのすきもない――――ぬ?」
満足そうにコクコク頷いていた重戦士が、首をかしげて私を見る。
私は二の句がつげない。
先ほど、この相手は何を口にした?
とても、聞き捨てならないことを――
「……おい、アンタ、今、死んだって言ったか?」
恐る恐るというように問いかける一人目の重戦士に、二人目は事も無げに答えた。
「うむ。死んだ。頭ぐしゃぁってなって死んだ」
「――な」
「あれは三度のデスの中でもいちばんひどい死に様だった。たまに夢に見る」
そう呻くように語る重戦士を、私も一人目も絶句して見つめることしか出来なかった。
馬鹿な、まさか、そんな、いや、でも――。
頭の中をぐるぐると重戦士の言葉がまわる。
そんな目にあって、どうして。
「死んだら、終わりだって……」
「気合いが足りぬのだ。あと根性も。やればできる。なせばなる。頑張れば、この世界のどんな痛みだって、どんな苦しみだって耐えられる」
それが真理だというように、重戦士は言い切る。
嘘だ。そんなはずがない。でたらめを言うんじゃない。
否定の言葉はいくつも私の胸の中に浮かんだ。だというのに、それが口をついて出ることはなかった。
――光。
一縷の光。それを信じたがっている自分がいる。縋ろうとしている自分がいる。
まざまざと思い出されるのは、廃人となったかつての仲間の姿。
私に怯え、部屋の隅で膝を抱えて震えている彼らの姿。
「嘘だ……嘘だ、そんなこと」
言葉が漏れでた。本当はすがりつきたい。けれどあの様を目の当たりにして、信じられるはずがない。
仲間の心を殺した自らの右手を強く握りしめ、膝の間に顔を埋める。
「ふむん。うぬがそう思うのなら、そうなのだろうよ」
あっさりと言って、重戦士の立ち上がる気配。
あまりにも拍子抜けな言葉に、思わず私は顔をあげる。重戦士は両腕を広げて、大きく伸びをしていた。ぐるぐると肩をまわし、身体の調子を確認するためかその場で何度か飛び跳ねる。そのたびに、背中に背負った大盾や腰にさげた剣が鎧と擦れ、音を立てる。
やがて満足したのか「うむ」と一人頷いた重戦士は、そこに至って思い出したかのようについと私に顔を向けた。
フェイスガードの向こうからのぞく眼差しと、見上げる私の視線が交錯する。
その時、私はどんな顔をしていたのだろう。
重戦士が小さく苦笑する声が聞こえた気がした。
「この世界は、苦しいか? この世界は、悲しいか? この世界は、辛いか?」
そう問う重戦士の声は、ひどく優しげだった。
この世界に来てから聞いた誰の声よりも、柔らかく、優しく、慈愛に満ちた響きを持っていた。
わたしのなかのなにかが、揺さぶられる。
「くる、しいよ……かなしい、よ……つらい、よっ」
「そうだろうとも。この世界は理不尽だ。不条理だ。道理にもとる。全てまやかしのくせに、圧倒的な現実感を持って我らを襲ってくる。まるで苦界だ」
吐き出すような私の答えに、重戦士同意するように頷く。
「だが――」
そこで一度、言葉は止まる。
なにかに思い馳せるようにうつむき、しかしすぐにまた顔をあげた。
「だが、我は信ずる。信仰している。それは、ここに、在ると」
力強い、声色だった。自らの胸を親指で指し示し、言う。
「どれだけ傷つけられようと、どれだけ血を流そうとも、どれだけ涙を流そうとも」
重戦士は言う。
「どれほど痛かろうが、どれほど苦しかろうが、どれほど辛かろうが」
ゆっくりと、静かに、しかし力ある声で。
どこかの、誰かに、語り聞かせるように。
この世界の、なにかに、宣言するように。
「偽物の痛みに負けるほど、人の心は、弱くない」
重戦士は、言うのだ。
「人はこの世界に屈さぬ。人は前に進む。人は絶望を踏破していく。我も、うぬも、誰も、彼も。我が決めた。だから信ずる。故にそれはここに在る」
自らの胸を、私の胸を、男の胸を、指差し。
重戦士は、言うのだ――。
「これこそが、真の黄金方程式。立ち上がれ。一万九百三十五人すべてのプレイヤー、一人余さず、この世界を越えてゆくぞ」
――ああ。
その時の気持ちをどう表現したら良いのだろう。
この人に指差された胸に根付いた熱を、なんと呼べばよいのだろう。
頬を、なにかが流れ落ちていた。
世界が滲んで見えた。
喉が引きつる。
嗚咽が漏れ出す。
胸が熱い。
心臓が痛い。
胸元を握りしめて、身体が折れる。
偽物の身体の奥底の、けれど確かにそこにあるものが、ありもしない血液に流れて、手足の隅々まで全身を巡っていく。
全てが変わっていく。
なにもかも変わらないはずの世界が、もう二度と戻らないほどに、変わっていく。
私の夜を、黄金色の光が消していく。
きっと。
光が満ちたあとには。
とても綺麗な朝焼けが世界を照らすのだろう。
ああ――。
それは、なんて、美しい、こがねいろ――。