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2025/07/13

 かつて、世界は広大であった。


 果てなど見えぬほどに広がる大海には数多の大陸が浮かび、その上には様々な種族が生まれ、育ち、暮らしていた。 

 時には争い、ある時は手を結び、混じり、交わり――平和ばかりの日々ではかったが、それが故にこそ大いなる可能性に満ち溢れた世界であったという。

 

 しかしある時、どこからともなく現れた《魔族》に世界は蹂躙された。


 戦乱と絶望に満ちた暗黒の時代の始まりである。

 大地は割れ、空は墜ち、海は干上がり、果てなど想像もできなかった世界は、ついには始まりの大陸一つだけに狭められてしまった。

 そして程なくそれさえも失われようという時。

 全てを諦めかけていた人々の前に、《光の勇者》が降臨した。

 神々の世界より来訪したという《光の勇者》は、旅の最中に出会った《大賢者》に導かれ、次々に《魔族》を駆逐していき、ついには彼らの王――《魔王》さえも打ち破った。

 そうして世界には、再びの平和が訪れた。

 失われた大地が戻ることはなく、かつてに比べれば随分と世界は狭くなってしまったが、それでも人々は生きながらえたのだ。


 《光の勇者》はその後王となり、《大賢者》を宰相として新たな国を創りあげた。

 王国は繁栄した。

 それはまるで失われたものを取り戻すかのように。

 やがて《勇者》は死に、《大賢者》は何処かへと去るも、黄金の時代はそのあとも長く続くことになる。


 だがその時より数百年。

 大陸に存在する五つの都市の地下より、迷宮と思しきものの入り口が発見される。

 扉には古代文字でこう書かれていた。


 ――五の封印を解け。

   さすれば世界は再び開かれるであろう。


 これを人々は次のように解釈した。

 つまり、五つの迷宮を踏破することで失われたかつての大地が取り戻せるのだと。

 増えすぎた人口により切実に新たな土地を欲していた彼らにとり、それはまさに福音であった。

 よって、ここに大陸総力を上げての迷宮攻略が開始されることになる。

 

 人々は、迷宮に挑むものたちを、かつて世界が広大であった時代に存在していたという者達になぞらえて、こう呼んだ。

 世界の最果てを目指し冒険する者達――《冒険者》と。






 ――まあ、そんな感じで始まるのが、この世界《Re:Zeilurthツェイラース》である。

 私達プレイヤーは、その冒険者の一人となって閉じられた世界を解放するために五大迷宮に挑む、というのがゼイルというゲームのメインクエストとなる。

 しかし笑えないことに、私達プレイヤーは、設定ではなく実際にこの世界に囚われてしまった。

 原因は不明。

 何者かの手によるものなのか、或いは運営にも想定外の事故なのかも分からない。

 故にこそ、なんの説明もなくある日突然この世界に囚われてしまったプレイヤーが、メインクエストに活路を見出そうとしたのも至極当然のことなのだろう。

 全ダンジョンをクリアしたとき開かれる世界というのは、つまり、私たちのあるべき世界――現実ではないのか、と。


 そうしてプレイヤーによって攻略が開始され、四ヶ月。

 先月にはメインダンジョン第二層を突破、現在は各サブダンジョン第三層を攻略中である。

 メイン第三層の扉もまた、そう遠くない内に開かれることになるだろう。

 

 しかしそれでもいまだ全体の三分の一にも達しておらず、先は果てしなく長い。 

 いまこのとき、現実はどうなっているのだろう。

 私達の身体は、私達の生活は、私達の未来は。

 不安はいつだって私達を苛んでいる。

 それでも、私達は、一歩ずつ、少しずつ、前へと進んでいくしかない。

 その積み重ねだけが、私達を望む未来へと運んでいくのだから。


 ――故に、今日もまた私達は、この世界で、あがきのたうち回っている。



 



          **********





 

 中央都市大図書館。

 それは名前の通り中央都市アインフェリアの中心部から少し外れた立地に存在する。

 石材を建材としてバロック調に仕立てられたその大図書館は、一見すると城や宮殿と見紛うほどの壮大で豪奢な作りをしている。

 尖塔が建ち並び、その外壁内壁は彫刻や絵画、色鮮やかなステンドグラスで装飾され、一見どころか二見、三見しても図書館には見えない。

 

 だが圧倒されるのは、その見た目だけではない。

 一歩内部に足を踏み入れば、思わず口をぽかんと開けてまぬけな顔を晒してしまうほど膨大な蔵書が来訪者を迎える。

 吹き抜けになった大きな空間には、壁にそって二階部、三階部と張り出しになった廊下が設置されており、見上げるほどの高さまで壁際にはぎっしりと本が詰められている。

 以前にNPCである司書に訊ねたところ、把握しているだけでも10万冊を超える蔵書が確認されているらしい。

 古今東西、この世全ての書物をかき集めた――そんな曰くもあながち法螺ではないのかもしれないと思わされるほどだ。

 

 しかもこの図書館の何が凄いかというと、その書物の一冊一冊を実際に閲覧することが可能になっているところだ。

 実際に全部を確認したわけではないが、試しに百冊程度をランダムに選んで開いてみたところ、全て異なる内容で、かつ現実の本と同じようにタイトル通りの内容で意味のある文章が初めから最後まで続いていた。

 しかも現実からコピペしたようなものではなく、ゼイルの世界観に則って書かれた、おそらく完全なオリジナルであろう内容だった。

 つまり、この図書館には、実際に10万冊分あるのかは不明だが、少なくともそうプレイヤーに思わせる程度にはオリジナルデータが用意されているということになる。

 正直、アホかと思った。

 一体何が運営をそこまで駆り立てたのか。

 この図書館を作るだけで呆れるほどの手間暇と人件費がかかっていることは間違いない。 


 もう一度言おう。

 アホである。

 だがそのアホさは、嫌いではない。

 というより、今ではこの図書館のディープさにどっぷり浸かってしまっている私がそれを否定することなど出来るはずもなかった。


「むぅ。調べれば調べるほど思うけど、やっぱりゼイルの世界観って異様に細かく作りこまれてるわね」


 それまで読み込んでいた歴史書をパタリと閉じて、誰にともなく呟く。

 長時間同じ姿勢でいたためか肩に不快な重さを感じ、組んだ両手を前に突き出して大きく伸びをする。

 ぱきぱきと骨の鳴る音。

 大きく息を吐いて、椅子の背に身体を預ける。

 現在、私は大図書館の片隅、壁際に設けられた閲覧スペースで、この世界の歴史について調べていた。

 といっても、何かその類のクエストがあってというわけではなく、純粋な好奇心からだ。


 ゼイルにはメインクエスト以外にも様々なサブクエストが存在する。

 それらは、例外もあるが基本的には各都市に存在する冒険者組合――ちなみに運営元は大陸唯一の統一国家――から受けることが出来る。

 もっとも、攻略などそっちのけでやりたいことしかしていない私は頻繁に利用することはないのだが。

 こうやって図書館に篭って手当たり次第に乱読しているのも、ひとえに私の趣味である。


「初めは、魔法に関しての興味からだったんだけど……」


 私がここに引きこもることになった最初の理由がそれだった。

 何を隠そう、私は大の魔法好きである。

 そもそも私がゼイルに興味を持つ切欠になったのは、他の多くのプレイヤーでそうであるように、当時大々的に宣伝されていた広告に触れたからだが、その映像の中でも特に魔術師が出てくる場面を目にしたことが致命的だった。


 城壁の縁に立つ一人の魔術師。

 全身は黒いローブで隠され、口許だけが露出している。

 その顔が向く先は、地平線の彼方。

 草も生えぬほどに荒れ果てた大地の向こうより、砂煙を上げて押し寄せる異形の群れ。

 それらを視界にとらえ、魔術師は右手に握った古めかしい杖を天に掲げる。

 朗々と響き渡る詠唱。

 初めは何の変化もなかった。

 しかし次第に天空に暗雲が立ち込め、ごうごうと風が唸りを上げ始める。

 まるで嵐のさなかのように暴れる風の中にもその声は響き続け、やがてその張りが最高潮に達した時。

 ぴたりと、詠唱が止まった。

 風が止む。音が消える。

 それはまるで嵐の前の静けさのようで――


 次の瞬間、天空より光が走った。


 音を置き去りに空を引き裂いていった稲光は、そのまま異形の群れに突き刺さる。

 視界が光りに塗りつぶされる。

 次いで地を震わすほどの轟音。

 それは一度ではなく、何度も、何度も。

 光が走り、何かが吹き飛び、光が走り、地が割れ、光が走り、世界が震える。

 やがてそれらが収まった後には、何も残っていなかった。

 辛うじて残るは黒く炭化した何かの一部らしきもの。 


 その映像に、魅せられた。

 作り物だとは思えない質感、臨場感、そしてなにより幻想的な魔術師の有り様。

 これだ、と思った。


 魔法、というものは私にとって特別なものだった。

 物心ついた頃によく見ていたらしい古いアニメの影響なのか、幼いころから、私はそれに格別な憧れをいだいていた。

 今ではそうでもないが、思春期を迎えるぐらいまではアニメもマンガも魔法が出て来るものにしか興味をもたず、それ以外には見向きもしない極端な子供だった。


 魔法とひと括りにいっても様々な種類があるが、中でもファンタジーな魔法ものは特にお気に入りで、中世とかあの辺りの文化水準をベースとしたものであればもう言うことはない。

 しかしだからといって現代的なそれが嫌いかといえば、そういうわけでもなく、それはそれでアリだった。

 二十世紀より続く伝統、日曜朝八時からのアニメタイムなんかはテレビにかじりつきで、変身ステッキ片手に大興奮だった。


 それだけ魔法好きであれば当然、その、アレだ。アレも散々やった。

 二十歳間近のこの年齢になると口にすることすら憚れるが、技名を叫んでポーズを決めるという、いわゆる必殺技の練習とかいわれる類のことだ。

 子供なら誰でも一度はやることだろう、と言う事なかれ。

 私はちょっとばかり、本気過ぎた。

 アニメやマンガに出てきた詠唱を全て一字一句間違えることなくそらんじることが出来たというのは当たり前として、創作伝承関係なく魔法的なグッズを手当たり次第収集し、起床後と就寝前の一時間は毎日必ず魔法の練習に当てていたし、怪しげな儀式を実践したりもしていた。

 

 というか、その頃の私は魔法は使えて当たり前だと思っていた。

 むしろ使えないのはおかしいという考えだったので、それはもう酷いものだった。

 なんとか中二ぐらいには卒業したので致命的では決してない、と思いたい。

 今では誰かのそれを見ても笑えるぐらいには真っ当に生きている、はずだ。

 

 まあ、そんなわけで今では現実と妄想を混同するようなことはないのだが、それでも魔法に対する執着は薄れなかった。

 魔法なんかないという現実は受け入れたけれども、心のどこかには満たされないような、寂しいような気持ちは残っていたのだ。 そんな心の隙間にずどーんと来たのが、《Re:Zeilurthツェイラース》である。 

 もう、たまらなかった。

 早く自分もこの世界で魔法を使ってみたい、朝から晩まで廃人生活を送りたい、むしろ一生引きこもって耽溺していたい――そんな居ても立ってもいられない気持ちでゼイルのサービス開始を待ち、ついに三月三日がやってきた。

 

 結果がこの有り様である。


「まさか強制的にハイレベル廃人生活がスタートするとは」


 この私の目をもってしても見抜けなかった。

 だが悪いことばかりでもなかった。

 思う存分魔法を使ってこの世界に耽溺するという目的は確かに達成されているのだから。

 それにこちとらお気楽なモラトリアム期間をエンジョイする大学生である。

 別にエリートを目指そうとしていたわけでもないので、一年二年ぐらい留年したところでそれほど将来に影響はしない(しない、よね?)。

 唯一の心配は現実に残された身体のことだが、これはいくらこの世界で気を揉んだところでどうしようもないので、とりあえず考えないようにしていた。


 だからして、最前線の人たちには申し訳ない気持ちで一杯なのだが、私は攻略さえも他人任せにして、好き勝手にこの世界を楽しんでいると、そういうわけなのだ。

 意外にもこういうスタンスのプレイヤーは多い。

 元々この世界に惹かれてやってきたわけで、おまけにサービス開始日からがっつり参加するという意気込みっぷりを見せていたのが私達なのだから、まあ、自然な結末なのかもしれない。


「食べ物は美味しいし、トイレには行かなくていいし、興味もない勉強だってしなくていいし、おまけにこんなにたくさんの読みきれない本があるわけだし」


 周囲の本棚を見回し、うんうんと一人頷く。

 さすがに私ほど狂ったように乱読してはいないだろうが、この図書館にそういう目的で入り浸っているプレイヤーの数は意外に多いのだ。

 ちなみに私が図書館に篭もる切欠は魔法関連の書物を読むためだったが、今ではそこから脱線してこの世界の成り立ちなどにも興味を持ち始めていた。

 読みたい本、読むべき本がありすぎて、どれを選択すれば良いか迷い毎日のたうち回っている――それがここ最近の私の日常だった。


「……なんか、ほんっと攻略組の人たちには申し訳ないな」


 けれど、我が身が一番可愛い私は廃人の危険を覚悟してでも皆の矢面に立つなどという勇敢なことは出来そうになかった。

 人にはそれぞれ分に見合った生き方というものがある――というのは言い訳でしかないのだろうけど。

 やはりどうしても罪悪感のようなものはなくならない。


「その点、この子は本当にマイペースに生きてるわよね。悩みなんてない、ってわけじゃないんだろうけど」


 視線を隣に移す。

 視界に入るのは、柔らかく波打つふわふわの桃色髪の少女。

 白を基調としたレースワンピースを可愛らしく着こなした彼女は、机に頬をぺったりとつけてぷすーぷすーと呑気な寝顔をこちら側に晒していた。

 実に気持ちよさそうに、幸せそうに眠るその口許はだらしなく緩み、そこからは透明な雫が――


「ってちょっと、あんた涎垂れてるわよ。起きなさい」


 さすがに見かねて肩を揺すると、その瞼がうっすらと開いていく。 


「むぃー、ぉー、ぅー……?」

 

 呻き声なのか鳴き声なのかよくわからない言葉が漏れるも、その眼差しはぼんやりとしたままで、うつろに私を見上げている。


「よだれよ、よ・だ・れ。垂れてるってーの」


 口許を指さして再度伝えるも、返ってくるのは「むぉー……?」という謎の呻きのみ。

 仕方なくストレージよりハンカチを取り出して口の周りをごしごしと拭いてやると、「むぃー」とむずがるように眉をしかめて離れようとする。


「ほら、子供じゃないんだから、逃げない。ちゃんとキレイにするの」


 叱るように言うと、ようやく意識がはっきりしてきたのか、むくりと彼女は上体を起こした。

 私の手からハンカチを受け取り、自分で拭き始める。


「目が覚めた?」

「……うん? うん……」


 口を吹き終えると今度はぐしぐしと目を擦り、大きな欠伸を一つ。

 「はい」とハンカチを差し出してくるが、高いものでもないので「あげるわよ」と言うと、素直に頷き自分のストレージに収納した。


「ほら、寝癖もついてるから。そっち向きなさい」

「んー……? いいよ、べつに」

「良くないわよ。女の子なんだからもっと身だしなみに気をつけなさい」

「むぅ」


 小言を言われて不満なのか、ぶすっとした顔でそっぽを向く彼女の跳ねた髪を手櫛で整えてやる。

 絹糸のように繊細な髪質ゆえか、何度か指を通すだけで寝癖は元の緩やかなウェーブを取り戻す。

 

「はい、これでよし。っていうか、あんた、前にも言ったけど、無理してあたしに付き合うことなんてないのよ? ここに篭もりっきりになってるのって、完全にあたしの趣味なんだし」

「わたしも言ったと思うけど、好きでこうしているんだから、気にしなくていいんだってば。こういう図書館の雰囲気って、昔から慣れ親しんでるせいか、すごく落ち着くし」


 本を読むのも嫌いじゃないし、と言って、彼女は脇のほうにどかしてあった書を手にとって見せる。

 

「……あんたがそう言うんなら、いいんだけど。その割にはいっつも寝てる気が」

「本を読むのは嫌いじゃないんだけど、すぐ眠くなるの。それでそのまま寝ちゃうと、普通に寝るよりすごく気持ちよく眠れるんだよね」

「それ、退屈だからじゃないの?」

「違うよー。すごく気分がね、安らぐの。だから、ついね。寝るのって、わたしの趣味みたいなものだし」


 そこでもう一度大きな欠伸をしてから、彼女はぐてっと机の上に倒れこんだ。

 もちもちとして柔らかそうなほっぺたが机との間で押しつぶされ、間抜けな表情を作り出す。

 その視線は何もない宙に固定され、時折何かを確認するように眼球が左右に動かされる。

 どうやらシステムウィンドウを思考操作しているらしかった。


「だからねー、きにしなくてねー、いーんだよーっと」

「はぁ……わかったわよ。あんたのことは空気か何かとでも思っておくことにするわ」


 相変わらずマイペースで、遠慮がなくて、加えて自分の考えは曲げないという頑固な一面も持つ彼女は、初めて会った時から少しも変わらない。

 そのせいで他のプレイヤーから敬遠されることも多く、いつも一処に落ち着けず多くのパーティを渡り歩いていた。

 そんな彼女とひょんなことから知り合い、何となく放っておけなくて世話をやいていたら、いつの間にかこんな風な関係になっていた。

 好きなことを好きなだけやりたいという熱中しやすい自分の性と、彼女のマイペースなところが上手く合致したというせいもあるかもしれない。

 まあ、結局のところ馬が合ったということなのだろう。 


「……あんた、その顔、やめときなさいよ」


 ふと目を移せば、彼女は宙を見やりニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。

 システムウィンドウを閲覧しているのだろうが、はたから見ると頭のおかしい人間にしか見えない。

 おまけに彼女のプレイヤーキャラは、天然そうなほわほわとした可愛らしい外見に設定されているので、そういう表情をするとギャップもあって実際以上に腹黒に見える。

 

「え? なに?」

「いや、あんたのにやけ面が酷かったから忠告をね。ていうか、なにがそんなに面白いのよ。掲示板?」

「んー、それもあるけど、フレンドから返ってきたメッセージっていうか、その反応がね」


 彼女からの予想外の返答に、私は衝撃を受けた。

 フレンド?

 メッセージ?

 まさかこの子からそんな言葉を聞く日が来ようとは……。


「あんた、メッセージのやり取りが出来るようなフレンドっていたの?」

「いるよ! わたしをなんだと思ってるの」

 

 心外だという顔をするが「え? 言ってもいいの?」と問うと、しばらく考えた末に「心のうちに秘めておいてください」という言葉が返ってきた。

 「よろしい」と頷き、私は立ち上がる。

 

「それじゃ、あたしは次に読むのを持ってくるわ。あんたのも、もう読まないっていうならついでに返してくるけど、どうする?」

「えっと、じゃあ、お願いしてもいい?」

「オーケー」


 こういう時だけ妙に遠慮がちな彼女からおずおずと差し出された本を受け取って、その場を後にする。






 世界の成り立ちを語る多くの伝承がそうであるように、この世界にも神々による創世神話が存在する。

 教会のNPCなどから話を聞いたことはあったがそれは非常に簡易に要約された内容だった。

 後付しやすいように元からふわっとした設定しかされていないものだとばかり思っていたが、この大図書館に来てその考えは覆された。

 ここにはそういった神話が事細かに記された蔵書が幾らでもあるのだ。

 おまけに現実のそれと同じように単一ではなく様々なヴァリエーションがあり、外典、異端とされるものも見受けられた。

 またそれら神話を研究する著作も多く存在し、本当にここには《Re:Zeilurthツェイラース》の全ての叡智が集結していると言われても納得してしまうほどだ。

 これほど細かに世界観を設定するなど、運営に対してどこか偏執的なものを感じてしまう。


 まあそれはともかくとして、この世界の創世神話には幾つかヴァリエーションがある。

 だが大筋は大体同じようなもので、要約すると次のようなものになる。


 太古の昔、神々は世界とともに誕生した。

 世界という枠組みしかなかったそこに、神々は地と空と海を創った。

 そして次にそこで暮らす生き物を創った。

 神々は言った

 ――生きよ。満ちよ。我らあるかぎり、永久に栄えよ。

 神々より祝福を受けた数多の種族は大いに繁栄し、地に満ちていった。


 と、こんな感じなのだが、現在のゼイルに残っているのはヒューマンしかいない。

 昔は獣人みたいなのとかエルフみたいなものも居たらしいが、始まりの大陸を主として栄えていた人間以外は暗黒時代に全て滅んでしまったというのが通説だ。

 なお、モンスターは神々の祝福を受けられなかった存在で、故に祝福を受けた人間に敵対的らしい。


「けどまあ、結局のところこれって生き残った人間の記した歴史なのよね。どこまで事実に基づいて書かれているのやら」


 棚と棚と間の細い通路を抜けていきながら、呟く。

 おそらく一般の来館者の目にふれるような場所には、都合の悪い情報が記載された書物は存在しないだろう。

 異端とされている書であっても、自由に閲覧出来るのであればその程度でしかないということだ。


「禁呪とか、その類の詳細が載ってるやつもないしねぇ」

 

 いずれ見つけて読み尽くしてやる――そんな決意を抱いて棚の隙間から中央通路に出たときだった。

 一人のプレイヤーらしき姿が、目に入った。

 縦と横、十字に交わる中央大通路の交差部、ちょうど図書館の中央にあたりのぽっかり開けた空間に、そのプレイヤーは佇んでいた。

 街中、特にこのような図書館内には不似合いな重鎧で全身を固めた重戦士である。

 天井近くに取り付けられた鮮やかな発色のステンドグラス――そこから降り注ぐ柔らかな光の中で、身動き一つせずに天を仰いでいた。

 近寄りがたいというか、妙に強い存在感を放つ重戦士の視線の先にあるのは、天井画。

 かなり広い範囲にわたって描かれたそのフレスコ画は、ゼイルで最も有名な伝説をモチーフにして創られたものらしい。


 戦場らしき荒れ果てた大地を背景に、そこかしこに鎧姿の騎士や異形の怪物が倒れている。

 唯一立っているのは、中央に立つ美麗な装飾が施された白銀の鎧を纏った青年である。

 青年は、右手に握った白銀の剣を天に突き上げており、そこからは眩い光が放たれていた。

 光は闇夜の空を照らし、その暗黒を払いのけている。


 希望や、新たな時代の幕開け――そんな印象を抱かせる壮大な天井画。

 おそらく《光の勇者》の伝説をもとにして描かれているのだろうそんな絵を、プレイヤーであろう重戦士はじっと見上げていた。

 

「あれは……」


 なんとなく見覚えがあるような気がして、注視する。

 全身を覆うフルプレートアーマーを纏っているため、その容姿を確認することは出来ないが、発する空気というか、雰囲気に既視感を覚えた。

 思考操作で、普段は非表示にしてあるステータスウィンドウ表示をオンにする。

 途端、その重戦士の頭上に現れるウィンドウ。

 そこに記された名に、「あー」と思わず声が漏れた。

 一度しか行動を共にしていないが、忘れられない、ひどく記憶に残るプレイヤーだったからだ。


「ぬ」


 私の声に反応してか、重戦士の顔がこちらに向けられる。

 視線が合う。


「どーもー」


 何となく会釈してみると、「うむ」と頷かれる。

 こっちを分かっているような雰囲気を醸し出しているが、果たして本当に覚えているのだろうか。

 一応フレンド登録は済ませてあるとはいえ、一度パーティを組んだだけだし、メッセージのやり取りなどもしていないのだが。


「覚えてる? 一度、南の砂漠で私と連れの僧侶と、そっちの知り合いの双剣士と一緒したことあるんだけど」

「もちろんだ。我、物覚えはいい方だから」


 自慢するように胸を反らす姿に、苦笑が漏れる。

 あの時もそうだったが、この重戦士は妙に達観しているかと思えばところどころで子供っぽい幼い言動が顔を出すこともあり、独特の空気感を持っていた。


「というか、うぬのことはちょくちょく聞かされていたから、忘れるわけもない」

「うん? なんのこと?」


 唐突に心当たりのないことを言われ、首をかしげる。

 その反応に向こうもまた首をかしげた。


「ぬ? 先程うぬが口にした、その連れのことだが」

「え、連れって一緒した時にいた僧侶のこと?」

「そやつだ」


 びしぃっと指を突きつけてくる重戦士の声には、どこか忌々しげな色が含まれていた。

 

「そやつにうぬからも言っておいてくれ。いい加減、我を厨二病扱いするのやめよと」

「え? あ、や、ちょっと待って。頭の中整理するからちょい待ち」


 手を突き出しそれ以上の言葉を遮って、私は黙考する。


 重戦士は私のことを他の誰かから聞かされていた。

 それは私の連れで、パーティを組んだ時に僧侶だったやつであるという。

 つまりさっきまで一緒だった、いやらしい笑みを顔いっぱいに浮かべていた、やつのことである。


「あ、いたいたー。あのね、忘れてたんだけどその本ってすっごく分かり辛い場所にあってねー」


 そう、まさにこんな声をしたやつだ。

 振り向く。

 ピンク色のふわふわ髪が視界に入る。


「ごめんね、やっぱりわたしが自分で片付けて――」


 彼女の視線が私に向けられ、次いで肩越しに後ろに移り、「あ」その目が丸くなる。


「ぬ」


 重戦士からも呻き声が漏れる。

 なんとなく驚いた感じは伝わってくる。

 見つめ合う二人。

 間に挟まれる私。

 そんな微妙な沈黙がしばし続き、

 

「……お久しぶり?」

「む。そうなる、か?」


 こてりと二人して首を傾げて、そんな言葉を口にした。

 





「で、なに、二人ってあれからもあたしの知らないところで会ってたりしたの?」


 大図書館の外、敷地内の中庭にあるテラスまで移動し、私達はテーブルを囲んでいた。

 だがそう問うたものの、それはないだろうと思う。

 ここ最近はずっと一緒に行動していたし、宿にしている部屋は隣同士、そんな気配があればおそらく気づいていたはずだ。


「いや、うぬらとパーティを組んだ時の一回きりで、それ以来顔を合わせてはいない。今日が二度目だ」


 案の定、重戦士はそう答えた。

 ついさっきあの子から知らされた事実を思い出して、私は頷く。


「……なるほど、メッセージだけのやり取りってこと?」

「うむ。メル友?みたいな感じ」  

「へぇぇぇ」


 なんとなく、マジマジと二人を見てしまう。

 重戦士は腕組みして無駄に堂々とした態度で座り、私の隣の彼女は頬杖をついて宙に視線を彷徨わせ――どうやらこの状況でまたウィンドウで何かを閲覧しているらしい。

 先の時も思ったが、よくこのマイペース極まりない子が、私以外のプレイヤーと長続きしているものだ。

 

 ……いや、厨二病がどうのこうのと言っていたので相手側の寛容さが図抜けているのかもしれないが。


「というか、こやつが時々思い出したようにメッセージを送りつけて来るから、我はそれを返してるだけだ」

「なにそれ」


 つまりこの子から絡みにいっているということか。

 基本、能動的ではないこの子にしては珍しいことだ。

 そういえばパーティを組んだ時も、自分から重戦士に関わりにいっていた。

 気に入った、のだろうか。なんだかそれとも違うような気もするが。

 

「あんた、どんなメッセージ送ってるの?」


 隣でまたもやニヤニヤしていた彼女に訊ねると、「んー?」とこちらを見る。


「べつに変なことは送ってないよ。『右手のうずきは収まりましたか?』とか『封印は解けていませんか?』とか『エターナルフォースブリザードを使えるようになったらぜひとも一度見せてください!』とかそんな感じ」

「ちょ、あんた、なんてもの送ってるのよ」

 

 思わずぶふっと吹き出してしまう。

 重戦士は無言で彼女を見ているが、なんとなくムスっとしているのが伝わってくる。

 そんなメッセージを送られて、よくも律儀に送り返すものだ。

 やはりよほど度量が大きいのだろう。あの時の双剣士からもかなり慕われていたようだった。

 

 しかし、とはいっても、あまり面識のない相手にぽんぽんそんなメッセージを送るのは、失礼極まりない。

 怒られないからといってそれを無礼な行為の根拠とするのは、不躾にすぎるだろう。


「ごめんなさい。前も言ったかもしれないけれど、この子っていつもこんな感じだから、不愉快に思ったなら無視してくれても良いから」


 ぺこりと私が頭を下げると、「なんで、そんな」隣で彼女の動揺する気配。

 対して重戦士は気にした様子もなく、首を横にふる。


「別に、問題ない。我、つよい子だから、こんなこと、全然気にしてないし」

「……そうだよ。そんな謝るような話じゃないし、仮にそうだったとしてもわたしの問題でしょ。どうして代わりに頭を下げるの」


 そっぽを向きながらそんなことを言う彼女の口は、不満そうにへの字を形作っていた。

 そんな子供染みた態度に、苦笑が漏れる。


「ま、この世界じゃあたしがあんたの保護者みたいなものだからね」

「保護者って……そんなに歳が離れてるわけじゃないのに」


 確かに、以前聞いたところによればこの子は高校生という話だから、大学生である私とは精々三つ四つぐらいしか違わないだろう。

 しかし十代でその歳の差は社会的な経験値で言えば、結構な開きがある。

 その子供染みたふてくされたような態度こそが、それを物語っている。


「細かいことはいいのよ。あたしはあんたのそういうところも嫌いじゃないし、好きでやってるだけだから。あんたが気にする必要はないのよ」

「べっつに、気にしてないですぅ」


 唇を尖らしてぶーたれる彼女の頭をわしゃわしゃ撫でさすると、顔では嫌そうにするものの、特に抵抗する様子もなく受け入れる。

 重戦士はそんな私達を黙って見ていたが、その視線からは生暖かさを感じた。

 それに気づいたか、彼女はうっすらと頬を桜色にして、「それより」とごまかすように重戦士に向かって話を切り出す。

  

「久しぶりに会ったことなんだし、かお、見せてください」

「うむ。いやだ」


 しかし返ってきたのは、素気無い断りの言葉。

 彼女は「むー」と頬をふくらませる。

 

「いいじゃないですか、見るだけですよ。見るだけ」

「い、や、だ」

「わたしとの仲じゃないですか。もう初対面でもないんですし、そろそろ、ねっ」

「っていうか、うぬと我、いうほど交流ないし。所詮メッセージだけの関係だし」

「まぁまぁ、ほんと見るだけですから。指一本触れないし、それ以上なにもしませんから」

「……最初はみんなそう言うのだ」

「さきっちょだけ、さきっちょだけでいいですから――」

「やめなさい」


 調子に乗っている娘の頭をぺしんと強めに叩く。

 「ぐへぇ」っと蛙の潰れたような声をあげた彼女は、涙目で頭を抑えてこちらを見上げてくる。


「仮にも女の子がそういう言い方するんじゃありません」

「仮にもってバリバリ女の子ですぅー」

「だったら尚更でしょうが」


 今度はこつんと軽く拳をあてる。


「まあ、あたしも一度は見てみたいけど、嫌がるのを無理強いするものじゃないでしょ。ねぇ?」


 ほんの少し好奇心もあって、幾らか期待を込めてそう言ってみるが、重戦士は「汝、人の道を外れることなかれ」と重々しく頷くのみ。

 おそらく、私の言葉に同意しているのだろう――と思われる。

 よっぽど素顔を見られるのが嫌らしい。


「というわけだから、諦めなさい。それ以上は自分の意思を通すというより、ただの我侭になっちゃうわよ」

「っ」


 まだ何か言いたげだった彼女は、私の言葉を聞くと痛いところを刺されたというように口をつぐんだ。

 そうしてしばし、「……わかりましたぁー」しぶしぶといったように頷いた彼女の頭をよしよしと撫でてやる。


「ところで、あなたって攻略組だったと思うんだけど、今日はどうしてここに? クエストか何か?」

「ぬ? いや、少しこの国の歴史に興味があってな、今日は予定が何もなかったから寄ってみたのだ」

「へー、奇遇。あたしもいろいろその辺りのことを調べてたのよね。良かったら案内しましょうか?」

「良いのか?」


 そう聞いた重戦士は、私のとなりで、テーブルの上にむくれた顔をのせている彼女を見る。


「いいの、こいつのことは気にしないで。単に構ってほしいだけだから」

「ちがいますぅー。わたしはかまってちゃんなんかじゃないですぅー」

「違うなら、そうやってぶーぶー言わないの。分かったかしら子豚さん」


 ちょん、とその鼻頭を人差し指で押す。


「ぶー」


 意趣返しのつもりか、そんな鳴き声を上げる彼女。

 ちょっと面白かったので今度はツンツンとしてみる。


「ぶーぶー」


 思いのほかその様が可愛らしかったので、何度か繰り返して遊んでいると、視界の隅で重戦士がそわそわしているのが見えた。


「やってみたい?」

「よ、よいのか?」

「子豚さんは構ってほしいみたいだから、いいんじゃない?」


 そんな私達の会話を聞いても彼女は特に嫌がる素振りもなく、顎をテーブルにのせたまま唇を尖らせている。


「……では失礼仕る」


 重戦士の指がそうっと彼女の鼻に近づけられ――ぱくりとその口に咥えられた。


「ぬっ!?」 

「あぐあぐ」

「ぬぬっ!?」

「あぐあぐあぐ……鉄の味がする」


 重戦士のガントレットは指まで装甲で覆われているため、当然である。


「こら」


 ぺちりと私に頭を叩かれてようやくその指を離す。


「ぬ、ぬぬぅ」


 たじろぐ重戦士だったが、何とか気を取り直してもう一度トライする。

 ゆっくりと右手の人差し指が鼻頭に近づいていき――彼女の口がくわぁっと開かれた。

 瞬間、逆の手の人差し指が神速を以って彼女の鼻に迫る。

 右は囮だったのだ。重戦士の本命はまさかの左。

 そのことに気付いたのだろう、彼女は反射的に顔を逸らそうとするも、それはほんの僅かに遅かった。

 

 重戦士の指が、彼女の鼻に、接触する。

 

「ぶひぃぃぃぃぃぃ!」

「!?」


 仰天した重戦士はびくぅっと全身を竦ませる。

 全く想定外の事態だったのか、完全に静止してしまった重戦士を何故か彼女はドヤ顔で見つめている。


「う、うぅ……さっきと全然ちがう」


 しばらくして静止状態から復帰した重戦士はそんな呟きを漏らすも、彼女はドヤ顔のままである。

 しかしなおもめげずに、再度重戦士はその指を近づけて――


「ぶひぃぃぃ! ぶひぃぃぃ!」

「ち、違う! さっきはもっと可愛い鳴き声だった!」

「ぶひぃぃぃ! ぶひぃぃぃ! ぶひぃぃぃ!」

「うううぅぅぅ! うぬはいつもそうやって我をバカにする!」

「ぶひ――イタタタタタタ!?」


 調子に乗っているお豚の鼻をぎゅっとすると、情けない悲鳴が上がった。

 

「ちょ、いた、本気で痛いっ!?」

「だからいい加減にしなさいってーの。小学生かあんたは」


 確かに重戦士の反応は、なんというか、こう、非常にサディスティックな気持ちが掻き立てられるが、やり過ぎである。

 普段からこういう幼稚な部分はあったが、それにしても今日のこの子はいつも以上にハッスルしている。

 相手を気に入っているからといえばそうなのだろうが、どうもそれだけではない気もする。

 なんにしろ、暴走気味なのは間違いないが。


「う、うぅ。前のときはもうちょっと落ち着いてたはずなのに」

「ごめんなさいね。なんだかいつも以上にハイになっているみたいで。ともかく、案内の方はちゃんとするから、安心してちょうだい」

「だ、だいじょうぶか?」

「大丈夫よ。しっかり手綱は握っておくから」


 赤くなった鼻を抑えて涙目になっている彼女を見やる重戦士に、私は頷く。


「う、うむっ。では、よろしく頼むぞ!」

「頼まれました」


 どん、と自分の胸を叩いて、私は答えた。






「んー、やっぱり歴史に関してって、どれも同じような筋よね。神話とかはまだ多様性があったんだけど」


 棚から抜き出した本をざっと流し読みして私が呟くと、隣で重戦士もまた頷いていた。

 重戦士を案内するついでに私も次に読む本を選んでいたのだが、歴史書の類、特に魔族との戦乱があった暗黒期のあたりからは明らかに思想、言論統制がされていた気配が感じられる。


「やっぱり、一般に閲覧できる蔵書では、これが限界かなぁ」

「まー、いろんな種族が滅んだ中でヒューマンだけ生存して、しかも大陸に国一つしか残らなかったっていう状況じゃ、神に選ばれた種族とか、特別性とか強調していかないと、再興に向けてまとまらなかったんじゃないの?」


 同じように近くの棚でぺらぺらと本をめくっていた彼女が言う。

 彼女も少なからずゼイルの歴史には興味があったようで、先程からこうやって三人でうだうだいいながら立ち読みを続けていた。


「焚書とかもあっただろうしね。都合の悪い書物は焼き捨てられたか、或いは民の目に届かないところに仕舞われてしまったか……っていうか、こういう風にちょこちょこ設定に推論の余地を残したりするところ、本当に芸が細かいわよね、このゲーム」

「そのうち、こういうところの謎に迫るクエストなんかも出て来るんじゃないの? 攻略組さん、今のところそういうのってありますか?」

「ぬ? いや、今のところは見かけておらぬな。まぁ、我は討伐系のクエストをメインに受けているから、知らないだけかもしれないが。……ところで、歴史書関係は、この辺りだけなのか?」


 それまで目を落としていた本を棚に仕舞った重戦士がこちらに訊ねてくるが、私が把握している範囲ではイエスだ。

 もしかしたら他の棚にも紛れているかもしれないが、まさか一冊一冊調べていくわけにもいかない。

 あとは図書館に常駐している司書にでも訊くしかないが、前に聞いた時はここを案内され、歴史書の類はこの一帯にまとめられていると言われたので、おそらく答えは変わるまい。


 ――と、そんなことを考えていた時だった。


「もし、冒険者さん」


 ちょうど通りがかった件の司書――もちろんNPCである――が声を掛けてきた。

 黒髪に黒縁の眼鏡、白のドレスシャツに黒ロングのサーキュラースカートという文学少女がそのまま大人になったかのような女性だった。


「何かおさがしでしょうか?」


 胸に辞書のような厚さの黒本を抱えた彼女は、小首を傾げて訊ねてくる。

 その仕草にあざとさを感じてしまうのは穿った見方だろうか。

 まあ、NPC独特の雰囲気は消せていないので、余計にそう感じてしまうのかもしれないが。


「あ、、司書さん、どうも。いや、歴史書をさがしているんですけど、正統から外れたようなやつって、ありますか?」

「……正統から、外れた?」


 一瞬、司書の瞳に、なにかしらの色が混じったように見えた。

 それは、なんと言ったらいいのか、その瞬間だけ、まるで本物の人のように、思えて。


「え、ええ。この辺りには置いていないようで」


 けれど瞬きとともに、それは彼女の眼から消え去る。

 残ったのは、相変わらずの色のないガラスの眼差し。


「そうですね……冒険者さんは熱心に当図書館に通われ、さらに数多くの書をお読みになられたようです。良い機会ですから、地下書庫へ踏み入る許可証を発行いたしましょうか?」

「地下書庫?」


 ここに来て初めて耳にする言葉に、思わず聞き返す。


「はい。当図書館には一般の方には閲覧許可が出ていない書物なども所蔵されているのですが、それらの収蔵場所が地下書庫となっております。そして私ども中央都市大図書館司書には、一般の方へ書庫の使用許可証を発行する権限が国より与えられているのです。あるいはそこであれば、あなたの求めるものもあるかもしれませんね」

「なるほど。ちなみにそれは私だけなんですか?」

「はい。ただ、許可証を持った方の同伴があれば、お一人様一回十万ゴドルお支払いいただくことで、同時に二人までお連れすることが可能です」

「じゅっ」


 顔が引きつるのが自分でも良くわかった。

 十万ゴドルとは、今のゼイルにおいて最前線とまではいかなくともその一歩手前ぐらいまでは通用する装備を買えるほどの金額だ。

 積極的に攻略に向かっていない私達でも一回分ぐらいであれば支払えないことはないが、気軽に決められるような額では決してない。


「十万ゴドルか……私は許可証が貰えるからいいとして、二人はどうする? もし希望するなら一緒に連れていくけれど」


 他二人の様子を伺うと、最前線組である重戦士は至極平然とした様子で、同行すると言ってきた。

 最前線で日夜戦っているプレイヤーからすれば、それほど大きな金額ではないのだろう。

 対して隣の彼女の方は少し悩んでいたようだったが、最終的には使用料を支払って同行することを決めたようだった。

 一般のプレイヤーお断りの空間に興味津々であるようだ。


「じゃあ、三人、お願いします」

「かしこまりました。カウンターにて許可証を発行して参りますので少々お待ちください」


 一礼して去っていく司書を見送ること十数分。

 やがて戻ってきた彼女の手には三枚のカードが握られていた。

 一枚は金属製の凝った装飾が施されたもの。残りの二枚は厚紙で作られた簡素なもの。

 前者が正式な許可証で、後者が今回限りの仮許可証であるらしい。

 私はそのまま受け取ったが、二人はアイテムストレージより取り出した金貨で使用料の支払いを済ませ受け取った。


「では、これより地下書庫までご案内いたします」


 そう言って先導する司書のあとをついて私達は歩き出した。


 まず向かったのは、図書館最奥にある関係者以外立ち入り禁止の扉。

 鍵を開けて奥へ入ると、そこは豪華絢爛な外の作りとは一転。

 華美な装飾など一切なく剥き出しのままの石材で囲まれた薄暗い通路が先へと続いていた。

 窓の類も見当たらず明かりは壁際に設置されたランプのみで、空気も僅かにカビ臭く埃っぽい。

 両脇には木製の扉が等間隔で並び、おそらく倉庫として使われているのであろうことが伺える。

 だが現在は人気が全くなく、私達が全員中に入ったことを確認した司書が扉を閉めて改めて鍵をかけ直すと、外からの物音も遮断され、しんとした静けさが辺りをつつんだ。

 

「暗くなっておりますので足元にお気をつけ下さいね」


 外との雰囲気の違いに僅かながら戸惑う私達には構わず、淡々とした声色でそう告げた司書は、再び先に立って歩き出した。

 何となくお喋りをするような空気でもなかったので無言で続く。

 静寂の中、私達の物音――特に重戦士の鎧が擦れる音が響く。


 やがて通路の一番奥へと着くと、左手に下へと続く階段が現れた。

 司書は先程と同じように足元への注意を促してから、速度を落とさず下りていく。


 幾度も階段を折り返しつつ地下へ地下へと潜っていくことしばし。

 ようやく終点に辿り着く。

 感覚ではずいぶんと深いところまで下りてきたように思えたが、同じような光景の繰り返しだったため、定かではない。 

 

 そんな私達の前に現れたのは、ずっしりとした重さと厚みを感じさせる金属製の異様に大きな扉だ。

 両開きの扉の高さは私が縦に二人分ぐらい並んでも届かないほどで、天辺を見上げようとすると首が痛くなる。

 横幅も私達が五、六人は横に並んだままでも余裕で入れそうなほど広さがある。

 装飾の類はなく、見た目にはただでかくて分厚い金属の壁が鎮座しているだけにも思える。

 実際、扉には鍵穴や操作盤のようなものは見当たらなかった。

 相当な重量がありそうなので、まさか人力で押し開けるというわけではないのだろうが。

 

 私達が成り行きを見守っていると、司書は扉の中央に立ち、ちょうど両扉の境目部分に手の平を押し当てた。

 そして目を閉じると、ゆっくりと深く息を吸い、吐く。


「――――」


 ふと、あたりの空間に波のような何か目に見えないものが走ったような気がした。

 同時に、司書の手の平が白く淡い輝きを放った。

 光は彼女の手から扉へと侵食するように広がっていく。

 まるで電子回路のように複雑に絡み合った文様を浮かび上がらせながら、光はやがて扉全体を覆う。

 その、瞬間だった。


 ――――――――――。


 どこからともなく、音が、聞こえてきた。

 

 ――――。

 ――。

 ――――――――。

 

 高い音、低い音、長い音、短い音。

 それはまるで鍵盤を叩く打楽器のように。


 ――――――。

 ――。

 ――――。

 ――。


 幾つもの単音が決して重なることなく、一つ一つと。

 響いていく。


 それは曲などでは、なかった。

 ただの音の連なり。 

 不規則な音の流れだった。

 

 けれど、とても澄んだ音で。

 濁りなど一切なく、ノイズなど微塵もない、酷く綺麗な音色だった。


「……これはまさか、《詠唱機構》か?」


 重戦士の発した小さな呟きに、視線が集中する。

 その言葉は、以前に魔法についての本を読みあさっていたときに、私も目にしたことがあった。 


「《詠唱機構》って、本来知性体しか使用出来ない詠唱魔法を代替するっていう、あれ?」

「うむ。一握りの天才しか創造できなかったという、それだ」

「よくお分かりになりましたね。確かにこれは現存する数少ない《詠唱機構》の内の一つです」


 扉に手を当てたままの司書が振り返って私達に答えた。


「なんでも、王国創立者の一人である大賢者様が遺されたものだという話です」


 そう司書が続けたときだった。

 周囲に響きわたっていた音が鳴り止み、その残響がゆっくりと空気に溶けるように消えていく。

 そのときになってようやく司書は扉から手を離した。


 それとほぼ同時だっただろう。

 ずずず、と重い音を立てて目の前の両扉が奥に向かって開き始めた。

 その向こうに広がるのは、明かり一つない真っ暗な闇。

 何も見ることは出来ないが、気配からとても大きな空間が広がっていることは感じられた。


「さて、冒険者の皆さん」


 扉が開く音が止まり再び場を静寂が支配すると、司書は身体ごとこちらに向き直った。

 右手で扉の奥を示し、言う。

 

「こちらが目的の場所となります」 


 その言葉の終わりとともに、扉の向こう、何も見えないぽっかりとした暗闇に、光が生まれた。

 初め、それは小さな煌めきだった。

 私達の立つ場所より遥か上の宙空に現れた橙色の光は、まるで夜空の星のように瞬きを繰り返していたが、そうしているうちにゆっくりとその光量を増していく。

 より明るく、より大きく。

 際限がないのではと思うほどに膨張した光は、やがて直視するのも難しいほどの輝きを放つに至る。

 

「これは……」


 その声は誰のものだったのか。

 さながら小さな太陽の如き光に照らしだされた光景に、私達は言葉を失った。


 扉の向こう側。

 そこには、大図書館地上部のおよそ十数倍・・・――図書館どころかこの街の四分の一ぐらいはすっぽり収まってしまいかねないほどの大空洞が広がっていた。

 だが私達が真に驚愕したのは、その広大さではない。

 それだけの規模の空間を、積み上げられた書架(・・・・・・・・・)が覆い尽くしてしまっているが故にだった。

 地面を埋め尽くすだけでは足りず、まるで子供が遊んだ積み木のように無造作に、規則性もなく書架は天に向かって積み上げられているのだ。

 三次元的に組み合わされた書架は、まるで複雑な迷路や回路のように入りくみ、ところどころで奇妙なオブジェを形作っている。

 中には遥か頭上に輝く光源まで届かんばかりに積まれているものさえあった。


 それら無数の書架に収められた蔵書の数は、一目見ただけでも地上部のそれを軽く凌駕しているであろうことは容易に察せられた。

 地下書庫、などという言葉はこの光景には似つかわしくない。

 おそらくはこの場所こそが、本当の――。

 

「ようこそ、冒険者さん。この中央都市大図書館地下書庫――《ZeilurthツェイラースChronicleクロニクル》へ。あなた方に真なる叡智が与えられんことを、心より祈り申し上げております」


 光の中に浮かび上がった光景に絶句する私達に、司書はNPCらしからぬ酷く艶やかな笑みを浮かべ、そう告げた。

 

 

 



「――やられた」


 地下に突然現れた大空洞――おそらく自然の地形を利用して作られたのだろう大書庫に圧倒されていた私達が我を取り戻し、とりあえずと手近にあった棚から一冊の本を抜き出して確認した第一声が、それだった。

 本は、読むことができなかったのだ。

 なぜならば、


「独自言語を創るとか……運営は、本当に正気じゃない」


 そこに書かれていた文字は、これまで見たこともないものだったのだ。

 いや、正確には見たことはあった。

 このゼイルの世界のそこかしこで同じような文字は使われていた。

 例えばそれは街中の看板や武器防具やアイテムの刻印であったりと、普段の生活の中で目にする機会は幾度と無くあった。

 だがそれは雰囲気作りのための舞台装置であり、意味あるものとしては認識していなかったのだ。


「うわぁ……これって、全部ダミーとかじゃないの?」


 隣で別の本を開いていた彼女の言葉に、私は首を横に振る。


「地上部であれだけの数の蔵書を日本語として用意している運営が、わざわざダミーのためにこんな場所を作るはずがないわよ」


 或いは、ここに書かれているのは実際に適当な文字の羅列なのかもしれないが、何らかの手段を用意すれば最終的には正しく読むことが出来るようになっているはずだ。

 でなくては、《ZeilurthツェイラースChronicleクロニクル》や真の叡智などと御大層な言い方はしないだろう。

 おそらくここにある情報は、実際にこの世界――《Re:Zeilurthツェイラース》を理解する上で重要になるものばかりなのだろう。

 そしてそうであるが故に、簡単に情報が手に入るようにはなっていないということなのだろう。


「そうはいっても、司書さんも教えてくれそうにないしねー」

「取り付く島もないとはああいうのを言うのよ、きっと」


 私達を連れてきた彼女は、出入り口のそばにぽつんと一脚だけ置かれた椅子に腰掛けて、いつも抱えている黒本を黙読している。

 ここに足を踏み入れる時に、彼女は私達に向けて言ったのだ。


 ――この書庫に収められた書物に関するあらゆる質問を、我々は受け付けておりません。どうかそれをお忘れなく。


 少し前に見せた艶やかな笑みなど幻だったかのような無表情で告げて、それ以降、ずっとああして待機している。

 規則により私達が帰るまで付いていなければならないらしい。


「しかし、どうしたものかしらねぇ。実際に言語を身につける必要があるのか、そういうスキルがあるのか、あるいは道具があるのか。特定の条件を満たさないと読めるようにならないっていうパターンも考えられるわよね」

「っていうか、すぐに読めないんじゃ十万ゴドルが完全に無駄に……」


 支払った対価の大きさに落ち込む彼女の頭をぽんぽんと撫でてやって、こちらもまたため息混じりに辺りを見回して――ふいに気づく。


「そういえば、あの人どこにいったのかしら」


 一番目立つはずの鎧姿がどこにも見えなかった。


「んー、さっき、あっちの方に歩いて行くの見たよ」


 彼女が指差すのは、この書庫の中心に向かう通路――というより書架の隙間といった方が正しい――だった。

 しばらくこの辺りをぶらぶらするという彼女を残してそちらに向かうと、書架と書架の狭間に挟まれるようにして立っている重戦士の姿を発見する。

 本を抜いては中身を確認し、戻しては別の本を取り出しというのを繰り返しているようだった。 


「どう、なにか収穫はあった?」

 

 声を掛けると、重戦士は手に持っていた本を棚に戻し、いや、と首を振る。


「国の歴史に関するものは今のところ一冊も見つかっていない」

「まあ、これだけ数があるわけだからね、そりゃすぐには目的のものは――って、え?」

「ぬ?」


 思わず重戦士を凝視するが、相手はその理由が分からないのか、不思議そうに首を傾げている。

 その反応に聞き間違えか、と思う。

 いや、でも、いま確かに――。


「ええっと……ちょっと、いいかしら?」

「ぬ? なんだ?」

「あなたの目的の本は国の歴史に関するもので、今のところそれが見当たらないのよね?」

「うむん。そのとおりだ。さっきから廃村寸前の田舎村で暮らす農夫の農業日記とか、根菜の詳細な成長記録とか、方言集とかどうでもいいような本ばっかりだ」

「読めるの?」

「ぬ!? う、うぬまで我をばかにするつもりか? 我とて最低限の教育は受けておるのだ、本の一冊や二冊――」

「いや、でもこれって日本語じゃないでしょう?」

 

 私がそう言うと、重戦士は「ぬ?」と今度は先程より大きく首を傾げた。

 次いで手に持っていた本に目を落とし、そしてまた私を見て、


「……読めないことはないのではないか?」


 何故か疑問形で聞き返してきた。


「つまり読めるのよね?」

「……いや、それはどうだろうか。文字をただ読むということと、文脈として理解するということはまた別の問題であるし、かといってそれが分かったところで著者が本当に伝えたいことまで読み取れるのかと言えばそれは言語能力というより読解能力の領域になるわけだから一概にそうは言えないわけであって――」

「読めるのね?」

「うむ。うぬがそう思うのであればうぬの中ではそうなのだろう。世界がそれを容認するかは別の問題であろうが」


 何故か頑なに認めようとはしないが、どうやらこの重戦士はこの謎言語で書かれた文章を読むことができるらしい。

 

「それって何かのスキル? アイテム?」

「ぬ、いや」

「何か条件があるとか? それともレベルの問題なのかしら」

「その」

「ああ、でもこんなこと掲示板でも目にしたことがないから、完全に秘匿された情報よね。聞いたからといって、はいそうですかと簡単に教えられるわけもないか。ねえ、何か欲しいものとかある? 攻略組のあなたほど資金に余裕があるわけじゃないけど、これでもそれなりに貯えてはいるし、寄り道ばかりしてる私なら、攻略中心のあなたが持っていないような珍しいものも持っているかもしれないわ」

「えっと」

「――ん、ごめんなさい。ちょっと興奮しすぎたわね。少し落ち着くから時間をちょうだい」


 知らぬ間に鼻先が兜にくっつくほど真近まで迫っていた自分に気づき、咳払いを一つ。

 一歩離れ、大きく深呼吸をする。

 いやいや、ついうっかり気分が盛り上がりすぎてしまった。

 目の前にたくさんの宝の山があるのにお預けにされ悔しい思いをしていたところに、ひょっこり解決の鍵が現れたのだ。

 興奮してしまうのも無理はない。きっとそうだ。


「……それで、どう? 私に教えてくれる気はある?」

「……む。いや、残念ながら、教えられるようなものでもないのだ。気づけば理解出来るようになっていたというか、自然とそうなっていたというか」

「自分でも条件がわからないってこと?」

「そう言ってよい、と思う。もちろん、外国語を教えるように一から教授すればある程度は読めるようになるだろうが、我も攻略組故、そう多くの時間をうぬに掛けることも出来ぬからな」

「そっか……まぁ、なら、仕方ないのかなぁ」


 溜め息を一つ。

 不満はある。目の前にとてもおいしそうな餌がぶらさがっているのに食いついてならないというのは、押しとどめるために結構な精神力を使う。

 だがなにやら事情があるらしい相手にこれ以上無理強いしたくはないし、レベル差的に考えて出来るはずもない。


「お、こんなところにいましたかー。なに、どうかしたの?」


 そんな私達のところに呑気な声をあげてピンク頭がやってくる。


「どうしたっていうか、実はこの人が謎言語を解読出来るらしいんだけど、理由が不明でね」

「えぇ!? 本当に?」

 

 驚きの声を上げる彼女に、重戦士は「うむ……」とどこか歯切れ悪い言葉を返す。


「えー、なんですかそれ? 本当は知ってるのに隠してるとかじゃないんですか?」

 

 ずずいと迫る彼女から仰け反って距離をとろうとする重戦士はやはり首を横に振るが、そのあとに「だが」と続ける。


「いずれ、時が経てばうぬらも理解出来るようになる可能性は十分ある」

「んん?」

「おそらくこれはシステム上の問題ではなく、プレイヤーである我ら自身の問題なのだろうさ」

「待って、それって一体どういう――」


 意味ありげに告げられた言葉に、思わず彼女を押しのけて重戦士に迫る。

 「ちょ」その拍子に彼女が本棚に頭をぶつけていたが、華麗にスルー。

 

「ひ、ひどい! というか目が本気過ぎてちょっとこわ――いでっ」


 あまり女の子らしくない悲鳴に、後ろを振り返ると、なぜか彼女は旋毛のあたりを抑えてうずくまっていた。

 そんなに痛がるほど強く押したつもりはなかったのだが。


「う、うう……! 突然上から本が落ちてきた! なにこれ!」


 蹲りながら彼女が指差すのは、いつの間にか私の足元に落ちていた一冊の古ぼけた本だった。

 どうやら棚にぶつかった衝撃で頭上に聳える書架のどれかから落ちてきたようだった。

 もとは鮮やかであったろう群青色の表紙は随分と色あせており、作製されてから長い年月が経っていることがうかがえた。

 タイトルも表紙絵も描かれておらず無地のそれを拾い上げようと手を伸ばしたときだった。


「やめよ! それに触るな!」


 突然重戦士が悲鳴のような叫び声を上げた。

 

「――――え?」


 驚いて振り返った時。

 既に私の手はそれに触れていて。


 瞬間。

 身体から魔力が抜かれる独特の脱力感。

 それは指先から書物へと流れ込み。


「――――――」


 まばゆい光が、私の意識を塗りつぶした。











【秘匿イベント:《忘失された欠片》が実行されました】

【あなた方に真なる叡智が与えられんことを、心より祈り申し上げております】

 

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