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1-08『日常』

 ともあれ、これで学校を休む目途は立った。

 ぼくは学校に向かう稲葉に別れを告げて、玄架と二人、居間のほうへと戻っていく。

 途中、


「――それにしても、よくもまあ咄嗟にあれだけの嘘を思いつくものだね。感心したよ」

「ずいぶんと遠回しな皮肉を言うじゃない」

「そんなつもりはないよ。むしろ褒めたつもりだった」

「……また真顔でそういうことを言う。自覚がないみたいだから言っておくけど、アンタって相当変わってるからね。人として」

「詐欺……じゃなかった、魔術師にそれを言われたくないよ、ぼくは」

「おい今なんて言いかけた」

「気にしないで。噛んだだけだから」

「そんな恣意的な噛み方、起こり得るわけないでしょうが!」

「わざとじゃないんだけどなあ……」

「よりタチ悪いじゃない。……これもついでに言っておくけれど、私がイギリスからの帰国子女なのは、まったく嘘じゃないですからね?」

「なるほど、九割の事実に一割の嘘を交ぜ込む……と。深いね」

「いや別に詐欺の手法についての哲学を語ったわけじゃないから。……ねえ、もしかしてわざと喧嘩売ってる?」

「喧嘩なんて売ってないよ」

「……」

「からかってるだけで」

「……アンタ、終いにゃマジで呪殺するわよ」


 などという会話があったが、まあ余談である。

 なんだかんだで玄架とも、ずいぶん打ち解けることができたようだった。


「――で、これからどうするか、だけど」

 珈琲を入れ直し、居間のテーブルで改めて相対したところで玄架が言った。

 ぼくは頷いて先を促す。基本的には、専門家くろかの言うことに唯々諾々と従うつもりでいた。奇妙な関係ではあるけれど、だからこそ、という部分はあると思う。

「私としては、これ以上の犠牲者が出る前に、さっさと犯人を見つけ出したいわけ」

「まあ、普通に考えれば、そうだろうね」

「お互いの利害は一致するわね。なら当然、そのためにいくつか協力してもらうことになるけれど――構わないわよね?」

 問いに、躊躇うこともなく首肯する。何を今さら、といったところだ。

 もっとも、ぼくが力になれることなど、あまりあるとは思えないのだけれど。

 そう言うと、玄架はしばし瞑目してから、やがて静かに首を振って、

「……わかったわ。もう何も言わない。さっそく動いてもらうわよ」

「そのつもりだよ」

「じゃ、まずは――」

「……まずは?」


「――食料の買い出しに行きましょうか」


 …………え?


     ※


「――む、豚バラが安いわね。買っておきましょうか、二〇〇グラムくらい」

「…………」

「調味料はひと通りあったわよね……あ、そうだ、卵買っとかないと卵。苑樹、アンタひとっ走り行って、一パック持ってきておいて。私は牛乳を……ねえ? 聞いてるの?」

「聞いてるよ。うん」聞きたくなかった気がするけど。

「じゃあさっさと行って来てよ。あ、いちばん安いヤツでいいからね」

「……了解しましたよ」

 まったく人使いの荒い、などと文句を挿む隙もなかった。

 あれからぼくたちは、二人で近所のスーパーマーケットを訪れていた。

 本当に買い出しである。いや、どうせ必要になるのだし、別に構いやしないのだけれど。もうちょっとこう、なんというか、……何かしらあると思っていた。正直、拍子抜けというかなんというか。いや、何もないに越したことはないのだが……。

「ぼくはぼくで、ちょっと浮かれてたのかもしれないな……」

 なんて、妙な反省までしてしまう有様だった。

 そう――正直なところを言えば。

 こうして玄架と二人、下らないことで駄弁ったり、夕食の買い出しに赴いたりすることを、新鮮に感じている自分がいた。

 そして同時に、どこか懐かしいという思いもある。

 ともすれば、思い出しているのかもしれない。

 まだぼくに、家族がいた頃の感覚を。

 ――妹がいた頃の、感覚を。

「――って、別にそんな、感傷的になることでもないんだけどさ」

 自嘲に似た苦笑を零しながら、ぼくは卵を一パック手に取った。

 どうせなら、ささやかな贅沢をしてみようと。

 いつもは買わない、少しだけ高級な卵を手に取ってみた。

 幼い頃よく頼まれていた、母親のお使いを、少しだけ思い出す。

 けれど記憶には――なんの感慨も介在していなかった。


「遅い」

 卵を持って戻ると、開口一番、玄架がぎろりとぼくを睨んできた。

 肩を竦めてぼくは謝る。

「そりゃ悪かったね。急がなきゃいけないとは思ってなかった」

「は。レディを待たせないように気遣うのは、全世界共通の常識でしょう?」

「レディ(笑)」

(笑)(かっこわらい)とか口で言うな」

「そうだね、ごめん」

「はあ……ったく、まあいいけど。苑樹、そんなんだとモテないわよ」

「……玄架」

「何よ」

「ぼくはこれで、案外モテる」

「死ね」

 コミュニケーション能力に欠けている人間同士の会話とは、なるほどこういうものらしいとぼくは学んだ。


「って、いやいや、そうじゃなくて」

 思わず会話終了みたいな流れになってしまったが、そもそもぼくは雑談がしたかったわけではない。

「何よ? 何か買い残しでもある?」

「いや買い物の話じゃなくてさ。……いいの? こんなに悠長に構えてて」

「いいも何も、私たちにだって日々の暮らしがあるんだから。魔術師だって飢えれば死ぬわよ」

「……そりゃそうかもしれないけど」

「まあ、やっこさんだって夜になるまでは動きを見せないだろうしね。こっちから探す方法も今のところないし。日が沈むまでは、別にやることもないわよ」

 肩を竦めるように揺らして、なんでもないように玄架は言う。

 そう断言されると、むしろぼくのほうが過敏だという気になってくるのだから恐ろしい。

「――あとはせいぜい、苑樹の家に結界を張っておくくらいかしら」

「……って、聞いてないんだけど」

「あれ、言ってなかったっけ? まあ別にいいわよね、今言ったんだから」

「それは言ったとは言わない」

「うるさいわね、細かいことをうだうだと。アンタ男でしょ」

「いや、ぼくの家を勝手に魔窟にされるのは、ちょっと……」

「魔窟って。アンタこそ魔術師なんだと思ってるのよ。別に結界を張っても一般人には何の影響もないわよ」

「そうなのか?」

「少なくとも知覚することはないわね。まあ苑樹はもしかしたら違和感を覚えるかもしれないけど。家そのものに何かするわけじゃないから、まあ安心してていいわ」

「ならまあ……、いいけど」

「……うん、せいぜい血文字の魔方陣を壁に描くくらいだから、何もしてないの範疇よね」

「訂正する。全然よくない」

「うっさいわね。いきなり何の前触れもなく精神を操られて殺されるのと、廊下の壁に多少前衛的な紋様が刻まれるのと。アンタいったいどっちがいいのよ」

「…………」そう言われてしまえば、ぼくにはもう返す言葉がない。

 玄架は僅かに口角を上げると、「安心しなさい」と小さく言う。

「コトが済んだら、全部元通りに撤去するから。結界はあくまで保険、念のための措置よ」

「……ご苦労おかけします」

「お互い様よ」

 玄架は、そこでなぜか楽しそうに微笑んで、


「――さ、レジに行くわよ」


 と、ぼくに言った。


     ※


 買い出しから帰宅すると、玄架はさっそくと言わんばかりに、魔術師としての作業に移った。

 ぼくは買ってきた食料品を冷蔵庫に詰め込んでから、あとはずっと玄架の作業を横合いで見ているだけだ。手伝えないし、邪魔もしない。

 とはいえ廊下の前衛アート問題は、最終的には杞憂として終了した。

 いや、実際に何かの魔術は行使されたのだろう。ぼくの見ている目の前で、壁や床、天井、その他ありとあらゆる場所に向かって、びっしりと赤い光が走っていくのをぼくは見ていた。

 だが、それは血管のように家の至るところを埋めていくと、やがてすうっと壁紙に染み込むようにして消えて見えなくなっていく。玄架が言うには、《結界》とやらが問題なく構築された証であるというが、そこの理屈はいまいちわからない。

 結果として、この家に外部から魔術師が侵入してくる可能性が下がったらしいことだけはかろうじて理解している。ぼくの立場からは、それで必要十分だろう。


 作業が終わるころには、すでに午後二時を回っていた。

 ぼくたちは少し遅めの昼食を摂る。今回はぼくが調理を担当した。次の夕食は、また玄架が作る心積もりらしい。

 昼食はたいてい一品物で済ませるのがデフォルトだし、ぼく自身も特に気合を入れた献立など考えてはいなかった。

 ただ、それで玄架から「ふっ、所詮この程度ね」的な目で見られるのも多少癪ではあったので、ちょびっとだけ工夫を込めた焼きそばを出させてもらった。

 雅彦直伝の焼きそばだった。料理のできない雅彦が唯一得意とするメニューで、昔はよく作ってもらったものだ。メニューを伝授され、免許皆伝を貰って以降は、もっぱらぼくが作る側に回ったけれど。

 いわゆる《男の料理》的な、繊細さの欠片もない豪快なメニューではあったのだけれど、これがなぜか美味いのである。それはもう、普段凝ったメニューにチャレンジしている身からすれば、若干腹立たしいほどに。

 そのレシピは門外不出の秘伝とされているため、ここで詳細を明かすことはしない。

 代わりに、それを食べた玄架がぽつりと漏らしたひと言だけを、ぼくは遺しておこうと思う。

 曰く、

「――こんな料理とも呼べない料理を、美味しいと思ってしまう自分が嫌だわ……」

 だとか。

 彼女は彼女で、それなりにこだわりを持っているらしかった。

 まあ、気持ちはわからなくもないが。


     ※


 そうこうしている内に、陽は瞬く間に沈んでいった。

 その間、ぼくと玄架は基本的に、ただ二人で自堕落に、降って湧いた休日を楽しんでいただけ。自分たちの置かれている状況なんて、欠片も意識してはいなかった。

 最近読んだ小説がどうだとか、このところの政治についてとやかくとか。下らない、益体のない、取り留めもない雑談をして時間を潰していた。

 そして、けれど、そうこうしている内に夜は訪れる。


 即ち――――魔術師の時間が。

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