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1-07『訪問』

 あつらえたような都合タイミングのよさに、にわかに苦笑しつつぼくは足を玄関へと向ける。

 その後ろから、玄架もとてとてとついて来た。

 そして言う。

「ま、一応ね」

「何が?」

「護衛ってこと」

 それが建前だということくらいは、さすがのぼくにもわかる。

 だから追及はしない。

 代わりにただ肩を竦めて、先導するように歩いていった。


 がちゃり、とぼくは誰が来たのかも確かめず玄関の戸を押し開ける。

 命を狙われている可能性がある現状、ともすればそれは危機感に欠ける行為なのかもしれないけれど。背後の玄架が何も言わない以上、危険がないと判断するには充分だ。少なくともぼくにとっては。

 もっとも、別に警戒することもないだろうとは思っている。

 この時間にやってくる知り合いに、ぼくは一人しか心当たりがなかったから。


「――おはっ。やくし、起きてる?」


 果たして、そこには思っていた通りの人物がいた。

 高校の制服に身を包む一人の少女。それがはにかむような微笑を浮かべて、玄関の先に立っている。

「起きてるよ。おはよう」

「おお? もう着替えてるの? あのやくしが? めずらしー……」

 割に失礼なことを宣われた。とはいえ反論の余地が皆無なため何も言い返せない。

 小動物じみた少女だった。少し赤みがかった髪を肩の辺りで揃えていて、かなり華奢で小柄な体格をしている。玄架も中学生には見えないが、彼女もなかなか高校生には見えないだろう。

 肩を竦めて、負け惜しみのようにぼくは言う。

「ぼくだって、たまには早起きくらいするさ」

 彼女は笑った。

「たまにじゃなくて、毎日やってほしいんだけどなー」

「努力はしている」

「成果が出てないぞっ」

 けらけらと、心底から楽しげに。

 なんとなく眩しいような気持ちになって、思わず目を細めてしまった。

「やくしがちゃんと起きてくれるなら、わたしだってわざわざ迎えに来なくても済むんだけどねー」

「……別に、いつやめたっていいんだぞ。元々そんな義理はないんだ」

「んー。まあ、そうもいかんでしょー。先生からも頼まれてるし」

「まったく律儀だな、稲葉は」

「委員長ですから」

 えへん、とばかりに、ない胸を誇らしげに張ってみせる少女。

 ――稲葉いなば小愛こあ

 ぼくと同じクラスで、いわゆる学級委員長的な役職を務めている同級生。

 そんな稲葉が、なぜこんな早朝にぼくの家を訪れたのかといえば、その目的は一人暮らしで、かつ遅刻癖のあるぼくに対する監視と更生にあった。ぐうたらな担任に唆され、彼女はときおり、こうして早朝ぼくの家を訪ねてくる。そして遅刻しないよう、強制的に学校へと引き連れていくというわけだ。

 もちろん、いくら担任に頼まれたからといって、彼女がそこまでしなければならない理由などない。というかぼくのほうだって、別に監視などなくても学校くらいさすがに行く。

 ただ、その辺り、ぼくに家族がいないという事実が、何かしらの同情のようなものを買ってしまっているらしい。まあ、詳しくは聞いていないし、聞く気もなかった。

 腫物を触るように扱われるのは、たいていの場合、あまり好ましいことじゃない。

 

「――ところで」

 と、稲葉がふと僅かに首を傾げた。

 その視線は、ぼくを通り越して背後に向かい、

「その後ろにいる、誰?」

「…………」あ。

 と思ったが、時すでに遅し。

 稲葉が、玄架をその目に捉えてしまっていた。

「あー……っと」

 さて、なんと言い訳したものか。

 彼女はぼくに雅彦以外の身内がいないことを知っている。かといって、まさか「昨日の夜、偶然知り合った魔術師だよ」なんて説明ができるはずもなし。正直であることが、常に褒められるべき美徳だとは限らない。いや別にしてもいいのだが、稲葉は決して信じないだろう。たぶん普通は信じない。

 しまった、と思う。抜けていた。何も考えていなかった。

 他の誰かならばともかく、人一倍正義感の強い稲葉に見つかってしまったのはちょっとうまくない。


「ねえ、やくし――」

「――初めまして」

 と、何かを言いかけた稲葉の、機先を制すように玄架がいきなり口を開いた。

 優雅に、恭しく、けれど決して嫌味には感じない上品な所作で膝を折ると、ぼくを押し退けて前に出ていく。

「私、七河玄架といいます。初めまして、お姉さん」

「え? あ、うん。初めまして。稲葉小愛です」

「小愛さん、っていうんですか。可愛らしいお名前ですね!」

 ぽん、と小さく手を打って、玄架は花の咲くように朗らかな笑みを見せる。

 面食らったのは、むしろ稲葉のほうだった。

「うぇ? あ、えと……ありがと?」

「私、このたび苑樹さんのお家に、ホームステイをしに来たんです」

 にっこりと。あるいはすっぱりと玄架は言った。

 表情には微笑を浮かべて、あくまで深層のお嬢様とっいった対応を保ち続ける。

 ……なんだこれ。

 というか、誰だこいつは。なんだこの猫かぶり。詐欺にも程があると思う。

「ホーム……ステイ?」

「ええ。私、両親は日本人なのですが、事情があってずっと英国イギリスで暮らしていたんです」

「イギリスで……。すごいんだね」

 まあ確かにすごいが。別の意味で。

「いえ。それで私、本当はずっと日本での暮らしに憧れていたんですが、事情があって英国から離れることができなかったんです。これまでは」

 微妙に倒置の交じった喋りが、その場凌ぎのでっち上げ発言であることを如実に表していた。よくもまあ、これだけの嘘を臆面もなくぺらぺらと騙れるものだ。ちなみに褒めている。さすが黒魔術師(?)。

 事情を知らない稲葉は無論、玄架の嘘に気づく様子がない。

「でも、今年ようやく日本に来ることができるようになって」

「へえー」

「本当はまだ手続きとか、いろいろと細かいことが残っているんですけどね。先に少し、日本での暮らしを体験しておきたいと思ったんです。だからしばらくの間だけ、伝手のある苑樹兄さんに泊めてもらうことにしたんですよ」

 そして玄架は、当たり前のように結論だけを叩きつけやがっていた。

 実質なんの説明にもなっていないのに。

「そうなんだー。……そうなんだっ!?」

 勢いで、そのまま納得させられている稲葉。結果的には助かったのだが、稲葉が将来悪い詐欺などに引っかからないよう、ぼくは思わず祈ってしまった。

「ええ。しばらくの間、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いしますね? 小愛さん」

「えっ、あっ、うん。よろしくね、えっと、……玄架ちゃん!」

 そうして二人は握手を交わした。

 一見美しい友情の交換。

 その実、端から見ていたぼくからすれば、悪徳商人とそれに騙されて契約させられた哀れな被害者にしか思えないというのだから驚きだ。


「……おほん。まあ、そんなわけで」

 なんだかいたたまれなくなってきた。

 ぼくはわざとらしい咳払いをひとつ零すと、割って入るように二人へ向き直り、

「改めてだけど。稲葉、こいつは玄架。まあ、古い友人、っていう感じだ」

「そっかぁー……。やくしに、こんな可愛らしいともだち(、、、、)がいるなんて、思ってもなかったよ」

 ともだち、というタームを嫌に強調して稲葉が言う。

「……なんか含みがないか? ぼくにだって知り合いくらいいる」

「そういう意味じゃないけど。別にいいよ」

「……そうか」

 微妙に釈然としないが。まあ、稲葉がいいなら、いいとしよう。

「で、玄架。こちらの稲葉さんは、ぼくのクラスメイトだ」

「彼女じゃなくて?」

「い、」

「彼女っ!? じゃないよ!?」

 食い気味で否定されてしまった。確かに違うのだが、それはそれで傷ついてしまう。年頃の男子のナイーブさを、女子はもう少し真摯に学ぶべきだろう。

 まあ頬を真っ赤に染めている稲葉を見れば、単に恥ずかしがっているだけだとわかるのだが。

 小動物っぽい、とはまさに稲葉のことを指した最適の表現だ。あたふたと手をはためかせて照れる稲葉は、リスとかネズミとか、その辺りの齧歯類的な小動物を髣髴とさせる。

 おそらくはこういったところが、彼女がクラスの中でも人気者たる所以なのだろう。誰からも愛玩されているというか。そう言うと変な感じだが、多少くらいはあやかりたいとも思う。

 一方、玄架は微妙に怪訝な表情だった。

「本当に? 付き合ってもないクラスメイトの女子が朝、苑樹のことを家まで迎えに来るの? ……なにそのラブコメ」

 若干地が出てますよ、玄架さん。

 取り成すようにぼくは告げる。

「まあ、普通はないだろうな。確かに」

「でしょ?」

「でもほら、稲葉は割と普通じゃないから」

「……」

「って何さ、それ!」

 憤慨だ、とばかりに頬を膨らませる稲葉。シマリスに見えた。

 ぼくは弁解するように、

「いや別に。他意はないけど」

「本意がそもそもおかしいんですけどー!?」

「はっはっは」と笑って誤魔化す。

 なるほど、さすが《からかうと面白いランキング一位》は違うな、などと失礼極まりないことを頭の中だけで思いながら。内輪ネタのランキング行為なんて、正直まるで面白いとは思わないのだが、こればかりは評価を改める必要があるかもしれない。


 まあ実際、本心ではあるのだ。

 正義感とか、責任感とか。言葉はなんだって構わないのだけれど、ともあれ、稲葉のようにわざわざぼくの家を訪ねてくるような人間が、珍しいことは事実だろう。

 さておき。

「そう、稲葉。今日はちょっと、ぼく、学校を休むつもりなんだよね」

「え――?」

 突然と言えば突然なぼくの言葉に、稲葉きょとんと目を丸くした。

「悪いんだけど、担任にもそう伝えておいてくれないかな」

「それは、……うんまあ、いいんだけど」稲葉は少しばかり表情を暗くして問うてくる。「どうしたの? 体調でも悪い?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」

 言ってから、そういうことにしておけばよかったかな、と少し思う。

 そして思ってから、稲葉を心配させることもないか、と思い直した。

「じゃあ何? さぼりはダメだからね」

「別にさぼりってわけじゃ……」ない、とは言えないけれど。「一身上の、家庭の都合ってことで、容赦してもらえないかな」

 果たして。

 稲葉は、静かな溜息を零して頷いた。

「……わかったよ。伝えとく」

「ありがとう。恩に着る」

「でも、これは貸しだからね?」

 そう言うと、稲葉は上目遣いにぼくを睨めつけてくる。

 別段、是非もない。

 元よりぼくには、稲葉に対して返し切れないほどの負債がある。今さら多少増えたところで、それがどうしたといった感じだ。

 いや、別に返すつもりがないわけじゃないのだが。


「……まあ、でもたぶん、意味ないと思うけどね」

 と、稲葉がぼそりと、そんな風に呟いた。

 首を傾げてぼくは訊ねる。

「どういうこと?」

「あー、まあ、やくしは知らないか。……例の通り魔殺人さ、新しい事件が、すぐ近くの公園で起きたみたいだよ。今朝のニュースでやってた」

「……へえ。そうなんだ」

「たぶん、しばらく休校になるんじゃないかな」

 あの公園は――事件の現場になったあの場所は、ぼくらの高校からそう離れていない。こうも身近な場所で、しかも連続の通り魔事件が起きているとなれば、しばらく学校が休みになることは確かに考えられない事態ではないだろう。

「……まあ、よろしく頼むよ」

 ぼくはそう言って、稲葉に軽く頭を下げた。

 彼女はしばらく小首を傾げてこちらの様子を眺めたあと、

「――ん、任された!」

 と、僅かに微笑んでくれるのだった。

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