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1-06『朝食にて』

 それが昨日の夜の話。洗面所で顔を洗い、ようやく冴えてきた頭でぼくが思い起こした顛末だ。

 復活した困惑は水と一緒に流し、ぼくはいくぶん醒めた思考で居間に戻る。

 まあ、なるようになるだろう、と。

 結局は単に、何も考えていないだけなのだけれど。


「――苑樹、冷蔵庫の中身はしっかりと管理しておきなさいよ」

 リビングに戻ると、玄架が何やらぶつくさと文句を言っていた。

「調味料とかバラバラのところに置くのって、私よくないと思うのよね……」

「…………」

「ちょっと。何よ、その無言は」

「いや別に。深い意味はないけれど」

「……浅い意味は?」

「あるかもね」

 適当なことを答えるぼく。

 テーブルの上には、洋風の献立がひと通り並べられていた。

 目玉焼きにウィンナー、それとサラダ。どれも簡単に作れる程度のものだが、見栄えよく盛り付けられており、手馴れているのだろうことが察せられた。

「主食には……保存してあったカレー、平気よね?」

「ああ。大丈夫、昨日の夜に作ったばっかりだから」

「ふうん。じゃあ盛っとく」言い、玄架は戸棚からカレーに使えそうな食器を適当に物色する。

 ぼくはそれとなく配膳を手伝いながら、漫然と玄架の動きを眺めていた。

「言っとくけど」と、玄架。「今回は食材があまりにもなかっただけであって」

「……うん?」

「私の料理の腕が、この程度だと思われるのは心外ってこと」

 確かに捻りのない献立だが、充分よくできていると思っていた。

 だが玄架はぼくの反応を取り違えたのか、

「見てなさいよ。今日の夕飯、私が作るからね」

「別に何も言ってないけど……」

「ふん。見てなさいよ、今夜は凄いんだから」

 こちらを睨むようにして、そんなことを宣言していた。

 今夜は凄いって発現が凄い(意味深)。

 と思ったけれど年下にセクハラするのも問題だと考え直し言葉にはしないでおいた。

「そう。楽しみにしてるよ」

 とだけ言うにとどめ、席に着く。

 昨日と同じ位置で、いつもと同じ位置。玄架もまた昨日と同じく、ぼくの正面に腰かけた。普段は雅彦が座っている席だ。

「いただきます」「いただきます」

 二人で言って、手を揃えて、そうして箸を手に取って。

 なんだか、久し振りに物を食べるような気がした。


 そして食べ終わった。

 朝食は、特段の交渉もなく淡々と進んでいった。「醤油取って」とか「いい具合に半熟だね」とか、あるいは「一晩置いたからカレーがいける」なんて、その程度の益体もない雑談だけは交わしたが、それだけ。

 無言でいることが、特別苦痛にならなかった。雅彦が相手ですら、ここまで自然体にはなれていない気がする。

 玄架は、早くもこの家に馴染んでいるようだった。

 まあ重畳だと思っておこう。

 食器を洗って、食後にぼくが珈琲を作る。

 その際、

「これ、インスタントよね」

「そうだけど」

「苑樹。これだけは覚えておきなさい」

「また急に。何?」

「インスタントの珈琲はね、珈琲ではないの」

「……」

「あとで買い物に行くから、そのときに豆買うわよ、豆」

「食材の買い出しは、そりゃするつもりだけど……」

「いいから。代金は全部私が持つから。美味しい珈琲は健全な生活に必要不可欠な要素よ。おわかり?」

「……おかわり」

「いやつまんないこと言わなくていいから」

 などというやり取りがあったのだが、まあ雑談である。


 本題。

 インスタントの珈琲を一口、不味そうに啜って(飲むことは飲むらしい)から、玄架が口火を切った。

「私はさ、まあ当然、犯人を捜すために町を歩かなくちゃいけないんだけれど」

 一息、と同時に一瞥。

「そのときは、苑樹にも同行してもらうことになるわ。よくわからないけれど、苑樹には結界が通じないみたいだし。犯人探しの役に立ちそうじゃない」

「え? ああそう、わかった」

「って、軽いわね。意味わかってるの?」

 玄架はこちらを睨んでくる。

 だがぼくだって、別に考えなしに頷いたわけではない。

「わかってるよ」

「本当に? 私は貴方を利用するって言ってるのよ? 自分の都合だけで。殺されるかもしれないのに」

「……そんな風に偽悪者ぶらなくても」

 何度も思っていることだが、ぼくの立場からは玄架に対し、感謝以外の念はない。

 どうして彼女が自分を悪者扱いする言い回しを選ぶのかはわからないが、

「玄架。君が自分で言ったんだろう。ぼくを守ってくれるって」

「……、……」

「それには、近くに置いておくのが一番都合がいい。そういう話だよね」

「……否定はしないわ。この家にも結界は作っておくけれど――」

 そんな話は聞いていないけれど。

「――それだけじゃ魔術師相手には心許ない。私がいないときを狙われたらアウトだわ」

「だからぼくも同行させる、と。やっぱり優しいじゃないか」

 役立つどころか、むしろ足手纏いにすらなりかねないというのに。

 正直、どうしてここまでしてくれるのかと疑問なくらい、玄架はぼくを慮ってくれている。不思議があるとするのなら、その事実が一番の不思議だった。

 だから、訊ねてみることに。

「玄架がそんな風に自分を悪く言う意味が、ぼくにはまったくわからないんだけど」

「……そうね」ふっ、と玄架は自虐的に笑む。「確かに私は、ちょっと悪役ぶってみたりもしたわ」

「認めるんだ」

 とぼくは苦笑を返した。

 そこはお約束として、『別にあなたのことなんてちっとも思いやってないんだからね』的な否定するところだと思っていたからだ。

「人のことをツンデレ言うな」

 と、何も言ってないのに玄架に怒られてしまう。

「思うのも禁止」

「……そんなにわかりやすいかな、ぼく」

「顔には出てないけどね」

「ならどうして」

「顔に出てない《だけ》だからじゃない、苑樹の場合」

 よくわからないが、ぼくの思考は玄架に筒抜けらしい。

 剣呑な話だ、と思わず身震いしてしまう。


「――要するに」

 と、話を戻すように玄架が言う。

 彼女は静かにかぶりを振って、

「感情移入してしまわないように、あらかじめ予防線を引いているのよ」

「……また正直に言うね」

「苑樹には、そのほうがいいかと思って」玄架はただ淡々と述べる。「記憶消去の魔術とか使えればよかったんだけど」

 用意された原稿用紙を、ただ朗読しているかのような無機質さで。

「だから、苑樹。あなたも私に、感情移入なんてしないでね」

「……」

「この件が片付いたら、お互い元の他人同士に戻るんだから。そのときに、禍根は残したくないでしょう?」

「そうだね」ぼくは答える。

 ほとんど即答で答えつつ、しかしぼくは、心では別のことを思っていた。

 ――どうしてだろう。

 ぼくにはそのとき、玄架が泣き出す寸前であるように思えてならなかった。

「まあ、ツンデレでもなんでもいいけどさ。――私は魔術師で、苑樹は普通の人間。その違いだけは、忘れないようにしておきたくて」

 だから。


「――後腐れなく、別れられるようにしましょう?」


 玄架はそう言って。

 不味いと言い張る珈琲を、静かに目を閉じ、啜るのだった。



     ※



「それで、話は変わるけど、苑樹」

 カップをテーブルに戻しながら、玄架が軽い口調で言った。

 先ほどまでのような、ある種の緊張感を孕んだ空気はすでに霧散している。玄架のそういう切り替えの早さは、ぼくも好むところだった。

 その辺り、どことなく雅彦にも共通するところがあった。雅彦も、普段の新田雅彦としての顔と、警察組織の一員としての顔は意識的に切り替えているからだ。

 なんとなく玄架と話しやすく思うのは、もしかしたら、それが理由だったのかもしれない。

「今日の予定は、何かあるの?」

「……いや、別に。平日だから学校には行かなきゃいけないけど――」

 と、そこでふと思う。

 玄架は、学校とかどうしているのだろう。

「そっちは?」

「今回の件に片をつけるまでは、学校は休むことになるわね」

「……そういえば、玄架って今、学年いくつ?」

「私? 中三だけど」

「……へえ」

「小学生じゃないからね」

「それはもうわかったよ」

 ふたつしか離れていないなんて、正直かなりの驚きがあったが。

「私、市街のほうにある私立の女子中学に通ってるんだけどさ。まあ割と融通は効くところだから。大丈夫でしょ」

 なんでもないことのように宣う。

 思うところがないではないが、それはぼくが口を出すようなことでもないのだろう。

 玄架がぼくに刺した釘は、つまりそういうことだろうから。

 代わりにぼくは言う。

「まあ、事情が事情だし、学校は休むよ」

「……悪いわね」

「いや別に。ぼくも割と優等生で通ってるから。ちょっとくらい休んだって、何かに響くってことはないさ」

 そういう問題でもないのだろうが、それでも空気を変えるように言った。

 玄架もまた、それに追従してわずかに微笑む。

「あんなふうに深夜徘徊しておいて、よくもまあ優等生だなんて言えるものね」

「知ってる、玄架? バレなければ罪にはならないらしいよ」

「それこそ犯罪者の物言いじゃないの」

 冗談だと思ったらしく、鼻で笑って流されてしまう。

 犯罪者どころか、むしろ警察官の台詞だと知ったらどう思うのだろう。言わないけれど。

「まあともかく、休むなら連絡しないといけないからさ」

「そうね。早いほうがいいわよね」

「まあ、そのうち来るから。大丈夫だよ」

「……なにが?」

 と玄架が首を捻った、ちょうどそのときだった。

 あつらえたように玄関の呼び鈴が鳴らされて、リビングの中を電子音が響いた。

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