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1-05『魔術師の事情』

 微睡みからの覚醒は、ぬるま湯でふやけるかのような気怠さが共にあった。

「っ――あ」呻きながらぼくは上体を起こし、伸びをして脳の覚醒を促す。

 すぐ左手のカーテンを引き開いた。差し込んでくる朝の陽射しが、寝起きの身体にはいい刺激だ。

 枕元にある時計を見ると、時刻は現在、午前七時直前。目覚ましの設定より、五分ほど早めの自力覚醒だ。

 元来、朝には強いほうだが、夜更かしが多いため早起きは少ない。ちょっとした快挙だった。

「おはよう……、ござい……、ます」

 呟き、ぼくはベッドを降りて床に立つ。

 今日も一日よろしくどうぞ。

 世界に対して挨拶をしてから、ぼくは部屋を出て階下の居間へと向かった。

 居間には知らない少女がいた。


「おはよう苑樹。夜更かしの割に早いわね」

 もちろん彼女は、知らない少女などではなく。

「……玄架か。おはよう」

「なに、まだ寝惚けてるの?」

 くすり、嫣然と笑む少女。

 ――七河玄架。

 夜の公園で出逢った、黒魔術師。

 彼女の顔を見た途端、昨夜の光景がフラッシュバックするように脳裡を駆け抜けた。

 そういえば。とぼくは昨晩、彼女を自宅に泊めたことを思い出す。

 とはいっても、もちろん色っぽいような、桃色っぽいような展開にはなっていない。

 色で言うなら――それこそ黒がぴったりだろう。


「顔洗ってきなさいよ」勝手知ったるなんとやら。

 と言うには些か早過ぎるが、すでに冷蔵庫を我が物顔で開けている玄架が言う。

「ご飯できてるわよ。食材は勝手に使わせてもらってるけど、構わないでしょ?」

「…………」

「ちょっと。なによ、その顔。問題あった?」

「……いや別に。驚いただけだよ。料理とかできるんだ」

 別に料理ができることに驚いたわけではないのだが。

 玄架は肩を竦めて、当然だとばかりに鼻を鳴らす。

「嗜みでしょ、これくらい。ご期待に添えるかは、まあ、わからないけれど」

「有り物で間に合わせられる時点で、信頼には値するよ」

「……ま、私も下手なものを出す気はないから。安心してくれていいわ」

 言うだけはあるのだろう、居間の奥の台所からは、いい香りが漂ってくる。

 確かに期待はできそうだった。


「それにしても、どうして料理なんて?」

 当然の疑問を訊ねたつもりだが、玄架はさも当たり前のように答える。

「泊めてもらった恩くらいは返すわよ」

「……そもそもぼくは、助けてもらった恩をまだ返してないんだけど」

「それはいいの」ぴしゃりと突き放すように玄架は言う。「あれは私の仕事みたいなものだから。そもそも、別に助けたわけじゃないわ」

「……なんていうんだっけ、それ? ツン……」

「やめて」

「ツングースカ?」

「……何それ?」

「なんだっけ。ちょっと覚えてない」

「…………」

 中身のない会話になっていた。

 閑話休題。

「顔洗ってくるよ」とぼくは告げ、踵を返して居間を出ようとする。

 その背後から、いくぶん声音を落として玄架が言った。

「食べ終わったら、今後の話をしましょうか」

「……食べ終わったらでいいの?」

「ええ。また長い話になりそうだし――」

 酷くつまらなそうな表情で。

「――食欲が減衰するくらいには、たぶん面白くない話になるでしょうから」



     ※



 時間は戻って昨夜の話。

 あの公園での邂逅ののち、ぼくは玄架を連れて自宅へと戻った。

 その時点で、時刻は既に午前三時を回っていたと記憶している。疲労と眠気が、さすがに身体を苛み始めていたが、気分的にはとても寝られたものじゃない。

 ぼくは居間に彼女を案内する。

 大きな机と四つの椅子。薬師の家に、まだぼく以外の人間が住んでいた頃の名残。

 その内のひとつに、少女――七河玄架は腰掛けた。ぼくはその体面に座り、しばしの沈黙に身体を預ける。

 彼女の言葉を、ぼくは待った。


「さて――」と、やがて目の前の少女が口を開く。「えっと、苑樹だったわよね」

「うん」

「まずは謝っておかないといけないことがあるわ」

「……?」いきなりの言葉に、ぼくは僅かに小首を傾げる。

 彼女はいわば、ぼくの命の恩人だ。感謝しこそすれ、謝られる謂れなどないはずだが。

 けれど、

「――巻き込んでしまって、本当に済みませんでした」

 そう言って彼女は頭を下げる。ぼくはにわかに面喰った。

「いや……ちょっと、七河、」

「玄架でいいわ」そこだけはきっぱりと断じられる。

 それはそれで受け入れて、ぼくは玄架に向けて告げる。

「……玄架。ぼくは君に謝られる筋合いがない」

「そうでしょうね」玄架はぼくの言うことを否定しなかった。「けれど、謝る筋合いが私にはあるのよ」

「……」

「私が魔術師だということは、もう話してあるわよね」

 聞いている。いや、たとえ聞いていなかったとしても、ぼくは彼女を魔法使いだと思っただろう。

 ――あれだけの光景を、目の当たりにしてしまえば。

 否応なく信じざるを得ないだろう。それが一番、論理的な思考だとぼくは思う。

「魔法使いなんて、実在するとは思ってなかったよ」

 そう言うぼくに、けれど玄架は首を振って、

「魔法使いじゃない。魔術師よ」

「え?」

「正確には魔術師でもないのだけれどね。私は黒魔術師だから」

 聞いた感じ、それぞれ何やら定義が違うようだが、ぼくにはよくわからない。

 そもそも玄架自身、わからせるために言ったのではないらしい。「まあ、それはどうでもよくて」と簡単に流して話を続ける。

 行儀悪くテーブルに肩肘をつき、軽く握った拳の上に顎を預けた玄架。その黒い瞳を真正面から見据えて、ぼくは彼女に訊ねる。

「えっと。さっきのは、いったい?」

「新聞くらいは読んでるでしょ。もしくはテレビのニュース」

 うちは新聞を取っていなければテレビもない。が、察しはついた。

「例の、通り魔殺人のことかな」

「その通りよ」

 至極あっさり、端的に玄架は首肯した。

「でも、件の事件はバラバラ殺人と聞いていたけれど」

 そこが腑に落ちず、ぼくは怪訝に眉を顰めてしまう。

 確かに今この近辺で死体を見つければ、誰であっても話題の通り魔を連想するだろう。だがあの事件の特徴は、死体がバラバラに解体されていることだと聞いている。

 あの公園で見た動く死体――あの彼女は、しかし五体がほぼ原形を留めていた。

 ……いや。

 ただ一点、心臓が奪われていることを除けばの話だが。


 雅彦の話では、通り魔の被害者たちも皆、心臓を奪われているらしい。それを思い出してみれば確かに、無視はできない共通点だと言えるだろう。

 もっとも、死してなお動くという時点でそもそも常軌を逸している。尋常では通用する判断が、あの公園での出来事にまで適用できるかは判断がつかなかった。

 本当に、わからないことだらけだ。


「あの事件、犯人は魔術師なのよ」

 と、玄架が小さく呟く。

 至極なんでもないことのように言ってのけるため、ぼくは一瞬、玄架の発言を聞き逃しかけてしまった。

「……なんだって?」

「だから。あの事件の犯人、魔術師なんだって」

「それ、自白?」

「違うわよ、なんでそうなるの」

 顔を歪める玄架。心底不快らしい。

「だって君、魔術師なんだろう?」

「まあ、そうね」

「……魔術師ってのは、そんなに何人もいるものなのか?」

「いるところにはいるわよ」玄架はあっさりと言う。「この町だけでも、私以外にあと二人」

「……」昏咲の町が、そんな魔境だとはついぞ知らなかった。

 言葉を失ったぼくに、玄架は苦笑を零して言葉を続ける。

「言っとくけど、そう珍しい存在じゃないわよ、魔術師なんて。世界中に何万人隠れていることか」

「……そんなものなのか」

「そんなものなのよ」

 なら仕方がない、とぼくは納得した。

 一人いるのなら、二人目以降がいないとも確かに限らない。


「要点だけ話すわね」

 玄架はぽん、と手を打って言う。

 そのまま右の人差し指を、つい、と上に向けて、

「私は今、この事件の犯人を追っているの」

「……」疑問は挟まないことにした。

 まずは話を聞くことにしよう。

「犯人が魔術師である以上、警察には期待できないわ。魔術師以外の人間に、魔術の痕跡は見つけられないの」

 それは――まあ、そうだろう。

 警察とてまさか、犯人が魔術とやらで殺人を犯したとは考えまい。

 道理で証拠が見つからないわけだ。ぼくは今更のように納得を覚える。

「魔術師にも一応、決まりがあってね。保有する秘術を、一般に公開することは許されていないの。ましてこんなに目立つ真似、放置しておけるものじゃないわ」

「同属は同属で裁く、と?」

「そんな大層なものじゃないけどね。一応、私はこの町の魔術師を統括する立場にあるから。管轄の中で、これ以上の蛮行を許すわけにはいかないってこと」

 なるほど、と思う。玄架の話で、おおよその事情は把握できた。

 その分、新たに湧いて出た疑問も多いのが問題と言えば問題ではあったが。


「いつの時代だって、異端は弾圧されるものでしょ」玄架は零すように呟く。「だから魔術師は身分を隠す。それは即ち、文明社会から身を守るため。――その禁を破り、魔術師たちを危険に晒すこの犯人の行いは、到底看過できるものじゃないってわけ」

「……そんなことを」

 ぼくは、ここで一番の問いを発することにする。

 どうしても訊いておきたいことがあった。

「どうして、ぼくに言うんだ?」

「――苑樹。ところで貴方、家族は?」

 玄架は唐突に話題を変えた。

 怪訝に思いつつも答える。

「市街の方に、親戚が一人いるけれど。他には」

「そう」と頷く玄架。

 彼女の言葉には下手な同情や安い遠慮がなく、それがむしろ小気味よかった。

 ――その後に爆弾さえ落とさなければ。


「じゃあ、しばらく私もこの家で生活しようと思うけれど、構わないわよね?」


「……………………なぜ?」

 我ながら、自制の利いた反応だったと思う。乾いた声音になってしまったがそこは気にしない。

「危ないからよ」

 玄架は端的に答えた。

 独り暮らしの男の家で、同年代の女性が寝泊まりすること以上に危ないことなどあるだろうか。もちろん何かコトを起こすつもりがあるわけじゃないが、そういう問題でもないだろう。世間体とか。

 ……なんて、そんなぼくの危惧は、まったく馬鹿げた思考だった。

 ぼくは何ひとつわかっていなかったのだ。

 玄架の言った『危ない』という言葉が、もっとずっと切羽詰った意味の発言だということを。

 ぼくは――ちっとも理解してはいなかった。


「――苑樹」

 玄架の語調が冷めている。

 それでぼくは、この会話が何も冗談ではないということに気が付いた。

「このままだと貴方、間違いなく殺されて死ぬわよ」

「……どうして?」

「誰に、とは訊かないのね」

 ――それは、

「冗談よ」玄架は苦笑。

 いくぶん肩から力を抜き、

「死体がバラバラにされてなかったのは、端的に言えば罠よ」

「罠?」

「そう。と言っても別に苑樹や、その他の人間に向けた罠じゃない。あれは私に向けられた罠だったのよ」


 ――玄架曰く。

 あの場所には結界が敷かれていて、魔術師でもない限り、あの場所には辿り着くことさえできないのだとか。

 魔力、とやらを持たない魔術師以外の人間では、あの公園の存在を認識することさえできない。公園を知っている人間はそれを意識に浮かべることがなくなり、公園を知らない人間はあの場所へなんとなく近づかないようになる。そんな、ヒトの認識を捻じ曲げる空間になっていたのだという。

 あの場所に立ち入ったとき、ぼくが強烈な不快感に襲われたのもそれが原因だとか。

 にわかには信じられない話だが、それも今更か。この厳戒態勢の町の中、犯人は一度たりとも目撃されることなく犯行を繰り返しているのだから。

 だが、そんな場所に、何を間違ったかこのぼくが迷い込んでしまった。

 魔術師しか至れないはずの領域に。

 魔術師ではない、ただの一般市民であるはずのぼくが。


「結界の綻びを偶然ついたのか、あるいは他の理由なのか――まあ、なんにせよ奇跡みたいな不運だわ」

 玄架は言う。ぼくが結界を突破できた理屈は、彼女の知識でも察しがつかないらしい。

 いずれにせよ奇跡みたいな不運で、ぼくは結界を通り抜けてしまった。

 ――それが、どうもよくなかったらしい。

「犯人側にしてみれば、結界を通り抜けてくる存在は、即ち目的の邪魔になる存在だからね」

 本来はわたしたち現地の魔術師がそうなんだけど。

 玄架は平坦にそう宣う。

「そりゃ消すわよ。向こう側から考えてみれば、そんなの当然の話でしょ?」

「……確かにまあ、そうなるだろうね」

 ぼくからすれば迷惑極まりないが。

「あの公園の様子は、死体を操ってた奴がどこからか窺ってたと思う。つまり面は割れてるわけ。――殺しに来るわよ」

「それは、なんと言うか」

 ――困る。

 誰だって、当然ぼくだって、死にたくて生きているわけじゃない。

「だから私がここで守るって言ってるのよ。私がいれば、少なくとも向こうだって、そう簡単には手出しできないはずだから」

「……なるほど。ぼくとしてはまあ、願ってもない話だけれど」

「いいの。さっきも言ったけど、魔術師にしか通れない結界を張っていたってことは、逆を言えば入って来られる魔術師をおびき寄せようとしたってことでしょ。魔術師なら、あんな結界が近くにあって気づかないはずがないもの」

「ああ、だから罠って」

「そういうこと。意味もなく死体を人形化させておいたのも、こちらの戦力を量るための……まあ、嫌がらせみたいなものね。大方、意地の悪い人形遣い辺りが、当てつけに噛ませてきたんでしょう」

 ――本当、嫌になるわ。

 玄架はそう、心底からの嫌悪を吐き捨てた。

 ぼくがそれに答えないでいると、玄架は小さく肩を竦めて、空気を換えるような調子で言う。

「まあ、そういうことですから。事件が解決を見るまでの間、私が貴方を守ります」

「……いきなり敬語にならないでくれよ」

 ぼくは若干、狼狽えた。出会ったばかりとはいえ、玄架の口調が変化したことには、戸惑いを強く感じてしまう。

 そんなぼくに、玄架は微苦笑を零し、

「こういう契約は形も大事なの。まったく空気読めないんだから」

 そんな風に零した。

 そうやって毒を吐いている方が、まだしも彼女らしいとぼくは思う。

 玄架と同じような微苦笑を、だからぼくも小さく作った。

 驚いたことに。

 ぼくはこの得体の知れない彼女のことを、それなりに気に入ってるらしかった。

 そんな感覚は久し振りだ。

 新鮮な驚きを胸に感じながらも、ぼくは彼女に手を差し出した。

「……何よ」

 不審げに問う玄架に、ぼくは笑いながら答える。

「いや。しばらくの間だけど、よろしく頼むよ――玄架」

「……そうね。こちらこそよろしくお願いするわ」

 そう言って、彼女はぼくの手を取った。

 ぼくもまた彼女の手を静かに、しかし力強く握り返す。

 ――契約が、完了した。

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