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1-02『忠告と謝罪』

「――――っ」

 思わずぼくは息を呑む。それだけの重みを含む言葉だ。

 しかし、同時にぼくは納得していた。

 ――なるほど、そういうことか。

 故の、猟奇。

 故の――解体ということなのか、と。


「それだけじゃねえ」

 しかし雅彦は首を振る。鋭い視線で机の上を睨みながら、

「オブジェってのは、つまりそのままの意味でな。血をお絵描き遊びに使った次は――肉をお人形遊びに使っていたわけだ。いや、あるいはプラモデル、とでも言うほうが近いかな」

「……組み立てた、って意味?」

「そうだ。腕とか、胸とか、あるいは眼球や舌なんかまでもが偏執的なまでに細かく切り分けられたあと、今度はしっちゃかめっちゃか、原型なんて止めねえってくらいに別の形に組み直されてたんだよ。ご丁寧に、ちょうど血の魔法陣の真上へ置かれてな」


 それはすでに、パラノイアと表現するにも常軌を逸脱し過ぎていて。

 それはもはや、サイコパスで片付けるには常識を乖離し過ぎている。


「腕は腹から伸びて、腸は腿に巻かれ、乳房が口の中に埋め込まれていて、眼球は足の裏に指し込まれていて、舌は陰部に突き刺さっている――そんな死体が四人分だぜ?」

「……そりゃ、随分とハッピーな犯人だね」

 主に頭が。

「ああ。ハッピー過ぎて、現場の付近は警官の吐瀉物だらけだ」

「…………」返答のしようもなかった。

 何より、それだけの惨状を作り上げておいてなお、証拠を残さず捜査の手から逃げ果おおせている犯人の周到さが恐ろしい。


「被害者に共通点はないんだよね?」

 問いを雅彦に投げる。

「ミッシングリンク、ってヤツか?」

「そう、かな」

「全員が若い女性ってのが共通してるが、それ以外にはない。年齢は十六から二十八までとバラバラ、職業は学生に看護師、保育士にフリーターとこれもまた共通点は存在してない。その他、誕生日から血液型、出身地に過去の経歴なんかを遡ってみても、全員に共通する項目は見つかってない。――無差別だよ、若い女性という範囲に限ればな。夜中に街を巡って、見つけた女を殺してるってのが有力な線だろう」

「それで証拠を残してないなんて……」

 計画性のない、突発的な事件だというのに、未だ犯人像さえ掴めていないとは。

 いや、あるいはだからこそ――なのか。

 なんとなしに、ぼくは有名なイギリスの殺人鬼である《ジャック・ザ・リッパー》を思い出していた。かの殺人鬼も、結局はロンドンの霧の中へ消えていったはずだ。

 この事件は、そんな結末にならなければいいと願うが。

「まだあるぜ」と雅彦が言う。

 テレビを通じて茶の間を賑わせるには、すでに十分な話題性だと思うのだが。どうやら、これ以上があるらしい。

 脳裡に渦巻く嫌な予感を振り払うようにして、ぼくは静かに問うた。

「……何?」


「バラバラにされた死体だがな。――全て、心臓が奪われていた」


「心……、臓?」

「ああ、心臓だ。組み立てられた人体オブジェの部品パーツは無論、警察が全て回収したんだが。なにせ肉も骨も、これ以上ないってほどぐちゃぐちゃに凌辱されていて、復元するのもひと苦労だったわけだが……これが改めて捜してみると、――心臓だけがどこにも見当たらない」

 ――今までの四件、その全てでだ。

 雅彦はそう付け足した。

「……犯人が、持ち帰ったってこと?」

「順当に考えるならそうなるな」

「なんで……」

「さあな。コレクションでもしてるんじゃないか」

 酷く不快げに吐き捨てる雅彦。ぼくは言葉もない。


「…………」我ながら、随分と物騒な街に住んでいるものだと思う。

 もっとも同じ市内とはいえ、ぼくが住むここは面積的にはかなり広い都市だ。四件の殺人が行われた地区もそれぞれバラバラだけれど、いずれもぼくの住んでいる付近からは距離がある。

 けれど、

「――気をつけろよ」雅彦は言う。「徐々にこっちへ近づいてきてる」

 犠牲の羊を捜すため、夜な夜な闇を闊歩する殺人鬼。その活動範囲は、犠牲者が増えるにつれ徐々に広がりつつあるという。ぼくは男だから安全だ――などという無根拠の楽観視はできないだろう。犯人が何を考えているかなどわからない。殺人者の気がいつ変わるかなんてこと、誰にも知れないのだから。

 それに、これ以上の殺人があっては、そろそろ通う高校も休校になりかねない。それは嫌だった。正体の見えない殺人鬼よりは余程、授業の有無のほうがぼくは気にかかる。

 ――厭な話だ、本当に。

 胃腸の底に黒い澱が淀むような、肺腑の奥に白い靄が濁るような――そんな不快感を覚えてしまう。

 これから夕食だというのに、なんだか気持ちが悪くなってきた気がする。少なくとも、ビーフカレーを食べる夕方に適した会話では間違いなくないだろう。


「――はあ、まったく」と、ぼくは大袈裟に嘆息した。

 テーブルに両肘をつく雅彦を横目に見据え、

「もっと警察にはがんばってもらいたいものだよね。市民が安心して安全に暮らせるように、さ」

「かっ、言ってくれるじゃねえか」

 皮肉げに笑む雅彦。

 笑顔が作れるなら、まあよかったとぼくは思う。

 この歳の離れた友人――より正確な続柄を言えば、父方の叔父ということになる――である雅彦には、一生かかっても返しきれないほどの大恩がある。普段はそれを感じさせないように雅彦は振る舞うし、ぼくも感じていないように友人としての態度を取るけれど、それでも、できれば雅彦には笑っていてほしかった。

 なんて、年下のぼくが言うのもおこがましいけれど。

 でも本当に、心からそう願っている。


「――さて、俺はそろそろ帰るとするわ」

 言って、雅彦は唐突に立ち上がった。

「あれ、もう帰るの?」

「ああ。次からは水道水じゃなく、お茶かなんかを出してくれよ」

「ごめん、今お茶っぱ切らしてて……じゃなくて」ぼくはかぶりを振って問う。「夕食、食べて行かないの?」

「ああ、いや、さすがにそんな暇ないからな。今だって本当は仕事中なのを、同僚に黙って出てきてんだからよ。いい加減に戻らないとどやされちまう」

「……や、それは駄目だろ公務員けいさつかん

 市民の血税で食べているんだから。

 もっともこの数日、雅彦に休む暇などなかったのだろうことを思えば、同情に似た思いを抱かずにはいられないが。

 なにせこれだけの事件だ、警察内部の事情などさすがに知る由もないが、今の雅彦がそれこそ殺人的に忙しいだろうことくらいは想像がつく。

 そこまで考え、ではせめて雅彦を玄関までは送ろうとぼくも席を立ったところで、

「……ん?」

 ふと、小さな違和感に行き当たった。

 思わず声を上げてしまう。

「あれ……?」

「あん? どうした」

「や、さっきの話だけど。あれって一般に公開されてる情報なんだよね?」

 ぼくは問うた。

 心臓がないとかなんだとか、そんな話、どこかで聞いたことがあっただろうか。ぼくが知らないだけだろうか?

 降って湧いた疑問に、雅彦はけろっとした様子で、あっさりと答える。


「いや全然」


「…………え?」

 いや。

 いや全然って。

「いやいやいや。警察の内部情報を、不用意に一般人に漏らしちゃだめだろう」

「んー、まあ別に大丈夫だって」

「そんな適当な」

「大丈夫よ。……お前が誰にも言わなければ」

「それは大丈夫とは言わないよ」

「わかってないな、苑樹。ひとついいことを教えてやろう」

 雅彦は、にやり、と気取るように微笑して。


「――バレなければ犯罪じゃあないんだぜ?」


「…………」それが警官の言うことか。

 まるで悪びれない雅彦に、ぼくは告げる言葉を失ってしまう。

「なに、まあ気にするなよ」雅彦は無責任に宣っていた。「オフレコにしとくべきなのは事実だが、とはいえ人の口に戸は立てられないからな。機密ってほどのものでもない、知ってる奴は知ってる程度の情報だよ」

「ああ、そう……」

 ぼくは頷いた。まあ、なんやかんやで雅彦のことは信頼している。この男が大丈夫と言うのなら、それは大丈夫なのだと思う。そう信じることにする。

 本当に言えないことまでは、いくら雅彦とて、口にしないはずだ。


「さて」と雅彦は再度呟き、玄関の方向へと歩き出す。

 今度こそ本当に帰るらしい。

 ぼくは見送るために、その後ろをついて行った。

 玄関で靴を履き、踵を揃えようと雅彦は数度、爪先を玄関の床で叩く。その背を眺めるともなく眺めていたぼくの耳へ突如、滑り込むように雅彦の声が流れ込んできた。

「なあ――苑樹」

「ん?」


「――――出歩くなよ?」


 ――なるほど。

 と、言われて腑に落ちるものがあった。

 途轍もなく忙しいはずの雅彦が、わざわざここえやってきた理由。

 それはつまり、このことをぼくに告げるためだったのだろう。それが最大の目的だった。至極投げやりに、まるで何でもないことのように投げられたその言葉こそ、この尊敬すべき友人が仕事を抜け出してまで伝えようとした忠言だったというわけだ。

 雅彦は知っている。

 ぼくが夜な夜な、ほぼ毎晩のように家から出かけていることを。

 だからこそ、雅彦はぼくに釘を刺しに来たのだろう。

「……わかってるよ」

 ぼくはそう言って首肯した。

 雅彦の探るような、透明な眼差しを見詰め返し、

「わかってる」もう一度頷く。「さすがに自重するさ、今日は早く寝るよ」

「……本当だな?」

「心配しなくても、雅彦に迷惑は掛けないよ」

「そういう問題じゃない。いいか、もしお前の身に何かあったら――」

「死んだ両親に顔向けできない、だろ」

「…………そうだ」

 渋い表情で頷く雅彦。

 雅彦は、両親と妹を亡くして身寄りのないぼくの、身元を保証する後見人になってくれている。ぼくが未だにこの家で独り暮らすことができているのは、ひとえに雅彦の存在があってこそだ。

 だからこそぼくは雅彦には、今や唯一の身内であるこのお人好しにだけは、でき得る限りは迷惑も心配も掛けたくない。その考えは、嘘偽りないぼくの本心だ。


 夜の散歩。

 いや、もういっそ深夜徘徊とでも表現したほうが正鵠を得ているかもしれない、ぼくの悪癖。

 そう、これは癖だ。直らない、治すことのできない致命の悪癖。決して義務でも趣味でもなく、だから理由も価値もない。意味も、意義も、意志さえも介在しておらず、ただぼくは何か絶対的な存在に突き動かされるかのよう夜の中へと身を投じてしまう。

 雅彦の思惑は理解した。

 彼は友人だが、友人である以前に叔父であり、ひいてはぼくの身元引受人でもある。殺人鬼が跋扈しているその街へと、いくらその対象から外れているとはいえ何も考えずに向かってしまう馬鹿ぼくの性質を知悉しているのだから、そりゃ釘の数本を刺しに来ることもあるだろう。

 自分には責任があると、少なくとも雅彦はそう感じているから。

 そして同時に、雅彦は負い目をも感じている。

 実兄あに義姉あねの遺児である――ぼくに対して。


「……ありがとう」

 ぼくはそう、素直に感謝を口にした。謝罪ではなく、感謝の言葉を。そのほうが正しいと思ったからだ。

 本当に頭が下がる。ぼくは一生、この顔を上げることができそうにない。

「はっ――何言ってんだ。いいからさっさと寝れよ、ガキ」

 存外に照れ屋な雅彦は、惚けるようにそんな台詞を口にしていた。下手くそな誤魔化し方に、思わず苦笑が漏れてしまう。

 ぼくは笑みと共に肩を竦め、

「まだ六時前だよ? さすがに早すぎるでしょ」

 あからさまな話題逸らしに、あえて乗ってみせる。

「いいんだよ別に。子供は早く寝るものだ」

「最近は小学生だって夜更かしくらいするものだよ?」

「うっせ、最近のことなんざ知るか」

「やれやれ。近頃とみにオッサンくさくなってきたよね、雅彦」

「おい、馬鹿にすんな。俺ぁまだ二十九だぞ、三十路前だ。まだオッサン言われる歳じゃねえ。ナウなヤングと言っていい」

「その表現が既に古いって」

 ぼくは笑う。

 中身のない、だからこそ意味のある会話。

 それが心地よかった。


 けれど、そんな会話も、長くは続けていられない。

「じゃ、いい加減そろそろ行くわ」雅彦が玄関の戸を押し開いて言う。

「ん、気を付けて」

「お前もな。戸締りはしっかりしとけ?」

「わかってるってば。まったく、雅彦は将来、意外と過保護な親になりそうだよね」

「うるせえボケ。余計なお世話だ!」

「ああ、まあ、……それ以前にまず彼女作らないと駄目か」

「うるせえっつってんだろ!」

 いきり立つ雅彦に、苦笑しながらぼくは告げる。

「雅彦。時間時間」

「ああっ!? てめっ、今度覚えてろよ――!!」

 と。

 そんな棄て台詞を残して、今度こそ雅彦は玄関を飛び出していった。雅彦以外に使う者のいない車庫から停めてあった車に飛び乗り、慌ただしく市街地の方向へと急発進している。時間はぎりぎりらしく、どうやら本当に急いでいる様子だった。

 なんとも騒がしい、雅彦らしい去り際だとぼくは思った。


「――――…………」


 そして。

 去っていく車を見送りながらも、ぼくは思う。心の中だけで、わざわざ時間を割いてくれた雅彦への謝罪を念ずる。

 そう――感謝ではなく、謝罪を。


 ごめん、雅彦。

 きっとぼくは、今日も深夜に出かけるのを止めないと思う――。



     ※



 署へ向かって車を走らせながら、新田雅彦は胸中で、自分に残された唯一の家族のことを思考していた。


 ――薬師苑樹。

 雅彦の今は亡き兄、薬師雄介ゆうすけ――旧姓、新田雄介が遺した子供。たったひとりだけ生き残った、生き残ってしまった少年。

 黒髪黒眼。無造作な短髪に覇気のない瞳を持ち合わせた、一見どこにでもいそうな高校生。

 その実、稀有な経歴と人格とを併せ持つ、どうしようもなく独りきりの青年。

 雅彦から見れば弟とも、友とも、あるいは息子とも思えるような。簡単には言葉にできないけれど、それでも間違いなく大切な、守るべき最後の存在。

 その昔、守るべき家族を守れなかった雅彦にとっては、最後に残された砦だった。


「……釘は刺したが、無理だろうな」

 雅彦は小さく呟いた。

 きっと今日も、苑樹は夜中に家を空けるだろう。せめて時間を短くしてくれること、何より犯人とは出くわさずに済むことを祈るけれど――出掛けることそれ自体は止められないと解っている。


 無差別の中の差別。

 幸い、などとは口が裂けても言えないけれど、今回の犯人はその標的を女性に絞っている。

 もちろん殺人鬼が目撃者の口を封じない理由などないだろうが、少なくとも最低の、最悪のタイミングに出くわしたりさえしなければ、苑樹が狙われる可能性は生まれないはずだ。

 雅彦は、そんな思考で自分を納得させていた。

 苑樹がなぜ夜中に家を出てしまうのか。

 否、逃げ出してしまうのか。

 その理由を、実のところ雅彦は知っていた。

 だが、だからこそ雅彦は、苑樹が家を空けるとわかっていても家の中に閉じ込めるような強制はできないのだ。

 苑樹の気持ちを、察することができてしまうから。

 ――苑樹に対して負い目があるから。

 最後のところで雅彦は、苑樹に強く出ることができない。

 もっとも。

 それはそれで、逆もまた然り、ではあるのだけれど。


「……くそ。ままならんな」

 吐き棄てる。

 雅彦は不快だった。苛立っていた。どうしようもなく歯痒く思っていた。

 苑樹に対してではない。彼は何もできない自分に対して、強い憤怒を感じていた。消化も昇華もし切れない思いを、胃の腑の底に抱えている。


 ――もう自分には、他に守れるモノが何も残っていないのに。

 それでも、この期に及んでも結局、自分には苑樹を守ることができない。

 そんな様で、よくも警官などと名乗れたものだ――。


 雅彦はそう自嘲する。

 まさに泥沼、底なしの無間。胸の底に堆積する汚泥のようなジレンマが、雅彦の魂を劇毒のように溶かしていく。

 雅彦自身、そのことへの自覚はあった。

 けれども逃れることはできない。可能なのはせいぜい、沈む速度を遅らせることくらいのもの。

 今の彼には、目の前の事件に集中すること以外の選択肢はない。

 あるいはそれが自分にとって、ただの逃避でしかないのだと解っていたとしても。

 苑樹が夜な夜な街を歩くのと同じく、逃げているだけだと理解していたとしても。

 彼にはもはや、他に採るべき方策など存在してはいなかった。

 新田雅彦は車を飛ばす。

 今日こそ犯人への足掛かりをつかんでやると、その決意だけに集中するように。

 ただただ無心で、アクセルを踏み込み続けていた。

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