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1-11『正義の味方』

 ぽたり、雫が落ちる。ぽたぽたと夜を染めていく。

 この世のものとは思えないような。

 いつか見た、そんな鮮やかなあかが、玄架の肩口を彩っていた。


「――玄架っ!」


 ぼくは思わず飛び出した。身を守る影のバリケードから離れ、玄架の許に走っていく。

 こんなに全力で走ったのは、いったいいつ以来のことだろう。

 自分の中に、そこまで積極的な感情があったことが、ぼくにはどこか意外だった。

 馬鹿な行為だ。玄架の守護を無碍にする、たぶん最低の行動だった。

 焦っている――わけではないと思う。頭のどこか片隅には、まるで自分を俯瞰するように見下ろす別の自分がいて、そいつが皮肉に笑っている。

 ただ、身体は勝手に動いていた。


 崩れ落ちそうになる玄架の身体を、ぼくは咄嗟に抱きかかえる。

 小さく、華奢で、今にも折れてしまいそうな身体を。

「……まったく」玄架が、苦笑しながら口を開く。「出て来てどうするのよ、ばか。私だって、苑樹を守るだけで割とせいいっぱいなんだからね……」

「ああ……、うん。なんかごめん」

「そこで普通に謝っちゃうところが、苑樹のわかんないとこだよ……」

 玄架が笑んで、わずかに身体を揺すった。その振動が傷口に伝わり、思わず顔を歪めている。

 ――傷は、決して浅くはない。

 だが、今すぐ命に関わるほど深くもないはずだ。

 とはいえ素人判断だ。確定的なことはわからない。

 いずれにせよ、すぐにでも治療が必要なことだけは明らかだった。


「大丈夫だから」と、玄架が言う。「苑樹に心配されるほど、私は落ちぶれてない」

 ぼくは答えた。

「……酷い言い種だ」

「そうかな……そうかも。でも本当に大丈夫。苑樹がこの場所に立って生きている時点で、それはわかるでしょう」

 もちろん――わかる。

 こうして悠長に話していられること自体が、どれだけ異常な顛末なのかは。


 見れば、綴生もまた、地に膝をついて蹲っている。

 その呼吸は荒く、何かに苦しんでいるらしいことがぼくにもわかった。

 相変わらずの無表情で、綴生がこちらに声を投げてくる。

「……呪詛を喰らうのは初めてではないが」

 声音には、どこか玄架を称賛するような色があった。

 この男にもやはり、どこかわからない部分がある。むしろわからないことだらけだ。

 魔術師ではない、という話だが、ならばなぜ綴生はあそこまで異常な戦闘能力を保有しているのだろう。

「さすがは黒魔術師、といったところか。舐めていたことを認めよう。よもやこの俺が、一時的にとはいえ動けなくなるほどのものとは」

「……あれだけ無防備に喰らっておいて、平然とされても、困るのよ……!」

 荒い呼吸で玄架が言う。

 その言葉に、綴生は小さな笑みを見せた。

 ……ような、気がした。よくわからないが。

「確かに厄介ではある。俺は魔術師ではないからな。術に対する抵抗などできない。痩せ我慢がせいいっぱいだ」

「……そんなバケモノの理屈、普通は通らないっつーの……!」

「かもしれない。だがいずれにせよ――」

 と、綴生は立ち上がる。

 どうにも挙動が鈍いのは、玄架が魔術で掛けた《呪い》が、彼に影響しているからだろうか。

 物理的な斬撃に加えて、仮に致命傷を避けても毒のように回る呪いが対象を捕らえる――。

 なるほど玄架らしい、などと言ったら、今度はぼくも呪われるだろうか。

 そんなことを、ふと考えた。

「俺はそろそろ回復する。身体が頑強なことだけが取り柄でな。もっとも――」

 ――お前は、そうはいくまいだろうが。

 綴生は、ただ宣告するようにそう口にした。

「……別に、アンタに心配されるようなことじゃないわ」

「そうだな。だが黒魔術師では、回復魔術など扱えまい?」

「――――」

「……逃げないのか?」

 綴生が、静かにそう問うてきた。

 だが、それは愚問だ。玄架という人間をわかっていない。

 もちろんぼくにわかっているのかと問われれば、むしろわかっていないことのほうが多いと答えざるを得ないのだが。

 それでも、これだけは言える。

 ――玄架は絶対に、逃げるような真似だけはしない、と――

「おい。青年」綴生が言う。

 明らかに、それはぼくに向けての言葉だった。

「え? ……あ、えっと。なんですか」じゃないか。「なんだ」

 咄嗟に出てしまった敬語を、あとから無理矢理誤魔化してみた。

 誤魔化せている気がしなかった。

 だって、ほら。腕の中で、玄架が少し、震えてる。「く――ぷっ……あ、痛、肩痛っ」なら笑わないでほしい。ぼくだってちょっとどうかと思ってるんだから。


「今の言葉は、お前に向けて問うたつもりだったが」

 そんなぼくらに呆れもせず、綴生が続けてぼくに言った。

 今の言葉――というのは、つまり『逃げないのか?』という先程の質問のことだろうか。

「俺が負傷している隙に、さっさと逃げてしまえばよかっただろう」

「今ここで逃げたところで、そんなことになんの意味がある。アンタなら、あとからでも簡単にぼくを殺せるのに」

 元よりぼくに、綴生のような非常識な存在から自らの身を守るすべなどないのだから。

 殺されるときは、つまり殺されるということだ。

 玄架が死ねばぼくも死ぬし、玄架が死ななくても、やはりぼくは死ぬかもしれない。彼らとて、目撃者たるぼくを見逃す理由は、ないだろうから。

 ……いや。

 あるいはもう、ぼくはあの夜――すでに死んでいたのかもしれない。

 そんな風にも思う。

 だが、綴生は静かに首を振った。

「俺が依頼されたのは、あくまで障害になる敵対者の排除だ。こちらの邪魔をしないのなら、追ってまで殺す理由はない」

「そんなことをぼくに言われてもな……」

 ちら、とぼくは玄架の顔を見た。

 彼女は何やら難しい顔をして、こちらの顔を見上げてくる。

 ……。

「まあ、玄架を見捨てるのも寝覚めがよくないし。ただでさえ、ぼくって朝が弱いから」

 実際には、ぼくがいたところで、玄架にとっては足手纏いにしかならないだろうが。

 それとこれとは場合が違う。

 年下の少女を見捨てて逃げ出しただなんて。

 そんなことを雅彦に知られたら、それだけで説教をされてしまうだろう。

「その黒魔術師とは知り合ったばかりだろう。お前が命を懸ける理由はないはずだ」

「……、」

「お前の言う理屈は正しい。だが現実に命のやり取りがある場において、そんな《正しさ》を保持し続けることなど、真っ当な人間には不可能なはずだ。別段、英雄願望があるというわけでもないのだろう」

 綴生は妙に食い下がってくる。

 なんだろう。綴生がぼくに何を言わせたいのか。それがわからない。

「教えておけ。――何がお前を、そこまで駆り立てているのか」

「……悪いけれど」ぼくは溜息をひとつ零す。「ご期待に添えるようなことは、何も言えそうにない。普通のことを、ただ普通にしていただけだ」

 実際には何もしていなかったが。

 その辺りは、まあ、表記の揺れとでもしておこう。

「普通……か」

 綴生は静かにそう言った。

 納得してくれたのだろうか。

「ならば――やはりお前も、ここで殺しておくことにしよう」

「…………」

 どうしてそんな結論に至ってしまうのだろう。まるでわからない。

 わからないが、ただどうやらぼくは選択肢を間違えてしまったらしい。それだけはわかる。


「もう……大丈夫だから。ありがと」

 と、玄架がゆっくり、自分の足で立ち上がろうとする。

 あまり大丈夫には見えなかったが、彼女がそう言うのなら、ぼくが引き止めるほうがおかしいのだろう。ぼくは黙って腕を外した。

「さて――第三座。時間稼ぎは済んだのかしら?」

「そうだな。充分だ」

「それは重畳だこと」

 肩を押さえて玄架が言う。

 出血は――止まっているようには見えなかった。

 綴生が呪いから回復していた間に、玄架はむしろ出血で消耗し続けていたのだろう。

 そう考えれば、ぼくと綴生が交わしていたあの意味のない会話は、むしろ玄架にとっては不利な行いだったのかもしれない。

 綴生が、太い首をごきごきと鳴らす。

「俺は、壊すことしか能のない人間だ」

「それは奇遇ね。私も、割と似たようなものよ」

「《綴生》の血で操る風は、砲弾にも刃物にもなる。殺しきれなかった相手は久々だ」

「風、ね……。魔術的には四代元素の一角だけど、物理的に自然へ干渉できる魔術師なんてそうはいない。魔力もなしにそんなことされちゃあ、魔術師も商売あがったりよね」

「……体力は充分か。まだ、俺を殺しきるつもりでいるのか?」

「当然」

 玄架は笑った。

 当たり前のことを訊くなと。

「ならば――」

 綴生は瞑目する。

 彼が発する威圧感のような雰囲気が、その瞬間、質量を増大したようだった。

「――続きといこうか」

 瞬間――綴生が、爆ぜた。

 そんな錯覚を起こすほどの勢いで、綴生がこちらへ向かって来たのだ。

 爆発的な加速。それをもって、綴生は彼我の距離を詰めてくる。

 その腕には空気の渦。

 彼が生まれ持ったという風を操る能力を、綴生は今、腕に纏わせることで破壊に変えていた。

 彼がこちらに辿り着き、その能力でぼくたちを殺害するまで、おそらく三秒はかかるまい。

 その刹那に――ぼくは、玄架の声を聞いた。

「ああ。ひとつ言い忘れてたけど――」


 ――アンタを止めるのは、別に私じゃなくてもいいでしょう?


 そして――。

 ぼくは、高らかな風の音を聞いた。


「まったく玄ちゃんは、いつだって最高の舞台に立たせてくれるよね!」


「む――!?」

 綴生の拳が止まる。ぼくたちを殴り殺そうと、発露された暴力の塊がだ。

 奴が止めたわけじゃない。

 綴生の攻撃が止まったのは、突如として互いの間に降り立った、ひとつの人影による仕業だった。

「何者だ!」

 誰何を叫ぶ綴生に、謎の闖入者が答える。

 場違いなほどに高く明るい、透き通る風鈴のような声音だった。

「聞かれたならば答えようっ!」

 人影が、右手に携えた細身の剣を――そう、剣を振るった。

 底抜けに明るいその声音に、こちらまで毒されてしまったのだろうか。

 ぼくはただ、銃刀法違反じゃないかなあ、なんて。そんな間抜けなことを考えていた。


 綴生は、振るわれた剣に押され、後方へと弾き飛んでいく。

 右腕に纏う風が鎧の代わりになったのか、斬られたわけではなかったけれど。

 それでも、その表情には明らかに、先程までとは違う色が見えていた。

「――天呼ぶ、地呼ぶ、人が呼ぶ! 正義を叫べと私を呼ぶ!!」

 人影が、言った。

 その台詞に、ぼくはもう開いた口が塞がらない思いだ。

 同じく閉じられない瞳には、流れるような金の髪が、夜に揺らめくのが映っている。

 その金糸の持ち主が。

 突然現れた謎の少女が。

 盛大に――綴生へ向かって名乗りを上げた。


「通りすがりの、正義の味方さ!」


 その台詞は、誰がどう考えても滑っていたと思う。

 玄架が、毒づくように小さく言った。

「……ほんとにもう。あのバカだけは、治らないわね」

「あ、ちょっ、ひっどー! せっかく助けに来てあげたのに、その言い種は酷いんじゃない!?」

 謎の少女は振り返り、頬を膨らませて玄架を睨む。

 そんな憤慨の様子さえどこかコミカルで、ぼくは現実感を失ってしまう。


「……魔術師か」

 綴生の言葉に、少女は楽しげに頷いた。

「そうだよ。そういうそちらさんは違うみたいだけど、でも悪い奴には変わりないよね?」

「この街の魔術師で、戦う者は一人だけだと聞いていたが」

「それが私ってことでしょ。玄ちゃんは別に、戦いだけが仕事じゃないよ」

「なるほど――二対一とあっては分が悪い」

 ぼくは計算に入っていないようだった。

 突っ込む気にもならないぼくの耳に、綴生の言葉は響いてくる。

「今夜のところは出直すとしよう。依頼主に、報告もしなければならないからな」

 言うなり綴里は跳躍した。

 すぐ脇に建つビルの、三階の窓枠に綴生は手を掛ける。

 目の前の少女が、おそらくは飛び降りてきたビルなのだろう。

 綴生はそのまま腕の力だけで自らの身体を跳ね上げると、壁を蹴って屋上まで駆け上っていく。

 人類の限界を、明らかに超越した身体能力だった。


「ありゃー、逃げられちった。アレを追うのは骨だろうし、ま、今日のところはよしとするかな」

 長い金髪を、無造作に流した謎の少女が言う。

 その瞳は蒼で、おそらくは海外の出身なのだろう、西洋系らしい白い肌が、玄架とはまた違う意味で美しかった。

 そう――とても美しい少女だった。

 年齢は、おそらくぼくと同世代くらいだろうか。玄架と違い背が高く、プロポーションもどこか艶やかに感じられる。

 身に纏った白いドレスのような服が、脚を覆うロングスカートとひと繋ぎになって、生ぬるい夜の風に揺れていた。

 苦笑交じりに玄架が問う。

「お帰り、ノエミ。フランスへの里帰りはどうだった」

「いやそれがもう聞いてよ、この上なく退屈でさー。ま、収穫もあるにはあったんだけどねー」

 ――それよりもっ。

 と、金髪の少女はその視線をぼくのほうへと移す。

 いかにも好奇心の旺盛そうな、爛々と輝く宝石のような瞳。それがぼくの視線をまっすぐに見据えていた。

「いやあ、玄ちゃんも隅に置けないなあ。いつの間に彼氏なんて作ったの?」

「ふざけんなブッ飛ばすぞ」

 おそろしく嫌そうに玄架が言った。

「うわー、せっかく助けてあげたのに、そのリアクションはヒドくない!?」

「別に、一人でもなんとかなったわよ。最悪」

「最悪なんだ」

 少女はけらけらと笑った。

 そしてもう一度ぼくのほうを見ると、

「キミ、名前は?」

「……苑樹、ですけど。薬師苑樹」

「えんじゅ――か。面白い名前だねっ!」

 ひとしきり笑うと、少女はスカートの端を持ち上げて、優雅にお辞儀をしてみせた。

 そして笑って、ぼくに名乗る。

「私は、ノエミ=ティトルーズ」


 ――正義の味方の、魔術師だよ。

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