第7章せめてダンスを(4)
病院で必要な薬を処方してもらって街の薬局に立ち寄った後は、マリエルは何かに急き立てられるようにすぐに帰路に着いた。
1人車を飛ばしながら、マリエルの心は彼の帰りを待っている人の上に向けられていた。
今朝のケイトの様子を思い出すにつけ、マリエルは彼女のもとに早く戻らなければという焦燥感に駆られた。
同時に、今のケイトと会うことを恐れていた。
(認めないわけにはいかない…ケイトの命の灯火は消えつつある)
そう遠くない未来、2人を待ち受ける運命にマリエルは今思いを馳せている。ケイトの傍にいる時には、あまりにも心がかき乱されてしまうので、つい直視することを避けてしまう現実だった。
(私は…ケイトを愛している。だから、何としても彼女を失いたくない)
人として当たり前の感情だ。
だが、所詮死の前には無力な人間であれば、認めがたい運命でも最後にはあきらめ受け入れるしかない。
(恐ろしいのは…私がなまじ死体に慣れ、死のプロセスを熟知していることだ…。己が持つ知識を、技能を、あたかも死そのものを打ち負かす神の力のように錯覚してしまいそうになるからだ…。忘れてはならない。私が作り出せるのは単なる錯覚なのだ…ケイトにはもしかしたら慰めくらいにはなるかもしれない。だが、それで、何が変えられるわけでもない)
マリエルは、ケイトが切々と訴えた最後の願いを思い起こしていた。
(ケイトのエンバーミングそのものに何の意味もないとは言わない。…ケイトは、もう自分には悼んでくれる肉親は残っていないのだから、エンバーミングも葬儀もそもそも必要ないものだとあきらめ顔で言っていたけれど、ケイトを愛し、彼女のために涙を流す者はまだいる。ならば、それらを一番必要としているのは私だろうか…? なのに、ケイトのエンバーミングを誰か他の人間に任せることに私は我慢できるだろうか…?)
その考えは、思いのほかマリエルに強い反発を覚えさせた。
(いや…安心してケイトを任せられる他のエンバーマーなど私は知らない。誰も彼女に触れさせたくない。ああ…ケイトのエンバーミングなど―彼女の死など考えたくもないけれど…いざとなれば、やはり私はケイトの願いを叶えることになってしまいそうだ)
結局マリエルは、ケイトの体に自分で処置を施すことも、プロに徹しようと思えば誰よりも完璧にできてしまうのだ。
(そう…私がケイトのエンバーミングをしよう。私の持てる知識と技術の全てを使って…例え彼女の心臓が動くのを止めようと、私は彼女を生命の枯れ果てた『もの』になどさせない。生きている時と変わらず力に溢れ、生き生きと鮮やかに…私の手による別の命を彼女に吹き込んで、この世に再び復活させてみせる…)
ハンドルを握るマリエルの手が、瞬間、強張った。
(我ながら、恐ろしい)
自らの心が向かおうとする方向にぞっと背筋が凍った。
愛する者を失いたくない。確かに、そこまでは人として自然な感情だ。
だが、マリエルはともすればその先に行ってしまおうとする。
死に魅せられ、取り付かれ、この世の摂理をたやすく忘れ―どこまで行くつもりか。果てはあるのか。
(私が作り出せるのはただの錯覚…だが、それを切実に求めるものには、唯一の真実となる…)
マリエルは、これまで自分が手がけてきた数多くのエンバーミングが依頼者達にもたらした劇的な作用を思い出した。基本的には死者のためにこそ働いてきたマリエルだが、遺族の多くが彼の仕事を奇跡と呼び、そこに何らかの慰めや救いを得ていたのも確かだ。
(ああ、私も彼らのように…いや、それ以上に強く、自ら生み出す錯覚に捕らわれたいのか…ケイトを失った後にくる孤独には耐えられないから…そんな救いのない現実ならば歪めてしまえばいいと…例え狂った夢の中であろうと逃げ込みたいのか…そういうことか…)
一瞬空白となったマリエルの白皙に悲壮な表情がうかびあがった。
(この世の向こう側にある別の世界など、私も見たことがない。本当にあるのかすら、分からない…時折感じられる、私を呼ぶ声も、あの光も、私の病んだ心が見せた幻に過ぎないかもしれないのだ)
マリエルの脳裏に、ケイトの青ざめた小さな顔が思い出された。熱にうかされたような囁きが聞こえた。
(向こうの世界はどんなところか、分かる?)
途端に、マリエルの胸は締め付けられるように痛んだ。
(私には実際何も分からない…知ったような振りをしていただけだ。だから、死にいく彼女に何の約束もしてやれず、慰めを与える牧師にもなれない…そんな私が傍にいてもケイトのためになど初めからならなかったのだ。切実に救いを求めていたケイトの心に、あんなふうな病んだ夢想の種を植え付けただけだ。そう、あれはやはり私の影響なのだろう…)
こみ上げてきた罪の意識に、マリエルの心はきしんだ。
生きている人達とは縁が薄いと思ってきたから、自分がかくも強い影響を誰かに及ぼすなどとマリエルは考えてみたこともなかった。実際、誰も彼もマリエルに嫌悪と反発を覚えて離れていくのが常だったのだ。
ケイトだけは違っていた。ケイトが背負った死の宿命がそうさせたのか、他にもマリエルと響きあうものを彼女が秘めていたからか、それは分からない。
だが、初めて会った時から、ケイトはマリエルに魅せられ、何の抵抗もなく彼の世界を受け入れた。そんなケイトにマリエル自身も惹かれた。鏡に映ったもう1人の自分を見出したかのように―。
(だが、今となっては、彼女のためにどうすることが一番いいのかなど私には到底考え付かない。分かっているのは、ケイトを何としても失いたくないという私自身の抑えられない気持ちだけ…)
ケイトをこの世界につなぎとめる方法をマリエルが全く持たないわけではないから、一層恐ろしい。
それは、越えてはならない一線を越える行為だ。
(一線なら、私は何度も越えてきた…まるで、そうすることで向こう側の世界を現世にありながら感じられるかのように…。でも、これは違う…ケイトを道連れにすることなどできない…それに、そうなったら、私ももうこちら側には二度と戻ってこられないような気がする…)
生きたまま一線を越えて、そうして、どこに行くのか。それとも、どこにも行かれなくなるのか。
ふいに、マリエルはケイトと一緒に踊った夜を思い出した。
あの幸福が永続することを願ったのは確かだが―。
(私はいつも1人だった。誰からも理解されず、誰のことも必要とせず、束の間出会ってはすぐに別れる死者だけが孤独を癒してくれる友人であり恋人だった。そう、ケイトが現れるまでは―)
あの時、ケイトの濡れたように真っ黒な瞳を覗き込みながら、マリエルは底知れぬ深遠から浮かび上がる別の世界を見ているような気がしていた。
いつの間にか、彼女と一緒に踊るのは見慣れたリビングではない別の場所―臨死状態に陥った子供時代のマリエルが見たのと同じ世界に変じたような錯覚に捕らわれていた。
(この世の果てで、あなたと2人、永久に―)
奇妙に胸騒がせる追憶に浸っていたマリエルの視界に白いものがはらはらと落ちかかってきた。
マリエルは瞬きをした。
(林檎の花が…ああ、いつの間にか私の家の近くにまで来ていたのか)
マリエルは道路沿いにずっと植えられている木々から降り注ぐに花の雨に、ふと懐かしげに目を細めた。
(母は、この花が咲く季節が好きだった…病気で気が塞いでいても、薬の副作用で体が不自由になっても、この時期だけは元気になって、私と一緒に花を眺めながら散歩に出かけて―そう、丁度今のケイトのように…花の下を歩きたがった)
マリエルの目が家に続く砂利道の脇にたたずんでいる白い人影を見つけたのは、その時だ。
母のことを思い出していたものだから、マリエルには一瞬、その姿が過去から蘇った亡霊に見えた。
お母さん?
心臓を凍りつかせて、マリエルは車のブレーキを踏んだ。
「ケイト?!」
停車した車の窓から、マリエルは目を凝らした。
林檎の樹の幹に寄りかかってマリエルを見ているのは、白いワンピースを着たケイトだった。
マリエルを待ちきれずに先に散歩に出かけたのだろうか。しかし、どこか様子がおかしい。
マリエルは不安に駆られるがままドアを開けて、外に飛び出した。
「そんな所で…一体何を…?」
用心深くマリエルが呼びかけると、ケイトはそれに応えようとするかのごとく手を微かに動かした。
その青ざめた顔に浮かぶ予感めいた気配にマリエルの胸は戦慄いた。
一瞬、梢を吹き抜けていった強い風が林檎の花びらをたくさん舞い散らせ、それは白い雪のようにケイトの上に降り注いだ。
立ち尽くすケイトの華奢な姿は花の嵐の中にかき消され、マリエルは別の人間の姿をそこに見出した。
「あ…」
マリエルは瞠目し、肩を大きく上下してあえいだ。
林檎の下に今立っているのは、マリエルと同じ銀の髪を長く伸ばしたほっそりと優美な女性だった。マリエルと同じ顔が嫣然と彼に向かって微笑みかける。
「お願いです…彼女を私から奪わないでください…」
うわ言のように、マリエルは幻の女に囁きかけた。
風にあおられた花びらがマリエルに吹き寄せてき、それを防ごうとするかのごとく彼は手を上げた。
手を下ろした、その時、マリエルは死んだ母ではなくケイトの姿を再び見つけた。
「動かないで」
切迫した声で、マリエルはケイトに呼びかけた。
もろい硝子の上に立っているかのような心もとなさに怯えながら、マリエルはケイトに手を差し伸べた。
ケイトがマリエルに向かって手を伸ばそうとする。
2人の指先が触れるかと思われた、瞬間、ケイトは声もなく倒れた。
「ケイト!」
ぱりん。
薄い何かが壊れたような音を遠くに聞きながら、マリエルはケイトに駆け寄って、がくがくと震える細い体を抱き起こした。
「ケイト…ケイト…!」
呼びかけるマリエルの声も届かないのか、ケイトは胸をかきむしりながらしばしのた打ち回った。
マリエルはそんな彼女を抱きとめることしかできなかった。
「しっかりしてください…逝ってはいけない…」
マリエルの両目から涙が溢れた。
死にゆく恋人を抱きしめながら、今の彼は無力なただの人に過ぎず、砕け散ろうとしているケイトの命と共に自分自身も崩壊しつつあるのをひしひしと感じていた。
突然、ぷつりと糸の切られた人形のようにケイトの体からあらゆる力がぬけた。
「ケ、ケイト…?」
マリエルを慄然とさせた、次の瞬間、ケイトはマリエルの腕の中で身じろぎをし、固く閉ざしていた目をぱっちりと開いた。
底知れぬ井戸のような黒い瞳が今、マリエルの瞳をまっすぐに見上げている。
「ねえ、マリエル…あたしのこと、好き…?」
この期に及んでそんな無邪気で残酷な問いかけをするケイトに、マリエルは泣き笑いのような顔になった。
「ええ、好きですよ」
マリエルの頬に伸ばされたケイトの手を彼は捕らえ、指先に軽く唇を押し当てた。
「嬉しい」
ケイトはうっとりと呟いて、瞼を伏せた。
「ケイト、ケイト…お願いです、私を1人にしないでください」
ケイトの顔には既に何かを超越してしまったような深沈とした静けさが漂っていた。もはやこの世のものとは言えなかった。
しんと静まり返ったケイトを途方に暮れながら見守るばかりのマリエルに、ふいに彼女は囁いた。
「大丈夫よ、あたし、ここにいるわ。マリエル、あなたを置いて、どこにも行かない」
マリエルの手を意外に強い力でケイトは握り返した。
「マリエル、あなたも私を手放したくないと思ってくれているのね」
凪いだ湖面と化していたケイトの顔に小波がたつような微笑が広がっていく。その声も喜びに打ち震えていた。
「それなら…お願いよ…例えあたしがこのまま死んでも、どこにもやらないで…あなたの傍にいさせて…そう、あなたになら、できるから―」
呆然と、マリエルはケイトの異様な熱の篭った言葉を聞いていた。
ケイトの囁きは慄然と凍りつくマリエルの胸に蛇のようにするりと入り込んでいく。
「私に…あなたを…?」
がんがんと痛みだした頭をマリエルは震える手で押さえた。
そんなことはできない。いや、マリエルにはその力がある。
心が、2つに引き裂かれてしまいそうだ。
「あなたは…それでいいんですか…? 恐ろしくはないんですか…?」
喘ぐように囁くマリエルの頬にケイトの手が当てられた。
「どうして?」
今一度ケイトは目を開けてマリエルを見、不思議な透明な表情をうかべ問い返した。
「怖くなんかないわ。マリエル、あなたと一緒なら…」
確信のこもった言葉を聞いた時、マリエルの中でぎりぎりまで張り詰められた何かが千切れとんだ。
どこまで行くのか。果てはあるのか―。
「分かりました」
マリエルはケイトの肩を抱く手に力をこめ、低い声で囁いた。
「あなたが望むことは、私が全て叶えます」
ケイトは吐息をついた。
「約束よ」
ケイトが満ち足りたように微笑むのをマリエルは感じた
腕の中の少女を再び見下ろした瞬間、マリエルは息を飲んだ。
ケイトは固く目を閉じていた。
それはもう二度と開くことはなかった。
覚えている。
最後に、私はケイトを腕に抱いて、彼女の望むまま約束を交わした。
しかし、あれらが現実にあったことなのか、今では私にも確信が持てない。
もしかしたら、あれこそ夢ではないのか。
発作を起こして倒れたケイトに私が駈け寄った時には、彼女の心臓は既に動きを止めていたのではないか。
きっと、何もかも私の願望が見せた幻なのだ。
そんな気もする。
しかし、それでも私は彼女との約束を果たすだろう。
死が2人を分かとうとしても、私は逆らい続ける。
ケイトに別の命を吹き込んで、この世に蘇らせるのだ。
私が作り出す錯覚は、それを切実に求める者には唯一の真実となるのだから―。
「これが、ケイトが残したエンバーミング依頼書です」
それらは、ケイトが生前、遺書だと言ってポールに託したものだという。
神妙な顔をしたルイとポールが見守る中、マリエルは必要書類に目を通し、サインをした。
「では、彼女を処置室に運んであげてください」
マリエルが感情に乏しい声で呼びかけるのに、ポールは何か言いたげな眼差しを投げかけたが、他人の意見などもはや受け付けないような毅然とした態度で彼が頷きかけるのに、あきらめたようにうなだれて遺体搬送用のストレッチャーをエレベーターの方へ押していった。
「マリエル」
作業所の奥へ消えて行くポールを静まり返った表情で見送るマリエルに、傍らに残ったルイが意を決したように呼びかける。
「本当に大丈夫なんですか? 無理をせずに、今からでも他のエンバーマーに処置を任せた方がいいのでは…?」
「この私が、一体他の誰にケイトを任せられると言うんです?」
「マリエル、わたしは、自らケイトの処置をするなど、あなたの心が耐えられないのではないかと心配して…」
マリエルの薄い唇に仄かな笑みがうかぶのに、ルイは途中で言葉を失った。
「いいんですよ、ルイ。これはケイトが私に依頼した仕事なんです。彼女との約束を違えるわけにいきませんから―」
「し、しかし―」
ルイは、マリエルをどうにかして引きとめようとしているようだ。さすがにマリエルとの付き合いが長いだけあって、いつも以上の冷静沈着さのマリエルの内側に秘められた崩壊の兆しをルイは敏感に感じ取っているのかもしれない。
「心配しないでください」
マリエルは、この日初めてルイをまともに見た。優しく目を細めるマリエルに、ルイは戸惑い顔をする。
「これは、ケイトだけではなく、私の望みでもあるんです。だから、今の私をそんなふうに哀れむのはやめてください…余計なお世話なんですよ、全く…。あなたも私のことばかりにかまけていないで、これからはもう少し自分のことを考えないと…」
「どうしたんですか、いきなり、そんなことを―」
いぶかしげに眉根を寄せる幼馴染の追求を軽くかわすように、マリエルは視線を何もない虚空にさ迷わせた。
「ねえ、ルイ、何を幸せと思うかは人それぞれでしょう…私の心がどこにあるにせよ―この世の摂理を離れた彼方に飛び去ったきり戻れなくても、私なりの安らぎをそこで見出せるのなら―それもまた1つの幸福な完結には違いない」
ルイが微かに息を飲む音が聞こえたが、マリエルはもう注意を払わなかった。
「さて、もう行きますよ。ケイトが、私を待っていますから…」
ケイト。マリエルはこの上もなく愛しげに、彼女を呼んだ。
青い瞳は今、あらゆる苦悩や葛藤を突き抜けてしまったかのような透明な穏やかさをたたえている。
背中を向けるマリエルにルイは反射的に手を伸ばしかけるが、ついにあきらめたのか、やり切れなさそうに頭を横に振った。
マリエルの心はもはやこの世のものではなく、彼は生きている人間の誰も必要とはしていなかったのだ。
「ケイト・ハヤマ。19歳。胸腔内腫瘍が心臓を圧迫、機能不全により死亡…」
向こう側に何があるのかなど、知らない。
だが、マリエルは彼方から差してくる光を確かに見ている。
ケイト。
彼女は今、ひんやりと青ざめた静謐に包まれて、マリエルの前に横たわっていた。
死の間際に覚えただろう苦痛は、彼女の顔には残っていなかった。
頭上のライトの加減か、微かに開いた口元辺りの陰影が、童女のようなあどけない笑みをケイトがうかべているかに見せている。
人によっては、それさえも錯覚と呼ぶだろう。
マリエルは手袋を外してつと手を伸ばすと、ケイトの頬に触れ、包み込んだ。
かつては皮膚の下を通う血の熱さと湿度を帯びていた肌が硬質な冷たさに変じていることにも、マリエルは怯まない。
「心配しないで」
以前と少しも変わらぬ口調で、マリエルはケイトに囁きかけた。まるで彼女の不安を取り除きたいと真摯に思っているかのように。
「大丈夫…あなたのことは、全て私がいいようにしてあげますから」
返ってくるのは圧倒的な静けさのみだが、マリエルがふと耳を澄ませば、彼女が発する声ならぬ声が確かに聞こえる。
それは幻聴だと、人はきっと呼ぶだろう。
「そうして、あなたとの約束は必ず果たします。だから、安心してください、ケイト」
マリエルは眩しげに目を細めた。
捕らえどころもなくたゆたう青い瞳には、現し世のものではない光が灯っている。
外の世界を満たす陽の光は、ここには差さない。ふさわしくもない。
マリエルが見ているのは、ケイトを中心に溢れかえり、渦巻く光の洪水だ。
焼け付くような熱は感じさせないが、圧倒的な力と存在感を感じさせ、胸を揺さぶられるほどに美しく、安らぎに満ちている。
マリエルの胸の中に常にあった、いつか自らも包まれて1つになりたいと切望してきた、彼方の世界から差す光、それは永遠から永遠に渡って燃え続ける生命の輝きそのものに違いない。
(この光に今あなたは包まれている。そして、私もあなたと共に―一線を越えて…行こう…)
どこまで?
(さあ…この世の果ての更に向こう、誰にも手の届かない2人だけの楽園でしょうか…)
指先でケイトの艶やかな髪を撫で付けてやりながら答えると、マリエルはゆっくりと身をかがめ、彼女の唇に優しい口付けを落とした。
触れ合った唇から伝わる冷たさは静かな波となってマリエルの身のうち深く響き渡っていく。
(ケイト、ケイト…あなたにも、今なら分かるでしょう、見えるでしょう)
マリエルは薄っすらと目を開けた。
周囲を満たす光はどんどん強くなり、何もかもが溶け崩れて見えなくなる中、ケイトの姿だけはくっきりと浮かび上がっている。
(この光を、今、私とあなたは共有している)
次第に形をなさなくなっていく世界、次第に定まらなくなっていく意識の片隅で、マリエルは、己を現世につなぎとめる最後の糸が切られ魂が解放されていく幸福感に、ひっそりと微笑んでいた。
一線を、この世の摂理を越える喜びに打ち震え、恍惚として―。