プロローグ
この作品には露骨な表現はありませんが、死体の描写や一部ネクロフィリア的な表現が入ることがありますので、苦手そうな方はご注意下さい
エンバーミングとは遺体の衛生保全を図る専門技術である。
アメリカやカナダでは広く普及しており、遺体の九割にこの処置が行われているという。
その目的は、二つある。刻々と腐敗にむかう遺体の消毒と保存である。
エンバーミングによって、遺体に付着した病原体によるバイオハザードを防ぎ、また埋葬までの期間組織の分解を妨げ生きていると同じ自然な姿を保つことができる。
それは、たとえ長患いや事故による欠損で遺体がどのような見る影のない状態にあっても、死者に生前の面影を取り戻させ、自然で安らかな死を迎えたのだというよい意味での錯覚を遺族に与えるものでもある。 最後の別れを告げる時に目にした安らかな死に顔が、彼らの心に思い出となって残るのだ。
もし、その顔が安らかでなかった場合、あるいは遺体の顔を見ることができなかった場合には、事実ではない、想像された顔がずっと傷となって彼らを苦しめるのである。
エンバーミングは、死者よりもむしろ残された者たちの為の技術なのだ。
月の下で、踊ったことがありますか…?
わたしには、今でも分かりません。
あの時、その扉を開いてしまったこと、そうして彼女をこの部屋に入れてしまったことが正しかったのか、それとも取り返しのつかない過ちであったのか。
ああ、あれからもう10年も経つんですね。
そんなに経ったなんて信じられない…まるでつい昨日のことのように思い出せるのに。
10年…そうして、あの二人のどちらももうこの世にはいない。
ああ、失礼…仕事で忙しくしているうちは忘れられたんですが、こうやってしみじみあの方のことを思い出すと、やっぱり今でも泣けてくるんですよ…。
わたしなんか、もう子供のころからあの方のお傍におりましたのに、結局何の助けにもならずじまいで…どうしようもないことだと分かっていながら、自分が情けなくて…。
いいえ、こんな繰り言をもしあの方が聞いていれば笑い飛ばされるだけなのでしょうし…わたしや他の方々の目から見れば不幸で哀れなものであっても、あの方自身はこの10年あるいはこの上もなく幸せであったのかもしれないんですから…。
そんな奇妙なものを見るような目つきで見ないでくださいよ。
まあ、わたしも多少はあの方の毒にあてられてしまっているのかもしれませんがね。
そうですねぇ、話を始めるのは、やはりこの部屋から…そう、あなたの立っている丁度そこに彼女…ケイトが立っていたんですよ。
当時19才でしたかね…年よりも幼く見えました。まあ東洋系の人は大体そうなんですが…。それほどすごく整っているという訳ではないけれど、人好きのする可愛らしい顔をした、一見どこにでもいそうなごく普通の少女でした。化粧っ気もほとんどなかったせいか、むしろ少年っぽかったですね。ただ初めて会った時、その大きな目がすごく印象的だったことを覚えています。今から思えば、あれは一種の予感だったのかもしれません。何というか…とても綺麗な…綺麗過ぎる目だったんですよ。若い女の子らしい無邪気さの表れなのだろうとしか、その時のわたし愚かにも思わなかったのですが、そんなものではなく、よく考えれば何かしらつきぬけたような静けさだったんですね。
そう、そのよく通る綺麗な澄んだ声も覚えてますよ。
「…葬儀会社って、もっと暗くてじめじめしているものかと思ってたけど、ここは明るくてとても綺麗」なんて言ったんですよ、あの子は―。