第2話
祝宴の広場は、音だけ先に失っていた。
焚き火は燃えている。肉の脂もまだ弾けている。倒れた木杯からは酒が土にしみている。なのに、そこに集まっていた人間たちは、誰もその続きをどうすればいいのかわからない顔で立ち尽くしていた。
ハザマはその中心で、勇者ユウトを見ていた。
年齢は二十代前半。自己認識は地球側の死亡時点を基準に維持。人格の崩れは少ない。違法侵入から三年。現地適応は深く、周囲との結びつきもすでに強い。処理難度は中程度。本来ならもう少し早い段階で検出されるべき案件だった。
遅れた理由は、だいたい想像がつく。
派手に人を救う転生者は、しばらく歓迎される。
世界の側も、住人の側も、表面だけならうまく回ってしまうからだ。
「……汚染、データ?」
ユウトの声はかすれていた。
抜きかけた剣を握る手が震えている。聖剣と呼ばれていたそれは、いまは光を失い、質の悪い鉄剣にしか見えなかった。
「何なんだよ、それは。人に向かって……」
「人ではない、と言っているわけではありません」
ハザマは端末を開いた。薄い板状の表示体に、対象識別ログが並ぶ。周囲の住人には認識阻害がかかっているため、白紙にしか見えない。
「あなたは異常な経路でこの世界に侵入した外部人格です。本来、この世界の歴史に存在しない。存在しないはずの要素が長く留まりすぎると、予測の精度が落ちる」
「予測?」
「説明義務はありません」
「ふざけるな!」
ユウトが一歩踏み込んだ。
それだけで村人たちの肩がびくりと跳ねる。誰も彼を責められない。突然現れた見知らぬ男が、村の恩人を意味不明の言葉で断罪しているのだ。
リリサだけが、泣きそうな顔でユウトとハザマを交互に見ていた。
「ユウト様はこの村を救ってくれたのよ……!」
小さな声だった。
だがその一言には、この場にいる住人たち全員の気持ちが入っていた。
ハザマは彼女を見ない。
見れば、仕事が鈍る。
「結果の一部を否定しているわけではありません」
「だったら何で!」
「その善意も、救済も、この世界の初期条件には含まれていない」
ユウトは理解できないものを見る目でハザマを見た。
たいていの対象はここで怒る。
怒って当然だ、とハザマは思う。自分が守ったもの、自分が得た居場所、自分がやっと掴んだ名前。それらを、外から来た人間が「整合性」の一語で切るのだから。
それでも切らなければならない。
「……俺は死んだんだ」
ユウトが低く言った。
怒鳴るのでなく、吐き出すように。
「前の世界で、何もないまま死んだ。トラックにはねられて、それで終わった。ここで目を覚まして、最初は夢だと思った。でも違った。ここには痛みがあって、腹も減って、泣く奴がいて、助かって笑う奴もいた。俺が剣を振れば、本当に誰かが生き残った」
剣の切っ先が、かすかに上がる。
「それの何が偽物なんだよ」
ハザマは一拍だけ黙った。
偽物ではない。
そこが厄介なのだ。
泣く者は泣く。
怯える者は怯える。
誇る者は誇る。
この世界の住人たちは、あまりに自然に、あまりに本物らしく反応する。
だから現場はいつも、書類上ほど簡単ではない。
「偽物ではありません」
ハザマは言った。
「ただ、許可されていない」
ユウトの表情が歪んだ。
その答えは慰めにも反論にもならない。ただ冷たいだけだった。
「……上等だ」
ユウトは剣を握り直した。
恐怖は残っている。それでも、守るべきものの前に立とうとする顔だった。勇者という役割が演技ではなく、もう身体に染みついている。
「何者だろうが知らない。ここから出ていけ。あんたがこの村に何かするなら、俺が止める!」
リリサが息を呑む。村長が何か言いかけ、結局言葉にならない。
ハザマは対象ログを一つ送った。
ユウトの頭上、誰にも見えない位置に、半透明のウィンドウが開く。
違法インターフェースの強制可視化。対象本人にだけ見せる処理だ。
ユウトの目が、明らかにそこを読んだ。
「……何だ、これ」
「あなたの権限経路です。血統偽装、加護偽装、職能上書き。かなり雑な書き方をしている」
「ふざけるな、そんなもの――」
「黒角熊の討伐補正、今夜だけで三十二件。致死回避補正、十四件。聖剣の自動誘導、六件。あなたの実力がゼロだとは言いません。ただし、あなたが『勇者として成立していた』部分の多くは外部から挿し込まれたコードです」
ユウトの顔から血の気が引いた。
「嘘だ」
「検証しますか」
ハザマは端末を操作した。
次の瞬間、ユウトの剣が、重力を思い出したように沈んだ。
膝が折れかける。かろうじて踏みとどまったが、さっきまで片手で軽々と扱っていた剣を、もうまともに支えられていない。
「基礎筋力に補正がかかっていました」
「やめろ……」
「夜目、反応速度、恐怖抑制、痛覚軽減」
「やめろ!」
「あなたは強かった。しかし、現在ほどではない」
ユウトが呻くような声を漏らした。
その声を聞いて、リリサが一歩前に出る。
庇うつもりだ、とハザマはすぐわかった。
規定上、住人への強い干渉は避けなければならない。
だからハザマは、彼女が口を開く前に短く言った。
「下がってください。あなたには関係がない」
その言い方があまりに冷たく聞こえたのだろう。
彼女は傷ついた顔をした。
関係がないはずがない。
だが、関係があると認めるほうが危険だった。
「最終確認を行います」
ハザマはユウトに視線を戻した。
「自己申告での終了意思はありますか」
「……あるわけないだろ」
「そうですか」
形式確認、終了。
ハザマは端末の認証欄に指を置いた。
空気がわずかに張る。焚き火の音さえ遠くなった気がした。
「強制終了処理に移行します」
その瞬間、広場の上空にノイズが走った。
誰にも見えないはずの空間に、ひび割れのような青白い線が走る。
ハザマは初めて眉を動かした。
不正通信。
端末が短く警告を鳴らす。
《外部アクセスを検知》
《認証系へ干渉》
《発信源不明》
ユウトは見えていない。
住人たちにもわからない。
だがハザマには、そのノイズの質で十分だった。
アナーキー・コード。
遅い、とハザマは思う。
対象の保全に来たのか、それとも別の意図か。
青白い亀裂の向こうから、くぐもった笑い声にも似た音が落ちてくる。
『ああ、いたいた。真面目にやってるねえ、管理局』
ユウトが顔を上げる。
今度は彼にも何か聞こえたらしい。
ハザマは端末を握り直した。
広場の空気が、さっきとは別の意味で凍る。
『その勇者、消すには少し惜しいと思わないか?』
声は、どこか楽しそうだった。




