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『道化師の仮面は、硝子(ガラス)でできている』  作者: 沼口ちるの


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第十四話『昔日の恋人、あるいは恋愛という名の労働(コスト)』

その夜、アッシュトン城のバルコニーでは、珍しく「大人の飲み会」が開かれていた。 子供たち(ゴウとカレン)が寝静まった後の、静かな時間。


レン、ジムニー、キャシー、そしてキロ(ジュース)。 少し離れた席には、ヒロインたちが聞き耳を立てながら座っている。


「……レン殿。ひとつ、聞いても?」


酔いが回ったのか、ジムニーが禁断の質問を切り出した。


「レン殿は……その、『お付き合い』をしたことはないのですか? 過去に」


空気が凍りついた。 ヒロインたちの背筋が伸びる。 あの「鉄壁の独身貴族」に、浮いた話などあるわけがない――誰もがそう思っていた。


「……あるよ」


レンは、グラスに入ったコーラを回しながら、あっさりと答えた。


「「「ええっ!?」」」


全員の声が重なった。 「嘘でしょ!?」とヴェルミリアがテーブルを叩き割る(物理)。


「……意外かな。僕だって、冒険者になる前は『普通の生活』を模索していた時期があったんだ」


レンは遠い目をした。 外殻がなくなった彼は、昔話をするのを拒まなかった。


「相手は……王都のギルド職員だった女性だ。真面目で、優しくて、少しおせっかいな人だった」


「……どんな方だったんですか?」 ルナリアが震える声で聞く。


「完璧だったよ」 レンは淡々と言った。


「僕の服を選んでくれたし、栄養バランスのいい食事を作ってくれた。休日は『デート』の計画を立てて、僕をいろんな場所へ連れ出してくれた。……記念日にはサプライズも用意してくれたな」


「す、素敵じゃないですか……」 アリアが呟く。それは、彼女たちが夢見る「理想の恋人像」そのものだ。


「……でも、続かなかった?」 キャシーが核心を突く。


「ああ。……『別れ』を切り出したのは、僕の方だ」


レンはコーラを一口飲み、静かに理由を語り始めた。


「彼女と一緒にいる時……僕は常に『演技ワーク』をしていたんだ」


「演技?」


「ああ。『嬉しいフリ』をする演技。『驚くフリ』をする演技。『楽しいね』と相槌を打つ演技。……彼女が完璧であればあるほど、僕はその期待に応えるために、脳のリソースをフル回転させて『理想の彼氏』を演じ続けなきゃいけなかった」


レンは自嘲気味に笑った。


「デートの最中、僕が考えていたのは『あと何分で家に帰れるか』だけ。サプライズパーティーで祝福されている時、僕が感じていたのは『早く静寂に戻りたい』という渇望だけ」


「……」


「ある日、気づいたんだ。……これは『幸せ』じゃない。『高負荷の労働オーバーワーク』だと」


レンの言葉は、冷たいけれど、悲痛なほどの本音だった。 シゾイドである彼にとって、他者との情緒的な交流は、癒やしではなく「消耗」でしかない。


「だから言ったんだ。『君は素晴らしい人だ。でも、君といると僕は死んでしまう』ってね」


「……最低な振り方ですね」 キロがドン引きする。


「ああ、最低だ。彼女は泣いていたよ。……でも、別れた瞬間に僕が感じたのは、罪悪感じゃなかった。……圧倒的な『解放感』だった」


レンは空を見上げた。


「それ以来、決めたんだ。……僕は誰かの『特別』にはなれない。誰かの期待に応えるなんて、二度と御免だ」


静寂が支配する。 それは、レン・アシュトンという男の「欠落」が決定的に証明された瞬間だった。 彼は「愛さない」のではない。「愛する機能」が、生存本能(平穏を求める心)によって塗り潰されているのだ。


「……勝てないわね」


ポツリと、ミリスが呟いた。


「昔の彼女が『完璧』だったからこそ、レンは壊れちゃったのね。……普通の幸せをあげようとすればするほど、レンは苦しんで逃げ出す」


「左様でござるな……」 ノブツナが刀を置いた。 「師匠に必要なのは『恋人』ではない。……ただ、そこに在っても気にならぬ『風景』でござる」


ヒロインたちは悟った。 「レン様を振り向かせる」という争奪戦は、最初から間違っていたのだ。 彼を振り向かせた瞬間、彼は「労働」を感じて逃げてしまう。


「……でも」


ヴェルミリアがニカッと笑った。


「今のレンは、逃げていないぞ?」


「ん?」


「私たちが騒いでも、子供が泣いても、ジムニーが倒れても……お前は『うるさい』と言いながら、ここにいるじゃないか」


レンは少し目を見開いた。 確かにそうだ。 かつての彼女からは逃げ出したのに、この「カオスな変人集団」の中には、なぜか居座っている。


「……君たちが『期待』しないからだろうな」


レンは苦笑した。


「筋肉だの、金だの、重力だの……君たちは僕に『普通の彼氏』なんて求めてこない。ただ勝手に騒いで、勝手に満足している」


「……褒められてる気がしませんけど」 ジムニーがツッコむ。


「褒めてるよ。……君たちとの生活は、『労働』じゃない。……ただの**『災害』**だ」


「災害!?」


「災害なら、過ぎ去るのを待てばいい。対策もできる。……だから、気楽なんだ」


レンはグラスを置いた。


「……まあ、しばらくはここにいてやるよ。……退屈しないしな」


その言葉は、愛の告白ではない。 ただの「現状維持の宣言」だ。 だが、このひねくれた男にとっては、それが精一杯の「デレ」であることを、全員が理解していた。


「……フン。災害扱いとは失礼な」 「まあ、許してあげましょう」 「『いてやる』頂きましたー!」


ヒロインたちは顔を見合わせ、小さく乾杯した。 もう、争う必要はない。 「恋人」にはなれなくても、彼が許容する「災害(日常)」の一部にはなれたのだから。


こうして、長きにわたる「レン争奪戦」は、「全員がレンの『災害』として共存する」という形で、静かに幕を下ろしたのだった。

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