第8話『禁断の黒いファイル、あるいは悪魔が震える業務日誌』
「……見てろよ。僕はいつまでも中間管理職で甘んじる男じゃない」
深夜の執務室。 ジムニーが過労で死んだように眠っている隙に、キロはこっそりと棚を漁っていた。 狙いは、ジムニーが「絶対に開けてはならない」と言って封印していた、真っ黒なバインダー。
『キャシー・ログ ~アッシュトン領・完全統治マニュアル~』
「くくく……。あの『鉄の秘書』が遺した最強の攻略本だろ? これさえあれば、僕でもレンやあの女たちを支配できるはずだ!」
キロは悪魔的な笑みを浮かべ、ページを開いた。 そこには、悪魔の彼でさえ戦慄する「管理の極意」が記されていた。
◇
【対レン・アシュトン用プロトコル】
基本理念: 彼は人間ではない。「高出力の魔力生成炉」として扱うこと。
睡眠管理: 1分単位で管理せよ。二度寝は「再起動プロセス」として許容するが、三度寝は冷水を浴びせて強制終了させること。
食事: 咀嚼すら面倒がるため、流動食(高カロリー・コーラ味)を推奨。
「……うわぁ」 キロはドン引きした。 「生成炉」とか「強制終了」とか、扱いが家電製品だ。
【対ヒロイン用・制御コード】
ヴェルミリア(筋肉): 知能指数が著しく低下した際は、目の前に肉を吊るすことで誘導可能。
ルナリア(重力): 「レン様のブロマイド(隠し撮り)」を報酬に提示すれば、国一つ滅ぼす作業も喜んで行う。
アリア(狂信): 定期的に「レン様が貴女を見て微笑まれました(嘘)」と報告しないと、禁断症状で街を焼き払うため注意。
「……えげつない。完全に餌付けじゃん」
キロはページをめくる手が震えた。 ジムニーは彼女たちに「お願い」をして動かしているが、キャシーは「欲望を刺激して条件反射で動かす」方法を確立していたのだ。
「で、でも! これを使えば、僕がこの国の支配者になれる!」
キロは意を決して、翌朝から実践することにした。
◇
翌朝。
「おはよう、諸君! 今日の業務命令だ!」
キロはキャシーの真似をして、眼鏡(伊達)をクイッと上げ、ビシッと言い放った。 手には、ルナリアへの「ブロマイド」と、ヴェルミリアへの「極上肉」を持っている。
「ルナリア! 東の山を更地にしろ! 報酬はこれだ!」 「ヴェルミリア! 地下道を掘れ! 終わったら肉だ!」
効果はてきめんだった。
「きゃあああ! レン様の寝起き写真!? やります! やらせていただきますわ!!」 「肉ぅぅぅ!! その肉のために、地球の裏側まで掘ってやるぞ!!」
二人は猛烈な勢いで飛び出していった。 キロは高笑いした。
「はーっはっは! ちょろい! ちょろすぎる! これが『管理』か! ジムニーのやり方は甘かったんだ!」
しかし。 彼は気づいていなかった。 キャシーのマニュアルには、続き(リスク記述)があったことを。
◇
数時間後。
「……キロ様。報告します」
土埃まみれのルナリアが戻ってきた。 その目は血走り、ドレスはボロボロだ。
「山を3つ消滅させました。……さあ、報酬(写真)を。早く。早くください。……くれないと、この重力でお前を圧殺して奪います」
ゴゴゴゴゴゴ……。 殺気が違う。欲望のリミッターが外れた彼女は、ただのバーサーカーだった。
「に、肉……! 肉はどこだ……!!」 ヴェルミリアも戻ってきた。地下深く潜りすぎたせいで、地底のマグマを纏っている。 「肉がないなら……お前を焼いて食う!!」
「ひぃっ!?」
キロは悲鳴を上げた。 ジムニーの「お願い」には「信頼関係」があった。 だが、キャシーの「報酬釣り」には「欲望」しかない。 一度餌を与えれば、より強い刺激を求めて暴走する、麻薬のような管理術だったのだ。
「ま、待て! マニュアルには続きが……!」
キロは慌ててページをめくった。
【警告:暴走時】
ヒロインたちの欲望が制御不能になった場合、担当者は速やかに自爆せよ。 組織の損害を最小限に抑えるためである。
「死ねってか!?」
キロはバインダーを投げ捨てた。 あの女、自分の後任のことなんて1ミリも考えてない! 「使いこなせないなら死ね」という、スパルタ仕様のマニュアルだったのだ。
「よこせぇぇぇ!!」 「食わせろぉぉぉ!!」
二人の猛獣がキロに襲いかかる。
「た、助けてジムニー!! やっぱり僕には無理だぁぁぁ!!」
◇
「……はぁ。騒がしいですね」
昼寝から起きたジムニーが、執務室に入ってきた。 そこには、ルナリアとヴェルミリアに追い詰められ、部屋の隅で縮こまっているキロがいた。
「じ、ジムニー! こいつらが暴走して……!」
「……貴方が『劇薬』を使ったんでしょう?」
ジムニーはため息をつき、ポケットから「ただのお菓子」を取り出した。
「ルナリア様、ヴェルミリア様。……レン殿が『お茶にしよう』と仰っていますよ」
ピタッ。 二人の動きが止まった。
「……レン様とお茶?」 「レンと……一緒に?」
「はい。暴れると、お茶会は中止です」
「……ごめんなさい」 「すまん、落ち着いた」
二人は瞬時におとなしくなり、身なりを整え始めた。 欲望ではなく、「レンと過ごす平穏」を提示する。 それが、ジムニーだけが使える、最強の鎮静剤だった。
「……すげぇ」 キロは呆然とした。 「魔法も報酬も使わずに……ただの一言で?」
「これが『アッシュトン流』です。……キャシーさんの真似なんて、百年早いですよ」
ジムニーは黒いバインダーを拾い上げ、ポンとキロの頭を叩いた。
「……悪魔さん。貴方はまだ『人間臭さ』が残っている。だから、あの鉄の女の真似はできません。……素直に、僕の下で雑用をしていてください」
「……はい。一生ついていきます、ジムニー先輩」
こうして、キロはキャシーの恐ろしさを骨の髄まで理解し、ジムニーへの忠誠心(?)を深めることになった。 アッシュトン独立国において、最もヤバいのはレンでもヒロインでもなく、「それをシステム化したキャシー」と「それを手懐けるジムニー」なのかもしれない。




