第7話『胃薬の在庫切れ、あるいは王の逃亡未遂』
ある日の朝。 執務室に、ドサリという重い音が響いた。
「……あ、限界……」
ジムニーが白目を剥いて倒れた。 原因は明白。キロが加入し、キャシーのシステムが暴走し、ヒロインたちの要求が激化する中で、唯一の調整役である彼の胃壁がついに決壊したのだ。
「おい、人間! 死ぬな! 誰が書類を整理するんだ!」 キロが慌てて駆け寄るが、ジムニーはピクリとも動かない。 ただ、手には**「有給休暇申請書(血判)」**が握りしめられていた。
◇
「……ジムニー君がダウンか」
報せを聞いたレンは、寝室でポッドから出た。 彼の顔は、かつてないほど真剣だった。
「……まずいな」
「レン、心配なの?」 ミリスが尋ねるが、レンは首を振った。
「違う。……彼がいないと、誰が僕の代わりに『嫌な客』を追い返し、『面倒な署名』を代筆し、『ヒロインたちのローテーション』を管理するんだ?」
「えっと……私たちがやる?」
「君たちがやると、国が滅びるか、僕の寝室が戦場になる未来しか見えない」
レンは即断した。 ジムニーという「最強の防波堤」が崩れた今、このアッシュトン独立国は、レンにとってただの**「面倒ごとの吹き溜まり」**でしかない。
「……逃げよう」
レンは魔法で荷物をまとめた。 中身は、愛用の枕、アイマスク、そして大量のコーラ。
「ちょ、ちょっとレン!? どこ行くの!?」
「無人島。……ジムニー君が復帰するまで、僕は世捨て人になる」
レンが窓を開け、飛行魔法を発動しようとした瞬間。
「逃がさんぞレン!!」 「お待ちになってレン様!!」
ドガァァン!! ドアを破壊して、ヴェルミリアとルナリアが突入してきた。 ジムニーが倒れたと聞き、レンの逃亡を察知したのだ。
「私を置いていく気か!? 私の筋肉は、お前を守るためにあるんだぞ!」 「レン様不在の国など、クリープのないコーヒーですわ! 行くなら私も連れて行ってください!」
「……うるさい。来るな」
レンは冷たく言い放つと、窓から飛び出した。 だが、そこにはアリアが展開した『聖なる結界(物理遮断)』が張り巡らされていた。
「逃しません……。レン様は私たちの『神』。神殿から出ることは許されません」
「……チッ」 レンは舌打ちした。 完全に包囲されている。 ジムニーがいれば「まあまあ、レン殿は少しお疲れで……」と上手く宥めてくれただろうが、今の彼女たちはパニック状態で話が通じない。
「キロ! お前、なんとかしろ!」 レンが新入りに命令する。
「えっ、僕!? 無理だよ! あの女たち、僕より強いもん!」 キロが涙目で首を振る。彼にとっても、レンがいなくなれば「物理組」に虐められる未来しかない。
「……詰んだ」
レンは空中で静止した。 前には狂信的なヒロインたち。後ろには仕事の山。 唯一の逃げ道は機能不全。
「……仕方ない」
レンは地上に降り、倒れているジムニーの元へ歩み寄った。 そして、耳元で囁いた。
「……ジムニー君。起きたら、ボーナス弾むよ」
「!」 ジムニーの指がピクリと動いた。
「……休暇もやる。三日……いや、一週間」
「!!」 ジムニーのまぶたが痙攣する。
「……さらに、キャシーから君を守る『絶対防衛権』と、僕のコレクションから『限定版フィギュア』を譲ろう」
カッ!!!!
ジムニーが、ゾンビのように跳ね起きた。 その目は血走っているが、確かな「生気(社畜魂)」が宿っていた。
「……契約、成立です……レン殿……!!」
ジムニーはふらつく足で立ち上がると、暴走するヒロインたちの前に立ちはだかった。
「お静かに願います!! レン殿は逃げません!! ただ、私の看病のために薬草を取りに行こうとされただけです!!」
「えっ、そうなの?」 「レン……私のためにそこまで……(違う)」
ジムニーの(嘘八百の)説得により、ヒロインたちの殺気が霧散していく。 その手腕は、魔法よりも鮮やかだった。
「……ふぅ」 レンは安堵の息を吐き、荷物を置いた。
「やっぱり、君がいないとダメだね」
「……光栄ですが、胃が痛いです……」
キロはその光景を見て、メモ帳に書き込んだ。 『組織図・修正案』 『No.1:レン(神)』 『No.2:ジムニー(神の飼い主)』 『圏外:その他』
ジムニー・ワイズマン。 彼は弱いが、「魔王の手綱を握る男」として、この国で最も重要な地位を確立したのだった。




