第三十一話『鉄の秘書の辞世、あるいは最適化の果ての虚無』
キャシーがアッシュトン独立国にやってきてから、わずか一ヶ月。 領地はもはや、一つの巨大な「精密機械」と化していた。
「……整いました」
執務室。キャシーは、一切の無駄がない動きでバインダーを閉じ、レンに向かって一礼した。
「閣下。アッシュトン独立国の行政、財政、防衛、および住民の『幸福度管理』。これら全てを、私の開発した魔導計算システム『C-System』に完全移行しました。今後、閣下が寝言で『あー』と言えば予算が通り、『うー』と言えば軍が動きます」
「……え、じゃあ君は?」
レンがポッドから顔を出す。 キャシーは眼鏡の端を指で上げ、少しだけ寂しげな、しかし満足げな微笑を浮かべた。
「私は、『完璧』になったものには興味がありません。……私の本質は『混沌を整理すること』。整理が終わった後の『維持』は、このジムニーのような凡作にでもできる仕事です」
「ぼ、凡作……!」 横で点滴を打ちながら書類を捌いていたジムニーが、膝をつく。
「ジムニー。貴方に、この一ヶ月で叩き込んだ『鉄の事務教本』を残していくわ。……もしミスをして、この美しく最適化されたシステムを汚したら……」
キャシーがジムニーの喉元に、万年筆の先を突きつける。
「地の果てまで追い詰めて、貴方の戸籍を『ミジンコ』に書き換えるから。いいわね?」
「は、はいぃぃッ!! 精進しますッ!!」
キャシーは最後に、レンの方を振り返った。
「閣下。貴方の『怠惰』は、もはや芸術の域です。……ですが、管理されすぎた怠惰は、ただの『静止』。……たまには、その計算不能な『不運』で、この完璧なシステムを壊して見せてください。期待していますわ」
そう言い残すと、キャシーは窓から飛び降り――たのではなく、あらかじめ用意していた転移魔法陣で、音もなく消え去った。 おそらく、またどこか別の「混沌としたブラック組織」を更生させに行ったのだろう。
◇
静寂。
キャシーがいなくなった執務室には、彼女が構築した「カチカチ」と一定のリズムで魔力を刻む自動処理装置と、震えながら教本を抱えるジムニー、そして自由の身(?)になったレンが残された。
「……あ、行っちゃった」
レンはベッドから這い出した。 束縛が消えた解放感。だが、それと同時に。
「……ジムニー君。なんか、部屋が寒くないか?」
「……レン殿。それは物理的な気温ではなく、**『これから全部、僕がチェックしなきゃいけない』**という、絶望からくる精神的な寒さです……」
キャシーが残した「教本」は、広辞苑30冊分くらいの厚さがあった。 システムは自動化されたが、その「保守管理」という名の膨大な雑務が、全てジムニーの肩に(戻って)きたのだ。
「……まあ、いいじゃないか。とりあえず、キャシーが作ったスケジュール表は、シュレッダーにかけておこう」
「ああっ!? ダメですよレン殿! それを捨てたら、アリア様たちが『予定されていたレン様補充タイム』を失って暴動を起こします!!」
「……チッ。あの女、去り際まで余計な予約を残していきやがった」
レンは再びソファに身を沈めた。 キャシーのおかげで、国は「最強の要塞」になった。 だが、その中身は、以前よりもさらに「尖った変人たち」が、完璧な役割分担でレンを包囲する体制へとアップグレードされていた。
「レン様~! キャシーさんが作った『定例・添い寝当番表』、私の名前が一番上になってますわ♡」 ルナリアがドアを蹴り破って入ってくる。
「師匠! スケジュール通り、今は『肩たたき』の修行の時間でござる!」 ノブツナが刀を持って迫る。
「……ジムニー君。胃薬、まだある?」
「ありません! さっきキャシーさんが『健康管理の観点から没収』していきました!!」
アッシュトン独立国。 鉄の秘書が遺した「呪い(完璧な管理)」と、自由を取り戻した「猛獣」たちの間で、レンとジムニーの苦難の日々が、再び(以前より過酷に)幕を開けた。




