第三十話『鉄の秘書の最適化、あるいは寝室からのリモート統治』
「閣下、非効率です」
キャシーが、バインダーでレンの視界を遮った。 レンは今、バルコニーで「領民に手を振る」という、キャシーが設定した公務をこなしていた。
「……何が。僕は今、君の指示通りに働いているつもりだけど」
「『手を振る』という動作における腕の筋肉の疲労、および紫外線による皮膚ダメージ。これらを考慮すると、生身でここに出る必要性は12%以下です」
キャシーは眼鏡をクイッと上げ、執務室から持ってきた謎の機械を設置した。 それは、魔法銀で編まれた複雑なレンズを備えた、最新式の「立体投影機」だった。
「これからは、この『幻影』が閣下の代わりにバルコニーに立ちます。閣下は寝室で横になったまま、指先一つで幻影の表情を操作してください」
「……最高じゃないか」
レンの目が輝いた。 ついに「立っている」という労働すらも、アウトソーシングされる時代が来た。
「さらに、閣下の『無意識な呟き』をマイクで拾い、それを私の『超速翻訳』で公文書に変換するシステムも構築しました。……さあ、閣下。寝室へ。そこが貴方の最前線です」
「キャシー……君は天才か?」
レンは、ジムニーが見る影もないほど「デキる女」であるキャシーに全幅の信頼を寄せ、意気揚々と寝室の特製ポッド(魔力供給型ベッド)に潜り込んだ。
◇
数日後。 アッシュトン独立国の統治システムは、恐ろしい進化を遂げていた。
バルコニー:レンの3D幻影が、常に優雅な微笑みを浮かべて立っている(時々、瞬きを忘れる)。
執務室:キャシーが、レンの「寝言」を「深遠な神託」として解釈し、秒速で国政を動かす。
ジムニー:その「神託」と「現実」の整合性を取るために、死ぬ気で走り回る。
「……おかしい」
ジムニーは、街の広場に新設された『レン様・癒やしの噴水(ただの排水)』を見上げながら呟いた。
「キャシーさんが来てから、事務処理は完璧になった。……でも、レン殿が『一度も寝室から出てこない』せいで、街全体が**『実体のない幽霊都市』**みたいになってきてないか?」
そこに、ルナリアたちがやってきた。彼女たちは今、キャシーによって「効率的な役割」を割り振られている。
「ジムニー、何ボサッとしてるの? 私たちは今から『レン様の寝息をBGMにした瞑想会』のチケット販売に行かなきゃいけないんだから!」 「筋肉……! キャシーに『レンのために効率よく鍛えろ』と言われて、24時間プロテイン点滴を打たれているぞ……!」
ヒロインたちすら、キャシーの「管理」という名の呪縛に組み込まれていた。 彼女たちはレンに会えない寂しさを、「キャシーから与えられたレン関連のノルマ」をこなすことで紛らわされているのだ。
◇
寝室。 レンは、かつてない静寂と安寧の中にいた。 食事は魔法のコンベアで運ばれ、トイレすらも空間転移で済まされる(キャシー案)。 誰とも喋らず、何も見ず、ただ柔らかい布団の感触だけがある。
「……完璧だ。これが僕の求めていた完成形だ」
しかし。 レンはふと、あることに気づいた。
「……あれ? 逆に『飽きた』?」
あまりにも完璧に管理され、一切の刺激が遮断された結果。 レンの脳は、新しい「暇つぶし」を求め始めていた。 シゾイドにとって「干渉されないこと」は至高だが、キャシーの管理は「干渉されない状況を、外からガッチリ固定されている」感覚に近い。
「……ちょっと、外の空気が吸いたいかも」
レンがポッドから這い出そうとした、その時。
カチャリ。
枕元のスピーカーから、キャシーの声が響いた。
「閣下。起床予定時刻まで、あと3時間14秒あります。そのまま安静に。……今、外に出ると、ルナリア様たちが『野生の獣』のような勢いで貴方に襲いかかる計算結果が出ています。私の管理下にある今が、最も安全です」
「……」
「さあ、寝るのです。……これが、貴方の望んだ『最高の怠惰』でしょう?」
レンは、ふかふかの布団を見つめた。 それは、かつては「天国」への入り口だった。 だが今は、キャシーという名の最強の番人が見張る、「世界一快適な監獄」に見えた。
「(……納得はしている。論理的に正しいのもわかる。……でも、ちょっとだけ、ジムニーに『起きてくださいよ!』って泣きつかれてた頃が懐かしい気がする……)」
レンの小さな抵抗心は、キャシーが流し始めた「安眠を誘う特殊な魔力波形」によって、静かに闇に葬られた。
「……ジムニー君。助けて……(小声)」
「何か仰いましたか? 閣下」
「……何でもない。寝るよ……」
アッシュトン独立国。 そこは、一人の天才秘書によって、領主すらも「システムの一部」として最適化された、究極の「あたおか」国家へと完成しつつあった。




