第二十六話『混浴という名の戦場、あるいは湯けむり迷宮(ラビリンス)』
「……風呂に入ろう」
レンがそう呟いたのは、夕食後のことだった。 塔の裏にできた『神の湯』。 せっかく自宅の敷地内にできたのだから、一番風呂をいただくのは領主の特権だ。
「お待ちください、レン殿!」
ジムニーが、胃薬のボトルを片手に立ちはだかった。
「今、外の露天風呂は『戦場』です! アリア様たちが『誰がレン様の背中を流すか』で、昼からずっと睨み合っています! 今行けば、間違いなく連れ込まれますよ!?」
「……連れ込まれる?」 レンは眉をひそめた。 「風呂は体を洗う場所だ。なぜ他人と入る必要がある? 非効率的だし、お湯が汚れる」
「そういう問題じゃありません! 彼女たちは『混浴』という既成事実を狙っているんです!」
ジムニーの必死の説得。 だが、レンはタオルを肩にかけた。
「問題ない。……対策はしてある」
レンは裏口から外へ出た。 そこには、湯気の中に仁王立ちする五人の影があった。
「待ちわびたぞレン! 私の筋肉はいつでも洗えるぞ!」 「レン様……♡ 今夜は私が、全身を浄化して差し上げますわ」 「師匠! 拙者が『垢すり』の極意、お見せするでござる!」 「一緒に入れば怖くないもんね! 洗いっこしましょ!」 「お背中……流しますわ(重力魔法チャージ中)」
完全包囲だ。 ジムニーが「終わった」と顔を覆う。
しかし、レンは動じない。 彼は浴槽のふちに立つと、パチンと指を鳴らした。
「……『濃霧結界』」
ボシュゥゥゥゥッ!!
一瞬にして、温泉地帯全体が、視界ゼロの真っ白な濃霧に包まれた。 ただの霧ではない。魔力による「方向感覚の喪失」と「幻影」を付与した、高ランクの迷宮魔法だ。
「なっ、何も見えない!?」 「レン様、どこですか!? 声はすれども姿は見えず……!」 「ええい、邪魔だアリア! どけ!」
霧の中で、ヒロインたちがパニックに陥る。
「……ふん。この霧の中では、五感はおろか魔力探知すら狂う。お互いを僕だと勘違いして、勝手に争っているがいい」
レンは冷酷に言い放つと、パニックになる彼女たちを尻目に、悠々と一番奥にある「源泉掛け流しポイント(特等席)」へと足を進めた。
「ああ、極楽だ」
レンは湯に浸かり、大きく息を吐いた。 周囲からは、 「捕まえたわレン様! ……って、これノブツナさんの刀!?」 「私の筋肉を触るな! 斬るぞ!」 「きゃあ! 誰かのお尻触っちゃった!」 という阿鼻叫喚が聞こえてくるが、BGMとしては悪くない。
「……ジムニー君も入ればいいのに」
レンは独りごちる。 ジムニーは今頃、霧の外で「入浴中の事故(同士討ち)」を防ぐために、必死でメガホンを持って叫んでいるはずだ。
◇
しかし。 レンの計算には、一つだけ誤算があった。 このパーティには、「気配」ではなく「金目の匂い」で動く盗賊がいることを。
「……みーつけた♡」
チャプン。 レンの背後で、お湯が跳ねた。
「……!」 レンが振り返ると、そこにはタオルを巻いたミリスが、小悪魔的な笑みを浮かべて浸かっていた。
「ど、どうしてここが……」 「レンが身につけてる『指輪』の魔力波長……高価な宝石の場所なら、目隠しされててもわかるのよ」
ミリスがジリジリと距離を詰めてくる。 霧の結界は完璧だったが、彼女の「強欲センサー」までは誤魔化せなかったらしい。
「ねえレン。他の子たちは迷子よ。……今なら、私と『二人きり』だね?」
ミリスがレンの腕に抱きつく。 柔らかい感触。石鹸の香り。 普通の男なら理性が消し飛ぶシチュエーションだ。
だが、レン・アシュトンは違った。
『緊急タスク:貞操の防衛』 『手段:物理的な遮断』
「……『氷結牢』」
カチンッ!
「ひゃっ!?」
レンが触れられた腕ごと、周囲のお湯を一瞬で凍らせた。 ミリスは首から下を、分厚い氷の中に閉じ込められた。
「つ、冷たぁぁぁい!! レン!? 殺す気!?」
「のぼせないように冷やしてあげたんだ。感謝してくれ」
レンはタオルを腰に巻き、さっさと湯から上がった。 氷漬けのミリス(顔だけ出ている)を放置して。
「……やっぱり、風呂は内風呂に限るな」
レンは着替えを済ませると、カオスな霧の迷宮と、氷のオブジェ(ミリス)を残して、さっさと塔へ戻っていった。
◇
翌朝。 風邪を引いたヒロイン五人が、食堂でズビズビと鼻をすすっていた。
「……レン殿」 ジムニーが青い顔で抗議する。 「ジムニー君、風邪薬の在庫確認を頼む」 「……誰のせいだと……」
アッシュトン領の温泉は、「混浴可能だが、命の保証はない」というエクストリームな仕様で、後に伝説となるのだった。




