第十五話『剣聖志願者の来訪、あるいは孫の手による無刀取り』
平和な昼下がり。 僕は塔の庭で、縁側(わざわざ作らせた)に座り、日向ぼっこをしていた。 手には、領内の木工職人が献上してきた「究極の孫の手」。 背中の痒いところを掻く。ただそれだけの動作に、僕は全神経を集中させていた。
「……ここだ。このピンポイントな刺激」
至福だ。 アリアは布教活動、ミリスは商会の監査、ヴェルミリアは国境警備で出払っている。 久々の、完全なソロ時間。
だが、その静寂は、空気を切り裂く鋭い呼気と共に破られた。
「――たのもーーーーーッ!!」
ドガァァァン!! 塔の正門(ゴーレム付き)が、一撃で吹き飛んだ。
「……は?」
孫の手が止まる。 土煙の中から現れたのは、長い黒髪をポニーテールに結い、和風の着流しに二本の刀を差した、凛とした女性だった。 年齢は20歳前後か。その瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭い。
彼女は一直線に庭へ踏み込むと、縁側で寝そべる僕をビシッと指差した。
「噂は聞いているでござる! この『アッシュトン』には、あの戦闘狂・ヴェルミリア姫すら手も足も出ずに屈服させた、稀代の武人がいると!」
彼女は鯉口を切る。殺気が肌を刺す。
「拙者、流浪の剣士、ノブツナと申す! 剣の道に行き詰まり、強者との死合いを求めてここまで来たでござる! いざ、尋常に――勝負!!」
問答無用。 彼女は抜刀した。 神速の居合い。目にも止まらぬ速さで、銀色の刃が僕の首へと迫る。
「(……蚊かな?)」
僕は思考するより先に、反射的に動いた。 いや、動いたのは僕ではない。 『自動防御障壁』の設定だ。 物理攻撃に対し、最小限の魔力で軌道を逸らす、いつものやつ。
キィィン……ッ!
ノブツナの刃は、僕の首の皮一枚手前で、見えない力に弾かれ、軌道を直角に曲げられた。 その切っ先は、僕が持っていた「孫の手」の先端を、わずかに削り落としただけだった。
「……なっ!?」
ノブツナが驚愕に目を見開く。
「(あーあ、孫の手の先っちょが欠けた。お気に入りだったのに)」
僕は面倒くさそうに、削れた孫の手をぷらぷらと振った。 そして、彼女に向かって「シッシッ」と手を振る。
「邪魔だ。どいてくれ。今、背中の痒みと対話していたんだ」
僕にとっては「散れ、虫ケラ」という意味だ。 だが、ノブツナの動きが凍りついた。
彼女は震える手で刀を納めると、その場に崩れ落ちるように正座した。 額からは大量の冷や汗が流れている。
「……み、見えなかったでござる……」
「え?」
「拙者の『神速』の刃を……貴殿は、その『木の棒(孫の手)』一本で受け流したどころか、あえて『先端だけを斬らせる』ことで、拙者の未熟さを教えたというのでござるか……!?」
……はい? いや、勝手に逸れただけだけど。
「しかも、あの脱力……。殺気はおろか、生気すら感じさせない『虚無』の構え。まるで枯れ木、いや、自然そのもの……! これぞ、拙者が追い求めていた『無我』の境地!」
ノブツナは地面に頭を擦り付けた。
「参った……完敗でござる。拙者の剣など、貴殿にとっては背中の痒みほどにもならぬ、ということでござるな……!」
(いや、背中は本当に痒いんだけど)
「感服いたした! どうか、この未熟者ノブツナを弟子にしてくだされ! その『脱力』の極意、学ぶまでは一歩も動かぬ所存!」
『新規タスク:居座り剣豪の排除』 『難易度:S(武士に二言はないため、説得不可能)』
僕は天を仰いだ。 なんでこう、僕の周りには「話の通じない武闘派女子」ばかり集まるんだ。
「……弟子とか取らないから。帰って」
「師匠! 背中が痒いのであれば、拙者が刀の峰で掻かせていただくでござる! 拙者の『燕返し』ならば、絶妙な力加減が可能!」
「やめろ。死ぬ」
こうして、僕の静寂な午後は終わりを告げた。 塔の庭には、一日中、僕の背後霊のように付き纏い、「今の足運び、勉強になります!」「そのあくび、深い呼吸法でござるな!」と実況解説する、暑苦しい侍女が住み着くことになったのだった。




