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『道化師の仮面は、硝子(ガラス)でできている』  作者: 沼口ちるの


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第一話『喧騒の中の静寂、あるいは完璧な仮面舞踏会』

「――乾杯!!!」


木製のジョッキがぶつかり合う鈍い音が、酒場中に響き渡る。 エールが泡を撒き散らし、男たちの野太い笑い声と、給仕の女性たちの嬌声が混ざり合って熱気の渦を作っていた。


王都でも五指に入ると言われる高難度ダンジョン、『嘆きの古城』の最深部踏破。 その偉業を成し遂げた英雄たちへの祝福の宴は、今宵、最高潮を迎えていた。


「いやあ、まさかあのデュラハン・ロードを無傷で倒しちまうとはなぁ! 俺たちのリーダーは化け物かよ!」


熊のような巨躯の戦士、ガインが僕の背中をバシバシと叩く。痛覚遮断の魔法を薄くかけておいて正解だった。そうでなければ、今頃僕の背骨は悲鳴を上げていただろう。


僕はジョッキを片手に、計算された角度で口角を上げ、「困ったな」という風情を演出する。


「よしてくれ、ガイン。君が前線で攻撃を引き受けてくれたおかげだ。僕の魔法なんて、ただの後方支援だよ」


「謙遜すんなって! お前のあのタイミングの『重力枷グラビティ・ジェイル』がなきゃ、俺は首を刎ねられてたぜ!」


ガインが豪快に笑う。周囲の冒険者たちも、同意するように僕に称賛の視線を向ける。


――視線。評価。期待。 それらは僕にとって、処理すべきパラメータの羅列でしかない。


僕はレン。この世界に転生して3年。 前世の記憶にある「効率的な人間関係構築マニュアル」を駆使し、僕は「有能で、温厚で、決して偉ぶらない理想のリーダー」という外殻シェルを完璧に構築していた。 この仮面さえ被っていれば、他者は僕の内側に踏み込んでこない。安全な距離が保てる。


「……レンさん」


不意に、袖口を引かれた。 振り返ると、パーティの聖女、アリアが潤んだ瞳で僕を見上げている。頬は酒精のせいだけではなく、朱に染まっていた。


「少し、外の風にあたりませんか? ここ、熱気がすごくて……」


ああ、来たか。と、僕の脳内の冷静な部分が呟く。 ここ数日、彼女の視線の滞留時間、声のトーン、身体的距離の詰め方。全ての兆候が、彼女が僕に特定の感情――恋愛感情と呼ばれるバグ――を抱いていることを示していた。


「大丈夫? 顔が赤いね。無理させてごめん」


僕はすぐに表情を「心配」のパラメータに切り替え、彼女の額に自然に手を当てる。 熱はあるが、病的なものではない。これは「照れ」による体温上昇だ。


「ひゃっ……!?」


「熱はなさそうだ。でも、確かにここは空気が悪い。少しテラスに出ようか」


僕は彼女の手を取り、喧騒からエスコートする。 背後で冷やかしの声が上がったが、爽やかな笑顔で一蹴した。


酒場の裏手にあるテラスは、夜風が心地よかった。月明かりが、アリアの銀髪を美しく照らしている。 客観的に見て、彼女は美しい。もし僕が普通の感性を持っていたら、心臓が高鳴っていたかもしれない。


「あの、レンさん……私、今回の探索で、すごく助けられて……」 「僕の方こそ。アリアの回復魔法ヒールがなければ、全滅していたかもしれない」 「ち、違います! そういうことじゃなくて……その、私……」


彼女はもじもじと指を絡ませ、意を決したように僕を見つめた。


「私、レンさんのことが……」


――アラート。対人関係における重大な分岐点。


告白される。その事実は、僕にとって面倒なクエストが発生したことを意味する。 受け入れれば、彼女は「恋人」という、より親密な――つまり、僕の聖域に土足で踏み込んでくる――関係性を要求してくるだろう。 断れば、パーティの空気が悪くなり、最悪の場合、彼女の離脱によって戦力が低下する。


どちらも非効率的だ。ならば、選ぶべきは第三の選択肢。


「……アリア。君は、本当に優しいね」


僕は彼女の言葉を遮らないギリギリのタイミングで、慈愛に満ちた(ように見える)声を出す。


「え?」


「君が僕を気遣ってくれているのは痛いほど分かる。リーダーとしての重圧を、少しでも和らげようとしてくれているんだろう?」


「あ、いえ、そういうわけでは……」


「ありがとう。君のような仲間を持てて、僕は幸せ者だ。――さあ、体が冷えないうちに戻ろう。皆が待っている」


僕は完璧な「信頼のおける仲間」の笑顔で、彼女の恋心を「仲間への気遣い」へとすり替えた。 彼女は呆気にとられたような顔をしていたが、それ以上踏み込んでくることはできなかった。僕がそれを許さない空気を、笑顔の裏で完璧に作り出していたからだ。


「……はい。戻りましょう、リーダー」


少し残念そうな、でも納得したような声。 よし、今回の処理も成功だ。パーティの結束は保たれ、僕の個人的な領域は守られた。


酒場に戻る途中、すれ違いざまに猫人族の可愛らしい給仕が、僕の手に小さな紙切れを握らせてきた。ウィンクと共に。 おそらく宿の部屋番号か何かが書かれているのだろう。


僕はニッコリと微笑み返し、彼女が見えなくなった瞬間に、その紙切れを指先から出した微弱な火魔法で灰にした。


――疲れる。


表情筋を動かし続けること、最適な言葉を選び続けること。 まるで高性能な演算装置をフル稼働させているような疲労感が、脳の奥に澱のように溜まっていく。


早く一人になりたい。 誰の視線もない、誰の感情も流れ込んでこない、無音の箱庭に帰りたい。


だが、宴はまだ終わらない。 僕は深く息を吐き出し、再び完璧な仮面を被り直して、光の渦の中へと戻っていった。

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