第6話 真実はそこに
処刑広場に満ちていたのは、硝煙の匂いではなく、魂を凍てつかせる死の芳香であった。
「……嘘だ。あんな女、まさか。これは幻覚だ、魔族が見せる悪夢に違いない!」
カイル王子の絶叫が、静まり返った広場に虚しく響く。
彼の顔は恐怖に歪み、かつての尊大な美貌は見る影もない。
対して、処刑台の瓦礫の上に立つヴィオラは、月光を纏った女神のごとき、峻烈な美しさを放っていた。
「幻覚かどうか、その身で確かめてみてはいかがかしら。カイル様」
ヴィオラが扇を広げるように優雅に右手を振る。すると、彼女の影から無数の漆黒の糸が伸びた。
蛇のように地を這うと、カイルとリンの足元に絡みついた。
「ひっ……離して! 汚らわしい、離しなさい!」
リンが金切り声を上げるが、その声はたちまち掠れ、途絶えた。
ヴィオラの操る「死霊の糸」は、リンの体内に深く根を張り、彼女が半年間簒奪し続けてきた魔力を、強引に引き剥がし始めたのだ。
「ああ、懐かしい……。私の、魂の欠片たち」
ヴィオラの指先に、眩いばかりの純白の光が戻っていく。
彼女がかつて持っていた、慈愛と癒やしの魔力。
今はエドワードの闇と混ざり合い、美しくも禍々しい「死せる白銀」へと変貌していた。
対照的に、魔力の供給源を断たれたリンの姿は、見るに堪えぬ変貌を遂げた。
瑞々しかった肌は茶色く変色し、艶やかな髪は白く濁り、老婆のような深い皺が刻まれる。
彼女が保っていた「若さ」と「美貌」は、すべて盗んだ魔力による虚飾に過ぎなかったのだ。
「私の……私の顔が! 嫌、見ないで! カイルさま、助けて……っ!」
「寄るな! 化け物め!」
カイルは、縋り付こうとするリンを悪しざまに蹴り飛ばした。
かつて「愛している」と囁いた口で、今は汚物を見るような暴言を吐く。
醜悪なまでの自己保身に、民衆の間から冷笑と罵声が沸き起こった。
「カイル・ド・サリュート。あなたは私に、罪人の刻印を与えましたわね」
ヴィオラが静かに歩み寄る。
その背後では、エドワードが死神の鎌を傍らに立て、極上の演劇を鑑賞する貴族のような優雅さで、彼女の復讐を見守っている。
「次は、貴方の番です」
「やめろ……来るな! 私はこの国の王太子だぞ! 跪け、この毒婦め!」
カイルは錯乱し、渾身の力を込めて火属性の魔法を放った。
かつてヴィオラの頬を焼いた、あの忌まわしき紅蓮の炎。
ヴィオラは避けることすらしなかった。
彼女が指を鳴らすと、炎は彼女の目の前で凍りつき、美しい深紅の氷晶となって地面に砕け散った。
「魔法はこう使うものですわ」
ヴィオラの手のひらから放たれたのは、熱を持たぬ「黒い炎」。
それはカイルの全身を包み込み、服を焼かず、肉だけを、そして彼の傲慢な魂だけをじりじりと焼き焦がしていく。
「ぎあああああああああ――っ!」
広場に響き渡る王子の絶叫。ヴィオラが半年前に味わった苦悶の、百倍も千倍も苛烈な痛み。
やがて炎が収まった時、そこに立っていたのは、右頬にヴィオラと同じ——いや、それよりも遥かに醜く、決して消えることのない「愚者の呪印」を刻まれた、廃人のような男であった。
「……これでお相子ですわね」
ヴィオラは冷徹な瞳で、地面に這いつくばる二人を見下ろした。
死を与えることだけが復讐ではない。
かつて自分が味わった絶望の中で、未来永劫、人々に蔑まれながら生き続けること。
それこそが、彼女が用意した「最高の結末」であった。
「満足かな、私の魔女」
エドワードが背後から彼女の腰を抱き寄せ、その耳朶に熱い息を吹きかける。
「ええ……とても。胸の支えが取れて、これほど世界が美しく見えるなんて」
ヴィオラはエドワードの胸に身を預け、崩壊していく処刑台と、跪く民衆を眺めた。
彼女の心には、もはや一片の慈悲も、一滴の未練も残っていない。
「さあ、行きましょう。人間の住むこの場所は、今の私には少々……光が眩しすぎますわ」
ヴィオラとエドワードの姿は、舞い散る黒い薔薇の花びらと共に、闇の中へと溶けていく。
後に残されたのは、廃墟と化した広場と、永遠に消えない罪の記憶だけであった。




