第5話 黒の令嬢、審判の鐘を鳴らす
審判の日。
王都中央広場は、熱狂的な恐怖と血の匂いに塗り潰されていた。
天を覆う鉛色の雲は厚く垂れこめ、陽光を完全に遮断している。
広場の中央に築かれた巨大な処刑台の周囲には、逃げ場を失った民衆が群れ、その瞳には絶望と、自分たちより不幸な存在を求める残虐な期待が入り混じっていた。
「見よ! これこそが、王都を呪い、疫病を招き寄せた魔女の眷属たちだ!」
第一王子カイルの、ひび割れた声が響き渡る。
彼の指し示す先には、かつてヴィオラを慕っていた孤児院の少年と、年老いた元侍女が、鎖に繋がれ膝をついていた。
その傍らには、聖女の法衣を纏ったリンが立っている。だが、その姿はもはや「白百合」の美しさからは程遠かった。頬はこけ、肌は不健康に青白く、震える指先はまるで枯れ枝のよう。
ヴィオラから奪った魔力が、彼女の肉体を内側から腐敗させ、醜悪なものへと変えつつあった。
「リン、始めろ。お前の光で、この汚物どもを焼き、霧を払うのだ!」
カイルの命令は、もはや正気を失った獣の咆哮に近かった。
リンは虚ろな瞳で空を見上げ、震える手を掲げる。
「……ああ、神よ。……光を……」
リンが必死に絞り出した魔力は、聖なる光とはならなかった。
それは澱んだ紫色の火花となって散り、処刑台に撒かれた油に引火する。
黒煙が舞い上がり、罪なき人々を包もうとしたその時——。
突如として、王都のすべての鐘が、一斉に鳴り響いた。
「——何事だ」
カイルが目を見開く。
鐘の音は、祝祭を告げるものでも、警笛でもなかった。
深淵の底から響いてくるような、重厚で冷徹な、葬送の音色。
同時に、広場を埋め尽くしていた「黒い霧」が、まるで意志を持つ生き物のように一箇所へと集束し始めた。
空が、裂ける。
処刑台の真上、闇そのものが凝縮されたような巨大な渦が生まれ、音もなく「それ」は降臨した。
黒。ただひたすらに、純粋なまでの黒。
漆黒のドレスの裾を夜風にたなびかせ、優雅に宙を歩む女性。
その傍らには、銀髪を月の光のように輝かせた、この世のものとは思えぬ美貌の男が寄り添っている。
「……ヴィ……オラ……?」
カイルの喉が、引き攣った音を立てた。
自分たちの手で踏みにじり、追放したはずの女。
ヴィオラはゆっくりと、ハーフマスクに隠された顔を上げ、広場を見渡した。
彼女の右頬に刻まれた焼印は、今や禍々しい文様となって、紫黒色の光を放っている。
その隣で微笑むエドワード——「死神公爵」の存在感は、見る者の魂を凍りつかせるほどに圧倒的であった。
「お久しぶりですわ、カイル様。……そして、私の魔力を盗み食いして醜く太った、泥棒猫さん」
ヴィオラの声音は、涼やかな鈴の音のようで、しかし氷の刃となってカイルとリンの胸を刺し貫いた。
彼女が指先をわずかに動かすと、処刑台を包んでいた炎が瞬時に凍りつき、砕け散った。
「な、何を……貴様、何の真似だ。 衛兵、 この反逆者を捕らえろ!」
カイルの叫びに応じる者は、誰一人としていなかった。
それどころか、広場を埋め尽くしていた民衆は、ヴィオラから放たれる凄絶なまでの美しさと死の気配に圧倒され、抗うことも忘れ、潮が引くようにひれ伏していく。
「捕らえる? どなたを、かしら」
ヴィオラは地上へ降り立つと、エドワードの手をとり、カイルの前へと歩み寄った。
一歩、足を踏み出すごとに、彼女の足元の石畳からは黒の薔薇が生えて咲き誇り、瞬時に灰へと変わる。
「カイル様、あなたは私に仰いましたわね。醜い心を刻んでやる、と。……その言葉、そのままあなたにお返しいたします」
ヴィオラの瞳に宿ったのは、燃え盛るような激情ではなく、絶対的な零度の殺意。
エドワードはヴィオラの肩を抱き寄せながら、カイルを見据えた。その薄い唇を冷酷に歪めた。
「さあ、審判の時間だ。愚かな王子。君が求めた『光』の正体を、その目に焼き付けるがいい」
ヴィオラの手のひらに、凝縮された闇の塊が生まれる。
それは失われたはずの彼女の魔力が、死神の力と混ざり合い、究極の「破壊」へと昇華されたもの。
王都を揺るがす地獄が、今、幕を開けようとしていた。




