第3話 腐りゆく王都の裏側で
王都——。
そこは、虚飾という名の黄金で塗り固められた、巨大な墓標。
半年後の王都は、一見すれば変わらぬ繁栄を謳歌しているように見えた。
夜毎繰り広げられる夜会、貴婦人たちの扇子が刻む軽やかなリズム、そして、新しき「聖女」として崇められるリン・ド・マノンと第一王子カイルの、蜜月を祝う鐘の音。
しかし、その黄金の果実の皮を一枚剥けば、中にはどろりと腐敗した「死」が詰まっていた。
「……見て。あんなにも美しく、穢れているわ」
王都の最北、霧に包まれた秘密のサロン。
豪華なビロウド張りの椅子に深く腰掛け、ヴィオラは窓の外に広がる夜景を眺めていた。
彼女の装いは、半年前の清廉な公爵令嬢のそれとは、あまりにもかけ離れている。
身に纏うのは、夜の闇を織り上げたかのような漆黒のシルク。
胸元を飾るのは、血の涙を凍らせたような巨大なルビー。
そして、右頬の焼印を隠すように、繊細な黒レースのハーフマスクが彼女の顔を半分覆っていた。
「君の視線が、王都を焼き殺さんばかりに熱い。……嫉妬してしまいそうだよ、ヴィオラ」
背後から忍び寄った低い声音。エドワードが、彼女の細い肩に両手を置いた。
彼の指先が、首筋の柔らかな肌を愛撫するように這う。それは熱情というよりは、獲物を検分する捕食者のような、背徳的な手つきであった。
「嫉妬? 貴方が? ……可笑しいわ、エドワード。貴方が私に与えたのは、愛ではなく復讐のための力でしょう?」
「同じことさ。執着の別名を愛と呼ぶのだから」
エドワードはヴィオラの耳朶を軽く噛み、悦楽に震える彼女の呼吸を確かめるように微笑んだ。
二人の周囲には、無数の「死霊」が陽炎のように揺らめいている。
それは王都の裏側で密かに蔓延し始めた「黒い霧」の正体。
ヴィオラが夜ごと、エドワードとの交情を通じて生み出し、街へと解き放っている呪いの種子であった。
一方、王宮のバルコニーでは、リンが焦燥に駆られていた。
「どうして……どうして魔法が、上手くいかないの……っ!」
彼女の手のひらから溢れるはずの、清冽な癒やしの光。
それが今や、澱んだ泥水のように濁り、見る影もなく衰えていた。
リンが「聖女」として称えられている力は、元を正せば断罪の夜にヴィオラから奪い取った魔力に過ぎない。
本来の持ち主が憎悪の炎を燃やし、闇の力に目覚めた今、奪われた光はその根源を求めてヴィオラの元へ帰りたがっているのだ。
「リン、どうしたんだい? 顔色が悪いようだが」
背後から声をかけたカイル王子の瞳には、かつてのような盲目的な心酔はなかった。
リンの魔法が弱まるにつれ、王都には原因不明の疫病——肌が黒く変色し、意識が混濁する奇病——が広まりつつある。
民衆の間では、かつて追放したヴィオラ公爵令嬢こそが真の聖女であり、彼女を傷つけた王家への天罰ではないかという不穏な噂が、毒草のように蔓延り始めていた。
「いいえ、なんでもありませんわ、カイル様。……少し、疲れているだけです」
リンは必死に微笑むが、瞳の奥には底知れぬ恐怖が張り付いている。
自分たちの足元が、音もなく崩れ始めていることに、彼らはまだ気づいていない。
「……もうすぐね、エドワード」
ヴィオラは、手元のクリスタルグラスに注がれた深紅のワインを揺らした。その水面には、苦悶に満ちたカイルとリンの幻影が映っている。
「彼らが築き上げた砂の城が、私の憎しみの重みで潰れる瞬間。その時、この街は本当の地獄になる」
「その時は、君のその美しい瞳に、最高の絶望を映してあげよう。……さあ、続きを始めようか。復讐の宴は、まだ宵の口だ」
エドワードの氷のような唇が、ヴィオラの首筋に深く刻まれる。 ああ、とヴィオラは甘く呻いた。
闇のサロンに、狂気と愛執が入り混じった溜息が溶けていった。
王都の繁栄が崩れ去るまで、あと少しーー。




