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奈落の底で死を願った悪役令嬢は死神公爵の手をとりて王都を焼く  作者: kiyoaki


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2/5

第2話 監獄の死神と、狂った契約

 最果ての地にそびえ立つ「嘆きの塔」は、世界から見捨てられた亡者たちが最後に辿り着く、石造りの棺桶であった。

 打ち寄せる荒波は岩礁を砕き、潮風は塩の刃となって、囚人たちの肌を容赦なく削り取る。ヴィオラが投げ込まれた独房は、湿った苔と腐敗した藁の臭気に満ちていた。

 かつて公爵邸の天蓋付きベッドで、最上のソワに包まれていた令嬢の姿は、そこにはない。


 右頬に刻まれた「罪人の烙印」は、今もなお、毒を孕んだ熱を持って彼女の肉を苛んでいる。

 だが、肉体の苦痛以上に、ヴィオラを蝕んでいたのは、底知れぬ虚無であった。

「……誰も、来ないわね。当然かしら」


 涸れ果てた声が、冷たい壁に虚しく吸い込まれる。

 父の公爵は保身のために彼女を即座に勘当し、兄たちは汚物を見るような眼差しで背を向けた。

 愛を誓ったはずのカイル王子は、今頃、あの聖女と偽る女と、薔薇色の夢に浸っていることだろう。

 ヴィオラは、窓のない闇の中で、自らの細い指を見つめた。

 魔力を奪われ、誇りを踏みにじられ、もはや死を待つだけの「抜け殻」。 その時である。


 独房の隅で、影がうごめいた。

 それは、闇よりもなお深い、絶対的な「無」の揺らぎ。

 凍てつくような死の気配が、音もなく部屋を満たしていく。ヴィオラの首筋に、冷ややかな指先が触れたような錯覚が走り、彼女は思わず息を呑んだ。

「……誰?」

「死を希う乙女の呼び声に応えた、ただの亡霊さ」


 闇を切り裂いて現れたのは、一人の男だった。 透き通るような白磁の肌に、月の雫を溶かし込んだような銀髪。

 そして、その瞳は——。左右で色が異なる、不吉なるオドアイ。

 右目は深淵を映す漆黒、左目は凍てついた冬の空を思わせる氷蒼ひそう


 その姿を見た瞬間、ヴィオラの脳裏に一つの名が浮かんだ。

 数年前、王位継承争いの果てに処刑されたはずの、伝説の美貌の将——。

「死神公爵」エドワード・ド・ラ・ヴァリエール。


「貴方は……処刑されたはずの……」

「死神が死に絶えることなど、あり得ないのだよ、愛しいヴィオラ」

 エドワードは優雅な所作で膝をつき、ヴィオラの前に跪いた。

 その指先が、彼女の焼かれた頬を愛おしげになぞる。狂おしいほどの冷気が、傷の熱を奪っていく。


「醜く焼かれたものだ。だが、この傷跡こそが、君を完成させた。今の君は、どの宝石よりも美しく、どの毒薬よりもかぐわしい」

「私を……嘲笑いに来たの?」

「まさか。君の瞳に宿る、その烈火のような憎悪に、私は恋をしたのだ」


 エドワードの薄い唇が、妖艶な弧を描く。

 彼はヴィオラの顎を掬い上げ、至近距離でその異形の瞳を覗き込んだ。

「契約しよう。君の残りの寿命、そして死後の魂を、すべて私に捧げたまえ。引き換えに、君を奈落の底から引きずり出し、王都を焼き尽くすための『死の力』を授けよう」


 それは、神への背信であり、人間であることを捨てる宣言。

 だが、ヴィオラに迷いはなかった。

 清廉に生きて裏切られたのなら、悪魔に魂を売り渡してでも、あの者たちに同じ絶望を味わわせてやりたい。

「……ええ。喜んで。この命も、魂も、貴方の好きになさって」


 ヴィオラの答えを聞くと、エドワードは満足げに目を細め、彼女の唇に、氷のような冷たい接吻を落とした。

 瞬間、ヴィオラの体内に、悍ましくも力強い黒の魔力が奔流となって流れ込む。 血管が焼き切れるような衝撃。視界が真紅に染まり、彼女の背中から漆黒の翼が広がる幻視が弾けた。

「あ、ああああああ……!」

 絶叫と共に、ヴィオラの魔力回路が再構築されていく。それはかつての「聖なる光」ではなく、万物を朽ち果てさせる「死の闇」。


 エドワードは彼女を抱き留め、その耳元で甘く、残酷に囁いた。

「さあ、始めようか。可憐な復讐者アヴェンジャー。君が望むなら、この国を灰の園に変えてあげよう」


 月明かりさえ届かぬ監獄の奥底で、一人の令嬢が死に、一つの怪物が産声を上げた。

 これが、後に王国を震撼させる「黒の災厄」の、真なる幕開けであった。

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